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背く者・前編

誰もが…救われたいと願う。

誰もが…満たされたいと願う。


己が幸福を願う気持ち…これは万人に共通する切なる願い、渇望の声。


だが世界は…全ての存在に応えてくれるほど優しくは無い。


それ故に人は叫ぶ…。

それ故に人は抗う…。

それ故に…救いを求める…。



そして…誤る、それ故に歪む…。



想いが募れば募るほどに…想いが強ければ強いほどに…醜く、深く、悲しく…歪む。







「はぁ…!はぁ…!」


夜霧に紛れながら、男は走った。

既に疲労は全身に回り、目は血走り、喉もカラカラだ。


それでも走り続けるのは何故か?…そんなこと決まっている。


走るのを止めた時が…死ぬ時だと解かっているからだ。



この深い霧の中でもはっきりと解かる。

やつ等の「猟犬」の気配が…血に飢えた息遣いが…。


「ひぃ…ひぃぃ…!!」


「猟犬」はさぞかし喜んでいるだろう。

人間の足であの化け物から逃げることなど叶わない。


何故すぐに男を捕まえないのか?問うまでも無い。


楽しんでいるのだ…必死に逃げる獲物を…即ちこの男の恐怖に怯える表情を…。



恐れ…慄き…必死に救いを求める弱者の表情…!


目前の死を恐れ…浴びせられる殺気に震え上がる熱い血肉…!


弄んでいるのだ。


運命に抗う術を持たない…弱者の一挙手一動を…!



(こつん…)


「ああっ…!」


道端の小さな石ころを踏み、男の体勢が崩れる。


そのまま前方に投げ出され、体の所々を打ち付ける。


「うぅ…!」


硬い石畳に男の流した熱い雫が滴る…。


だが…その苦痛すらもうこの男には感じられなくなる…。


男が顔を上げると…そこには…!




「あっあっあ………!!」


闇夜に映える…冷たい光……。



「あああああああああああああ!!!!!」


男は叫んだ。

吹き消されそうな自らの命の篝火かがりびを必死に大きくしようと…。


だが…多少規模が増そうと増すまいと…圧倒的な力の前に為す術など無く…


ズシャアア…!


冷たい石の路面に……紅く、熱い水溜りが広がっていった…。












ここはレックスの私室だ。

幹部に匹敵する階級の人間が私室すら持ってないのは可笑しいということで先日ジガードから与えられた物だが……。


一つのテーブルに二人の影が見える。

その影の一つは隣の影にやたらと巨大な肉隗を勧めている。


「はい!あ〜ん…」

「待て」


レックスは混乱していた。


何故朝起きたらいきなりソフィールが居るのかとか、何故いきなりこんな状況シチュエーションに置かれているのかとか、あ〜んとか可愛いこと言いながら食べさせようとしているのが何故巨大なローストチキンなのかとか…!


ツッコミが追いつかないのでとりあえず言ったのが懸命な「待て」…だがこのお姫様は無邪気という名のアレな訳でつまり待ってなどくれなかったりする。


「しっかり食べないと元気にならないよ?」

「まずは説明してくれ…!」

「食堂のおじさんに特別に頼んだ特製ローストチキンだよ?」

「違う!そっちじゃなくて何故こういった状況になっているのかが知りたいんだ!」

「そんなんだから倒れちゃったんでしょ?お医者さんの言うことは聞きなさい!」

「いつから医者になったんだ!?」


数日前、急に倒れた後からソフィールはやたらとレックスの部屋を訪れて世話を焼いている。

本来なら後宮から出てる時点でけっこうな騒ぎになるはずなのだが、傷つき疲弊した騎士を労わるお姫様の構図は周囲に好評らしく、特にお咎めは無い。


レックスはセイバーとして過酷な任務に日々挑んでいたため、ソフィールと平穏な日常を過ごすことが出来る機会は滅多に無い。

ソフィールと接することを目的にセイバーに配属されたのに本末転倒だった訳だ。


そのため、レックスは口で言うほど拒絶してはいない。

内心では…ずっとこのままで居たいと願っているのではないだろうか?


