第四話 小さな能力
「あ……ああ……」
屋敷が、家が燃えている。離れた場所で群がる民衆の中で、オネスタは立ち尽くしていた。目に光が映っているが反対にオネスタの心は暗く染まっていた。
(テネレッタさんは、ずっと家にいたはず。でも、どうかテネレッタさん。うまく逃げていてください)
オネスタは願っていた。だがしかし、オネスタは内心では気づいていた。今朝、テネレッタは家で大事な用があると言っていた。この火の中、家にいたテネレッタが逃げられるはずがないと。
それでもオネスタは願わずにはいられなかった
「怖いねえ火事なんて。それにあの大きな岩は何なのかしら」
「さあ。何なんだろう? 隕石かな。さっきすごい音したし」
オネスタのすぐ隣で二人の女がそんなことを話していた。オネスタはもう一度よく屋敷を見てみた。そこには、信じられないことに巨大な岩が屋敷の一角を崩壊させていた。巨大な岩、それは人間一人では、いやたとえ百人いたとしても運べる大きさではない。まさか本当に隕石が落ちたというのか。それにしてはあまりにも変哲のない岩だ。大きさを除いては。
隕石などよりも、もっと現実的な可能性がこの国にはある。
能力者。
その言葉が脳裏に浮かんだその時オネスタは人だかりをかき分け、自然と歩き出していた。
(祈っている場合じゃない。何もしなければ、テネレッタさんがいなくなってしまうかもしれない。もう小さな子供じゃない。誰も助けてくれないのなら自分で行くしかない。だから、私がいくんだ)
「な、なんだこれは!」
「何も見えない!」
「なにこれ……煙!?」
人知れず決意したオネスタの周りの人々が突然騒ぎ出した。視界が煙で黒く染まったのだ。しかしオネスタの視界はその煙の中にいても鮮明なままだった。
オネスタの能力。オネスタは自分の能力を制御できない。激しく感情が動いたときに能力は勝手に発動する。煙を出し視界を奪う能力。オネスタはその能力の影響を受けない。
自身の体から煙が放たれることを感じながらも、少女は歩みを止めない。
テネレッタはオネスタにとって、父を殺した憎むべき相手だ。それでも、自分に歩み寄ろうとした人を少女は受け入れたいと思い始めていた。
(だって私にはもうテネレッタさんしか……)
いつしか、オネスタは駆け足になっていた。
家事以外には運動をしないオネスタは、屋敷まで駆けるだけだというのに息が上がっている。悲鳴をあげる足を無理やり動かし、屋敷に向かう。
そして屋敷の目の前まで来て、膝に手を着き、屋敷を見上げる。
「テネレッタさん。今行くから……ちょっと待っててください」
オネスタは無謀にも、火で包まれた屋敷の中に入ろうとした。
静かに、自分を奮い立たせるため呟いて、まさに一歩を踏み出した瞬間だった。オネスタは後ろの方から声を聞いた。テネレッタかと思ったが違う。オネスタが振り向いてみれば、さっきの人だかりが危ないだの、そこから離れろだの叫んでいる。
煙の効力がいつもより早く切れていることにオネスタは気づいていない。
「あなたたちは正しいのかもしれない。危険な場所には行かないべきで、厄介ごとには拘らないほうが賢明なのかもしれない。そっちに行けば楽になるのかもしれない。でも、ここにいるのは私の家族になるのかもしれない人なのだから……」
だからオネスタは行く。自身から湧き出る感情に素直に従う。
屋敷の一部は燃えて、崩れている。屋敷の一角を陣取る大岩も目立つ。ぼろぼろの屋敷はかなりの時間が経っていることを示している。もうすぐしたら騎士が来るかもしれない。ひょっとしたらもう来ているかもしれない。それでも自分が何もできないのは嫌だ。全部を他人に任せて、何も知らないうちに終わってしまっては自分を許せない。
叫ぶ民衆を無視し、前を向き現実に立ち向かう。
巨大な岩を一瞥し、屋敷に入ろうと足を動かした。その時、オネスタは見てしまった。巨大な岩の陰に潜んでいた、集団を。
(誰なの)
そう思ったのも束の間、連中の顔が火に照らされてオネスタの目に入る。
オネスタは信じられなかった。信じたくなかった。一気に喉が干上がるのを感じ、瞳孔がいっぱいに開き、全身の毛が逆立った。
思い出して、オネスタの身体中にできた痣が痛み出した。
「貴方達、そこで……何を……」
オネスタは絞り出した声で連中に話しかけた。おそらくそれはその連中の誰一人にも聞こえていなかった。程なくして、連中の一人がオネスタに気づいた。それをきっかけに連中の視線がオネスタに集まる。
