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拷問は夢の城で  作者: 京介
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1 天海朝子との出会い

 僕は文芸部の先輩に恋をしていた。

 先輩の名前は天海あまみ朝子という。

 文芸部といっても僕が音八馬おとやま高校に入学したとき既に部員は二年生の天海先輩一人であり、本来であれば部員が一人しかいない文芸部など、部として認められないはずだった。

 それでも文芸部が残っていたのは、天海先輩が部の存続を強く望んだこと、そして彼女がとても真面目で優秀な生徒であったことが主な理由だった。教師側としても、いくら決まりであるとはいえ、何一つ問題を起こさない真面目な彼女から部活動を取り上げるのは気の毒と判断したのだろう。

 とはいえ、ある程度の制約はある。

 当然のことであるのかもしれないが、部費は出ない。天海先輩に与えられたのは部室だけだった。その部室も利用ができるのは平日のみ。しかし彼女は文句を言わなかった。天海先輩にしてみれば自分が静かに読書をする場所が学校にあればそれで良いと考えているようだった。

 音八馬高校で部活動と認められるには最低でも四人の部員が必要だった。天海先輩の他に三人が入部すれば無事に正式な部活動として認められるわけなのだが、彼女は部活動の勧誘にそれほど熱心ではなかった。

 高校に入学して少し経ったときに部活動の紹介があった。それぞれの部が趣向を凝らした部活動紹介をするなか、天海先輩はただ一言「文芸部です。読書が好きな人はどうぞ」とだけ言って、さっさと部活動紹介を終えてしまった。

 僕はその時、初めて天海先輩を見て、恋に落ちた。

 彼女の髪は長かった。ほとんど腰にまで届きそうなその黒髪は、お洒落で伸ばしているというよりかは、なんとなくだが、無精の結果そうなってしまったような感じがあった。直接聞いたわけではないが、切るタイミングを逃し続けた結果、ずいぶんと髪の毛が伸びてしまい、そしてそれを本人が気に入り、そのまま伸ばしておくことにした。そんな雰囲気だった。

 天海先輩は目が悪いのか、黒縁の大きな眼鏡をかけていた。彼女の顔に比べると眼鏡は妙に大きかったが、そのアンバランスな感じが僕にはより彼女の魅力を引き出しているように感じられた。

 影が歩いているようだったと、僕の友人は天海先輩のことを表現した。それはとてもしっくりとくる表現だった。

 確かに天海先輩は影のような雰囲気を持っていた。

 しかし彼女のそんなところにも僕は惹かれていたのだ。

 部活動紹介があった日の放課後、僕は迷うこともなく文芸部の部室へと向かった。校舎三階、長い廊下を歩ききったどん詰まりに、文芸部の部室はあった。

 廊下は薄暗かった。なんだか文芸部の部室だけ他の教室から隔離されているようだった。 こんなところに天海先輩は一人でいるのかと考えると、僕はなんとも不思議な気持ちになった。

 軽くノックをして「失礼します」と声をかけた。

 少しの沈黙のあと「どうぞ」と返答があった。本当にこんなところに人がいるのだろうかと心配になっていた僕はほっとして、部室の戸を開いた。

 果たして、そこに天海朝子先輩がいた。

 彼女さして広くもない部室のその一番奥、窓際で本を開いていた。本は何かの文学作品だった。僕はその本を読んだことは無かったけれど、タイトルになんとなく見覚えがあった。たぶん有名な作品なのだろう。

 天海先輩は椅子に気怠そうに腰かけたまま、こちらに視線だけ向けていた。

「何か用?」

 天海先輩の第一声である。

 部活動の紹介を行った日の放課後なのだから、見知らぬ生徒が部室を訪れたとであればそれは入部希望の新入部員であることは容易に想像がつきそうなものだが、天海先輩は本当に僕がこの部室を訪れた理由が分からないようだった。