レックスと居る時……ソフィールはとても楽しそうに笑っているのだから…。



「ほら!冷めないうちに食べないと美味しくないよ?」

「分かった分かった!自分で食うから…」

「やだ!私が食べさせる!」

「お前、俺をからかって楽しんでるな!?///」

「うん!とっても!」

「こら〜!///」


そんな微笑ましいやり取りがここ数日ずっと繰り返されている。

そして…この後にもう一つのやり取りが始まるのも最早お約束と成りつつあった…。


(コンコン…!)


「レックス、入るわよ?」


数回のノックの後、ドアを開けて入ってくる女性隊員。

誰かは…言わずもがなだろう…

林檎が山盛りのバスケットをお供に連日訪れる…もう一人の来客。


「あ!ニーナ!」

「ふいーふあ?(ニーナ?)」


口に特大のローストチキンを押し込まれ、もがいているレックスにはニーナの姿が見えていなかった。

そんな二人を見てため息を吐くニーナ。


「ソフィール様…またこんな汚い部屋にいらっしゃっていたのですか?」

「ふぇふぃひははふ(別に汚く)なんてぷは…無いだろ!?」


やっと口内の肉を飲み込み、反論するレックス。


「ここはお気に入りなの♪近頃はレックスもお休みだからたっぷりお話できるしね♪」

「勝手に居座ってるんだふぉ!?」


反論は新たなローストチキンによって封殺された…。

二人のやり取りを見てムッとなるニーナ。


「ソフィール様…いくらガサツとは言え病人です。

 お肉なんてそんなに食べさせたら回復が遅れてしまいますよ?」

「美味しい物をたくさん食べれば大丈夫だよ?ねぇレックス?」

「む〜!?」


流石に息が詰まっているので、ニーナがレックスの背中を揺すって呼吸を整えてやる。


「ぷは…死ぬかと思った…!」

「全くもう…本当に私が付いてないと駄目なんだから…」


そう言いながら何処と無くニーナの顔が喜悦に緩んでいる様に見えるのは気のせいだろうか?

