4 爪剥ぎミギー
「弟は拷問を受ける側だね」
兎の着ぐるみが放ったその言葉を聞き、天海の顔が驚愕に歪んだ。
「どういうこと?」
「どういうことって、だってされる人がいなくちゃ見れないでしょ? 拷問」
「何のこと? 聞いてない。早く祐樹を返して!」
「祐樹? ああ、あの子の名前は祐樹って言うんだ。聞いてないって言ったって、別に言ってないしね。もう遅いよ。それじゃあ祐樹君を連れてこよう。おーい、ミギー」
兎の着ぐるみが大声を出した。
すると壁だと思っていたところが開き、中から小男が出てきた。隠し扉があるようだった。
「なんですか?」
ミギーと呼ばれた男は気が弱そうだった。
「さっきさ、男の子捕まえたじゃない? あれ連れてきて」
「分かりました」
ミギーはそう答えると扉の中に消えた。少しして再びミギーが部屋に入ってきたとき、後ろに祐樹を連れていた。祐樹はなんだか様子がおかしかった。天海は心配して呼びかけるのだが、一向に反応を示さなかった。
「あの子は今、催眠状態なんだよ。拘束するまではあの状態。大丈夫、心配しないで。拘束したら催眠は解けるから。人間が苦しむ声を聴いてこその拷問だからね」
天海はとっさに祐樹に駆け寄ろうとした。しかし兎の着ぐるみがそれを許さなかった。
後ろから抱擁するような形で天海の動きを封じる。伽藍洞などではない。天海は兎の着ぐるみの中にハッキリと人間の感触を覚えた。
「離して!」
「駄目だよ、離したら君、弟のところに行くでしょ」
「当たり前じゃない!」
「そんなことしたら、その場でアウト。君たちは一生ここから出ることはできない」
「そんな……」
「一応、ルール説明をしておこう。僕たちはこれから君の弟を拷問する。拷問に拷問を重ねて、ズタズタのボロボロにする。ここまでは良い?」
良くは無い、しかし言葉を発することができなかった。
「拷問を見終わったら君はこの城から出ることができる。でも弟は駄目。しばらくは出ることができない」
「どういうことよ……」
「拷問が終わったら、僕は弟の身体を元に戻す。きれいさっぱり、傷なんて一つだって残さない。そこは安心してくれていいよ。そして弟は毎日毎日、ただひたすら拷問を受け続けることになる」
天海は絶句した。
「ああ、そんな顔しないでよ。いずれは解放してあげるからさ。解放って言っても、それは拷問からの解放で、要するに祐樹君は死ぬんだけどね。それにその時は、君が死ぬ時だよ。君はそれほど遠くない将来、死ぬことになる。僕が殺すんだ」
その時が来たら僕がきちんと伝えてあげるから、と兎の着ぐるみが言う。
「さあ、ミギー。楽しい拷問ショーの始まりだよ。さっさと拘束して」
「分かりました」
ミギーは祐樹を抱え上げると血にまみれた鉄のベッドに寝かせた。ベッドには拘束するためのベルトのようなものが付いていることに天海は気が付く。ミギーは器用にその拘束具で祐樹の身体を締め付けていった。
拘束は両手首、両足首、そして腹の部分だった。
両手首は下げられた状態で、ちょうど腰のあたりに手のひらがあった。
「あの男のあだ名はね、爪剥ぎミギーというんだ」
爪剥ぎミギー。
その響きが、天海の脳裏に嫌なイメージを呼び起こした。
そしてそのイメージ通りの出来事が、これから起こるのだ。
「これから君の弟の爪を剥ぐんだよ。大丈夫、爪の数は限られている、だから一枚一枚、大事に剥ぐからね。爪剥ぎミギーはその名の通り、爪剥ぎのプロだから」
祐樹の身体がピクリと動いた。催眠が解けたのだろう、自分が置かれている状況が理解できていないといった様子で、辺りを見回した。
「お姉ちゃん? 何してるの?」
兎の着ぐるみに抱きしめられるような形で押さえ付けられている天海を見て、祐樹は不思議そうな表情をした。
