禍神~望まれぬ存在
あの時、自分を包む世界の全てが輝いて見えていた。
数え切れない数の勝利と栄光は勿論、敗北や挫折でさえもその先の未来へと至るための礎になると受け入れられた。
何故ならあの時、自分は一人では無かったからだ。
戦場においては最強の戦友、シリウスに背を預け
組織においては守るべき存在、ソフィールに微笑みかけ
そして全ての日常において…最愛の女性、フィオーラが隣に居てくれた……
全ての栄光も、全ての苦痛も…彼女が居たからこそ手に入れ、耐えられたものばかりだ。
ラッセルは彼女を愛していた。
ラッセルは彼女に愛されていた。
全てが満ち足りていた。
その幸福がずっと続くと……信じられた。
…………全てが砕けた、あの時までは……
「フィオーラ……」
自分が誰よりも望んでいた最愛の女性の名前。
それを呟くラッセルの声は…震えていた。
「どうしたの?そんな辛そうな顔をしてるなんて…」
そう言ってフィオーラはラッセルの頬へとそのほっそりとした指を這わせようと……
(パアァンッ!!!)
「嘘だ!!!!」
体の底から捻り出したかのような弩轟と共に、その手を弾き飛ばす。
そのままベットの傍に立て掛けられていた斧槍を握りしめ、立ち上がる。
「フィオーラは死んだ!俺の目の前で!!アーサーに殺されたんだ!!!」
「………」
視線をラッセルから逸らす『フィオーラ』に、斧槍の穂先を向けて叫ぶ。
正直、彼女の姿を見ているだけでもラッセルの心は張り裂けんばかりに痛んでいた。
最愛の女性。
自分に愛を教え、共に歩んでいこうと誓った女性。
それは同時に、ラッセルにとって最大の罪そのものでもあった。
自分が守れなかった女性。
シリウスに『人』であることを止めさせた最後の決定打。
アーサーの離反とそれに伴って起きた世界の危機。その先駆けとして捧げられた命。
そして…ソフィールの心を閉ざす元凶となった死。
「全て…全て俺の過ちがここまでの事態を引き起こした!
俺があの時アーサーの反乱に気付けていたら、大勢の犠牲を出さずに済んだだろう!
シリウスも!ソフィールも!!もっと人間らしく生きられた筈だ!!!
だから俺は奴が…アーサーが憎い!!そして俺自身も憎い!!!何時も何時も苦しくて仕方が無い!!!
奴の首を落とし、全ての犠牲者に報いるためだけに今!俺は生きているんだ!!!」
血涙。
最早ラッセルの涙は枯れ果てていた。
フィオーラを失って泣き、シリウスに修羅の道を歩ませたと泣き、ソフィールのために泣き、それでも尚悲しみは絶えない。
その姿は悪鬼羅刹をも怯ませんばかりの気迫を伴いながらも、底知れない悲しみを湛えていた。
「それが……その最初の犠牲者が……フィオーラが生きて居て堪るかぁあああああああああ!!!!!」
空を裂きながら旋回する斧槍。
それは意思を持つかのようにラッセルの左腕の周りで渦を巻いたかと思うと、次の瞬間には力強く握り込まれ、そのまま刺突の体制で眼前の女性の首へと迫る。
自分の手で最愛の女性と『同じ顔』『同じ声』『同じ姿』の相手を殺す。
一瞬、本当にフィオーラを殺そうとしているのではないかと言う疑問に感情を掻き乱され、それでも尚視線は、意思は曲げない。
(違う!!!こいつはフィオーラじゃない!!!
もし本人が生きていたなら…誰もこんな苦しんでいる筈が無いじゃないか!!!!)