さり気無くレックスの隣に座り、林檎を剥き始める。随分と手馴れているようだ。


「ほらっ林檎は体に善いのよ。すこし摘まむと良いわ」


綺麗に切り分けられたウサギ切りの林檎を乗せた皿を差し出すニーナ。


「へぇ…やっぱ器用だなニーナってさ」

「ふふ…これくらい当然よ///」


何処と無く自慢げに微笑むニーナ。

その様子を見て少しむっとするソフィールにレックスは気付いていない…。


「じゃあ一つ貰うz」


その先を告げる前に、レックスの口にサンドイッチが叩き込まれた。

ポカンとするニーナにソフィールが口を開ける。


「ニーナ…今レックスは食事中なの。果物は後にしましょう?」


そう言いながら更にサンドイッチをレックスの口に押し込むソフィール…。


何やらソフィールの背後から黒いオーラが発生しているように見える…が


「ソフィール様…今レックスに必要なのは適度な水分と糖分です。

 それを補うに最適なのは料理ではなく果物かと思いますが……?」


負けじと林檎をレックスの口に詰め込むニーナ…。


口調は丁寧な筈なのに何やら圧倒的な威圧感を感じるニーナの言葉…。

あと、今のレックスに必要なのは水分じゃなく酸素だ。


「ニーナ…私が間違っていると言っているのかしら?(にっこり)」

「いえいえソフィール様は看病などのご経験が薄いのですから致し方有りません。

 この場は私にお任せください…(にっこり)」

「もがもがもが…(ばたばた)」



レックスは以前の二人の関係を知らないので元からこうなのかと思っているが…アイリスやエレンから見ればこの状況は修羅も真っ青になって逃げ出すであろう程の修羅場だ。


そしてこの戦場はカイルがレックスとニーナを呼びに来るまで続いた。

その時のカイルの奮闘振りは…また別の機会に語るとしよう…。







ラッセルの私室に数人の隊員が集められた。

別にラッセルが酒を呑む口実に集めたのではない。

全員ラッセルの部下であり、無論話の内容は次の任務についてだ。


「邪教徒?」


ラッセルから聞きなれない言葉を聞いて、訝しげにレックスが聞き返す。


「あぁ、次の俺たちの任務は巷で流行ってる邪教の取り締まり。

 そして危険な思想で周囲に混乱を振りまく邪教徒の鎮圧…もとい殲滅だ」



そう言いながらラッセルが懐に手を伸ばし、数枚の羊皮紙を出す。


「ここから馬で四日程の場所に街が在る。

 海辺に隣接し、貿易や漁業で生計を起てている大きな街でな。

 組織の物資補給にも関わる重要な拠点の一つなんだが…近頃とある勢力が牛耳っているらしい」


「それが…邪教徒ですか?」


アイリスの問いに苦い表情で答えるラッセル。


「あぁ…奴等が崇める神の生贄として毎晩一人ずつ現地の人間が殺されている。

 毎朝、街の広場にその『喰いかす』が曝されているらしい…もう被害者は20人は下らないそうだ」


「何故そうなるまで組織は気付かなかったんですか?」


カイルが首を傾げながら疑問を挙げると…


「四六時中、街の周囲を邪教徒どもが異様な獣に警戒させていた。

 助けを呼ぼうとした一般人や行商人はそいつらに片端から食い殺されたんだ…」


フランツが応えていた。


「フランツ?何でお前がそんな情報を?」


ラッセル以外の全員の心境を代弁するレックス。

すると…


「決まっているだろう…事の露見を組織に伝えたのは僕だからな」


フランツは元々、セイバーに殉じる程の実力を持っている隊員だ。

近頃はレックスに奇襲を仕掛けたり、ニーナに跳ね飛ばされたりと散々な日常を送っているが、本来は情報収集から戦闘までをそつ無くこなす組織の要。


その情報網は確かだ。


「知らなかった…てっきりそうゆうのは部下に任せてるかと思ったんだがな…」

「無礼だぞレックス…!」


自信満々に応えるフランツ…名誉挽回なるか…


「人のこと暗殺しようとしてどの口がほざく!?」

「ソンナマサカ・・・キノセイデスヨ」

「おい…!?」


ならず…!


「ともかく…!事実が確認できた今、躊躇する時間は無い!

 これからすぐ現地に向かい、即急に対象を捕縛、或いは駆逐する!異論は無いな!?」


「了解!!」

「了解…って待てよ!?」


レックスがとある一点に気付き反論する。


「馬でも四日かかるんだろ?

 今から行っても街に着くころには状況がどうなってることやら……」


その言葉にきょとんとする一同…まるで「何を言ってるんだ?」と言わんばかりの空気…。


「そっか…レックスはまだ知らなかったっけな」

「付いて来いよ…組織の足を紹介してやる」



以前、訓練で使ったのとは別の森に案内されるレックス。

そこは組織の保護している霊獣達が過ごす場所として、豊かな環境になっている。


その一角に大きな猫らしき生物が見える。

背丈は馬とほぼ互角、時折背伸びをしたり、欠伸をしているが、前進のしなやかな筋肉はその肉体に圧倒的な力が内包されているのを感じさせる。



カイルがしたり顔で解説してくる。


「東洋の乗り物にかごってのが在ってな。

 それにちなんで籠猫バスケットキャット…略してバケネコって言うんd!?」

「違う」


ラッセルの鉄拳が入る。


「本当の名前は運送屋ブリングキャット…略してブリキだ。

 組織でも保有する数は少なく、こういう重要な任務でのみ移動手段として使われるんだ」

「そんなに速いのか?」

「あぁ、まさに飛ぶように速く走るんだ。

 こいつらなら目的地まで半日もかからないだろう」


ラッセルがブリキの喉を撫でてやると、心地良さそうに目を閉じて甘えてくる。

これだけ見るとただの巨大猫だが……


「はん…こんな毛むくじゃら、バケネコで充分dry」


(バキ!!!)


フランツが馬鹿にすると、その巨大な前足を一閃させ吹っ飛ばす辺り…戦力にも成りそうだった…。



その後、レックス以下隊員20名程の小隊(エレンのみは聖狼ロウエンに乗っている)はブリキにまたがり目的地に向けて出立した。

ちなみにフランツだけは背中に乗せてもらえず、犬橇いぬぞり成らぬ猫橇で出陣。

先に述べられたとおり、ブリキの速度は尋常で無く、フランツは度々橇から吹っ飛ばされ進軍が遅れた…。









(邪教徒…か…)


任務を前にして、レックスは一つの疑念を振り切れないでいた。

ジガードとの会話の後、幻想と現の境界も見定められぬ中で見た光景…。


ジガードと、その友との姿…そして声。

あの光景を夢や幻と嘲笑うことなど出来なかった。


感じてしまったのだ…己が狂気に自我を焼かれる傷みを…。

聞いてしまったのだ…魂の慟哭を…。


そして共感してしまった…救われざる者の絶望を…!




