出会いの運命〜前編
レックスは今日も子分達と狩りをしていた。
もう何年もこうして盗み続けると貴族からは目を付けられ、忌み嫌われる。
たまに二本足の「猟犬」の相手をさせられる。
だがそんなことは知ったことではない。
大事なのは「家族」のことだけ、家族さえ良ければ俺はそれでいい。
貴族なんて言っても所詮は盗賊紛いの連中だ。
所詮聖戦の遺産を偶然見つけただけの連中なのだから遠慮なんて必要ない。
夜闇に紛れて潜伏する。
今日の獲物はジガード戦記…久々の上物だ。
窓ガラスの一部を器用に切り落とし、鍵を開ける。
やっぱり貴族なんて馬鹿ばっかりだ。
図体だけデカイ警備員なんて百人居たって無駄だ。
そろそろ頃合だ。
今頃、正面の入り口の方では子分達が騒いでいる手筈になっている。
「怖い人達が追っかけてくる」とか叫んで人目を惹きつけるのだ。
正面はまだ人だかりがある。
いくら門番だろうが「無垢な子供」に手荒な真似はできないだろう。
勿論、それだけだと信憑性に欠けるから保険もかけた。
貧民街のホームレスに銀貨一枚やって協力してもらい「怖い人」を演じてもらった。
後は「親戚の子供をびっくりさせたら暗がりだったため子供達が自分に気付かず、人攫いに間違われた」で、めでたしめでたし。誰も信じて疑わないだろう。
その隙に「獲物」を頂く。
金庫の鍵穴に針金をねじ込み、慣れた手つきで開ける。
ちょろいもんだ。
「上物」とついでの宝石を皮袋に入れる。
ごちそうさま。
そのまま闇夜に溶けるように退散した。
翌朝にはここの主人の悲鳴がさぞよく聞こえるだろぅ。
GOOD NIGHT!!
そうだ…俺にできないことなんかそうそう無い。
せいぜいレベッカを口説き落とすことぐらいか?どうにも女と話すのは苦手みたいだし。
顔色を変えずに会話するのがやっと。洒落たユーモアを利かせるぐらいで限界。
口説き落とすなんざ月よりという遠い損な性分だ。
まぁレベッカ以外の女に興味はないし大して損でもないかな。
気が付けばいつもレベッカのことを考えていた。
やっぱり…俺はレベッカが好きなんだな。
そうだ!この宝石加工してプレゼントしてやろう。
あいつってこういうの持ってないからなきっと気に入ってもらえる筈だ。
しかし、俺が家族の家に戻るとそこは燃え尽きていた。
誰の仕業だ!?ここには俺の家族が居るのに、こんな有様じゃ寝泊りできないじゃないか。
すぐに何とかしないと……そうだ!いつも溜まり場にしてる廃屋!
修理すればきっと上等な家になるだろう早速取りかかって…
「そんな必要ないよ」
ふと見るとレベッカが立っていた。
心なしか顔色が悪そうだ。
「どうしてそんなこと言うんだ?家が無きゃ皆困るだろう?今夜何処で寝るっていうんだ?」
「寝床なんてもう使わないもの」
レベッカの声はなんだか苦しそうだ。
「おいおい冗談言うなよ。寝なきゃ体壊れちまうだろう?」
「体の心配なんてもう要らないのよ」
何を言ってるんだか。
「んなアホな…冗談上手くなったなお前」
「平気よ?だってもう壊れてるもの。これ以上気遣う必要なんてないわ」
「えっ?」
今、なんて言った?
「とっくにあなたに壊されたもの」
「馬鹿なこと言うな!俺はお前が…!」
「じゃあなんで私を斬ったの?」
「さっきから何のことだよ!?」
いつの間にか体が震えている…だがそれを隠すように声を荒げて叫んだ。
しかしそれに返ってきたのは、レックスの心を砕くかのような一言だった。
「忘れたの?こんな風にしたのに!!!」
「!」
レベッカの顔は…直視できないほどまでに壊されていた。
丁度、剣で頭を割られたように…!
「これがあなたの愛なの?レックス」
「違う!俺は…俺は…!!!」
夢中で叫んでいると、周りに誰かいるのが見える。
子供達が俺の周りを囲んでたのだった。
悲しみに満ちた声でレックスの名を呼ぶ、無残な肉隗となって。
「痛いよ…何で助けてくれなかったの?」
「違う!違う!!俺は…」
「何をしている?」
振り返ると黒髪の騎士が剣を構えている。
「貴様は魔物だ。人の皮を被った魔物なんだよ!
闘え!俺を楽しませろ!殺しあえ!どちらかが死ぬまで!!
それを貴様も望んでいるだろう!!!」
「違う!俺は人間だ!
俺は悪くない!殺しを望んだことなんて!」
「誤魔化すなよ…レックス」
顔を上げるとそこに居たのは…
「何故俺は剣を磨いた?レベッカを守るため?食い物にされないため?」
俺と同じ声で囁き、俺と同じ顔で笑う奴が居る。
何物からも解放されたかのような清々しい声だ。
「違うよ殺したかったからさ、強い敵を!人間を!切り殺したかったんだよ!!!」
殺意に満ちた顔、血を渇望する目で、それでも「俺」は迷わずに言った。
「殺し合いたいと望んでるんだよ俺は!!!」
「違う…違う…違う!」
「レックス…」
「兄ちゃん…痛いよお」
レベッカ?子供達?…何でそんなことになってるんだよ!?
