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試練~戦友に並ぶために

諸事情のために投稿が非常に長い期間滞ってしまい申し訳ありませんでした。

度々投稿が遅れてしまう情けない作者ですが、この小説を読んでくださる方々にはいつも励まされています。


今後もよろしくお願いします。

兵達は突き進む。己の主の悲願を、祖国復興を為すために。

踏みしだかれるは偽りの王が従者達の骸であり、彼等の血肉であり、彼等の信念だ。

決して彼等は……【断罪クロス十字ヴァニッシュ】の兵達は敵を侮っていたのではない。彼等の心に油断など欠片も無かった。

ただ…本部を再び襲った敵の能力が余りにも強大過ぎたのだ。


エキドナの能力は大きく分けて二つだ。

一つは【空間跳躍】……どれ程遠く離れた場所であっても一瞬で転移することが出来る能力。

もう一つは【魔物の出産】……【禍神】として生み出された彼女の……忌み嫌われるべくして備わった能力。

その能力を持ってすれば城壁の内側であろうと、枯れ井戸の穴であろうと多くの軍勢を送り出す門となる。


エキドナの能力の事はクリフから隊員達の元へ伝えられていた。

だが、それが分かったところでどうやって防ぎようがあるのか?


本部にもエキドナが直接侵入できない場所がある。

それはジガード自らが作り出した結界の領域だ。ジガードの【王の間】、ソフィールの【後宮】、魔具オーパーツや霊獣の保護・保管区などがそれに該当する。

だが強力な結界を情事維持することは並大抵の魔力では叶わず、結果として本部の要所……部分としては一部しか結界は張られていない。


何の前触れも無く開かれる侵入路、突如として雪崩出る魔物と兵士達。

その進撃を止めることは……如何に警備隊を任されて居たとはいえ戦斧アクス隊員の力と意思では防ぎようが無かった。



更に悲劇は続く。

前回の襲撃の折には主力であるセイバー隊員も、最強の盾である聖騎士ロイヤルガードも全員揃っていた。

しかし今回はセイバー隊員の多くが負傷から回復しておらず、シリウスを含む貴重な戦力もレックスの護衛として本部を発っていた。


対して【鮮血ブラッド騎士団マリアン】は前回の襲撃の折、恐怖で服従させた無法者達と魔物達を先駆けとして投入していた為に兵達の消耗が殆ど無かった。

更には三鬼将である血鬼・妖姫のみならず、最後の一人である白き魔女の存在が戦況を覆すことを赦さなかった。



戦闘が開始された時点で……この結果はもう必然と呼べるものだった。

【断罪の十字】本部は……奮戦虚しく壊滅状態にあった。





「怪我人の搬入急いで下さい!

 このままでは直に敵が追い付きます!」


本部の地下……水脈を利用した脱出用の抜け道のほとりでアイリスが懸命に指示を叫ぶ。

運ばれてくる負傷兵の容態を瞬時に診断し、重度の者から優先してセシリア率いる本隊へと護送していく。

戦闘員としては心許無い彼女だが、衛生兵としての腕は組織でも指折り。このような事態に置いては下手な猪武者よりも遥かに有能な存在だ。


本部に残っていた唯一の聖騎士ロイヤルガード、セシリアが敵の襲撃を把握した時には本部はその大半を敵に掌握されていた。

セシリアは即座に本部からの撤退を提言、総帥ジガードと巫女であるソフィールの身を最優先として部隊を編成した。

編成といっても敗走兵の身の上では吟味も戦略もなく、足の身軽さを最優先としたものではあったが……彼女の迅速な行動によってジガードとソフィールは無事に保護する事が出来た。


今アイリスが居るのは既に脱出した本隊とその護衛とは少し離れた、本部の敷地ギリギリで負傷兵を回収するための救護隊だ。

戦闘力の低い隊員達を護るため、フランツとエレンの率いる数人の武闘派が周囲を警戒している。


「まだ終わらないの?