(レベッカ……)


自らの手で殺した最愛の女性…。


今も忘れはしない…忘れることなど出来ない…。


眩しいまでの微笑みを…共に苦楽を共にした日々を…そして…永久の離別を…!



「……!」


気付けば自分の体が震えている…。

セイバーの自分が周囲に不安を撒くわけにはいかない。

震える体に鞭を打ち、心の奥底に悲しみを閉じ込める。




ソフィールのお陰で自らの罪と対峙する決意は固めた。

そのために、今レックスは戦場に赴く。

だが…


一度絶望を知った人の心は…その苦しみは消えることなど無い。

恐らく…その命が尽きるまで決して消えることなど無いのだろう…。



(…クス…)



人は誰しもが幸福を求め、彷徨う。

夢や希望のみを見続け、ひたむきに進むことが出来ればどれほど幸せだろうか?

だが、世界は非情だ。

どれほど強く願おうと…報われることなどそうそう有り得ない。


邪教徒と呼ばれる人間達も…生まれながらに歪んでいた筈は無い。

彼等も…この無常な弱肉強食の世界に自らの希望を喰われた犠牲者なのではないだろうか?


癒えない痛みを…!

消えない悲しみを…!

届かぬ魂の慟哭を……!


(レックス…)



例え何と罵られようと…救いを求めることは罪なのか…?

最初から救われれば誰しもが…



「レックス!!!」

「!?」


気付けばニーナとカイルが心配そうにこちらを覗いて来る。

どうやら迷いが顔に出ていたらしい…。


「悪い悪い…ちょっと考え事をな…」

「あんたはセイバーなんだから、こんな時に後ろに居るわけにはいかないでしょ?」

「敵陣に斬り込むからこそのセイバーなんだからな」

「分かってるさ…戦闘中には寝ぼけたりしないから今は…」


まずは頭を冷やさなければならない。

精神を乱す原因を取り除き…


「だから…今が戦闘中なんだけど…」

「!!!?」


気付けば回りを…以前見た事のある化け物の一団に囲まれていた…。






狂気を宿した目…。


血に飢えた牙…。


褐色の肌…小柄ながらも屈強な肉体…手にする鉈は値で濡れて赤黒く光っている。


レックス達の周囲をざっと見渡して40匹ほどの集団で囲んでいる。





「こいつらは……!」


周囲の敵を認識した瞬間…先程までの迷いが瞬時に消えた。

代わりに込み上げてきたのは…殺意。


自分の日常を砕いた…終焉の使徒に対する絶対的な敵意だった。



「街を取り囲んでいたのが獣鬼オーガとはな…!」

獣鬼オーガ…それがこいつらの名前か?」


ブリキに騎乗したまま斧槍ハルバートを構え、敵を見据えるラッセル。

その口から聞かされる敵の名前…。


「間違い無いな…どうやら今回の山には奴等が絡んでやがる…!

 総員迎撃体勢…」


「待てよ……!」




「ラッセル…こいつらが組織の仕事に向かっている俺たちに刃向かうと言うことは…」

「…なんだ?」



「その連中ってのが…組織の敵なんだな?」

「あ…あぁ…」


ラッセルは戦慄した。

組織に加入して見ている限り、レックスの人柄は明るく…そして友を重んじる人格者だった。


だが、今のレックスの顔はまるで…


「嬉しいぜ…!」


狂気を宿した…戦場の魔王だった……。


「組織の敵がそのまま俺の仇って訳だ…!!!」


あまりの殺気にブリキが震え、暴れだす。

レックスは気に止めることもなくブリキの背から降り立ち、背負っていた大剣を抜き…


消えた。



「!?」


そして、周りの獣鬼オーガ達が次々と斬り飛ばされていく。

周囲に紅い華が咲く…。


しかも斬殺されたのは一匹だけではない。

次々と破壊の嵐が周囲に伝染し、片端から刻んでいく。


ラッセル以外の全員が目を見張る。

レックスは消えたわけではない…皆の目に捉えられなくなっただけだ。


ラッセルには見えていた。



憎むべき敵を見つけ…残忍に歪む笑みを…!