「剣をとれ!殺し合え!」
シリウス?そんなこと止めてくれ!
「偽るなよ?認めろよ?俺自身で!」
違う!違う!!違う!!!
こんなこと…こんな…俺は…!!!
「嘘だあぁあああああああああああああ!!!!」
「うわあああああああああああ!!!」
目が覚める。
背中は汗でびしょ濡れだった。荒い呼吸を整え、辺りを見回す。
起き上がるとそこは見知らぬ部屋だった。
清潔感に満ちた白いベッド。開けられた窓から流れる清々しい風。
とりあえず側にかけてあった自分の服を着込んだ。
「ここは何処なんだ?」
「へぇ割と元気じゃん。あんな状態で連れて来たのに」
「!?」
振り返るとそこには紫色の髪の騎士が立っていた。
確か名前は…
「ラッセル?」
「おっ!名前一発で覚えてくれたんだなぁ!
いやぁ感謝感激!なっはっは!!」
そう言いながら彼は懐から革製の水筒を出した。
「呑むか?ここらは葡萄の出来がいいのが自慢さ」
臭いから察するに中身は葡萄酒だろう。
中々上物らしいがその前に聞かなければいけない。
「ここは何処だ?何故お前が居る?病室で酒を呑んでいいのか?」
とりあえず三つ気になったことを聞いた。
すると彼はちょっと罰が悪そうな顔をしてから聞いてきた。
「呑んでいい?」
よっぽど好きなのだな…と思った。
「まぁ構わんがな」
「センキュー!」
そう言って彼は実に旨そうに葡萄酒を呑み出した。
「質問に答えろラッセルここは何処だ?」
「ここは俺たちの組織、断罪の十字の本部だ
あんたがいた街からざっと馬車で七日かかる」
葡萄酒を飲み終わるとラッセルはゆっくりと話し始めた。
「断罪の十字?聞いたことは無いな」
「そりゃそうさ世間一般に知られている筈ないだろ?
この組織は聖戦の戦火に呑まれなかった現存する唯一の文明であり遺産。
そして神々との約束の聖地なのだからな」
そう言って微笑するラッセルはとても大人びて見えた。
「神との約束の聖地?馬鹿な?神なんて負け犬どもが勝手に作った」
「偶像とでも言うのかい?
違うね、神は居るのさこの世界に。あんたなら解る筈だ。
とても現実とは思えない存在を目にしたあんたならな」
「化け物」
その言葉を聞いた瞬間、レックスの脳裏に浮かんだのは…人肉を貪る小型の獣。
次に巨大な体躯を持つ怪物。愛する者を汚した悪魔。そして…血と戦いを渇望した自分の姿だった。
「!!!!!」
頭を抱え込み必死に吐き気と悪寒を堪える。
そして思い出した。自分が何をしたのかを。何が起きたのかを。そしてそれが現実だということを。
蹲り、獣のような声を上げるレックス。
全身は震えていた。
他の何でも無い罪への恐怖に。
あの日あの場所で何が起きたかをラッセルは詳しくは知らない。
現場は焼け落ち、調査の行いようが無かったのだ。
だがレックスの姿がその凄惨さを物語る。
「アンタの責任じゃない。
あの街を襲った怪異はまともな人間にどうこうできるレベルじゃ無かった」
「違う!!!」
せめてもの慰めにと思い掛けた話が仇となった。
「俺には力が有った!!
化け物を殺せる力が俺には有ったのに!なのに!!」
「レックス…」
「守れなかった!助けられなかった!
チビ達も!レベッカも!誰一人!!
それどころか俺があいつを殺した!!!俺が!この手で!!
あいつは化け物に汚されながらもまだ生きていたのに…なのに!!
あいつの姿が許せなくて、憎くて、悲しくて…!
気がついたら俺の剣が…あいつの頭を…!」
狂ったかのように言葉を吐き連ねていたレックスは、そこで口を閉じた。
ラッセルは自分の軽はずみな発言を後悔した。
少しでも慰めになればと思ったが逆効果だった。
レックスはただの人間じゃ無かった。
自分達と同じ力を持つ存在だった。
あの場で唯一悲劇を止められる可能性があったのは他ならぬレックス自身だった。
その「可能性」が、その「力」が、レックスを縛り、苦しめる。
いっそ彼に力が無ければ愛する者と一緒に死ねた。
だが彼は生きている。
愛する者を殺したその「力」で。
自分を守った力。
愛する者を守らなかった力。
まさにこれこそが絶望だ。
救われた命の代価は自分が命を賭けてでも守りたかった者の命。
自分の心臓の鼓動が、今生き永らえている自分が罪そのものだった。
「とにかく今は休め
医者に、薬に、清潔な部屋に、白衣の天使!
ここ程療養に適してる場所はどこにも無いぜ。まずは・・・!」
ラッセルの言葉を最後まで聞かずにレックスはベットから飛び出し、そのまま走り去った。
「マジかよ?四肢の健は全て切断されて出血多量で神経はいかれた筈。
おまけに訓練も無しに力を酷使したんだ。本部の医者達だってお手上げだったのに?