 幾ら何でもこれ以上遅くなると私達が本隊に合流できなくなるよ!?」


聖狼ケルビムのロウエンに跨り周囲を警戒していたエレンからも撤退を要求する声が挙がる。

少女の身に纏う鎧は多くの敵の返り血によって汚れていたが、その下の肉体には傷一つも負ってはいない。

それは殿しんがりを務めて戦線を維持しているフランツも同様であり、二人の戦闘力がアイリス達を守る唯一にして最強の戦力である事は間違いない。


しかし如何にクリフとの特訓によってセイバー以上の実力を身に付けた彼等であっても、神には届かない。

直接的な攻撃手段を持たないとはいえ神出鬼没を可能にするエキドナを捉えることは出来ず、変幻自在の【血鬼】の攻撃を回避することは出来てもそれを掻い潜って一太刀浴びせることは出来ず、正体不明の【悪意】の能力を前に時間稼ぎすら満足に行うことは出来なかった。

寧ろ人の手の届かない遥か高みに位置する【神】を相手にして生還出来るだけでも奇跡と呼べる偉業なのだ。


「もう本部には自分の足で逃げられる味方は残っていない!

 今此処に居る全員を無事に本隊に合流させることが最善だろう!アイリス!!」


決断を渋るアイリスにフランツが喝を飛ばす。

何よりも命を尊ぶ、心優しい少女には酷な決断だろうと分かってはいる。

しかしクリフやラッセルの元で多くの実戦を積んだフランツには今何を優先すべきかが明確に分かるのだ。


余りに迅速な奇襲を受けた為、今まで自分達が保護した霊獣も、回収した魔具オーパーツもほぼ全て置き去りに近い状態で撤退したのだ。

後に本部を奪還しなければ…否、それどころか本部を奪還しても大半は失うことになるだろう。それだけ今回の敗北は大きい。

だからこそ一名でも多くの隊員の命を次に繋がなければならない。如何に聖騎士ロイヤルガードが無事であろうと命令を受けて動く手足が無ければ組織を、集団を動かすことは出来ないのだ。

今日の敗北で多くの同胞の命が奪われてしまったが、シリウスもクリフも無事で居るはずだ。ラッセルにレックス、それにニーナも遠く離れた地で健在だとフランツは確信している。

本部が墜ちても【断罪の十字】は終わりじゃない……!


「分かってます!

 現時刻を持ちましてこの場を放棄します!

 総員速やかに撤退を、フランツさんを殿に隊列を……」


「こんな場所で踏み止まっていたなんて、まさに鼠のようね?」


アイリスが断腸の思いで撤退を指示する声と、望まぬ来訪者の声が重なる。

その場の動ける人間が一斉に視線を巡らせれば、本部へと続く抜け穴から純白の少女の姿が覗いていた。

一見すれば戦場とは無縁の人間に見えるが……その存在が見掛けとは裏腹の恐ろしい戦闘力の持ち主であることをフランツ達は感じ取っていた。


「マリス……もう此処まで……っ」


味方は満身創痍、援軍は期待できない最悪な状況……しかも相手は三鬼将の中で最も未知数の難敵。

絶望的などという表現では生温い、最悪な事態ではあるがフランツは立ち向かう。

せめて一太刀……否、仲間が本隊と合流する時間を稼がなければ今まで流した血が無駄になる。


「僕が時間を稼ぐ。アイリスは撤退を、エレンは何としても皆を守り抜け、いいな!」


言葉を紡ぎながらもフランツの視線は眼前の敵に注がれている。

一瞬アイリスが息を飲む音が聞こえたが、直に馬車が走り出す音にかき消される。

遠のいていくわだちの音が完全に聞こえなくなる前に、フランツは一人亡き友へと胸の内で呟いた。


(カイル………あの時と似ているな…)


フランツは愛用の細剣レイピアを握り直してマリスを見る。

目の前の不吉な白はアイリス達を追う素振りさえ見せず、先程から巨大な大鎌を両手で弄んでいる。

無防備に見える構えだが隙は無く、迂闊に飛び込めば一瞬で首を堕とされるという事をフランツは知っている。

一向に動く気配の無いフランツに焦らされたか、マリスはフランツに尋ねた。


「随分とあの少女を気にかけていましたね。

 アイリス……と言いましたか、彼女は貴方のものでして?」


敵前に一人だけ残ったフランツを興味深そうに見つめる目は、まるで年頃の娘のように輝いている。

【恋人を守るために死地へと赴く騎士】の姿でも空想しているのか?