その刃の矛先が今まさにその白い肌に突き刺さろうとした刹那、彼女は一言だけ言った。
『貴方が本当に望むことを……為しなさい』
「!!!!!」
それはラッセルにとって過去の祝福であり、今となっては呪いの言葉。
不安と恐怖に押しつぶされそうになったラッセルにフィオーラが言ってくれた希望の言葉。
その言葉を知っているのは…ラッセルとフィオーラの二人だけの筈。
その言葉を聞いた瞬間、ラッセルは斧槍を握る手を軽く捻った。
主の意思を受け、彼女を貫かんとしていたその矛先は紙一重でそれを避けた。
最後まで眼前の少女は微動だにしなかった。
その様子が更にラッセルの怒りに拍車をかける。
「何故避けもしなければ反撃もしない!?
傷が癒えていない今の俺の攻撃など軽く見切れていた筈だ!!!」
声を荒げるラッセルに…『フィオーラ』は応えた。
「貴方を信じていたから…それだけよ」
「!!!」
二度と聞けないと諦めていた優しい声。
自分を満たしてくれた声。
失われた筈の…声。
「う…うう………!」
枯れ果てていた筈の涙が、ラッセルの両目から流れ出た。
力無く膝を突く音と、支点を失って床に落とされた斧槍の反響音が部屋に響いた。
泣き崩れるラッセルの体を優しく抱き締める少女にラッセルは力無く問いかけた。
「解からない……もう解からないんだ…!
俺は何を信じて来た?俺は何をやってきた?フィオーラの敵を討つ…俺の望みなど最早復讐だけだ。
なのに…何故お前が居る?今までの日々は幻だったとでも言うのか?
教えてくれ…フィオーラ……」
少女は重い口を開けて応えた。
とても信じられない様な……真実を。
「確かに…貴方の言う通り、フィオーラはアーサーに剣で胸を貫かれた。
でもこの体は紛れも無くフィオーラ本人の物。だから貴方が混乱するのも無理は無いわ」
「馬鹿な…じゃあお前は…?」
「私は…エキドナ。死の寸前に彼女と契約した『神』よ」
「エキドナだと!?」
聞き覚えのある名前にラッセルは目を見開く。
鮮血の騎士団が誇る最上級幹部『三鬼将』が一角。
何度も耳にすることはあれども、一度も姿を見ることは無かった強大な敵。
それが自分の恋人と契約した神だったなどと聞いて冷静さを保てる男がいるだろうか?
「どういうことだ…まるで訳が解からないぞ?
神との契約は厳正に行われるものだ!一朝一夕で成り立つモノでは無い!!
現に俺の時だって準備に半年、神へと至るまでに更に二カ月、その後自身と神を適合させるまでに一年以上掛かった!!!
剣の中でも最も神と契約できる確率が高かった俺でさえ二年近く掛かった!!
それを…剣でも戦斧でも、まして短剣ですら無かったフィオーラが、死の間際の一瞬で、契約しただと!?
有り得ないだろう!?」
ラッセルの疑問は最もだった。
断罪の十字の全戦闘員は約千五百人(本部に千人程、残りは各街や村に数名ずつ常駐する者や潜伏する者、支部に常駐している者である)。
その中でも神と契約しているのは聖騎士の三人のみ。
これは別にジガードが契約者の数を制限しているのではない。
契約できる人間の数がそれだけ少ないからだ。
まず素質。強靭な肉体と精神、そして強大な魔力。
これが無い者は神に認められるどころか、その姿を確認することも出来ない。
次に性質。
人間に個性が在る様に神もまた多くの『我』を持つ。
契約を望む神と契約者の性質が余りにも掛け離れていたり、相性が合わないと契約はまず成功しない。
例えば現・聖騎士クリフと貪食龍。
クリフは質実豪胆にして揺るがない鋼の意思を持ち合わせる屈強な戦士だ。
貪食龍はその食欲ゆえに常に暴走しかねない程の、言わば暴れ馬だ(無論力の大きさを考えると暴風雨と言った方が似合うだろうが)。
それを常に抑え込み、自身の力として手足の如く使いこなすにはクリフの様な強靭な意志で常に手綱を握るしかない。
この二つが見合って初めて至れるのが『契約』だ。
そしてこの段階まで来る資格が在る者は今の剣隊員にも数名居る。だが問題はここからなのだ。
実際に神と契約する……それが出来るのはおよそ『数千人に一人』と言われている。