なんで動けるんだよ?」
唖然としていたラッセルは、レックスの後を追いかける影に気付かなかった。
広大な建物の中を、ただ、走り続ける。
時折現れる人間を突き飛ばし、当ても無く走る。
何に追われるでも無く、何を追うことも無く…ただ走り続けた。
やがて、レックスは建物の外に出た。
そこは見張り台のような辺りを一望できる場所だった。
広大な敷地と建物を高い城壁が包み、その周りは青々とした森とどこまでも続く海が広がる。
そんな美しい景色も彼の心を癒してはくれない。
ふと数週間前のある日を思い出した。
レベッカや子供達と一緒に山菜狩りに出かけたあの日。
青々と茂る草木、爽やかな風、ゆったりと流れる雲。
辺りで楽しげに飛び回る子供達とそれを見守るレベッカ。
木陰で開いたお世辞にも豪華と言えないけれど、作り手の心のこもった弁当を平らげた昼下がり。
そのまま皆で肩を寄せ合って穏やかな眠りについたあの懐かしい日。
あの日、あの場所で感じた想いに勝るものなど自分には想像できない。
いや、存在しないだろう。
レックスの瞳からは自然と涙が流れていた。
必死に止めようとしても涙は溢れて止まらなかった。
床に膝を着き、床と腕で顔を覆い隠す。
そしてただ、声にならない声で泣き続けた。
もうレベッカは笑わない。記憶の中でしか笑ってくれない。
だがそれもいつまでだろうか?
数日前の筈なのにあの日々がひどく遠く感じられる。
いずれ俺はあいつの声も、温もりも、手料理の味も笑顔も、そしてこの想いも忘れてしまうのだろうか?
こんなにも苦しくてもやがて忘れてしまう。
痛みも、悲しみも全て暖かい思い出と伴に消えてしまう。
これは罪なのか?それとも救いなのか?
罪だと言うならあまりにも残酷過ぎる。
救いと言うなら俺の望みからは果てしなくかけ離れている。
失って初めて気付いた。
今まで当たり前だったあの日常がどれ程、俺の支えになっていたのかが。
想えば想うほどに震えが止まらない。
どれだけ腕に力を込めても、どれ程歯を食いしばっても震えが止まらない。
寒い。暗い。
もう何も分からない。
知りたくない?認めたくない?消えてしまいたい…?
風の音さえ…聞こえない。
体の輪郭すら分からなくなりかけたその時、ふと体の一部に温もりを感じた。
孤独も、不安も、全て温もりが包み込む。
いつの間にか体の震えは納まっていた。
レベッカ?
振り向くとそこに居たのはとても穏やかで暖かな笑みを湛えた一人の少女の姿だった。
「ソフィール?」
「落ち着きましたか?」
彼女は真っ直ぐに俺の目を見つめてきた。
曇りも穢れも一切存在しない慈愛に満ちた瞳。
見つめれば吸い込まれてしまいそうになる。
だが…思わず視線を逸らす。
体を支えてくれた彼女の手を振りほどく。
「俺に近づくな」
ソフィールの手が離れたことで、また体が震え始める。
だがそんなことはどうでもいい。
「俺は化け物だ。俺に関わった奴は皆、悲惨な目に合って死ぬんだ
いや俺が殺す。殺してしまう。誰も俺に近づく…な…?」
その言葉を遮るかの様に、ソフィールは再び俺の体を強く抱き締めた。
「違う」
「え?」
「あなたは化け物なんかじゃありません」
何故そんなことが言える?何故俺が信じられる?
一体何故?
「だってあなたは泣いているもの」
「!」
そんなことで?馬鹿な?
そんな考えも続く言葉に打ち消される。
「自分以外の何かのために涙を流せる。
自分以外の何かのために必死になれるならあなたは優しい人ですよ」
「人?」
俺が…優しい人?
生きるためには手段を選ばなかった俺が?
家族に手を出す輩は皆殺しにした俺が?
チビ達もレベッカも守れなかった俺が…優しい人?
「違う…俺は…俺は…」
声が擦れて上手くしゃべれない。
いや、それ以上にずっと堪えていた想いが溢れて…。
駄目だ。涙など見せられない。
弱い自分を見せる訳にはいかない。
なのに…
「泣いてもいいじゃないですか?
その涙の一粒一粒が紛れもない証拠ですよ。あなたが心優しい人だということの」
その言葉に視界が歪む。
もう、限界だった。
恥も外聞も捨てて、少女の体をすがる様に抱いた。
全てをその温もりに委ねた。
初めて自分の弱さを誰かに見せた。
ボロボロと涙を流しながら声を押し殺して泣くレックスを、ソフィールは優しく、強く抱き締めた。
俺は辛かった。苦しかった。罪悪感に潰されそうだった。
「俺は悪くない!俺は間違ってなんかいない!」
そう自分に言い聞かせて、そう信じ込もうとしていた。
でも、そう思い込もうとすればする程苦しかった。
誰かに認めてもらいたかった。
自分の弱さを、迷いを見せることも出来ずいつも強い自分だけを演じ続けた日々。
誰かに守ってもらいたかった。
守り、傷つけ、傷つき、奪い続ける日々に生じた想い。
それが今ようやく満たされたのだ。
レックスはただ感情のままに泣き続けることしか出来なかった。
まるで無垢な子供の様に泣き続けた。
夢を見ていた。
それは一人の少女の夢。
ごく普通の村の一軒家に家族達と平和に暮らす少女。
決して豊かとは言えない暮らしだった。
だが、彼女はいつも心から笑っていた。
広大な草原に抱かれ風と共に笑い、咲き誇る花と共に命を謳った。
そんなごく普通の少女だった。
だが変化は突然訪れた。
彼女を取り巻く世界が変わった。
そして同時に彼女は心を閉ざした。
「!」
そこで目が覚めた。
いつの間に眠り込んでしまったというのか?