しかし、軽く発せられたその言葉がどれ程フランツの胸の内を掻き毟ったかなど、マリスには想像も付かないだろう。


「そんな訳があるものか……彼女には想い人が居る。

 僕なんかでは逆立ちしても敵わない程良い男でね、次に会うときは殴り飛ばしてやろうと決めている」


あの時……カイルがアーサーへと立ち向かったあの時、フランツは見ていることしか出来なかった。

自分とレックスを一瞬で沈めた遥か格上の相手に、カイルは一人で立ち向かい、仲間を守り抜いた。………自身の命を犠牲にしてまで。


フランツには許せなかった。

四肢を恐怖に支配されては居たが、それでもフランツならば援護射撃の一つくらいは出来た筈だ。

しかしフランツは……あの時の自分はそれをせず、ただ魅せられていた。


愛する者を護るために死線に身を投じる戦士の姿に……我を忘れて魅了されていた……!


それが何より許せなかった。

生き残る手段を模索することも忘れ、無意識の内にアイリスの姿にソフィールを、カイルの姿に自分を投影していたことが、そんな自分が何よりも誰よりも許せなかった。


レックスと絆で繋がった今でも、フランツはソフィールへの想いを強く胸の内に抱き続けている。

そして……自分の想いが決して叶わない事も分かっている。レックスを見るソフィールの目が……何よりも雄弁に語っていたからだ。

カイルがフランツに嫉妬していたように、フランツもまたカイルに嫉妬していた。

それは相手と想い合う事が出来ること、そしてそれを行動に移し絆を深める事が出来ることだった。

自分には出来ない。

事実フランツは自分から離れていった部下に『見捨てないでくれ』と頼むことも、ソフィールに『自分を見てくれ』と訴えたことも無い。

恥や外聞ばかり気にして、欲しいものを欲しいと言うことすら忘れてしまっていた。

そんな自分の傲慢が、器量のなさが、視野の狭さがレオンを殺し……結果としてカイルを見殺しにした。


「なら……何故あの娘を守ろうとしているのかしら。

 実力の差が分からぬ程愚かではないでしょう?華々しく有終の美を飾ろうとでも?」


マリスはまたも意図せずしてフランツの胸を抉る言葉を口にした。

有終の美……報われない想いを、数え切れないほど繰り返した懺悔を戦場で昇華させて散る。

確かに幾度も頭に思い浮かべ、行動に移せばどれ程晴れ晴れしい想いで死ねるだろうかと空想したものだ。


しかしその度に……無恥な己を痛めつけ、戒めた。



「笑わせるな……化物」



カイルの最後は……その死に様は美しかった。

まさに物語に語られる【英雄】の姿そのままと言える程、美しい最期だった。


だが自分は違う。

そんな最後を迎えるつもりなど毛頭ない。

自分は余りに矮小で、卑屈で、臆病な人間でしかない。

そんな高々人間風情が美しい最期など迎えられる訳がない……迎えていい筈がない。



「僕は人間だ…!」



足掻いてやる。

行き着く先がどれ程恥辱と苦痛に満ちたものであろうと、命有る限り足掻き続けてやる…!


