第三話 幸せな家族
オネスタは昨日、テネレッタからの衝撃の告白を受けた。実を言うとオネスタはまだ言われたことを消化しきれていない。だから昨日の告白が衝撃的かどうかも完全にわかってはいない。
昨日はテネレッタからの治療を受けた後もずっと、働きながらではあるがテネレッタの言葉を噛砕いていた。それでも、テネレッタの真意はわからなかった。本当に気を許していいのだろうか。
そして昨日はそのまま終わり、今日になる。朝の洗濯をしようと各部屋を回っている時だった。テネレッタとばったり会ってしまった。昨日はしていなかった、手首につけた金属製の豪奢な装飾品がよく似合っている。
「よく眠れた? オネスタ」
「はい……いえ、あまり眠れませんでした」
嘘をついても仕方がない。事実オネスタには眠気が残っていた。
「そう。悪いのだけどまた街に買い物に行ってくれないかしら。私、今日は大事な用事があるので。これメモね」
渡されたメモには昨日買ったものとは全く別のものが書かれていた。オネスタは疑問に思った。なぜ昨日に全部頼んでくれなかったのか。二度手間になったではないか。
「ごめんなさいね。いっぺんに頼んでも持ちきれないと思って。それに貴女随分と傷ついて帰ってきたから頼むに頼めなかったのよ。だから申し訳ないのだけど、今日もう一度行ってもらえないかしら?」
テネレッタは心を読むことができるのだろうか。テネレッタはオネスタが疑問に思ったことに対する答えを聞いてもいないのにつらつらと述べた。
一応の回答をもらったオネスタだったが、またわからないことが増えてしまい萎縮している。
「あの、どうして私に行かせるのですか? 使用人の方々もいらっしゃると思うのですが……」
その質問をした瞬間、オネスタはテネレッタが若い女の子のように見えた。オネスタは、また怒られるのかと思ったが、テネレッタはサプライズの誕生日プレゼントが見つかってしまった時のような様子でそっぽを向いてしまった。しかしオネスタがよく見ると、テネレッタの耳の部分が赤く染まっている。恥ずかしいと思っているのは一目瞭然だった。
「それは……なんでもいいでしょ。ところで貴女、ちゃんと今日の分の薬は飲んだの? この国は禁止されていることはあまりないけど、破ってしまったら重罪になるのだから気をつけなさいよ? ありえないけど、国外に逃げようとするなんてもってのほかよ」
「わかっています。気にかけてくださっているのですね。ありがとうございます」
オネスタは決まりごとを基本的に守る少女に育った。劣悪な家庭環境でもしっかりとした常識を持つようになったのは、オネスタの人格が元より良かったのだろう。
もちろんオネスタはこのソプラ国の外に行こうなどと考えたことなど一度もない。
「それじゃあ、行ってきますね」
オネスタはテネレッタと別れた後、昨日と同じ服装で、昨日と同じ買い物に使う籠を持って街に行った。
街の様子は昨日となんら変わることなく、今日も店先では店主らしき人が呼び込みに精を出している。
たった一日たっただけでそうそう街が変わることはないが、オネスタはほとんど街まで来たことが無い。そんなオネスタにとっては、二日連続で人がたくさんいる街に来ることは初めての経験だったりする。
「あんた初顔だね。なんか買っていくかい? おすすめは全部だ。全部買ってくれい!」
「あの、すみません。そこの星の形をした紫色の、ください……」
「これなかなか高級品だぜ? あんたひょっとして金持ちか? もうちょいいい恰好しようぜい」
「すみません。あの、それで、買いたいのですけど」
「ああ、すまんすまん。はいよ、でもあんたよ。食べ物の名前くらい覚えたほうがいいぜ。ちなみにそいつの名前はスナシホだ」
「どうも、ありがとうございます」
代金を払い、逃げるようにオネスタは店から離れた。昨日は行っていない店に行ったのだが、店主らしき人は昨日にはいなかったテンションの高い人だった。畳みかけるように話しかけられることにオネスタは慣れていない。
「帰りたくなってきたかも……」
単純に嫌な感情を向けられることには慣れているが、今のような圧倒されることには慣れていない。
だからと言って、頼まれたことを放棄することをオネスタは良しとしない。邪念を振り払うように首を振り、別の店を目指して歩き出す。
頼まれたものを全て買い終わると、籠の中は食材で溢れそうになっていた。そこそこ大きな籠なのだがそれでも、いっぱいになるほどの量だった。おかげでたくさん店を回ることになった。
「よし、帰ろう」
必要なことはやり終えたし、もうすぐ太陽が沈みそうで、茜色をした雲が空に広がっている。そろそろ帰らないと怒られてしまうかもしれない。
この時間になると、働いている人も外で遊んでいた子供たちも家に帰り始める時間だ。
夕焼けを眺めつつ、オネスタが帰り道を歩いていると、ほとんどの人がオネスタと反対側に向かっていた。街の外よりも街の中に家がある人のほうがどうしても多いからだ。
すれ違っていく中、オネスタはふいに立ち止まってしまった。
「お母さん、今日のごはん何―?」
「今日はね、あなたの大好きなものよ」
「本当!? やったー!」
「またかよ母さん……」
「あら貴方だって好きでしょう?」
「確かに好きだが、さすがに一週間同じメニューはなあ……」
そこにいたのは家族。どうしよもなく幸せな家族だ。両親の手を握る子供にそれに柔和な笑顔を浮かべ答える父と母。それはオネスタにはもう二度と味わうことのできない幸せ。
だから、オネスタはそれに憧れてしまう。
「今更どうしようもない、よね」
呟いて、落ち込みそうになっていることに気が付き、首を振って気持ちを切り替える。
すると、いつの間にか昨日、あの不良っぽい人たちに襲われた場所に来ていた。帰り道だから仕方がないが、不用心すぎたとオネスタは思った。
内心、びくびくして通っていたがどうやら奴らが来る気配はない。人から向けられる関心が心地よいとは思うが、テネレッタからの好意的な関心のほうがもっと、心地よいとオネスタは知ってしまった。
「よかった、うん……」
路地を抜け、もう少し行けば、家に着く。
「そういえば、テネレッタさんになんで急におつかいなんか頼んだのか聞けてない……」
今日聞けなくても、いつか聞けばいいかと、オネスタは考えた。
そして、最後の曲がり角が見えた。そこを曲がって後は少し真っ直ぐ進めばテネレッタがいる屋敷に着く。
だが、いつもとは違い様子のおかしいことにオネスタは気づいた。
人だかり。何十人もの人々が集まっている。何かを凝視していた。
オネスタはその人だかりに近づき、何か大変なことが起きたのだと気づいた。
ある者は口元に手を当てている。ある者は隣にいるものと小声で話している。また、ある者は――
自分には関係ないだろう、と人だかりを押しのけ屋敷に帰ろうとした。
そこまで、そこまで行ってオネスタは人だかりの原因となっている物の正体を見た。
夕焼けも過ぎ去り、夜と言っても差し支えない時刻だった。だというのに、人々の視線の先の場所だけは真昼のように明るかった。
遠くから見てもすぐに気づけるはずだった。あるいはオネスタは気づいていながら、その事実を認めたくなかったのかもしれない。
自分の家が燃えているなんて。
――また、ある者は、絶望的な現実を目にして、ただ茫然と立ち尽くすことしかできなかった。