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願い~其は赦されざるか?

断罪クロス十字ヴァニッシュ本部・闘技場――――――――――


今日もまたフランツとエレンは模擬戦に精を出していた。

二人の動きは過敏にして苛烈、最早並みのセイバーでは相手にならない程の実力を身に付けていた。

しかし今日の相手はクリフ程ではないにしろ、圧倒的な実力を持つ歴戦の猛者だった。


―――――やはり強い


それが二人の抱いた相手の力量だった。

連日のクリフとの模擬戦で自分達は格段に腕を挙げた。しかも今回は完全な二対一という破格の条件。相手はセイバー階級ランク


圧勝とまでは行かずとも勝てる――――敗北は無い。そう判断して臨んだ戦いだった。

だが事実、フランツとエレンはたった一人の戦士の前に為す術も無く打ちのめされ続けている。



「はぁあああああああああああ!!!」

「ええいっ…!」



フランツが雷を纏った細剣レイピアを振るい、エレンが常軌を逸した機動力で死角を取らんと奔る。

本来ならフランツが攻撃役アタッカー、エレンが支援役サポートとして戦うのが一番なのだが、敵も二人の攻撃力の差を知っている。

『雷帝』の異名を持つフランツの攻撃力はセイバー隊員の中でも上位。

対してエレンは技量こそ目を見張るが攻撃力という観点では脅威ではない。


早い話、不意打ちでも無い限りエレンの剣など役に立たないのだ。

それが解かっているからフランツが相手の体勢を崩しに掛かり、相手の隙を狙って飛び込まんとエレンが期を窺っているのだ。


だがその程度の策では…圧倒的な力の前には敵わない。



「腕を挙げたようだが…まだまだだ」


男が左腕を首に巻きつけるように振りかぶり、手刀に魔力を込める。

そこから繰り出されるのは速さと連射性を重視した超高速の『重力波』。威力はさほど高くないが問題なのは…これが敵の機動力を削ぐのに最適だと言うことだ。


飛刀重圧ハーケン・プレッシャー!』


勢い良く振り抜かれた左腕。それと同時に高速の重力波が飛んでくる。

本来彼の攻撃はそのほとんどが一撃必殺の殺傷力を持っているが、この技にはそんな破壊力は無い。

効果は単純だ。


『触れた相手の機動力をほんの一瞬、低下させる』…それがフランツとエレンにとっては最悪の効果をもたらす。

攻撃力も防御力も経験も及ばず、一縷の望みが『機動力』だ。それを狩り取られると言うことはつまり…


「しまった!?」

「うっぐううううう…!」


重力波が通り過ぎた瞬間、二人の動きが愕然と遅くなる。

無論次の瞬間にはまた加速を始めるだろうが…それだけで『彼』には十分なのだ。


それまでフランツ達の攻撃を回避し続けていた男は、一瞬でエレンを斧槍ハルバードの射程内に治める。


「まだっ!」


轟音と共に振り抜かれた斧槍ハルバードの刃をエレンは間一髪、後退して避けたのだが…


「甘い…!」


次の瞬間うねりを挙げて突き出された斧槍ハルバードの柄の一撃を鳩尾に受け、倒れた。

この時点で勝率は限りなくゼロに近いがフランツは諦めなかった。

クリフの教えを忠実に守り、エレンを仕留めたばかりの敵に向けて自身の最高、最速の一撃を見舞う。


全身に張り巡らせている雷の力を細剣レイピアの穂先と両足のみに分配し、一点の突貫力と刹那の機動力を極限まで高め上げる自身の切り札を。