それ以外に、カイルを友と呼ぶことが認められないのだから。

それ以外、あの素晴らしい友に追いつくことなど出来ないのだから。


「人間がするのは……生きることだ!」



決意を口に出し、フランツはマリスへと距離を詰め斬りかかる。

【雷帝】による肉体強化無しの斬撃……だがその威力と速度はかつてのそれを遥かに凌ぐものだった。


「なら生き延びてみせなさいな……この私から!」


それまで玩具のように弄ばれていた大鎌が本来の役割を果たさんと唸りを上げる。

フランツの一閃を舞踏の予定調和と言わんばかりの動作で潜り、返す刃は優美とは掛け離れた凶暴な一撃として振るわれる。

受け止めるには重すぎる一撃を身を引くことで回避し、フランツは剣の軌道を斬撃から刺突に切り替えて攻め立てる。


他に敵も味方も存在しない薄暗い地下道に剣戟の調べと火花が激しく散っていた。





【断罪の十字】本部……霊獣保護区及び魔具オーパーツ保管区域―――


常時から厳重な警戒が敷かれていたその場所は、他とは比べ物にならないほど多くの隊員達が駐屯していた。

組織の功績を、先人達の偉業を守らんと勇敢に戦った彼等は今、その姿を無残な屍と変えて横たわっている。

エキドナはその光景を見て……そっと胸を抑えていた。


分かっていた筈だった…自身の能力が戦場にどれ程大きな影響を与えるのかを。

慣れている筈だった……大勢の人間が無惨に、不条理に命を奪われる光景に。


それなのに……苦しい。

何もかもが順調だと言うのに、それとは正反対に袋小路に追い詰められているかのような気分だ。


最初は罪の意識など知らなかった。

人間の負の感情から生まれた禍神まがつがみであるエキドナは他のどの存在よりも人間の醜さを知っている。

他人を騙し、弱者を嘲り、欲望に滾り、清きものを穢す……何百年も前から人間はそうやって生きてきた。

何故このような醜い存在が地上に蔓延っているのかと嘆いた事は最早数え切れない程だ。


だがエキドナは知っている……人間の醜さと、そして美しさを。

他者を思いやり、弱者に手を差し伸べ、清きものを守ろうとする……報われることなど多くはないのに、それでも己の理想を貫かんとする人間の姿。

禍神だからこそ……自分に欠けているものだからこそ、エキドナにはそれが何よりも眩しかった。


瀕死のフィオーラに咄嗟に契約を結んだのは、そして…あの御方に協力したのは……自分も人間になりたかったからだった。

そのための計画は順調に進んでいる……何もかも全てが。


アーサーの願いを......亡き父と故国への想いを、王としての責務と誇りを利用し……


ラッセルの後悔を……守れなかった最愛の恋人、フィオーラへの愛を餌に……


ニーナの想いを……忠誠と愛欲の葛藤に苦しんでいた清らかな心に影を落とし……


ソフィールの心を……失い続けても尚気丈に振舞おうとしている彼女から全てを奪い……


レックスを……哀れな運命の囚人を扇動し続けて……




そして………自分は人間になるのか?


救いを求め、抗い続ける人間を生贄にしてまで……

償いたいと、己の魂を削りながらも道を模索する人間を踏み躙ってまでして……人間になれるのか?


自らの穢れを落とそうと必死に擦ったところで、その手が穢れているなら何の意味もない。

手段を選ばなかったばかりに、目的に近付くために盲進したばかりに、本質を見失ってしまった。


確かに自分は人間になれるだろう……何より忌み嫌った、浅ましく穢らわしい人間に。



物思いに耽っていたエキドナの足に、何かがぶつかった。


それは一人の隊員の骸……激戦によって殆どの遺体が無惨に引き裂かれていた中で奇跡的に原型を保っていたものだった。

心臓を一突きされたのか、訳も分からないと言った表情で永久の眠りについた男性の顔。


そしてその男性のことを……彼女は知っていた。


齢は40程、寄る年には勝てず前線からは身を引き、それでも仲間達を少しでも支えたいと霊獣の世話に励んでいた男性。

人当たりが良く…初めは周囲と対立することも多かったラッセルと隊員達の仲を取り纏めてくれたこともある男だった。

そして……フィオーラとラッセルの仲を応援し、色々と手助けしてくれた恩人でもあった。



「ぁ………」


不意にエキドナの膝が折れる。

力無く地面に座り込み、そのドレスが骸から流れ出た血で汚れることも厭わずに天井を仰いだ。


先程から頭の中、否彼女の意識の内から悲痛な叫びが木霊している。

それは今までずっと無視してきた声だった。ずっと押し殺してきた声だった。


そして………ずっと耳を塞ぎ続けてきた声だった。



その言葉に耳を傾けてしまえば、どうなるか分かっていたから……


自分がどれほど矛盾しているかが、分かってしまうから………


「私は……………」


いつから間違えてしまったのだろうか?


「私は………っ」


純粋な願いだった。穢れなど微塵も無かった。それなのに……



「私は………醜女エキドナ……」


何故……自分はここまで穢れきっているのだろうか?