周りを確認しようとすると左肩に温もりを感じた。
振り返るとソフィールが自身の肩に寄りかかってスヤスヤと寝息を立てていた。
内心かなり焦りながらゆっくりと体を離す。
倒れないように体勢を整えさせ、ホッとため息をついた。
先程の夢を思い出していた。
一人の少女の夢。
ごく普通の少女の夢。
そしていつしか心を閉ざしてしまった少女の夢だった。
ふと、ソフィールの寝顔が視界に入る。
まさかコイツの過去?
そんな馬鹿なと笑い飛ばしたかったが、何故かそんな気がしたのだ。
ソフィール。
一体この少女はどんな気持ちで生きてきたのだろうか?
どこか物悲しい寝顔を見つめながら物思いに耽っていると通路側から足音が聞こえた。
ラッセルかと思ったが違う。
無駄の無い実直な足音まるでその人物の性質を映すようだった。
一瞬女かと疑うほど黒く、長く美しい髪。氷の様な鋭い目、漆黒の軽鎧。腰に下がる二振りの騎士剣。
「シリウス…」
思わずその名を呼んだ。
同時に一歩間合いを取っていた。
彼の顔を見ると同時に思い出していたからだ。あの凄惨な戦いを。
だが、シリウスの様子はとても落ち着いていた。
あれほど激しく、自らの闘争本能のままに戦った男とは到底想像出来ないほどに。
しばらく二人は視線を交え、そして、シリウスが重い口を開けた。
「ついて来い。主がお待ちだ」
「主?一体誰のことだ?」
「じきに解る。来い」
こちらの意見など求めていないかのような口調だった。
シリウスの強い口調に反論は無意味だと悟ったレックスは彼に着いてゆくことに決めた。
だがその前に、レックスは黙って眠っているソフィールに自分の上着を被せようとした。
すると…
「余計な世話を焼くな」
シリウスから強い否定の言葉がかけられた。言葉の中に明確な敵意が込められていた。
「すぐに専属の侍女が来る。
そんな薄汚い安物を巫女にかけるな痴れ者が」
「なっ!?」
さすがに無礼ではないか。
自分はただ彼女の体を気にかけただけだというのに痴れ者扱いとは。
「礼儀って言葉知ってるか?」
「野蛮な獣に尽くす礼など持ち合わせてはいない」
まさに一触即発、その場を張り詰めた空気が支配する。
今まさにレックスが拳を握りしめた瞬間…
「スト〜〜〜〜ップ!!!」
闖入者の雄叫びが響いた。
そのあまりの騒音にソフィールが飛び起きる。
その刹那、レックスとシリウスは殺気を込めた目でラッセルを睨みつけた。
『殺されたいか?』と言わんばかりの視線で。
ラッセルは冷や汗をダラダラ流しながら愛想笑いし、二人をなだめた。
「シリウス幾ら何でも言い過ぎだ。
そんなんじゃ誰だって頭にくるだろうが?せめてもう少し言葉選ぼうぜ」
「ふん…」
そっぽを向くシリウス。
「レックス頼むよ?あんまりコイツを叱らないでやってくれ。
俺達の中でもコイツは特別でね。悪い奴じゃないんだが…」
「ケッ」
同じくそっぽを向くレックス。
ラッセルのフォローに大してそれぞれ同じ反応する二人。
何処と無く似たもの同士な感じがするが口に出したら二人に瞬殺されるだろう。
この突っ込みは決して口外されることなくラッセルの中に封印された。
さて本題だ。
「シリウス、さっさとお連れしろよ。
彼は主の客分なんだ。少しは礼を尽くせ」
「ふん」
シリウスはレックスに背を向け歩き出した。
一度だけ軽くこっちを見て「付いて来い」とだけ言って、そのまま通路へと歩いていった。
レックスは無視してやろうかとも思ったが、ラッセルの顔に泥を塗るのも気が引ける。
大人しくその後を追った。
その背中をソフィールがじっと眺めていた。
長く複雑な通路をシリウスの後を追って歩く。
内部は思った以上に広く、組織の資産力を物語る芸術品や調度品が数多く陳列されていた。
だが、レックスにはそれ以上に一つのことが気に掛かって仕方なかった。
「なあ、一つ教えてくれないか?巫女って何だ?」
そう尋ねると今まで黙っていたシリウスが立ち止まり、レックスの方を振り返った。
「聞いてどうする?」
「解らないから訊いてるんだ」
真っ直ぐにシリウスの視線を見据え、聞き返す。
だがその返答は残酷だった。
「もうお前はソフィールに会うな」
「何だよそれ。訳分かんねえよ!?」
反論するレックスに対し、今まで以上に強い口調でシリウスが告げた。
「ソフィールは巫女だ。その存在は世界をも左右させる力を持っている。
組織内でも彼女に話しかけることを許されているのは一部の人間だけだ。
お前なんかが接していい存在じゃないんだ」
「なっ!?」
『巫女』?『世界左右させる存在』?なんだそれは?