雷蹄らいてい!!!』


模擬戦など知ったことかと言わんばかりに繰り出された『必殺』の一撃。

だがフランツは決して相手が憎くてこの技を選択したのではない。


自身の最善を尽くしても尚、この相手には届くかどうか解からなかったからだ。

そしてその予想は見事に的中していた。


重力遮断グラビティ・アウト…!』


手の甲を地に向けて開かれた左手の指先がすっと上に振り抜かれる。

その瞬間、フランツの体がほんの少し『浮き上がった』。


「なっ…!?」


ほんの少し体を持ち上げられた。

ただそれだけでフランツの必殺の一太刀は無力に成り下がった。

雷蹄らいていは最速の一点集中突貫技…ほんの些細なズレも許されない繊細な技だ。


それは同時にフランツから攻撃も防御も回避も奪い取った瞬間でもあった。


「温い!」


紫髪の戦士は即座にフランツの背後に回り、握り締めた左腕を振るい裏拳を叩き込む。

後頭部に強烈な一撃を受けフランツは吹っ飛び、それでも尚着地を取ろうと体勢を整えようと…


「浅い!!!」


渾身の魔力を込めた斧槍ハルバードが振り降ろされる。

刃はフランツに届いていない…が、確実にフランツは彼の『射程』の中だ。

放たれるのは今までのように機動力を落とすためでも無く、体勢を崩すための術でも無い。

本来の彼の能力を活かした…一撃必殺の『攻撃』だ。




絶対重圧グランド・プレッシャー!!!』


フランツが着地しようとしていた地表が裂け、砕け、舞い上がる。

一気に体重の数十倍の重圧が掛かり、フランツを地面へと叩きつける。


「があぁああああ…!!!」



その暴力的なまでの威力はフランツの体から抵抗力を根こそぎ奪い取り、地に平伏せた。

まるで彼の二つ名を表すかのように…。



「まだまだだな…二人とも」


セイバー隊員の頂点、『土縛』のラッセル。

二カ月ぶりの完全復活である。




完膚なきまでに叩き伏せられた二人はラッセルの手によって応急処置を受けた。

その表情はどちらも芳しくない。


「どうした?そんな不貞腐れた顔で?」


平然と言葉を紡ぐラッセルにまず、エレンがブチ切れた。


「詐欺だよ嘘だよ酷いよ隊長!!!

 な~にが『二カ月も寝てばかりだったから勘を取り戻したい。軽く相手してくれ』さ!!!?

 全力全開、フルスロットルじゃないか~!?

 アンタ病室抜けだして戦場に通ってたんじゃないの!?ねえ!!!」


涙目でありながら声はいつも通り元気なままで叫び散らすエレン。

フランツはそれに賛同すればいいのか引いた目で見ればいいのか解からず力無く笑うことしか出来なかった。


「怪我が治らんうちに戦場に繰り出して無事に帰ってこれるものか。

 そんなことする奴は自殺志願者か戦闘狂か何も考えてない愚か者のどれかだ。

 そして俺はどれにも当て嵌まらん」


エレンの悲痛な叫びは軽く流され、ラッセルは着々と応急処置を続ける。


「流石に抜けだしたりはしてないと思いますがそれでも異常でしょう。

 自分とエレンは隊長が療養している間ずっとクリフ殿の訓練を受け、力を付けて来たんですよ?

 それが事も無げに蹂躙されるなどとても信じられませ…痛い痛い痛い!!!?」


ラッセルがフランツの言葉を区切るように、急に包帯をきつく巻いたのだ。


「何を驚くことがある?

 お前達、俺と闘ったことは今まで一回も無かっただろう?