「う……ぁ……ぁ………ああああああああああああああ!」


髪を掻き毟り、嗚咽を殺すことも出来ずに泣き叫ぶ彼女の姿は……とても三鬼将の一角とは思えないほど弱々しく、そして悲しいものだった。










同時刻【断罪の十字】本部の一角にて……


一人の男が大剣を引き摺りながら、ゆっくりと歩いていた。


決して彼は非力なために剣を担ぐことが出来ないのではない……常人とは比べ物にならないその巨躯には相応の怪力が宿っている。

決して彼は怪我を負っているために動きが不自由なのではない……その肉体には傷の一つも負ってはいない。


彼が剣を担ぐことをしないのは彼がその動作を覚えていないからだ。

彼の動きが緩慢なのは彼の目に標的が、行動する目的が見えていないからだ。



「………ぁ………」



ふと、彼の耳に……遠くで金属同士が打ち合う音が聞こえた。

音の聞こえてきた先で戦闘が行われている……それは彼に残された唯一の目的であり存在意義である行動と合致した。


男は大剣を引きずり、声にならない声を上げながら歩き出した。



敵対者を排除するというたった一つの生きがいのために、かつてダクラスと呼ばれていた男の成れの果ては静かに歩を進めていた。









幾度もフランツの細剣レイピアとマリスの大鎌がぶつかり合い、甲高い音と火花を散らし合う。


クリフとの修行を積み、実力に磨きをかけたフランツの攻撃は鋭く速い。

並みの者では、否…一流の腕を持つ戦士であろうと一瞬のうちに全身に風穴を開けられて絶命するだろう程の腕前だった。

しかしそれでもマリスは振り回しに劣る大鎌でフランツの攻撃を防ぎ続けている。

【雷帝】による肉体強化を使えばその防御を掻い潜ることも可能だろう。しかしフランツには今……魔術が使えない。


(ちっ……やはり場所が悪過ぎる!)


二人が衝突しているのは地下水脈を利用した脱出路……つまりは地下深くに作られた空間だ。

この場所では大気中の静電気の量など屋外とは比べ物にならないほど少ない。

如何に魔術師と言えどもただで奇跡が起こせる訳ではない。雷雲が生じない場所では落雷を吸収して力に変換する【雷帝】は使用できる道理がない。


フランツにも自身の術の欠点が分かっていたため一応の対策はしていた。

術を使用した際、吸収した落雷の一部を自身の身体に溜め込むことで落雷の吸収無しでも【雷帝】を使用することを可能にしたのだ。

だが溜め込める落雷量は【雷帝】一回分のみ。それを使用してしまえば今度こそフランツは魔術を使用出来なくなる。

正体不明のマリスを相手に、効果があるかどうかさえ分からない攻撃を当てるために最後の魔術を使用することなど出来ない。かと言って場所を替えてしまえばこの闘いの意味が無くなってしまう。


(せめて殺せば死んでくれる相手なら………っ)


過酷な特訓の末に編み出した自身の切り札、クリフをもってしても『当たれば不味かった』と言わせしめた技ならば可能性も有るだろうか。

しかし今のフランツにはその技を使用するために【雷帝】の三倍の相当の電撃が必要だ。場所替えを行うことも許してくれないこの状況で、それは希望というには余りにも脆弱な思考だった。


「どうしまして?先程の決意はその程度かしら?」


フランツを嘲笑うかのような口調と共に大鎌が振るわれ、その首の皮を浅く掠る。

一瞬の思考の迷いを見抜かれ、フランツは咄嗟に距離を置いて相対する。


「っ!……随分と口が軽いな」


一言だけ皮肉を返してやるが、フランツも呼吸を整えるのに必死だった。。

只でさえ攻めあぐねている相手だ。仕留められないならば体力を消耗させて疲弊させるのが常套手段……そうすればアイリス達も自分も無事に本隊に合流できるだろう。

しかし目の前の相手は幾度も激しい剣戟を演じながらも全く呼吸が乱れていない。

軽く見積もっても20kgは優に超すだろう凶器を自在に振り回しながら、その表情には一向に疲労が見えず、寧ろ速さも鋭さも時間を追うごとに洗練されているようにさえ見える。


(持久戦でも突破口が見えない……このまま続けるくらいなら、一撃に賭ける!)


このまま回避優先で時間を稼いでも数分持ち堪えるのも困難……魔力の充填もままならない今では【切り札】も使用できる見込みは薄い。。

それでも生き残れる可能性が僅かでも有るなら、それに賭けるしかない。


微笑を浮かべていたマリスの表情が変わる。

急速に高まっていくフランツの魔力に、何か危険なものを感じた為だ。

フランツもまた相手から慢心が消えたことを感じ取り、同時に相手もまた無敵ではないと察して更に魔力を高める。

しかしその魔力が開放される寸前、第三者による一撃が場を掻き乱した。


「なっ!?」


それは横槍というには余りにも大雑把で、それでいて苛烈過ぎるほどの強大な一撃だった。

いきなりフランツの傍、地上とこの空間を繋ぐ入り口付近をごっそりと削り取られたのだ…フランツは咄嗟に距離を取りつつ目の前の惨状を生み出した元凶を探した。


(まるで大砲でもぶっ放したみたいだ…だが火薬の臭いも発射音も無かったぞ?一体誰が……!?)