これまでにも希代の名将や猛将、圧倒的な力を持った隊員達が契約に望んで来たが……成功確率はざっと3~4%…二十五人に一人成功者が出るか出ないかという成功率だった。
ちなみに成功確率最高と言われたラッセルでさえ、ジガードが言うには確率僅か『15%』。
無論、契約失敗はその者の死を意味する。
それほどまでに過酷な条件をクリアしてこそ得られるのが『神』だ。
それを受けても尚、フィオーラ…否エキドナは静かに応えた。
「確かに正統な手順を踏まえたならば、貴方の言う様に彼女が私と契約することなど不可能だったでしょう。
でも何事にも『例外』は存在するの。
貴方のように『人から神に』契約を望むのが正式だとするならば、彼女と私の契約は言わば『不正式』なものだった。
契約を持ちかけたのは…私からだったのよ」
「!!!?」
エキドナの言葉は、ラッセルの思考回路に一瞬で深く浸透した。
確かに…それなら説明出来る。
人が神を望んでも、すぐ応える神はそうそう居ない。
だが逆なら?
神から望まれた時に応じる人間はどうだろうか?
それも、自分から救いを求めている時だったとしたら?
恐らく…フィオーラは即座にその声に返事をしただろう。
『助けてくれ』と。
大まかな謎は解けた。
だがあと三つだけ…大きな謎が残っていた。
「エキドナ…何故アンタはフィオーラと契約出来たんだ?
あの時組織が把握していた神のリストに『エキドナ』なんて神は無かった。
勿論アンタの『御神体』や『聖域』となる存在も確認されていなかった。
つまり、アンタは組織の情報網を掻い潜って、殺される寸前のフィオーラを見つけて、即座に契約を持ちかけたということになる。
これは一体どういうことだ?」
エキドナはその疑問に対してはすぐに返答しなかった。
代わりに自分の掌をそっと天井に向けてかざし、『力』を解放した。
彼女の掌の上の空間に『裂け目』が出来た。
ほんの小さな…でも確かに『空間に生じた裂け目』だった。
その現象を見つめながらエキドナは話し出した。
「これが私の能力の一つ…『空間転移』の裂け目。
この裂け目は私の力で作られた異空間に繋がっているの。そこを通じて私は物質を転移させたり、自身を移動させることが出来る。
私はフィオーラと契約するまではほとんどこの裂け目の中に居たの」
そこで一度言葉を区切り、エキドナは自身の腕を抱くようにして目を伏せた。
「今はフィオーラの肉体に入っているから解からないでしょうけどね…『私本来』の姿はとても醜いの。
それこそ誰かに見つかったら『化物』と恐れられるほどにね。
酷い話よ…『私』がそんな醜い姿をしているのは他ならぬ人間のせいなのにね」
「?」
必死に頭を働かせてその意志を把握しようとしていたラッセル。
その姿に軽く微笑むとエキドナは続きを話し始めた。
「神はこの世界を創り、生物を生み出し、法則を造り、そしてこの世界と一つになった。
でも中には、世界の営みの中で新たに生み出された神も居た。
私もその中の一人。人の持つ『恐れ』と『拒絶』の感情から生まれた『禍神』なのよ」
「禍神?」
ラッセルも初めて聞く神の呼び名に引き込まれるように尋ねた。
エキドナの口調は…自らの傷口を抉るかのように痛々しかった。
「世界は発展し、人は増え、文明が生まれ…やがて人は神々が作り上げた世界の中には無かった多くの『感情』を作った。
その中でも忌み嫌われる感情の一端が『恐れ』と『拒絶』。人は天災を『恐れ』、死を『恐れ』、他人を『拒絶』した。
そして人間は想像し、同時に創造した。
『この世の災厄や疫病などは魔物が我々を滅ぼそうとして起こしているのだと』ね。
これが最初の『魔物』という概念の発端よ。
そして人間は多くの魔物を想像し、同時にその根幹を創造した。全ての元凶『魔物を生み出す恐ろしい女』をね…」
「まさか…」
ラッセルの問いに…彼女はゆっくりと応えた。
「そう…そしてその元凶の名は…『醜女』と呼ばれた。
笑っちゃうでしょ?自分達が、他ならぬ人間が魔物を創ったのに、勝手にその元凶まで創り上げたのよ。
自分達の醜い感情を!他ならぬ自分達の汚濁を!!私に押し付けたのよ!!!