 それなのにまさか…俺に勝てるとでも思っていたのか?本気で?」

「痛い痛い痛い痛い!!!」


ラッセルは声色こそ穏やかで表情も軽く微笑んでいるが目だけ一切笑っていなかった。


「伊達や酔狂でセイバーのエースが名乗れるものかよ。

 言っておくが聖騎士ロイヤルガード以外に遅れは取らん自信がある。

 俺を舐めてかかった時点でお前達の負けだったんだよ」

「分かりました!十二分に分かりましたので勘弁してくださ痛い痛い痛い!!!」


フランツの目が涙で潤い始めたころになってようやくラッセルは彼を解放した。


「ま、先輩を敬えと言うことだな。

 確実に腕は上がっているからそこは心配しなくていい。

 次の任務から頼らせてもらうから覚悟しておけよ!二人とも」

「はっ…はい!」

「了解…です…」


言葉に覇気のない二人を豪快に笑い飛ばし、手を振って別れるクリフ。

その後ろ姿を複雑な目で見送りながらもフランツとエレンはどこか肩の荷が下りた様な感覚を覚えていた。


「隊長…元気になってくれてよかったね」

「あぁ…本当によかった」


アーサーとの戦闘、そして敗北。

それによって齎されたカイルの戦死。

あの日からずっとフランツ達の心に残っていたのは一抹の不安。


あの敗北によって今まで自分達が築き上げて来た『絆』や『信頼』が失われてしまったのではないかと言う恐れ。


事実それ以来レックスは自分達に姿を見せなくなり、ニーナも用事があるからと言ってエレンにもアイリスにも会わない時間帯が増えて来た。

だがそれでも、自分達が信じて待ち続けていれば必ず彼らは戻って来てくれるとフランツ達は信じていた。

フランツとエレンは更なる強さを身につけんと切磋琢磨し、アイリスも他の隊員達や組織に関わる人たちの心の支えにならんと衛生兵としてだけでなく、家事や心理ケアにも努めてくれている。


それにラッセルの復帰もある。

あの重傷からも立ち直り、精神にも乱れが見えない。寧ろ以前にも増して明るく頼もしい存在となってくれている自分達のリーダー。

彼の存在が自分達の考えが間違っていないと証明してくれているかのようにすら思えてくる。

二人は疲労で横になりながらも、視線の先に明るい未来を信じていた。





しかし二人は知らなかった。

自分達と別れたラッセルが向かった先に待っていた存在が誰なのか。

そして何より、ラッセルの心を占めているものが以前とは全く違う物に成り変わっていたことに……




ラッセルが自室の扉の鍵を後ろ手に掛けた直後…その逞しい胸に飛び込んだのは蕩ける様な笑みを浮かべる美しい女性。

栗色の髪に白と黒を基調としたゴシック風のドレスに身を包むその者の名はエキドナ。

断罪クロス十字ヴァニッシュの怨敵、鮮血ブラッド騎士団マリアンが誇る三鬼将の一角だということに…誰も気づいていなかった。



「おかえりなさいラッセル…!」


そう言いながらラッセルの胸に顔を押し付けるエキドナの姿はとても『妖妃』と忌み嫌われる者のそれとは思えないほど暖かく、愛らしいものだった。

突然の抱擁に顔を赤くしながらもラッセルは彼女を受け止める。


「いきなりは止めてくれ…対応に困るだろ?」


ラッセルの言葉に反感を覚えたのか、エキドナは若干頬を膨らませながら彼の顔を見上げるように見つめ、口を開いた。


「対応に困るって…興奮しちゃった?」

「怒るぞ」

「冗談に決まってるでしょ?そんな目くじら立てないでいいじゃない」


拗ねる様な口調で再びラッセルに抱きつく様子は恋人と言うよりは寧ろ父と娘のそれに近い。

否、二人の関係はまさに『それ』だ。


「怪我も治り、魔力も上々…これなら存分に闘える…誰が相手でもだ。

 もう失った過去ばかりを、自分の罪だけを背負い続けるのは止める。俺は自分の『幸福』を掴む…!」


今のラッセルを突き動かすのはかつての『復讐』では無い。

エキドナからもたらされた情報と、組織の構図を元に見い出した自分達の『幸福』を勝ち取ろうとする意思だ。


ラッセルも、フィオーラも、そしてエキドナも救われる夢の様な『幸福』。

そのためを想えば何だって出来る…ラッセルの瞳は『未来』を見据えて強く輝いていた。


「えぇ…絶対に勝ち取りましょう。私達三人が『家族』として幸せに過ごせる未来を…」



ラッセルはそれに応えるようにエキドナを強く抱きしめる。

エキドナの瞳はそれまで妖しく光っていたが、ラッセルの温もりに安堵するかのようにそっと閉じられた。



敵対する者同士とは思えない程に、二人は力強く、情熱的にお互いを抱きしめ合っていた。


















「うう………」


倦怠感に染まる体を奮い立たせて、レックスは起きあがった。

何時の間にか意識を失っていたようだ。

にも拘らず命が無事だと言うことはつまり、敵を完全に排除した後に倒れたからということか…とレックスは納得して動き出す。

どうも体が冷えているようだ…少し肌寒い…?


そこでレックスは気付いた。

体中が何かで濡れている…そのせいで肌から熱が奪われているのだと。


(一体何が……?)