何も無い空間から突如沸くように襲い掛かる剛剣を間一髪で回避し、フランツは襲撃者を目撃した。

見上げるほどの巨躯を漆黒の全身鎧に包み、剣というには余りに巨大過ぎる鉄塊を振り回す粗暴な人相。以前に本部が強襲された際にシリウスが激闘を繰り広げた相手…三鬼将の一角【狂犬】ダクラスだった。


だが妙だった。シリウスとの闘いで失ったはずの両足が無傷で残っている。その上表情はまるでフランツの知るダクラスとは別人だった。

嘗て横目で見ているだけでも感じられた圧倒的な戦意、生気というものが欠落しているのだ。

目は虚ろ、口元はだらしなく開ききり端から涎が零れ落ちている表情はまるで死人が動いているような不気味さを放っていた。


「貴様……一体何者だ!?」


マリスとは別の種類の不気味な相手に警戒を強めるフランツ。

その疑問に答えたのは何故か大鎌を手元から放り出して微笑を浮かべたマリスだった。


「彼はダクラスよ?最も…正確にはダクラスだったと言った方が正しいでしょうけどね」


意味深な言葉に眉を潜めるフランツに、マリスは蕩ける様な笑みを浮かべながら言葉を続けた。


「彼は契約していた地獄犬ガルム共々【邪神】の生贄に捧げられたのよ。

 しかし生贄になったものには死という安息さえ訪れない。じっくり、じっくりとあらゆる苦痛をその身に受けて泣き叫ぶ精神を喰われ続けるのよ。

 やがて自我が壊れてしまえばもう用済み……肉体は排斥されて棄てられるだけ、でもそれじゃ余りに可哀想でしょう?

 だから私がこっそり廃棄処分になった彼を拾い上げて解き放ってあげたのよ……彼が最も望んでいた場所、戦場にね」


「なっ……」


【邪神】の存在…それはクリフから少なからず聞いていた。

アーサーが組織から離反した際に持ち出された最強の神、そして聖戦の元凶とされる禁断の存在。

だが今フランツが驚愕し、そして何よりも憤りを覚えたのはマリスの行動の方だった。


シリウスに敗れたとはいえまだ生きていた同胞を生贄にした?

死ぬことも赦されずに苦しみの中を泳がせ続け、壊れてしまえば用済みと棄てる?


解き放ったなどと……どの口でほざく?


「巫山戯るな……」


細剣レイピアを握る腕に静電気が生じる。

それは空気を小さく焦がし、独特の匂いを発した後……大きく弾けた。

ずっと温存し続けていた最後の魔力を雷に変え、全身に行き渡らせる。

【雷帝】……自身の二つ名でもある肉体強化術を身に纏い、最早目にも映らない速度でフランツは駆け抜けた。



「巫山戯るな…マリィィィィス!」


獲物を手放した相手に切り掛るなど本来ならば言語道断。

しかし相手は自ら闘いを放棄し、在ろうことか戦士の誇りを侮辱し、嘲笑った。

赦すことなど…剣を引くことなど出来る道理がない!


しかしフランツの渾身の一撃がマリスの眉間に突き刺さる寸前に、ダクラスの大剣がその進路を拒んだ。

どうやら自我は失っても命令だけは聞くようにと肉体に刻み付けられているらしい…それがより一層フランツの怒りを加速させた。


「どけダクラス!そいつに守る価値など無い!」

「無駄ですよ、彼はもう与えられた命令を熟す以外何も感じない。

 幾ら叫んでも聞こえてはいないでしょう…体力の無駄ですよ」


フランツは執拗にマリスを狙う。

時に死角から、時に正面から…さながら一筋の流星の如き動きで縦横無尽に襲いかかった。

しかしその全てが尽くダクラスによって防がれる。

偽りとはいえ三鬼将の一席を担った猛者、元より剣の腕だけ取ればシリウスとも互角だった相手だ。修行によって腕を格段に上げたフランツと言えどもそうそう出し抜ける相手では無い。

その光景を見てマリスは口元を抑えようともせず高笑いしている……


フランツはダクラスとの激しい攻防を繰り広げながら叫んだ。


「僕達は所詮戦場の駒に過ぎないかもしれない!

 上からの命令に従い成果を出せなければ意味はない…それも事実だ!」


ダクラスは虚ろな表情のまま剣を振るい続ける。フランツの声になど微塵も反応していない。

しかし…


「それでも…僕達は操り人形じゃない!

 剣を振るう腕には、敵と相対することには相応の意識が、覚悟が有るはずだろう!

