第二話 嫌われていて当然だった
オネスタは信じられなかった。義理とはいえ自分の母親が自分に向かって心配するような言葉を吐いたことが信じられなかった。義母――テネレッタにとってオネスタは自分を裏切った男の娘だ。
今までオネスタに嫌悪感しかを持っていなかったはずのテネレッタが、心配の言葉を口にしたのだ。
「買い物に行ったはずよね?」
「――はい」
「ならなんでそんなに傷だらけになってるの」
「街で、不良に絡まれました……」
「荷物置いて逃げればよかったのに、馬鹿ね。ほら行くわよ」
「え、え……?」
「いいから、それ置いてついてきなさい」
オネスタは言われるがままにテネレッタについて行った。どこに行くのかと思っていると二階にあるテネレッタの部屋に案内された。
オネスタはよくこの部屋に入ることがある。掃除に来たり、洗濯した服をクローゼットに入れるために。こうしてテネレッタ本人に招かれたことが今まであっただろうか。いや、おそらくない。
「突っ立てないで、そこのソファにでも座ったら?」
言われ、オネスタは手近な場所にあるソファに座った。テネレッタは収納棚をいじっている。オネスタはこれから何をされるのだろうと緊張していた。
「――っと、あったあった。ほらこれ使いなさい」
手渡されたのは医療箱だった。傷薬、包帯、それに絆創膏のようなものまである。他にも色々入っていたがオネスタはそれが何か知らない。
渡されたのはいいがオネスタにはこれをどうすればいいのかわからなかった。まさかこれで自分の怪我の手当てをしろと言っているのだろうか。この人がそんなこと言うはずがない。
「何してるの? あ、もしかして使い方わからないのかしら。貸しなさい。女の子がこんなに傷だらけになるもんじゃないのよ。でもこれは男の子でもしちゃいけないレベルな気もする……」
テネレッタはオネスタから傷薬を受け取り、それを丁寧にオネスタの傷口に塗っていった。
「――痛っ」
オネスタを痛みが襲う。ただその痛みはさっきまで街で受けていたものとは全く違う痛みだった。前にも述べたようにオネスタは痛みに喜びを感じたのではなく、他人の意識が自分に向いているということに喜びを感じたのだ。
街で受けた悪意により痛みよりも、今のような優しさで出来た痛みのほうがオネスタは嬉しいのだ。
「我慢しなさい」
「き、聞いてもいいですか?」
「何?」
「あなたは私のことが、その、嫌い……」
テネレッタはすぐには答えなかった。会話は途切れたが傷薬を塗るその手は止まることはなかった。そして決心がついたのかテネレッタは話し出した。
「最初は嫌だった。どうして私が、私を裏切った男の娘を引き取らないといけないのかって。きっと母も父もみんなも、そう思ってた」
その言葉を聞き、オネスタは視線が下がる。テネレッタからは表情はうかがい知れない。
「でもね」
テネレッタはそこで一つ区切って言った。
「途中で飽きたの」
「飽きた……」
「そう飽きたの。疲れたとも言うわね。私を裏切った男の娘、その男の血が流れている娘なんて嫌いって思い続けるのが。だってあなた自身からは悪意なんて欠片も見えなかった。そんなのあなたが家に来てすぐに気づいた」
なら、どうして今まであんなに無関心な様子だったのだ。
「私はそうだったけど、父や母はそうは思わなかったみたいで、とてもそんなこと言えなかったの。ごめんなさい」
普通の人間なら、怒っても当然のことだ。そんな小さな理由のために、オネスタは孤独な生活を強いられていたのだ。バカバカしいと、ふざけるなと怒り狂ってもテネレッタに文句は言えない。テネレッタに少し勇気があれば、オネスタに笑顔が残っていたかもしれないのに。
「私は、私は……」
しかしオネスタは普通とは違った女の子だった。元は普通だったのかもしれない。オネスタはここ数年の経験により変わってしまったのだ。
「ごめんなさい……どうしたらいいのか分からないんです」
そんなオネスタにはテネレッタの告白は唐突すぎた。オネスタは当惑した。自分の言うべき言葉が思い浮かばない。そもそも自分がテネレッタの言ったことに対してどう思っているのかさえあやふやなのだ。
わからないことにオネスタはまた不安を覚えた。理解できないことでまた怒られるのではないか。失敗したら怒られる。わからないことを訊いても怒られる。それがオネスタの日常だった。
「いいのよ。あなたはおかしくなんかない。おかしいのは私の方だもの。今わからなくても、いつかわかればいいの。今までの仕打ちを許してとは言わないけど、これから仲良くなる努力はしてもいいかしら?」
その時にオネスタは初めてテネレッタが笑っているところを見た。
なぜテネレッタが今日、このような態度をとっているのかオネスタは知る由はないが、今のこの人なら歩み寄っていくこともできるかもしれないと、オネスタは思った。
「は、はい……!!」
だから、オネスタの言う言葉は決まっている。
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