レックスが試しに指で二の腕を拭うと、若干滑り気のある何かが指に絡んだ。それは…


「血…?一体誰の…」


少なくとも自分のものではない。暗がりとはいえ自分の体くらい把握できる。

痛むところも無ければ、傷口も見当たらない。

そもそも自身の出血で全身を濡らしていたならとっくに死んでいる筈だ。


そこで初めて気づいた。


床に散らばる黒い殻の様な物と、赤黒く変色した骨の様な物が床一面にびっしりと散乱していることに。



「これは…まさか……!!!」


レックスは頭を抱えて震えだした。

思い出したのだ…今まで自分が何をしていたのかを。




『嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼!!!!!』


獣の如く叫び狂いながら闘いに没頭する自分の姿と……


『シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!』


以前自分とレベッカ達を蹂躙したあの黒い『悪魔』との闘いを…



それだけでは無い。


レックスは思い出してしまったのだ。


引き千切られた左腕を庇うこと無く悪魔を斬り殺した自分の姿も…


食い千切られた矢先に再生した左腕も……


そして…殺した悪魔の血肉を貪り食らう自分の姿を…!








「が…ぁああああああああああああああああああ!!!?」


嘘だ!嘘だ!!嘘だ!!!?

レックスは血溜まりの中でもがいた。

だが皮肉かな…もがけばもがくほどにその身に血は染み込み続ける。

子供が悪戯の痕を隠そうと騒ぐほどにその痕がはっきりと浮き出るように…否定すればする程に…


自身がそれを認めてしまう。



レックスは泣き叫び続ける。


「嘘だ…!」


(俺は人間だ…あんなの嘘に決まってる!!!)


「嘘だ…!!」


(俺は何も知らない!!何もやってなんかいない…!!!)


だが…体中から漂う血臭が、そして喉の奥から込み上げる血の味が…レックスの意思に否定を許さない。

それはまるで自分自身に杭を打ち込まれる様な静かで…それでいて何処までも深い痛みをレックスに刻み込む。



血溜まりに映る自分の顔が…ふっと歪んだ笑みを浮かべ、それのみに留まらず訴えかけて来た。


『何言ってるんだ?さっきまでの自分の姿をもう忘れたのか?』


幻聴の筈なのに…その声は余りにも鮮烈で…


「違う……!」

『俺は覚えてるぜ?肉を裂かれる痛みを…あの屑みてえな化物が引き千切れて飛んで行く滑稽な姿も…!』


まるで…本当のことを言っているようで…


「違う!!そんなこと俺は…!」

『じゃあお前の口から垂れてるソレは何だ?」


現に血面みなもに映る自分の口には……血の滴る肉片が咥えられていて…



「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!?」










深層の間~入り口付近にて


ニーナはレックスの無事を祈りながら近くの木に背を預けるように座っていた。

その横顔は不安に染まっており、瞳が見つめる先は地下へと続く階段のみに注がれていた。

レックスが『深層の間』に入って優に二時間ほど経過した。


第一の試練同様、ニーナはこの試練の内容を知っている。

延々と繋がる階段を下りた先には広大な地下ドームが存在しており、そこを舞台に過酷な戦いが繰り広げられる。

対戦相手は…そこに鎮座する鏡が呼び出す『最恐』の存在だ。


『深層の間』…これは言わば人が作った『神域』だ。

地下深くに闘技場を作った理由はその場所を『神域』同様の場所とするための結界を張るためだ。

ドームの中はジガードによって膨大な魔力が充満した状態となっている。

本来ならば『魔力』が単体で空間に充満することはあり得ない。


魔力とは自然界に存在する力『マナ』を人が扱えるように変換させたものだ。

マナとは言ってしまえば自然の、星の生きる力そのもの。このままでは強大すぎて扱うことなど出来はしない。

(イメージとしてはマナが大河、魔力はそこから組み上げた水だと思ってほしい。

魔力の強い人間とは明確に言えば大量のマナを受け入れられるだけの大きな器を持っている人間のことだ)

そして魔力は術者の内抱するそれを除けば、自然な状態であるマナに戻ろうとする性質がある。

故に魔術として使われない魔力が空間に漂うことなど在り得ないのだ。

だが神域と呼ばれる特殊な空間はそれ自体が言わば『一つの生命体』そのものとも言える状態のため、術者に内抱された魔力同様にマナに還ること無く存在し続けられると言う訳だ。