オネスタがよく知っている連中。昨日会ったばかりだ。忘れるはずもない。オネスタに、他人からの関心を向けられる喜びと、そして圧倒的な暴力を教え込んだ連中。
「よお姉ちゃん。自己紹介がまだだったな。俺の名前はパウラだ。下らねえ小細工で俺達から逃げられると思ってんのかよ」
パウラと名乗ったリーダーと思われる大男がオネスタを愉悦が篭った目で睨みつける。
「いやあごめんねー。あたしはどうでもよかったんだけど、この人がキレちゃってね。あたしはロッティアって言うんだ」
後ろから女が一人顔を出した。一度逃げたオネスタを追いかけてきた女。ロッティアと名乗った女が申し訳なさそうに顔の前で右手を縦に振った。
「もしかして、貴方達が……?」
聞く必要なんてない。この時、この場所にオネスタに悪意を持っている連中がいる。それだけでわかることだった。
「他に誰がやったって言うんだよ。まさか勝手に火が点いたと?」
嘲笑とも受け止められる笑いが連中から発せられた。火の熱を肌に感じながらオネスタは連中を見据えていた。
(そう、この人たちが……。どうしてだろう。こいつらを見ていると嫌な気持ちになってくる。ううん、いっそのこと、殺してやりたい)
オネスタは頭がどうにかなりそうだった。自分だけならよかった。しかし、自分以外の人が傷つけられればそれを許すことはできない。その人がテネレッタであればなおさらだ。
オネスタは非力だ。能力もそうだが本人の運動能力が一般的な人のそれよりも低いことは本人も知っている。
それでもオネスタは自身に渦巻く感情を抑えられない。久しく感じていなかった感情。
怒りというものをオネスタは感じた。
「許さない」
ゆっくりと重く吐いたオネスタの言葉はパウラたちの笑い声に掻き消された。
その笑い声は一気に消えた。
オネスタが一歩踏み出すと、それに呼応するように身体から煙が噴出された。
一帯が煙で覆われ、パウラ達の目が潰される。
そう思った。
パウラは同じ手に引っかかるためにここに来たのではなかった。小馬鹿にされた借りをオネスタに返しに来ているのだ。
そのパウラがオネスタの能力に対して何の対策もしていないはずかない。
「行け」
さっきまでの人を馬鹿にしたような軽い調子は感じられない。冷たく単調な命令をオネスタは聞いた。
パウラ達には何も見えていない。これは揺るがない事実だ。しかし、一人はっきりとした視界の中オネスタは平静を失った。
パウラ達が取った作戦は簡単だ。昨日の一件でオネスタの能力に実害は無いと分かれば話は簡単。彼らは目の前が真っ暗になっているにも関わらず、一斉にオネスタ目掛けて闇雲に突進してきた。命令した本人であるパウラとロッティアを除いて八人がオネスタに向かう。
笑いながらもパウラ達は、煙が出る前までの自分達とオネスタの位置関係を把握していたのだ。
「え、あの……待って……」
対してオネスタと言えば未経験の事態に困惑していた。少しずつ後ずさっているが腰が引けてしまった。
それでも連中は止まらない。
位置を覚えていたと言っても、連中は何も見えていない。平衡感覚を失って転んだり、的外れな方向に逸れたりしている。
そうして、二人がオネスタの方へ真っ直ぐ突っ込んできた。
「――うあっっっ!!」
残り距離五メートルまで近づかれた時、二人が突然叫び声を上げた。
「何、今の……」
二人だけではない。パウラやロッティアを含む、オネスタ以外の全員が呻き声を上げ、両手で目を押さえつけていた。
オネスタが見たものは光だった。一瞬、夜が明けたとも思ったほどの強烈な光を自身の身体から発せられたのをオネスタは見た。
「私の能力は煙だけじゃないの……?」
意志を持って光を出したのではない。視力を奪うことに関しては絶対の効力のある煙を諸共せず突っ込む二人を見て、オネスタは身の危険を感じた。
煙の力が効かない、と理解するその少し前に光が生じたのだ。命の危機に能力が進化したのか、元より光を生み出す力があったのか、オネスタは知らないが何にせよ形勢逆転だ。
とはいえ、オネスタに物理的な力はない。何か武器になるものは、と周りを見れば木の破片が落ちている。屋敷の一部だったのか本当に木の破片なのかはわからないが手に取ることにした。
その時、オネスタは後ろに人がいるのを見た。
「目! 目が! 見えない! うおおぉぉぉ! 熱いぞぉぉぉ!」
「――誰?」
そこにいたのは全く知らない人物だった。