まるで人間じゃないみたいじゃないか!?
彼女の笑顔を思い出した。
失意に堕ちた自分を支えてくれた彼女の笑顔。
とても美しく、優しく、暖かな笑顔だった。
だが何故か悲しそうだった。
顔では笑っていたが、内面はどうだったのだろう?
巫女。
この言葉にどれ程の重みがあるのだろうか?
彼女は俺を救ってくれた。
だが彼女自身はどうだったのか?
何故あんな悲しげな顔で笑っていたんだ?
レックスはその後黙ってシリウスに着いていった。
言い包められたのでは無い。
ただ軽々しく発言することを自身が許さなかった。
「ここだ」
ふと前を向くと巨大な扉がそびえていた。まるで侵入者を威圧する番人かのように。
突然、誰の手も触れてないのに扉が開いた。
シリウスの後を追って自身もその扉の向こうに消える。
その奥はどこまで続くかわからない漆黒の空間だった。
どの様な部屋で何に使われるのだろうかと勘繰っていると部屋に明かりが灯される。
一瞬異界に飛ばされたかと思った
重苦しい扉の先とは思えない、まるで神殿のような雰囲気を醸し出す空間。
そもそもここはホントに屋内なのか?
森の一部を切り取って持ってきたような内装。木岐が生え、鳥が囀り、小川のせせらぎが聞こえる。
そんな幻想的な空間に一つだけ人工物が存在していた。
まるで王が座るかのような椅子が一つ。
ただ異形なのがその大きさだ。周りの木々と見比べても遜色ないくらいのデカさだ。
そんな椅子に一人の若い男が座っていた。
色白の顔、病的なまでに白い絹のような髪、神官のような服装。
彼はその場で繭一つ動かさずに鎮座していた。
一体どれ程の間、ここに居るのだろうか?
百年間この場に居ると言われても信じられそうなどこか浮世離れした雰囲気を感じた。
シリウスはその男の前に行くと跪き、言葉を続けた。
「申し訳ありません、若干手間取りました」
あのシリウスが跪いた!?
一体何者なんだ?
そんなことを考えていると、今まで声一つ上げなかった男が初めて口を開けた。
「気にするなシリウス。我が忠実なる剣よ」
何処までも響き渡るかのような澄んだ声。
その場に百人の人間が騒いでいても、その声は相手に確実に届くだろう。まるで聴くものを魅了するかのような声だった。
「有り難きお言葉、敬服いたします」
「よい…下がれ」
「ハッ」
シリウスは男に決して背を向けずに脇に下がった。
まるで忠実なシモベのように。
「レックス」
「!?」
突然話掛けられ思わず声が上ずる。
その場に立ち竦んでいるとシリウスがこっちを睨んでくる。
仕方なく歩を進め、男の前に跪く。
「別に跪かなくともよい。君は我がシモベではないのだからな」
「いえ…」
シリウスの様に跪く形で落ち着いた。
それにその方が気が楽だった。眼前の男を直視出来る気がなかった。
まるで触れざるものに対峙する様な感覚に陥ったからだ。
「あなたは一体・?」
「私か?
我は聖戦の記憶の断片。物語を紡ぎ、語り継ぐ者。
我が名はジガード。ジガード・L・ロンギヌスだ」
ジガードだと!?
馬鹿な!?その名を俺は知っている。
聖戦を終結させた英雄ジガード。
数々の武勇とそれ以上の謎を残し消えた英雄王。
確か聖戦は百年以上昔に起きた大戦だった筈、それが何故!?
その余りの衝撃に言葉を失った。
ただの組織では無い事は重々承知していた。
だが、余りにも想定外だ。
人智を超えた力。
突如現れた異形の化け物。
そして百年前の「英雄王」。
一体今までの世界は何だったのだろうか?
あの平凡で代わり映えのない日常は幻だったのか?
レックスは呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
するとその様子が可笑しかったのか『ジガード』が微笑しながら言葉を続ける。
「急に呼び出して済まなかったかな。
体の方はもう平気かい?」
「あっいや、別に」
この部屋の空気のせいかやはり落ち着かない。
一度呼吸を整え、しっかりと目の前の男に対峙する。
自分はこの男に聴きたいことがある。
いや、聴かなければならないことがある。
「逃げてしまえばどんなに楽だろうか?」
「関わらなければどれ程安全だろうか?」
そんなことを考えてはならない。
それでは意味が無い。
俺はレックスだ。他の誰でもない…!
自分の罪から逃げてしまっては生きるとは言えない。
どれ程辛くとも。苦しくとも。一度絶望の淵に堕ちたからこそ。
この罪を…愛する者の死を背負って生きていく。
「あなたに頼みがある。俺をこの組織に加えてくれ」
「ほぅ?」
ジガードは顔には出さずとも内心驚いていた。
これから未知の領域に踏み込む。
人間が最も恐れる行為の一つだ。
にも拘らず彼は自分に一切の情報の提示を求めない。
単なる愚か者か?はたまた底知れぬ深い思考の持ち主か?