主の憎しみを受け継いだかのように敵を噛み切る…巨大な牙を…!


風の力により、常人には捕らえきれない速度で縦横無尽に駆け回り…まるで重力から解き放たれたかのように長大な剣を振るうレックス…。


次に皆がレックスを見つけたときには…周囲を囲んでいた獣鬼オーガは一匹残らず肉隗と化していた。

その間、約五分間…たったそれだけで40体の獣鬼オーガが全滅した。


全身に返り血を浴び、それでもどこか興奮したように息を荒げるレックスの姿が周りに畏怖を覚えさせる。


「レックス…お前…」


カイルもあまりの光景に絶句し、エレンとアイリスは震え、フランツすら黙っている。


レックスの実力は組織でも優秀だった。

模擬戦でも実戦でも…セイバーに恥じない実力を周囲に認めさせていた。


だが今は違う…普段のレックスとは余りにもかけ離れている。


今までのレックスなら相手を斬る事を迷わないが…それでも本心では剣を握ることに悲しみを抱いていた。


(出来ることなら斬りたくない…!)


それ故に、任務でも即断即決を何よりも重視し、最低限必要な人数だけを斬ることで敵の戦闘意欲を削ぎ、任務を完了させることが多かった。


だが…今は違う。


刃向かう者は勿論、逃げ惑う者だろうと…嬉々として斬り殺していた…!

相手が獣鬼オーガだからこそいいが…もし相手が人間だったら?


その時…自分達はレックスを仲間として迎え入れることが出来るだろうか?


全員が息を呑む中…ニーナだけが駆け寄り、レックスに声をかける。


「レックス…」

「!!!」


レックスは一瞬、視界に入った女性に震え上がったが、それがニーナだと気付くとほっと胸を撫で下ろした。


「血ぐらい拭きなさいよ…皆が怖がってるわよ」

「……拭くモンなんて持ってねえや…」

「全くもう…」


そう言いながらニーナは自分のハンカチを取り出し、レックスの顔を拭ってあげた。

最初はされるがままだったレックスだが…次第に心地良さそうにニーナの行為を受け入れていた。


やがてある程度血を拭いきり、冷静さを取り戻したと見るとレックスは照れ臭そうにニーナに礼を言った。

普段のレックスに戻ったことを確認しほっとしたニーナもまた、普段どおりに顔を紅くしながら反論していた。

そのやり取りを見て、カイル達も遅れてレックスに声をかける。


「凄ぇじゃんレックス!あんなに強かったんだな〜!」

「流石、セイバーに所属されるだけのことはあるねb」

「こんな化け物と闘ったのか僕は……!?」

「良かった…いつものレックスさんだ…」


反応は皆それぞれだが、普段のレックスに戻ったことに皆が喜んでいた。

レックスは突然揉みくちゃにされ、反抗しながらも…普段どおりに接してくれる仲間達に感謝していた。


自分の中に眠る狂気に戦慄しながらも……。








道中、レックスはラッセルにいくつか説明を頼んでいた。


何故自分の街を襲った化け物が居たのか?

断罪クロス十字ヴァニッシュの目的とは?敵対する勢力とは何か?