その『魔力』を『魔術』へと変換させるのが部屋の中央に鎮座する鏡の力だ。

あの鏡には映った者の心に作用して、瞬時にその者が『最も恐れを抱いている相手』を映し出すという魔術が掛かっている。

それは挑戦者の恐怖を糧にその場においての『存在感』を確保する。

そしてその存在を実物として生み出すのが周囲の魔力だ。


いわばあの鏡は完成寸前の魔術そのもので、最後のパーツが挑戦者の恐怖となる訳だ。


この試練の恐ろしさは何と言っても敵が恐怖そのものだということだろう。

真に恐ろしいものを見た時、人が取れる方法は二つに一つだ。

即ち、その存在を抹消して自身の安全を確保する『撃退』か、従属し庇護を求める『服従』のどちらかだ。

だがこの試練において敵に『服従』するということはそのまま『死』を意味する行為だ。


早い話がニーナがレックスに言った通り『殺すか殺されるか』という二択となるわけだ。




「遅い…もう一時間以上経ってるなんて」


今までこの『深層の間』に挑み、攻略した人間の最長記録は45分。第一試練である『洗礼の間』に比べれば驚くほど短時間だ。

理由は簡単だ。

本物の恐怖に合い見えた者に長期戦などあり得ない。

勝てる者は早々とケリをつけ、勝てない者はいつまで経とうが勝てないからだ。

だがレックスは既に、その長引く筈の無い闘いに一時間以上掛けている…これはつまり…!?


「まさかレックスは………ッ!?」


ニーナはとっさに鼻を抑え、飛び上がった。

階段の方角から突如、夥しいほどの血の臭いがしてきたからだ。

不測の事態に備え、適度な距離を保ちながら凰炎フレイバードの詠唱を始める。

更には詠唱途中で襲われた際の迎撃用として両手の指の隙間全てに投げナイフ(速攻性の神経毒を刃先に塗ってある)を挟みこむと言う徹底ぶり。

ニーナの武器は凰炎フレイバードの火力だけでは無い。

冷静かつ油断の無い思考こそ彼女が今日まで生き抜いて来た『力』の根幹なのだ。


だが階段から姿を現した『彼』の姿は、その冷静な思考すらも一瞬で崩壊させた。

それは……


「レックス!!!?」



全身を痛々しいほどの量の血で濡らした…レックスの姿だった。







ニーナはそれがレックスだと分かった瞬間、ナイフを取り落とし、即座に彼の元へと走った。

全身はほとんど赤黒く染まっていたが、特徴的な形状の大剣は色が変わった位では見間違えない。

レックスの歩調は力無く、大剣を支えにしなければ立つことさえ難しそうに見えた。

一体どれ程の敵と戦えばこのような有り様になるのかと疑問に思うが、最優先なのはレックスの治療だ。

ニーナは血で汚れるのも構わず、彼の肩と腰に手を回し、ゆっくりと地面に座らせた。


「レックス!しっかりしてレックス!?」

「………」


レックスの目は虚ろで、焦点も定まっていない。

呼吸は落ち着いていると言うよりは寧ろ弱々しいと言った方が正しいだろう。

何より体中から出血が……?


そこでニーナはふと気付いた。

レックスの体中を濡らしている血は、てっきり彼の傷口から出血したものだと思っていた。

だが良く見てみれば…彼に外傷はほとんど見受けられない。

見受けられるのはせいぜい軽い火傷と極度の疲労程度…これでは出血など有り得る筈が無い。



(じゃあこれは……返り血?)


確かにレックスの戦闘スタイルの基本は大剣による斬撃だ。返り血を浴びたとしても不思議ではない。

だがそれにしても返り血の量が多すぎる。

ニーナは何度もレックスと共に闘ってきた経験がある。その中で彼がここまで返り血を浴びる様な事は無かった。

そもそも血だまりに落ちるか自分から血を浴びるくらいしなければ全身を血で濡らす様な事など有り得ない筈だ。




そしてニーナは気付いてしまった。


レックスの吐息が妙に血生臭いということに……

まるで殺したばかりの、血の滴り落ちる獲物を生で喰らったかのように……!?