 お前には無いのか!?何もかも全て無くしてしまったのか、ダクラス!!!」

 

「……っ」


フランツの口から放たれた言葉はダクラスに僅かに残っていた自我に、意識に届いた。

その瞬間ダクラスはマリスを守るという命令から解き放たれ、フランツの放った一撃がマリスの額を掠めた。


「なっ……?」


フランツに……神と契約していないただの人間に傷をつけられたこと。

それはマリスの自尊心を大きな屈辱を与えた。

しかし彼女が怒りを口にする前に、ダクラスはマリスにとっても予想外の行動を取った。


「ぁぁあああああああああああ!!!!!」


雄叫びを挙げながら全力で大剣を振り回し始めたのだ。

まるで出鱈目な太刀筋ではあるがその速度と破壊力は凄まじく、刀身触れた岩盤が砕け、衝撃に水面からは巨大な水しぶきが上がり、放たれた剣圧は10メートルは優に超すだろう厚みがある天井をも大きく裂いた。

まるでたずなを失った暴れ馬のような暴走行為に流石のマリスも表情を歪め、降り注ぐ瓦礫を避けながらダクラスから離れた。


「所詮は欠陥品……精神が完全に壊れてしまったようね。

 もう利用価値の欠片も無さそうですし、せいぜい好きに暴れて野垂れ死ねばいいわ…負け犬らしくね」


そう言い残すとマリスは瓦礫の向こうへと姿を消し、その場にはフランツとダクラスの二人だけが残された。

フランツは必死にダクラスの剣戟を回避し続ける。だが既に雷帝の効力も殆ど切れかけ、防戦一方の劣勢に追い込まれている。

只でさえ射程も体格も膂力も相手に分があるのにこの上魔術の使用も出来ないのでは勝負にならない。


フランツが諦めかけたその時、頬に一滴の水滴が当たり…砕けた。


「雨……!?」


フランツが咄嗟に視界を巡らせればそこには大きく穿たれた天井の裂け目が、その先には雨雲が広がる空が見えた。

先程のダクラスの大剣によって砕かれた傷痕、それがフランツにとってはまさに天の恵みにも匹敵する存在になった。


(これなら……いける!)


僅かに細剣レイピアに残っていた電流を空へと…雨雲へと放ち、それを媒体に雷雲を生み出し特大の落雷を自らへと落とす。

自身の許容量を超える…暴発の危険さえ伴う程の強大な雷をフランツは取り込み、雷帝を遥かに凌ぐ肉体強化を行なった。

一瞬でも制御を誤ればそのまま体内で爆発しかねない程の圧倒的な力…それを最大限に利用してフランツは駆け抜ける。

制御可能な時間は僅か13秒…しかしそれはフランツが神へと挑むために勝ち得た貴重な時間だった。


まるで雷光そのものと一体化したかのような他の追随を許さない圧倒的な速さ。

フランツはダクラスの剣戟の嵐を真っ向から掻い潜り、懐に飛び込むと同時に雷を纏った刺突のラッシュを叩き込む。

機関砲の如きスピードで放たれた細剣レイピアきっさきはダクラスの腕を、足を、腹部を全身鎧ごと貫く。

常軌を逸した速度で撃ち込まれたダメージは相手に知覚されることもなく、その肉体に雷撃と共に蓄積されていき…やがて全ての攻撃を見舞ったフランツは細剣レイピアを鞘に収めながら小さく言い放った。


自らの全身全霊を篭めた極義…人としての可能性の全てを賭けて会得した自らの誇りの名を……


零音レオン……!」


刹那、ダクラスの体内に蓄積された雷と衝撃は巨躯を駆け巡り、処理しきれないエネルギーが火花を散らし爆発を起こした。








「うっ……くぅ…!」


全身の筋肉が悲鳴を上げ、フランツは大地に片膝を付く。

相手が格上の実力者である以上正攻法での勝利は望めない。

そのためにリスクを度外視した必殺技を会得したは良いが…その反動は余りにも大きい。

最早フランツには歩く体力も残っていない…万が一これでマリスが戻って来たら、敵の追撃部隊が現れでもしたら……


「ごほっ…げ…ぁ!」

「!」


大量の血を吐く音に思わずフランツの背筋が凍る。

まさかあの攻撃を受けきって生きていられる相手が居るとは思いもしなかった。

ダクラスは膝をついたまま穴だらけの腕をそれでも伸ばし、大剣を掴むとゆっくりと振り上げた。


(不味い…もし本当にこいつが正気を失っていれば、肉体の限界を無視して攻撃してくる可能性も……!)