身体を起こそうとして、ようやく自分がベッドに縛り付けられていることに気が付いた。
「何これ? ……誰?」
祐樹は怯えたように爪剥ぎミギーを見る。
「ねえ、これ外してよ。何なの一体?」
爪剥ぎミギーは答えなかった。黙ったままどこからかペンチのようなものを取り出した。
祐樹は最初、ほっとした表情を見せた。そのペンチで拘束具を壊して、自分を助けてくれるものだと期待したのだ。しかし当たり前のことだが、爪剥ぎミギーは拘束具を壊したりなどしない。
まさかそのペンチが自分の爪を剥がすための物だなどと、祐樹は想像もしていない。
「じゃあ始めますね」
「え? 始めるって何を……」
祐樹の言葉が最後まで発せられることは無かった。絶叫が、拷問部屋に響き渡った。
「まずは一枚」
爪剥ぎミギーの手にしているペンチの先に、爪が一枚挟まっていた。右手小指の爪だった。爪は血に濡れている。わずかに肉片が付いているのが、天海の立っているところからも分かった。肉片そのものが見えるわけではなかったが、爪に何か糸のようなものが付着し、それが垂れているのが見えたのだ。
「止めて!」
天海は叫んだ。しかし兎の着ぐるみに口を塞がれてしまった。彼女は声を出すことができなくなった。
祐樹は泣いていた。激痛は心臓の鼓動に合わせズキズキと彼の指先を襲い続けた。
しかし、爪剥ぎミギーの仕事はこれで終わりではない。
最初の一枚は、始まりの合図。
ミギーは祐樹の右手薬指の爪をペンチで挟む。祐樹の右手が細かく痙攣しているので爪を引き抜きやすくするために手を押さえつける。
力を入れると、ズッポリと薬指から爪が引き抜かれた。祐樹の絶叫が再び響く。今度の叫び声は湿っていた。祐樹が泣いていたからだ。
指先には血が滲んでいた。しかし出血量はそれほど多くは無かった。
「爪剥ぎミギーは今まで数え切れないほどの爪を剥がしてきた。だから出血だってほとんどない。ミギーの話だと、爪を抜くのにそれほど力はいらないらしいね。女でも子供でも、コツさえつかめば簡単にできるらしい」
兎の着ぐるみがのんびりとした口調で言う。
天海はなんとか逃れようとするのだが、がっちりと抱擁されているために身じろぎすることすら困難だった。
爪剥ぎミギーは、淡々と爪を剥いでいった。
右手中指。
右手人差し指。
一枚ずつ、確実に爪が剥がされていく。
親指に取り掛かったミギーは、そこで初めて失敗した。
親指の爪をペンチで引き抜こうとした瞬間、祐樹が手を動かした。あまりの苦痛から逃れるための衝動的な行動だった。ミギーのペンチが滑り、親指の爪は縦に割れた。ちょうど真ん中から二つに分かれた爪の片方だけが引き抜かれた。残った爪は、中途半端に指先に張り付いたままだった。
「ああもう、動くから失敗してしまったじゃないですか」
ミギーは指に残った爪をつまむと無造作に引っ張った。爪と指とをつなぎとめていた肉がピリピリと音を立て、剥がれた。
爪には、先ほどまでに抜かれたものに比べ、大きな肉片が付着していた。
祐樹は既にあまり反応しなくなっていた。あまりの苦痛に、脳がその機能を停止したのではないか、などと天海は心配した。拷問を受けた人間の肉体や精神は、正常な状態とは程遠い、明らかな異常を示すのだと、彼女は何かの本で読んだことがあった。
爪は時間がたてば回復するだろう。
しかし祐樹の精神は?
もしかしたら祐樹の心は、回復不可能なまでのダメージを負ってしまったのではないだろうか。
そのような悪い想像が、天海の脳裏を駆け巡った。
「そうら、やっと終わったぞ」
爪剥ぎミギーは、その名に恥じることは無く、両手両足の爪、計二〇本を全て抜ききった。
「以上、爪剥ぎミギーの爪剥ぎショーでした」
兎の着ぐるみが言い、ミギーはペコリとお辞儀をして脇へと下がった。
「さて、お次は……」