第八話 オネスタは彼が寝不足な理由を知らない
小さな子供の頃の記憶とは存外残っていたりする。すべて覚えていることは難しいが、印象的な、例えば大切な人との会話なんかはなかなか忘れない。
オネスタが思い出したのは母親が亡くなったあと、忙しそうに働いていた父、イディオットと共に出かけた記憶だ。
今日はキャンプだーとイディオットは朝から嬉しそうにオネスタに話しかけていた。
夜中になると、何を燃やすでもないのにイディオットは火をつけた。
オネスタの中にある唯一の焚き火の記憶。その記憶を頼りに、オネスタは火を点けようとしている。
(あの時は確か、木の棒をぐるぐるしていたっけ)
微かな記憶を思い出し、そのままなぞっていく。
まず拾った木片を置き、そこに藁替わりに葉っぱを設置して、これまた拾った木の枝で葉っぱを擦るようにぐるぐる回す。
大体あっているが葉っぱが枯れていないということが間違っていた。
「変わったやり方だな。オネスタ」
上半身を隠そうともせずにオネスタの反対側に座る。近くで見るとステラの肉体が細身ながら美しいものであることが良くわかる。
「俺とは全然違う」
オネスタは自分の手元を見るが、一向に火がつきそうな気配はない。木の板の上に緑色のカビのような物がへばりついているだけだった。
自分でも薄々間違っていることは感じていたが、途中でやめれば間抜けみたいだと思ってやめなかった。
「じゃあどうするんですか?」
オネスタにしては珍しく、語気が荒くなった聞き方だった。
そのことに自身は気づかず、妙な感情を抱くも無視するに終わった。
「見てろ」
言い残し、ステラはどこかに行ってしまった。
数分後、帰ってきたステラの手には大量の木片があった。オネスタが持ってきたものと違うのは、その大きさだ。
ステラはそれを置いて、一箇所に集めた。その中から特別大きな木を手に取った。
「これをこう、よっ」
軽快な掛け声とともにステラは二つの木を擦り合わせた。ただ擦り合わせた、それだけだった。
しかしオネスタが行っていたやり方とは全く違う、言わば、マッチのような要領でステラは火を点けようとした。
信じられないことに一瞬でその木は燃え始め、集めた木片の中に突っ込むと、やがて火は大きく成長した。
「な?」
「能力はずるいです」
「オネスタも能力使ってもよかったんだぞ? それより、さっさとお昼食べようぜ」
「私の能力でどう火をつけろと言うんですか」
ステラが魚を持って来たが、ここで問題。魚を切る物がない。ステラの持ち物はお金ぐらいなもので、オネスタに関しては服以外には何もない。
段々ステラのすることが分かってきたオネスタだったが一応聞いてみることにした。
「魚、切る物がありませんね」
「そんなもん手でやればいい」
宣言通り、ステラは慣れた手つきで魚を捌いていった。切断するためか手の動きが早すぎて本当に素手で捌いているのかオネスタには判断出来ない。
数分後には魚の全身が手頃なサイズに分けられていた。皮は全部剥ぎ取られ、身の部分だけが露出している。
「ほら」
「普通の人はそんなのできないと思います」
何食わぬ顔でステラはやってのけたが素手で魚を捌けるというのは、たとえ能力を持っていたとしても容易ではない。
「いいから食べようぜ!」
「はい」
二人は魚を焼き出した。
「なかなか上手いな」
「とっても美味しいです」
調味料を使っていないはずなのに、二人は同じ感想を持った。
「オネスタはこの魚の名前知ってるか?」
「いえ、知りません」
「ダイアコウって言うんだ。こいつは鱗が無いんだけどさ、何でかわかるか?」
考えてみてまず一番に思いついたことオネスタは言った。
「泳ぐのに邪魔だからですか? 大きいですし」