ご丁寧に自分達とは掛け離れた醜い姿まで一緒にね……呆れて怒りも冷めてしまったわ。
だから私はずっと自分の作りだす異空間に籠もっていたのよ。そして世界を眺めるだけの日々を送っていたのよ…何百年もね…」
ラッセルは表情を歪めた。
余りにも悲痛な話だ。
勝手に生み出されて勝手に糾弾されて…誰も自分の生まれなんて操作できないのに。
同じ人間とは思えない…否思いたくない。
そこまで考えて気付いた。
『だからエキドナを陥れたんだ』と。
自分達とは違うんだと一目見ただけでそう思い込めるように…全力で彼女を穢したのだ。
エキドナは自身を醜いと言った。
その醜さこそ人間の『罪』だと言うのに、人間が受け止めるべき汚濁だったのに…だ。
沈み込むラッセルの顔を眺めながら、エキドナは話を続けた。
「外の世界は相変わらず醜かったわ。人が人を恐れ、迫害し、糾弾する光景を何千回も見ていた。
余りの醜さに気が滅入りそうになる日が続いたの…そんなある日だったわ私が『貴方達』を見つけたのは」
「俺達?組織のことか?」
「ラッセル…貴方とフィオーラの二人よ」
「え?」
先程までとは違う驚きに染まるラッセルの顔を見つめながらエキドナは言った。
「可憐な少女とそれを守る騎士。互いが互いを愛し合い、支え合い、共に歩んでいく姿。
まるで御伽話から飛び出してきたかのような美しい景色だった。
いつしか私は貴方達に憧れていた。
気が付くといつも私は貴方達二人を見つめていたの…一人だけ暗い世界から…ずっと」
エキドナの表情も又先ほどとは違って穏やかなものになっていた。
口調も温かみのあるそれに代わり、頬も心なしか緩んでいるようだ。
「ずっと醜く弱い人間しか見てこなかった私にとって貴方達は特別だった。
貴方達の一挙手一動が私の心を掴んで離さなかったわ。
きっと…いいえ、私は貴方達の様な人間に憧れていたのでしょうね。
これが私が誰にも気づかれずに、ずっとフィオーラの近くに居た理由よ」
ここまでの話を聞き終えたころには、ラッセルの心の不信感や警戒心は薄れていた。
エキドナが生まれた経緯、人間から受けた恥辱の痛み、そして出会ったラッセル達の幸福な姿…その心情を察することは容易くなかったがエキドナの声と表情が訴えた内容は確かにラッセルに届いた。
もし自分がエキドナの立場ならば…確かに死に瀕したフィオーラを救おうととっさに契約を取り行おうとするだろう。
だがまだ聞かなくてはならないことが有る。
特に…残る二つの返答次第ではエキドナを殺さなければならなくなるだろう。
「まだ聞きたいことが有る。
何故お前は鮮血の騎士団に所属している?
アーサーはフィオーラの顔を知っている、それどころか自分で殺した顔を見て何故組織に受け入れた?
心当たりは無いのか?」
「それは貴方なら想像つくのではなくて?
