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赤い森  作者: 鈴代なずな
六章
45/46

6-10

 刃の根を飛び越えていくのには、慣れてきた感がある。それでもサヤに並走するのは簡単ではなかった。彼女が気遣って速度を落とし、時折は立ち止まることをしなければ、以前のように置き去りにされていただろう。

 それは同時に、彼女が真にこの赤い森の奥深い、大樹へと続く道を、百年に渡って行き来し続けているのだと知らしめているようでもあったが。

「私……」

 そうした途方もない歳月に身を震わせていると、サヤは駆けながら、ぽつりと呟いてきた。

 それは赤い闇に包まれる鬱蒼とした、おぞましい原生林の中、鋭利な草葉を踏み抜く音にかき消されそうな控えめなものだった。

 しかしリヴィッドはそれでも、彼女の声を聞き逃すことがなかった。

「あの、時……リヴィッドに、怒られた時、から、ずっと考えてた……私には、何かが……足りなくて、だから剣も……”完成”しないん、だろうって……」

 初めて出会った時の話だろう。リヴィッドはその時、自分が彼女に対して何を口走ってしまったのかをまた思い出し、胸が締め付けられるような痛みを感じた。

 だが視線を逸らそうとすると、サヤはその必要はないというように小さく首を横に振った。

「でも……今、やっと……少しだけわかった、気がする。私は……人のことを、知らなかった。お祖父ちゃんの理想……叶えることだけ、考えて、お祖父ちゃんの、言う通りに……守りたいと思うだけで……ただ、言葉でしか、知らなかった、んだと思う……」

 恥じるように、サヤの方が目を伏せた。

 刃の根をいくつか連続して飛び越える必要があり、リヴィッドが一歩遅れたため、彼女は少しだけそれを待ってから――その間に、顔を上げていた。

 強い、真っ直ぐな瞳だった。

 最初に見た、羨望と劣等感を抱かされ、自己嫌悪に陥る悪態をつかざるを得なくなったたあの時よりも、さらに純真な双眸がリヴィッドの姿を映していた。

「それが、リヴィッドの話、聞いて……少しだけ、わかった気がする。今は前より、ずっと……人を守りたい。私が、自身の意志で、守りたいと、思ってる」

 その時、ふたりは大樹の前へと辿り着いた。

 赤い樹木が道を空け、大樹のもとへ誘っているようにも思える。

 そこは紛れもなく、以前は立っているだけでも怨嗟の刃による裂傷が生まれ、全身を切り刻まれるようだった空間である。

 しかし今は――不思議と何も起こらなかった。

 身体が斬り付けられることも、赤い血が滲むこともない。人影が現れることもなかった。ただ静寂と、厳かで壮大な樹木が、眼前にそびえているだけだ。

 サヤと共に、意を決するようにそこへ向かう。

 一歩、二歩と……

 駆け寄らなかったのは、それが神聖な、恭しい儀式のように思えたからだった。

 傷が邪魔することはなく、風がうるさく森をざわめかせることもない。赤い森はおぞましくも、厳粛な雰囲気を湛えて、サヤの作り出した剣を待ち受けているようですらあった。

 一段高くなっている地面には、石を埋め込んだ階段めいたものが作られている。それを登り――大樹の前に立つ。

 何本もの樹木が折り重なったような、でこぼことした巨大な幹は、間近で見ればなおのこと圧倒されるものだった。十人以上が手を繋がなければ、取り囲むこともできないだろう。

 見上げれば、枝が生え始める箇所ですら遥か高く、到底辿り着けそうもない位置にあった。ましてそこには、それだけでも周囲の樹木に勝りそうな枝が、幾本も突き出しながら空を隠している。その枝からさらに伸びるものですら巨大で、無数の木の葉はそれこそ天井として、赤い空をさらにおぞましい赤い色で覆い隠しているのだ。

 反対に見下ろせば、地面には太い注連縄のようなものが、切り刻まれて散らばっていた。あるいは、元々はこの大樹に巻き付けられていたのかもしれない。切り刻んだのが何者かは、考えるまでもないだろう。

 そして、そうした地面に潜り込む、巨大な樹木の根を突き刺すように――それはあった。

 剥き身の刃。おぞましい赤色をした、全ての元凶である刃だ。

 触れれば手首から先がなくなるに違いない。リヴィッドはそう思えるほどの刃を見下ろし、世界を破滅させるまでの暴悪な怨嗟を前に、しかし畏怖や恐怖と共に、やり切れない思いが湧き上がるのを感じていた。

 サヤの祖父がそれを生み出すまでに至った悲嘆や憎悪は、想像が追いつくものではないだろう。ましてまだほんの幼い自分には到底、量りしれなかった。

 しかしそれでも、彼の理想の一端を、今は理解することができた。それもまだ微かで、彼ほど純粋にはなれないが、確かに抱いている感情だった。

 隣を見やると、サヤも同じように刃を見下ろしている。きっとどちらの思いも、自分よりも遥かに深く理解していることだろう。そう思うと口惜しくもあったが、同時に憧れを強くするものでもあった。

「リヴィッド」

 見つめていると、彼女が顔を上げてこちらを向いた。それに一瞬慌てたものの、力強い決意の表情を見せる少女と頷き合う。

 サヤは自分の作り出した剣を差し出してきた。柄もない持ち手だが、それを握る彼女の手が、微かに震えているのが見える。

 リヴィッドはそこへ手を添えるつもりで、共に剣を握った。

 そして刃を――祖父の刃と交差するように突き立てる。

 ぎぅんっ! と大きな音が響いた。

 鉄同士がぶつかり合う、鼓膜を突き破るような激しい音だ。それは一度だけ、静寂の森を大きく、大きく震わせて……残響もなく消えていった。

 後は何もない。何か変わったことが起きたわけでもない。

 ただサヤの作り上げた剣は、折れることなくそこに突き立てられていた。

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