「はずれ。答えはダイアコウがこの湖の支配者だからだ。一番強くて敵がいない。だから自分を守るための鱗が必要ないんだ。焼いたらわかんないけどこいつ皮膚が硬いから岩とかにぶつかっても傷つかないしな」
ステラは物知りだな、とオネスタは素直に感心した。
湖のも主であることを踏まえて、改めて口の中に運んでみるとさっきよりもおいしくなったような気がした。
身体が大きい分、肉が引き締まっている。それが表れているのか、焼いた側から脂がはじけだしている。湖に入って冷えた体で温かいものを食べ、火に当たっているせいかステラは時々、身震いしていた。
お腹の中を魚で一杯にすると、ステラはオネスタを抱えて、もう一度空へと飛んだ。
やっぱり空の上は気持ちがいいとオネスタは感じた。
ぐんぐんと階段を登るように空へと上がっていく。オネスタのお願いは覚えていたようで、お姫様抱っこは続いている。若干強引に下を見ると、既に自分たちがいた所が分からなくなるぐらいに上昇していた。
二人きりの世界で、オネスタは訊いた。
「魚を捕ることってよくするんですか?」
「悪い! もうちょい大きな声で話してくれ!」
移動速度は並のものではない。それもそのはずで、ステラは先ほどよりも速い速度で空を進んでいた。
さっきの飛行でオネスタが多少は慣れたことを見越してステラはそうした。
そのせいで周りの音が聞き取りにくくなったのだ。
「普段から魚は捕ってるんですか!」
「そんなに怒ることないだろ……」
「何か言いました!?」
やっぱり怒ってるじゃん、とボヤくがオネスタには届かない。実際は声を大きくしてと言われたから大きくしただけでオネスタは怒ってるつもりなど毛頭ない。
「まあいいや。魚だけじゃないよ! 俺の仕事は普通の人が捕まえられない動物を捕まえることだから!」
「変わった仕事ですね!」
「まあな!」
叫びながらもステラはブレることなく真っ直ぐ進む。息が上がっているオネスタに対し、全く疲れる様子がないのは、能力のおかげだ。
そうやって何度か他愛の無い会話を繰り返し、休憩することもなく空を進み続けると、やがて日は落ち夜になった。
空高く飛んでいれば、障害物の可能性を考慮する必要は一切ない。遠征に使う飛行船だってこんな高度では来れない。
それでも、夜になるとどこがステラの家なのか分からなくなる。しかし、自分の能力が他人に知られることをあまり良しとしないステラからすると低空飛行で進むことも好ましくない。
故に、二人は地に降りた。
そこから手近にあった街の宿で一晩を明かすことにした。
宿は老年の主人が一人で経営していた。昨日泊まった宿よりも値段こそ安かったが負けず劣らず立派な宿だった。
居間で晩ご飯を頂くと、二人はすぐに案内された二階の部屋に戻った。
その部屋には左右の壁沿いにベッドが一つずつと、真ん中にテーブルと椅子がある。窓からは月明かりが僅かに差し込んでいる。
夜遅いこともあり、相変わらずオネスタの寝つきは良かったが、例によってステラはなかなか眠れなかった。
そして朝、オネスタはくるまった僅かな布団の隙間から入り込んだ冷気を肌に感じ、目を覚ました。
隣のベッドにはステラの姿はなかった。
窓の外を覗き込むと、夜が開けたばかりなのか、朝焼けがオネスタの瞳を蜜柑色に染め上げる。
もぞもぞと布団から這うように抜け出し、貸してもらった寝間着から洗濯された自分の服へと着替える。靴を履いて、部屋を出る。
居間に行ったがステラはいない。
ご主人が朝食の準備をしている最中だった。
「あの、ステラさんはどこにいるか知っていますか?」
作業中の手を止め、ご主人は振り返った。
「あーどうじゃったかのー。たしかうちに泊まってたのは二人じゃったな。いやはや久しぶりのお客で嬉しい限りじゃい」
「そうですか」