フランツはダクラスを睨み、満足に動かない体を引き摺りながら距離を取ろうとした。

しかし…その程度では到底ダクラスの剣の射程から逃れられる筈も無く、振り降ろされた一撃はフランツのすぐ側…丁度地上とを繋ぐ階段口へと叩き込まれた。

僅かに残っていた道も瓦礫に塞がれ、そこから出ることも侵入することも出来なくなった。


「なっ……?」


驚愕に固まるフランツの耳に届いたのは意外にも静かな、何処か穏やかな声だった。


「凄まじい業だったな…小僧」


ダクラスは口元の血を拭うこともせず天井を仰ぎながら言った。


「ずっと…暗く冷たい場所に押し込められていたような気分だった。

 何も見えず、何も聞こえず、自分がどうなっているのかも分からないまま、さ迷っていた。

 それでも……さっきお前の声が聞こえた時、意識が戻った……。

 小僧、貴様俺に問うたな……剣を振るう覚悟も敵対する理由も何もかも無くしたのかと……」


フランツが黙って相手の様子を伺っていると、ダクラスは自嘲するかのように軽く笑い、答えた。


「俺には……覚悟など最初から無かった。

 敵を殺すことに罪を感じることも無く、闘いの先に何か見据えていた訳でもない」


それはつい先程まで荒々しく大剣を振り回していた男の言葉とは思えないほど素っ気無いものだった。

しかし…ダクラスの言葉はそれで終わりではなかった。


「俺にあったのは唯一つ……強者への飽くなき渇望のみだった。

 俺には剣を振るう以外何一つ無かった。

 だが強者は違った……アーサー、シリウス……奴等は振るう剣の先に、視線の先に遥か高みを映していた。

 強くなれば、数多の敵を打ち倒せば……俺にもそれが何なのか掴めると勘違いしていた。

 今思えば俺は……最初から負け犬だった。

 己の欲求を満たすためだけに剣を振るっていた俺に、そんなものが拝める道理も無いというのに認めようともしなかった」


それは懺悔の言葉…己の過ちを知りながら退くことも出来ず、唯唯前へと手を伸ばし足掻き続けた男の本心の言葉だった。


「俺は狂犬ですらなかった……シリウスとの闘いに敗れた時、いや…分不相応に奴に挑んだ時点で俺は終わっていた。

 それをお前は…こんな負け犬の為に声を荒らげてくれたな……一人の剣士として、俺…の誇りの為に、げはっ…ぁ!」

「馬鹿、そんな状態で喋るな!余力が残ってるなら手当てでもして……」


フランツが思わず傍に寄ろうとすると、ダクラスは震える手で制止し、言った。


「俺はもういい…死に損ないの負け犬が、最後の戦場で素晴らしい敵と死合うことが出来た。

 ほんの僅かだが奴等が見ていた高みが垣間見えた……これ以上はない。小僧、お前の名は…」

「……フランツ・ゲルトだ」

「そうか……フランツ、こんな下衆の死に際を看取る必要など無い。お前は……先に進め、剣…士として…更なる高み……へ…………」


その言葉を最後に男は二度と覚めることのない眠りへと着いた。

愚直なまでに強さを求めた男は血塗られた旅路の果てに微かな光を見出すことが出来たのか、それは誰にも分からなかった。




フランツはダクラスの最後の言葉通り、その遺体から目を背けると鉛のように重い身体を引き摺って進み始めた。

幾ら地上とを繋ぐ通路が塞がれたとはいえ、こんな戦場で身体を休ませていては何時敵の追っ手に捕まるか分からないからだ。


(アイリス達は無事に本隊と合流できたのか?マリスは退いたようだがもし別働隊が居たら……)


仲間の安否を確認したい一心で進むフランツの耳に、何者かが近付いてくる音が聞こえた。

首だけを向けて接近してくる影を見つめると…そこには聖狼ケルビムに跨る甲冑を着込んだ少女の姿があった。


「フランツ~まだ生きてる~!?」

「あぁ……お陰様で死に損なったばかりさ」


安堵の感情に満たされる内面とは裏腹に皮肉を口にしてフランツは苦笑した。

エレンの肩を借りながらロウエンの背中に跨りつつ、フランツはそっと胸の内で呟いた。


(少しはお前に近付けたか…カイル?)









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