ラッセルは自分の知りうる限りのことを話した。


「さっきの化け物が獣鬼オーガ…あれは俺たちの敵対勢力が魔術で生み出した怪物の一種なんだ」

「敵対勢力…?」

「そう…」


ラッセルは苦々しい表情で言葉を続ける。


鮮血ブラッド騎士団マリアン…それが敵の名前だ」

「どんな連中なんだ?」


レベッカの仇やも知れない敵の名前を聞いて血気に走るレックス。

その様子に側を走っているニーナが心配そうに見つめてくる。


「レックス…」

「大丈夫…大丈夫だから。頼む…聞かせてくれ」


ラッセルは軽く頷くと話を続ける。


「俺達は敵の全てを知っているわけではない…がその目的は知っている」

「それは?」


ラッセルは…その一文字ずつを…ゆっくりと吐き出した。



「………聖戦の…再現だ…」

「!?」



足元が…いや、世界が消えてしまうような感覚がした…。




「聖戦を…もう一度起こすだって?」



聖戦…別名『終焉の七日間』。

その名の通り、一週間で地上から全ての文明を一掃した大戦。

表向きには「世界中を巻き込んでの壮大な覇権争い」という名目で知れ渡っている…。


だが、そんなことは有り得ない。

何故なら人間同士の戦ならば必ず存在するはずのモノが無いからだ。


それは「勝者」だ。

どんな戦であろうと必ず勝利者という立場の勢力が存在するはず。

仮に停戦協定などが交わされたとしても必ず強い立場の勢力が出るはずだ…。


だが、聖戦では全ての勢力…そして文明が消えている。

全てが無くなってしまっているのだ。

これは人間同士の戦では有り得ない。

戦争の目的はあくまで「利益」…金や資源、あるいは統治権を巡って戦う。

全てをなぎ払ってしまうことなど起こり得ないのだ。


ジガードとその仲間は勝者に値しないのかと思ったが…違う。

ジガードは表の歴史から姿を消し、裏の世界で治安維持に努めている。


勝者がわざわざ水面下に拠点を置く必要は無い。

堂々と…あくまでも権威と勢力を表に出して支配すればいいのだ…。


こういった点から、ジガードは戦争の勝者ではない。


ならば…聖戦とは何なのか?




「俺が総帥から聞いた話では…人間同士の戦いではなく…人知を超えた存在との戦いだったと聞いている」

「分かり易く言ってくれないかラッセル…今は言葉遊びに興じられる気分じゃない」

「簡潔に言えば…魔物との戦いだ」

「魔物?まさか異世界からの侵略戦だと言うのか?」

「違う…魔物を創ってしまったのは…他ならぬ人間なんだよ」

「!?」


人が…魔物を創った?

困惑するレックスにラッセルが新たな言葉を口にする。


「お前は魔術について何処まで知っている?」

「全然知らないな…そもそも魔術の在り方すら知らん」

「なら善い機会だから教えてやるが…」


ラッセルの話を直訳すると以下の通りになる。


この世界には森羅万象を司る様々な精霊と、それを取り込み進化した生物である霊獣が居る。

魔術はこの内の精霊の力を借りて起こす現象、或いはそれによってもたらされる力の総称だ。


魔術には様々な現象を引き起こすことが出来る。

傷を癒し、敵をなぎ払い、そして…やがてある事を可能と成した。


招霊術コールと呼ばれる術だ。


それは…物質的に何の影響も持たない精霊を受肉させる…即ち新たな生命体を生み出す業だった。

最初、誰もがこの魔術には何の関心も持たなかった。

1から新たな生物を生み出すことは途方も無く困難な上に、利点も薄い。


だが…既存の生物にこの術を施すとどうなるか?