ご主人が年でボケていることを察したオネスタは深くは聞かずにさっさと切り上げた。
居間から出ると、オネスタはそのまま玄関を出た。
扉を開くと、入り込んだ朝日が眩しくてオネスタは手で光を防いだ。ご主人と話している間に太陽が昇っていた。
目が慣れてきたころに手を離すと、切り株があった。その横には大量の薪があった。横に目をやると巨大な木が一本。その木の下にもたれ掛かっているステラがいた。何やら上の方を眺めているらしくオネスタには気づいていない。
「朝早いですね」
近づいて話しかけるとステラが目線を落とした。
「仕事柄な」
「昨日は私より遅かったですよね?」
うぐ、と言葉が詰まる。
「き、昨日は疲れてたんだよ」
「昨日の方が疲れてそうですけど……」
「まあまあ! そんなことより朝飯頂こうぜ!」
明らかに挙動がおかしい。そのことに気づかないオネスタではなく、逃げるように宿に入るステラを怪訝な表情のまま追いかけた。
様子がおかしいのも当然で、「昨日はオネスタが居たから緊張して眠れなかった。今日は慣れたからだよ」なんて自然に言うことはステラには出来ない。
居間に戻るとご主人がテーブルに朝食を用意していた。パン、スープ、肉がそれぞれ別の皿に置かれていた。朝からお肉か、とオネスタは胃もたれの心配をするが文句は言えない。
「ステラさん薪割りご苦労じゃった。大したもんじゃないが食べとくれ」
「いえいえ。それでは頂きます!」
「頂きます」
食べ始めるとご主人はどこかに行ってしまった。二人分の料理しかないのですでに食べ終わっているのだろう。
「ステラさん、薪割りなんてしてたんですね」
「まあ、爺さんに頼まれたからな。運動がてら」
「能力は使いました?」
「いやいや。能力使ったら運動にならないよ」
「それもそうですね」
それきりで話は終わり、食卓には食器が擦れる音と僅かな咀嚼音だけが響いた。
オネスタは食べる前は重たい肉に対して若干否定的だったが、いざ食べ始めてみるとどうでもよくなるほど感動する味だった。
そして気づいた。お肉なんて食べるのいつぶりだろうと。
「ごちそうさま」
手と手を合わせる音が鳴った。先に食べ終わったのはステラの方で、自分の皿を見てみるとまだ半分ほど料理が残っていた。
この宿に長居する理由は二人にはない。食事が終わればすぐに出て行くだろう。オネスタは待たせてしまっていると感じ、食べる速度を上げた。
「いいよゆっくりで」
一方、ステラは特に早く帰らなければならない理由はないので、食べるペースを上げたオネスタにそう告げた。
喉に詰まらせるのも嫌なのでオネスタは素直に聞き入れた。
十分ほど経った頃、オネスタはようやくすべての皿を空にした。
食べている間、ステラがずっと見ていたせいか、オネスタは少し居心地が悪そうで最後の一口を食べきると溜息まで吐いた。それから両の掌をオネスタは合わせた。
「ごちそうさまです」
「食べ終わったかい」
見計らったようなタイミングでご主人が食卓に顔を出した。片手に箒があったので掃除でもしていたのだろう。
「はい、とても美味しかったです」
オネスタにとってまともな料理はいつぶりだったかわからない。善意を持って他人から与えられたという意味では昨日の魚も入るが、作ってくれたものは両親がいなくなってからこれが初めてだ。美味しいに決まっている。
「俺も美味しかったです」
ステラもオネスタに同意する。
「それはよかった。ところで二人はもう出発する気なのかね?」
「ええ。そのつもりです」
「そうかい。また来とくれ。ああ、皿は置いておいてくれ」
そう言って主人は皿を片付け始める。オネスタは手伝おうか迷ったが、これも仕事だしと思いやめておいた。
荷物を取りに部屋に戻ろうとして、椅子から立ち上がった。
その瞬間、ドンドンと宿の扉を叩く音が響いた。