「別に何も考えてない訳じゃない」
その先を告げるかのようにレックスは話し続ける。
「これだけ現実離れしてることが実際に起きてるんだから疑う余地は無い。
かといって俺はそれ程の理由を口から聞いただけで理解できる人種じゃない。
なら体感するのが最も信憑性が高く、且正確だ」
「ふむ」
(なかなか興味深い人物だな)
ジガードは内心ほくそ笑んだ。
元よりレックスを組織に引き込むためにシリウス達を送り込んだのだ。
尚且つ彼は戦士にとって最も重要な要素を既に持っている。
力では無い。
あらゆる力にも勝るとも劣らない重要な精神。
「目的」と「覚悟」だ。
「目的」があるからこそ戦場に足を踏み入れられる。
同時に「目的」のためにどこまでも貪欲に強さを求められる。
そして「覚悟」があるからこそあらゆる困難に立ち向かうことが出来る。
本来なら一から仕込まなければならないこの二つの要素を初めから根強く持っている。
これは「駒」として有能極まりない逸材だ。
「気に入ったよレックス。その意志と、その思慮深さ、人格。
何よりいきなり自分を売り込む胆力に敬意を示し君を迎え入れよう」
すぐ横から容赦なく刺さるシリウスの視線に耐えながら頭を下げる。
「ようこそ断罪の十字へ」
そう言って微笑みながらレックスに手を差し伸べるジガード。
だが…
「お待ちください主よ」
今まで黙っていた懐刀が声を上げた。
「確かにこの男を組織に加えることは承知致しました。
ですが、そうなればまずは正式な手続きを踏み。順を追って編入させるのが理でしょう。
事を早急に進めることも重要ですが、それで足場がぐらついては何の意味もありません」
あくまで冷静に判断するシリウス。
不機嫌そうな新参者と「我関せず」な顔をしている猛者を見比べて笑いながら「主」は一つの提案を二人に言い渡した。
「ならこうしよう。
組織に長年所属してる者達の中から一人、熟練者を指名してレックスと戦わせる。
レックスが負ければこの件は保留、或いは先送りとする。
しかし勝てば対戦者のそれに見合った階級で組織に迎え入れるというのは?」
「階級?」
いきなり出てきた単語に疑問符をつけて口に出す。
いくら組織の情報を無闇に探らないと言ってもこれから加わる組織の内部事情も知らないのでは話にならないからだ。
その疑問にシリウスがしぶしぶ答える。
「組織ではその者の能力・適性に応じて複数の階級に分別される。
当然階級の高いもの程、権限・待遇が優遇される」
「成る程。で、具体的に言うとどんなだ?
「貴様は戦闘員として登録されるだろうから全部で四階級だ。
詳しく言うと…以下の通りだ」
短剣…一番格下の階級。
指揮権も無く、ただの歩兵と大差は無い。構成員の中の約半数がこれに当たる。
戦斧…経験を積み、実戦に裏付けされた強さを持った戦士が集まる階級。
軍隊で言う部隊長のような者。指揮権も少数だが持ち合わせる。
剣…幾多の死線を潜り抜け力・頭脳供に洗練された猛者達。
指揮権の権限も広く、戦場一つを任せられることもある階級。
聖騎士…戦闘員の中でも最高位に位置する階級。
百戦錬磨の経験と一騎当千の強さを持つ最強の称号。
組織でもこれに当たる人物は片手で数えるほどだけ。
当然、あらゆる権限が最優先される。
「成る程な」
しきりに頷きながらシリウスの説明に耳を傾けるレックス。
その真剣な表情に説明者は若干表情を緩める。
「本来なら最初は短剣に配属され、任務の成果によって階級が変わる。
だが君ならば現時点で戦斧に配属させても問題はないと思うが…」
「待ってくれ」
「?」
次にレックスが口にしたことは二人の内面に大きな波紋を投げ掛けた。
「ソフィールと…巫女と話が出来る階級に俺を所属させてくれ!」
「なっ!?」
「………」
突然の要求に絶句するシリウスと、何かを考え込んでいるかのようなジガード。
「貴様!つい先刻話したことも忘れたか!?」
「覚えているさ。
あんたは言っただろう『組織でも限られた人間しか』関わってはならないと!
だからワザワザ口に出して頼んでいる!頼む!」
「ふざけるな!唯でさえ異例極まりないというのにこの上さらに要求するだと?
そんな馬鹿げた事が許されると・・・」
シリウスの激昂に対してその主の対応は…
「いいだろう」
「主!?」
シリウスだけでなくレックスもが、あまりにも簡単に許可した本人を見つめる。
レックス自身かなり手を焼くだろうと思いながらも口に出したというのにだ。
「面白いではないか。此処までくれば何を恐れる?
いっそ前代未聞の偉業でも成し遂げてもらえないか?」
二人は呆気に取られた。
それに対してジガードは口元を緩めながら嬉々とした声で話している。
シリウスは内心頭を抱えながら言葉を続けた。
「いいだろぅ。ただし!貴様が勝てればの話だ!覚悟しておけ!」
辛うじて冷静さを装っているシリウス。
そんなシリウスに驚きを隠れないでいるレックス。
そして二人を見て笑っている事の元凶。
こうして世にも奇妙な三者面談は幕を閉じた。
その夜、最初に目を覚ました病室にて。
「ガツガツむしゃむしゃゴクゴクバクバク」
そこには凄まじい勢いで料理を平らげていくレックスが居た。
優に十人前はあったであろう料理はものの数分で全て消えた。
その食欲に目を見張る男が一人。
ラッセルだ。彼も彼なりにレックスに気をかけている。のだが…
「お前本当に病人か?