「レックス…?」

「……ぁ…」


レックスはニーナの声にどうにか反応は出来たようだが、それは余りにも儚く、突けばボロボロと壊れてしまうかのような錯覚さえ抱かせるものだった。

普段のレックスからは想像も出来ない弱々しい姿。それを見たニーナは確信した。

間違い無く、レックスは深い心の傷を負っている。

『深層の間』を経た者は多かれ少なかれ心に傷を作るものだが、レックスは外見からもはっきり分かるほどに重い傷を受けてしまったようだ。


「……ニーナ……?」


焦点の定まっていない視線、虚ろな声。

それでもレックスには今傍に居るのがニーナだと解かったらしい。


「大人しくして!容態を確認するにも血の量が多すぎるわ。

 まず体を漱がないと…すぐそこの水汲み場まで動くわよ?」

「あ…あぁ…」


大剣をひとまずその場に残し、ニーナはレックスに肩を貸してゆっくりと立ち上がる。

目的地である水汲み場は本来なら三分ほどで辿り着く位置にあるのだがレックスの消耗は想いの他激しく、二人は普段からは想像も出来ないほどゆっくりと時間をかけて目的地に到達した。


三十分ほどかけてようやく水汲み場に辿り着く。

大きく立派な井戸の傍には美しい噴水もあり、普段ならば女中や若い隊員達の溜まり場にもなっているが今日は誰も来ていなかった。

その事に軽く胸を撫で下ろしながらニーナはレックスを近くの床に座らせ、水を汲む。

まず邪魔な鎧や篭手を取り外し、薄いシャツ一枚を残して容態を確認する。

髪や顔、腕など露出していた部分は返り血がべったりついていたが防具で隠れていた箇所はあまり汚れていなかった。

ニーナはタオルを数枚湿らせてレックスの体を拭い、顔や髪もさっと濯いだ。

その後水筒に組んだ水を彼の口元へと運んだ。

レックスはゆっくりと嚥下しようとしたが、口内に残っていた血肉と一緒に吐き出してしまった。


「……あぁ…!あぁあああああ……!!!」


レックスは両手で口元を押さえ、必死に自身を落ちつけようとしていた。

だが何の効果も無く、レックスの全身は震え、歯がカチカチとぶつかり合う音が響き、目からは涙が流れだす。

恐らくレックスは以前から常人には想像もつかない様な苦痛に耐えて来たのだろう。

今はただそれが顕著に現れただけで…本質は恐らく何も変わってなどいない。


弱さを人に見せず、強さを追い求め、こうして独り悲しみと痛みに歯を食い縛って耐えて来たのだろう。

その姿はニーナにとって余りにも痛々しくて、哀しくて…そして何より愛しかった。


「……ッ!」


ニーナは涙を必死に堪えながらレックスを抱き締めた。

壊さないように優しく、それでいて離さないようにしっかりと抱き締めた。


例え一時の交わりに過ぎないと解かっていても、彼に自分の温もりを染み込ませようとするかのように




レックスはニーナの横顔を静かに眺めていた。

如何に他人の好意と言うものに疎いレックスと云えども、彼女が自分に抱いている感情が何なのかは分かった。

何時からだったか…彼女が自分の前で少しだけ見せる柔らかな笑顔を知った時からか。

だがレックスには解からなかった。


自分は果たして彼女の想いを受け取るに値する男なのかと…

最愛の女性すら守れなかった自分に、幸福になる権利など在るのかと…



にも拘らず、レックスはニーナに抱かれ続けると言う現状を受け入れている。

普段の彼ならば即座に飛び離れただろう(無論今のレックスにそんな体力など残っていないが押し退ける位は出来る)にも関わらずだ。

ならば何故抵抗しないか?