 僕は自分が文芸部に入部希望であることを説明した。説明を聞きながら天海先輩は表情ひとつ変えることは無かったが、話し終わった僕に向かった一言だけ「分かった」と言った。

 歓迎も拒絶も無し。ただ入部したいと言われたから承諾した。そんな感じだった。

 その日から、僕は正式に文芸部員となった。

 僕は天海先輩に憧れて文芸部に入部した。

 しかし当然の事かもしれないが、天海先輩は僕に何の感情も抱いていないようだった。

 それでも僕は満たされていた。大好きな先輩と同じ空間と時間を共有できているのだから。それ以上の関係になりたいと考えてはいたが、それ以上の関係を目指すのは自分には分不相応なのではないか、という感情もあった。

 文芸部の部員は僕と、天海先輩の二人だけだった。当然の事ながら天海先輩は部長である。僕は自動的に副部長となった。

 副部長といったって、何をするわけでもない。ただ本を読むだけである。

 現在の文芸部に、読書以外の活動など存在しなかった。

 僕が入部した後も、文芸部の見学に訪れる人も時々いた。しかし文芸部の今のところの活動内容はただひたすら本を読むだけなので、そういった人もいずれは来なくなった。

 本を読むだけなら、どこだって読める。

 そもそも本というものは、読んでいるあいだは一人である。本好き同士が集まって自分の好きな本や作家について語ったりすることも天海先輩はしなかったので、部室に集まったところで別に面白くもなんともない。無言の時間がただ流れるだけだった。

 天海先輩は他人と仲良くする気もないらしく、僕が部室に入ってもほとんど反応しない。目線だけが一瞬だけこちらを向くのだが、すぐに読書を再開してしまう。本を読んでいるあいだはうつむきがちになるので髪の毛で顔が隠れてしまう。だから視線がこちらを向いたかどうかすら分からないことも多かった。

 それでも僕が文芸部に居続けたのは、天海先輩のことが好きだったからに他ならない。

 そんな僕からしてみれば、むしろ僕以外の新入部員など入ってきてほしくは無かったから、部室に天海先輩と二人だけというのがとても嬉しかった。



 その天海先輩から奇妙な話を聞いたのは、僕が文芸部に入部してから三か月ほど経ったときだ。

 梅雨も明け、いよいよ気温が上がり、日本の狂暴な夏が到来しようとしていた。文芸部の部室には残念ながらクーラなどという便利なものは無く、襤褸の扇風機が一台あるだけだった。扇風機を強風にして首を存分に振らせると、少し楽になった。

 天海先輩は大抵無表情だったけど、さすがにこの暑さは辛いらしく、途中で読んでいた本を閉じた。

「暑いわね」

「珍しいですね。読書を中断するなんて」

 天海先輩が本を読むのを中断することはほとんどなく、大抵は最初から最後まで椅子に座ってほとんど身動きすらしないので、僕は彼女の様子を意外に思っていた。

「汗で本が濡れたりしたら大変」

 天海先輩をよく見ると顔に汗が滲んでいた。ああこの人も汗をかくのだな、などと考えたことを覚えている。人間が汗をかくのは当然なのだが、なぜだか僕は、天海先輩はそういった人間らしさとは無縁だと思っていたのだ。

「それに、もう本を読む必要なんてない」

 彼女の言葉に僕は耳を疑った。ただひたすら本を読んでいた、というよりか読書している以外の姿を一切見ていなかったので、天海先輩は読書以外のものに興味がないのかと思っていた。

 天海先輩は驚いている僕に視線を向けると「私、今夜死ぬから」と言った。

「今夜死ぬのだから、こうやって本を読んだってなんだか無駄な感じがするでしょう」

 僕は、天海先輩が何か悩みを抱えていて自殺を考えているのだと考えた。悩み事があるのならば話を聞きますよと言ったような記憶もある。

 しかし彼女が語った物語は、僕には到底理解できるものでは無かった。

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