基と成る肉体とそれに宿らせる精霊の組み合わせによって…強大な力を宿した生物が誕生させられるのだ。

これは霊獣とほぼ同意義だが…個体数の少ない上に飼いならすことが困難な霊獣に比べ、自分達の望む力を持ち合わせる僕を生み出せるのがこの術の利点。


魔術師達はこぞって招霊術コールに手を出した。

それによって様々な生物が生み出され、人を豊かにした。

どんな苛酷な環境でも耐えられる家畜…。

人の言葉を理解する獣…。

だが…一部の魔術師達はそれだけでは満足出来なかった。


終に彼等は…禁忌に手を染めてしまったのだ。

招霊術コールを…人に施したのだ…。


何人もの人間が実験台にされ、その過程で百は下らない数の人間が殺された。

そして…


一人の成功例を生み出した。

だが、術を施された人間は…覚醒するとすぐに暴走を始めた。


人肉を喰らい、殺戮を楽しみ…さらには招霊術コールによって生み出された生物に更に術を掛け、強化した。


禍禍しき術師の影響を受け、改造された生物達は…最早この世界の住人とはかけ離れた姿になっていた。

魔物の始まりだ。


獣鬼オーガだけでなく、あの悪魔のような外観の化け物も遥かな昔に生み出されていたというのだ。


やがてその人間は魔物達を率いて片端から文明をなぎ払って行ったという。

そしてそれを止めるために闘ったのがジガードだと言う…。



「やがて総帥は戦いに勝利し、全ての魔術を表の部隊から隠した。

 二度と人知を超えた力が悪用されないように…」

「それが…聖戦?」


ラッセルが深く頷く。

魔術の発展がもたらした悲劇…人間の犯した罪の報復…。

それが一度、世界を滅ぼしかけたのだ。


「この話は…総帥が直接見込んだ人間にしか話してはならないと言われているが…」


ラッセルは自分の部下達を見渡し、口元に笑みを浮かべる。


レックス…カイル…ニーナ…フランツ…エレン…アイリス…。

全員が信頼に値する部下だ。


「お前達なら信じられる…問題は無い」


皆がラッセルの信頼に応えるべく笑みを浮かべる。

レックスも頼もしい仲間の存在を確認しつつ…一つの疑問に気付いた。


「待ってくれ…獣鬼オーガは聖戦の当時に生み出されたんだろ?

 何故今尚、奴等が生き延びてやがるんだ?」


実際におかしいではないか。

聖戦は終わったのだ…世界は平定された筈。事実、レックスは組織に加入するまで魔物はおろか霊獣や魔術の存在なんて知らなかった。

ジガードの目的は果たせていたはずなのに…何故魔物が生き残っているのか?


「聖戦終結時…全ての魔術は表舞台から手を引いた。

 魔術に縁があるものはほとんどが焼き払われ、それ以外は全て組織によって保管されている…。

 紛失した魔具オーパーツや未確認の霊獣は俺達が回収、保護しているが…。

 回収が終わる前にその一部を持ち出した連中が居たんだ」


「何だって!?」


そんな危険な連中が居るというのか?

一度世界を滅ぼしかけたにも関わらず…一体何の目的で?

いや、例えどんな目的があろうと絶対に許されることではない…!


「そいつらは最初は小規模な集団だったが…霊獣や魔具オーパーツを集めていくにつれ強大な勢力になりつつある」

「それが…鮮血ブラッド騎士団マリアンか…!」


レックスは憎しみを噛み締めた。

血液は沸騰し、目は敵を探し、手が殺意に狩られて震えだす…!


(奴等が居なければ…レベッカは死なずに済んだんだ…!)


ラッセルはさらに言葉を続ける。


「奴等は既に招霊術コールを再現させることにすら成功している。

 獣鬼オーガも…そして邪教にも関わっていると見て間違いないだろう…」

「皆は…奴等と交戦したことは有るのか?」


レックスの問いにカイルが答えた。


「俺はあるぜ…一回だけだがな」


その表情は硬く、如何に凄惨な戦いだったかを思い起こさせた。


「あいつら…まるで何かに執り付かれたように襲い掛かってきやがるんだ…」


今でも鮮明に思い出す。

奴等は只一匹の霊獣を奪うために獣鬼オーガの大群を差し向けてきた。

カイル達がどれほど敵を斬ろうと…一切怯まなかった。

魔物だけではない…人間もおかしかった。

カイルが投擲した手斧を避けるために、すぐ横に居た仲間を盾にして防ぎ、平然とした顔をしていたのだ。



「目的のためなら他はどうなろうが関係ない…そんな下衆共と同じ空気を吸ってるなんて吐き気がする!」

「カイルさん…」


アイリスが心配そうにカイルの顔を覗き込む。

温厚なカイルでさえここまでの露骨な嫌悪と敵意を表す程の敵…鮮血ブラッド騎士団マリアン


レックスは自分の予想が確信に変わるのを感じた。



やがて、夜が開け…目的の街が見える。

海岸の水面は輝かしく光り、町全体を美しく照らし出す。


あの街に…敵の勢力が潜んでいる…。

レックス達はそれぞれの武器に手を伸ばし、これから行われる事態に身構えた。


昇る朝日は…開戦の烽火のろしだった…。





投稿が遅れて申し訳有りませんでした。

作者の諸事情によって執筆が思うように進まず大変ご迷惑をおかけしました。


今後はこのようなことが無いよう尽力します。

本当にすみませんでした。


執筆は今後も続けますのでご安心ください。

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