それは…彼女から伝わる温もりが余りにも心地良かったからだ。

ニーナの腕から伝わる温もりも、堪え切れず零れ落ちる涙も、自分に向けられる視線も何もかもが熱く、心地良い。

この心地良さの前では自分の過去も、罪も…全て優しく燃やし尽くされて行く様な感覚さえ覚える。

気付けば自分の胸さえ熱くなっているのが解かる。

微かに…それでも確かに、脈拍が強くなっていくのも聞こえてくる。


「ニーナ…俺は汚れている…」

「……構わない」


それでも彼女は離れない。


「ニーナ…俺は弱い…」

「……関係無い」


寧ろレックスを抱き締める力は更に強くなる。


「ニーナ…俺は自分が怖い」

「……なら私が守る」


あぁ……駄目だ。


レックスは直感で解かっていた。自分が次に何を言おうとしてるのかを、自分が切に求めていた相手を。


ソフィールを守ると誓ったのは嘘じゃない。

ソフィールと交えた言葉も、時間も、そこに込められた想いも全て本物だ。

だがそれは『忠誠』であり『恩義』であり、それは余りにも美しすぎた。ソフィールは余りにも眩し過ぎた。


まさに物語に綴られる騎士と姫の関係。

互いが互いを想えども、求めようとも……そこには確かな『距離』が存在していた。


そのほんの些細な距離、溝にすっぽりと入りこんでいた存在があった。

常に自分と共に在り、時に肩を並べ時に背を任せ死線を潜り抜けた相方パートナーの存在があった。

考えてみれば当たり前のことだったのだ。

同じ主に剣を捧げ、同じ理念の元に集い、同じ道を同じ速さで歩む同志。

それが同性ならば二人は最高の相棒となり、異性ならば何よりも強く惹かれ合う。


今のレックスと、ニーナの様に……



レックスの唇が想いを紡ぐ。

傾けた壺から水が流れ出るように自然に、思いの丈を口に出した。



「ニーナ……俺はお前が好きだ」

「……ッ!」


ずっと考えないようにしていた。


「ニーナ……俺はお前を守れる強さが欲しい」

「………レックスなら大丈夫だよ」


認めてしまえば止まらなくなることが分かっていたから。


「ニーナ……俺はお前が欲しい」

「私も…貴方が欲しかったよ」


全て解かっているのに……それでも尚


「ニーナ……」

「レックス……」


制止する思考より…求めあう心の方が強かった。





レックスと唇を重ねながら、ニーナは冷静に考えていた…これは卑怯だと。

心身ともに疲れ果て、弱り切ったレックスに寄り添い抱き寄せ、自分だけを考えるように仕向けるかのような手口。

以前ならこんな手は使わなかっただろう。ソフィールに気後れしていた以前ならば。


だが今は違う。

確かにフェアなやり方じゃないだろう。だがそれがどうしたと言うのだ?

レックスは雰囲気に流されるような男では無い。自分の願いに応えてくれたのは、レックスの中に自分への想いが確かに在った証拠だ。ただ自分はそれに一歩歩み寄っただけだ。


あぁ…でもその一歩を踏み出すのがどれ程恐ろしかったことか。


自分の想いを伝えてもし拒絶されたら?

自分だけが舞い上がって相手は自分のことを何とも思ってなかったとしたら?

彼の近くに合った自分の居場所が、告白を期に失われてしまったとしたら?


考える程に恐ろしかった…!

不安で、怖くて、でも傍に行きたくて、誰にも渡したくなかった…!

だからこれは当然の報酬だと…ニーナはレックスとの口付けを続ける。

その味わいの何と甘美なことか。

視線は平静を失う様に彷徨い、動悸は躍動を増すばかり、熱に魘される様に顔中が赤く染まり、それでいて意識は絶えず相手を想い続ける。


まさに二人の世界。

まさしく幸福の絶頂。

長い時を経てようやく結ばれた二人はその幸福を噛み締め、溺れることしか考えられなかった。


だが二人はまだ気づいていない。

その幸福が『介入者』によって利用され、捻じられ、最悪のシナリオを紡ぎ出すための鍵として演出させられたものだという現実あくむに…。









そして何より…





「ニーナ…?レックス……?」





信じられないと言わんばかりに目を見開き、自分達を凝視していたソフィールの存在に…二人は気づいていなかった。











これから忙しくなるので今のうちに投稿!

どんどん展開が泥沼化していくのでタグがファンタジーからダークファンタジーに変更!!

作者はなんだか不安多事ー(殴


これからもご愛読よろしくお願いします。

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