いくら七日ぶりの飯だからって普通そんな入んないぜ?」
その言葉に対して返ってきた答えは…
「お替り!あと十人前!全部特盛りで!!」
(………ええいっ!この新人の胃袋は化け物か!?)
レックスの注文に半ば呆然としながら給仕が厨房へ戻る。
組織の創始者であり、現在も組織の頂点に君臨するジガード自らの許可を得ているのでレックスの手が止まる事は無く、口も休まず食料を体内へ輸送する。
「大した奴だよ本当」
「ほぇ?ふぁんふぁひっはひゃ?」
「喰うか呑むか喋るかどれかにしろ」
「ガツガツグビグビごっくん!…何か言ったか?」
(この野郎、喰って呑んで最後に喋りやがったな…)
「?ガツガツグビグビばくばく」
輸送再開。給仕が再度持ってきた料理もテーブルに置いた直後に消える。
レックスの体格は身長が高く、かつ筋肉も程よく付いている。
だが大柄には見えない体格だ。
一体この体の何処に入れてるんだ?
「あんま喰いすぎると腹壊すぜ?」
「何言ってんだ?組織に加入するための大事な模擬戦が明日あるんだぜ?
ちゃんと喰っとかねえと力出ねえよガツガツむしゃむしゃ」
「やれやれ。しっかし一つ訊いていいか?」
「やらんぞ?」
「そっちじゃねえよ!少し飯から頭を離せ!!」
一括されしぶしぶ食事を中断するレックス。
ため息を一回吐いてからラッセルは尋ねた。
「なんでわざわざソフィールと話せる階級にしろだなんて頼んだんだ?
アンタならその内」
「今すぐじゃないと駄目なんだ」
即座に言葉を返されるラッセル。
「ハハァン?成る程ねぇ」
「違うからな」
「ちょ早っ!?」
考えを見透かされ焦るラッセルと冷めた目でそれを見つめるレックス。
どうやらレックスはあまりそういう冗談が好きでは無いらしい。
「いやだって逢って間もない男女がって言ったら」
「俺はアイツに助けられたんだ」
「!」
意外そうに目を細めてレックスを見つめる。
そこには先程までの食料吸収機の姿は無く、真摯な眼差しの青年の姿があった。
「俺は罪を犯した。
別に人を斬ったこと自体は珍しくない。
いつものことだ。生き残るために人を斬った。
だが、守りたかった人を斬ったことは初めてだったよ。
辛かったどころか今だって辛いさ。もう死にたいとさえ思ったさ」
レックスの目に映るのは自らが殺した最愛の女性。
決して消えることの無い未来永劫の醒めない悪夢。
「…レックス」
罪は消えない。
苦しみは拭いきれない。
失った者は命は帰ってこない。
解かっている。でも…
「でもあいつが抱いてくれた。
俺の体も、心も、罪も、弱さも全て優しく抱いてくれた。
だから俺は生きていくことを選べた。俺はあいつに救われた。
今度は俺があいつを助ける。そう決めたんだ」
(大した奴だよ・・・本当に)
「やれやれ敵わないねえ」
肩を竦めながらラッセルも言葉を告げる。
「俺にとってもアイツは特別な存在なんだ。
だから寄り付く害虫は全部踏み潰す!だがアンタならあいつの笑顔を取り戻せるかもな」
「どういう意味だ・・・?アンタはあいつの過去を知って」
「あいつさんってどなた様ですか?」
「決まってるだろ。ソフィー……?」
そう言いながら声のする方に振り向くと…
「えっ私ですか?」
えっ?私?私って…えっ!?
「!!!!!!」
病棟に二人の男達の悲鳴がどこまでも高く響き渡った。
数分後…。
「うぅ〜耳が痛いですう〜」
「こっちは息の根が停まるかと思ったわっ!!」
「また後宮から抜け出したな!?」
「だって御付きのメイドさんと話しても面白くないんだもん」
「面白いね〜面白すぎるねぇ!あやうく飛び出た心臓噛みそうになっちまったよ!!」
「んな理由で飛び出すな!この間もそんなこと言って失踪しただろ!
お前の捜索に組織の人間を何人費やしたか知ってるか!?聞かせてやろうか!?あっ!?」
「御免なさい……」
立て続けに怒髪天を抜くような大声で怒鳴られてしょんぼりするソフィール。
その姿はあらゆる人種に庇ってあげたいと思わせるオーラを大量に解き放つ。
「まぁ解かってくれれば…」
「今度から気をつけろよな…全く…」
「解かってもらえて良かった〜。ところで」
「?」
「何だ?」
「さっきの話の続きを聞かせて!」
「!!!!」
内心焦りまくる二人に対し、何処までも楽しそうな天然天災美少女。
「いや・・・あのソフィールさん?
自分のような下々の話など大したものではアリマセンヨ?」
「私は身分とか生まれとかで人を判断したくありません!」
「一刻も早く後宮に戻られてはイカガデスカ?」
「二人の話を聞いたらすぐ戻るから。ね?お願い!」
一切邪念が無い純真な眼差し。
だからこそ今の二人にはその視線が憎らしかった。
レックスは今日何処までも残酷な現実を呪った。
翌日早朝。
レックスは朝早くからラッセルに連れられ本部の敷地内を歩いていた。
「こんな早くから何しようってんだ?
俺はまだまだ眠くて眠くて…ふあ〜」
「いいから来い!」
欠伸が止まない新人の後頭部を小突きながらラッセルが言う。
やがて二人は敷地の片隅にある倉庫に着いた。
一見するとただの倉庫だが所々に見張りや仕掛けが見える。
どうやらカモフラージュの一種らしい。
ラッセルが見張りに話をつけて、倉庫の扉を開けさせる。
連れられて中に入るとそこは…
「おぉー!スッゲーな!ここ丸々武器庫かよ!?」
中には様々な武器が収められていた。
剣・斧・槍・弓・甲冑・盾等々やはりこの組織ではなんらかの形で戦闘に遭遇するらしい。
まして相手が化け物や超能力者ならこのくらいの備えは当然ということだろうか?
これからのことを考え、少し背中が凍ったが今は目先のことからだ。
「それで?なんで此処に連れてきたんだ?」
「お前、剣は?」
「あっ!!!」
そうだった。
これから模擬戦だというのに、今自分には剣が無い。
あの悪魔達に切り掛かったときに折れてしまっていた。
まだ自分の力が上手く扱えない今、これは致命的だった。
「そこでだ!この優しい先輩様が直々にプレゼントって訳さ!」
「すっげ〜助かるぜラッセル!」
素直に礼を言う。
実際に彼にはここまで自分に肩入れする理由は無い。
にも拘らず、彼は自分を助けてくれる。レックスは彼を信頼できる、尊敬に値する人物だと確信した。
「なあに出世払いしてくれりゃ善いってことよ!」
明確な敵と戦う人間に出世払いなんて期待できない。
いつ死んでも…それこそ今日や明日死ぬかもしれないのだから。
だが、そんな彼の人柄が周りに与える影響は大きいだろう。病室の他の隊員達がラッセルの話をしているのを聞いたことがあるが、誰一人として彼に不満を募らせていなかった。
口では軽く流して心では敬礼をしながら倉庫内を物色する。
(やはり剣か?)
他の見たことも無いような武具にも確かに惹かれるがやはり使い慣れている武器が一番だ。
しかし前の剣みたいなのじゃ駄目だ。
以前の細身の剣は化け物の鎧のような皮膚に阻まれ、役には立たなかった。
(んっ!?これは…)
一振りの大剣らしきものに目が留まる。
刀身は分厚く、鈍く光っている。見るからに凶暴な刃。
握るべき柄の前に刀身がナックル・ガードとして存在している。
それは柄の末端にまで届き、全体的に獣の爪の様な形状を保っている。
刀身に浮く紅い波紋はまるで血のようだ。
試しに引き抜こうとするとラッセルが声をかけて来た。
「やめとけやめとけ。
それ、とんでもなく斬れるんだけど重すぎるんだよ。
剣所属の俺でさえ数回振ったらヘトヘトでね。とても人間の使うものじゃ…」
ラッセルは唖然とした。
あの剣が、自分ですらロクに振れない剣が、新入りの手によって軽々と振り回されているのだ。
まるで真の主に出会えたかのように軽々とだ。
「気に入った。コイツを貰うぜ」
当の本人は何事も無かったかのように大剣を巨大な鞘に収め、背負った。
「本当に何モンなんだアイツは?」
獲物が決まったことで気分が善いらしくレックスは嬉々として装備を整えていた。
「完璧!」
「意外だな。もっとゴツくなると思ってたぜ」
レックスが選んだのは例の大剣、左腕を肩まで覆う篭手、右手用の革製の手袋、胸部を覆う軽装鎧、プレートブーツ、後は上着の内側の投げナイフ、と「お守り」だけだ。
上からマントでも羽織れば、そこらの旅人と区別が付き難い。
侵入工作もする戦闘員の服装としては合理的な選択だ。
「俺がやったお守りは持ってるだろうな?」
「当然!先輩のアドバイスは厳守しないと生き残れないからな」
微笑を交えながら会話する余裕まである。とてもこれから模擬戦とはいえ真剣勝負をするとは思えない。
強さと経験に裏打ちされた自信。
進むべき未来を見据えた迷いの無い眼差し。
それらが今のレックスを支えている。
「んじゃいってきます先輩殿」
「元気にやりな後輩殿」
軽口をたたき合いながらもその足取りに不安は無く、その背中は力に満ちている。
そして闘技場に一匹の獣が放たれた。
長編第二章はいかがだったでしょうか?
九月中に後編を、もし順調ならさらにもう一章執筆しようと思っています。
また、次回から少し書き方を変更します。
今は「」の前に人物名が書いてありますが次回からそれを無くします。
もし見難い、解かりづらい、前のほうがいいというご意見がありましたら感想メッセージから作者に伝えてください。
あと余談ですが、もう少し本編が進んだら長編・番外編のコミカルな話を掲載しようと思います。