アーサーがフィオーラを欲していたことを知っていた貴方なら…」
「……そうか。やはりそうだったか…」
やはりアーサーは割り切れていなかったのかと、ラッセルは微かに彼を憐れんだ。
ラッセルとフィオーラの関係は周囲公認だった。
組織に居る人間の誰もが二人の仲を祝福していた…一人の例外を除いて。
それこそがアーサーだった。
彼は…フィオーラに恋焦がれていたのだ。
実際何度か、アーサーがフィオーラに交際を求めている姿をラッセルは見ていた。
当然、フィオーラはアーサーの申し出を断り続けた。
ラッセルもそのことを知っていたので不安や恐れは無かった。
それが…悲劇を生むことになるなどと知らずに…
「最初はアーサーも驚いていたわ。
でも私が『エキドナ』だと知った途端、彼は自ら私に『組織に入らないか』と言って来たわ。
浅ましい…とは思わなかったわね。彼は彼なりの方法でフィオーラを愛していた…決して褒められた方法では無かったとはいえね」
ラッセルはそれを聞いてふと、想像してしまった。
もし…フィオーラが自分では無くアーサーを選んでいたら…自分はそれを受け入れられただろうか…と。
その疑問に対する答えを模索しながらも…ラッセルは最後の疑問を口にした。
最も知りたい情報であり、ラッセルの希望と絶望を別つ情報でもある…最後の問い。
「この二つで最後だエキドナ。
お前の望みは何だ?そして……フィオーラは『生きて』いるのか?」
一思いに聞いた。
エキドナ自身の目的は何か?鮮血の騎士団に入ってまで望みのは何か?
そして…契約を行った後、フィオーラはどうなったのか?
震えを隠そうと強く握りしめられるラッセルの拳を見つめながらエキドナは応えた。
はっきりと、ラッセルの瞳を見つめながら…
「私の望みは…フィオーラを生き返らせることよ」
「!!!!!」
ラッセルはエキドナの両肩を掴み、問いただした。
「どういうことだ!?
フィオーラは死んだのか!?生き返らせるってどういうことだ!?鮮血の騎士団との接点は何だ!?」
怪我が治りきっていないにも拘らずその力は尋常では無かった。
エキドナは苦痛に眉をひそめながらラッセルに訴えた。
「痛いわ…ちゃんと話すから…まず落ち着いて…」
うっすらとその瞳から涙が見える。
ラッセルはハッとなってエキドナの肩を解放し、非礼を詫びた。
「良いわ…それだけフィオーラを愛しているんだから」
服のしわを軽く直し、エキドナは話した。
「私は瀕死のフィオーラと契約を結び、消えそうになった彼女の意識を一旦、私の意識の中へ避難させたの。
それ以外に死に瀕した『彼女』を助ける方法が無かったの。
そして体の使用権を一時的に借り受けて、傷の修復を終えたのだけど…」
「何か問題が有ったのか?」
「肉体の回復と違って精神の回復は段階を踏むことが出来ないの」
「段階?」
「そう、肉体の傷を塞ぐには傷を塞ぎ、損傷した組織を再生し、神経を繋ぎ直し、血液の循環を整えるという段階を踏むわ。
これは損壊した肉体を『元の正常な形』に直すからこういった手順を取るの。
だけど精神には肉体のように『正常な形』という物が無い。だから段階を踏んで再生させようとするとどうしても本人の人格や記憶を壊してしまいかねないの。
つまり精神を回復させるには一気に強い力を使って治すしか無いの。
でも契約を自分から行った私は力の大半を消耗してしまっていた…だから彼女の精神まで回復させることが出来なかったの」
本来、契約を行うのはその神が住まう或いは御神体が安置されている『神域』で行われる。
その領域は物理界の理論に囚われることのない独自の迷宮でもある。
これは契約者がその神に見合うかを試す最後の関門であり、同時に神から人間へ…精神体から肉体へと変換される際に力が流出することを防ぐためでもある。
神は『自我』と『力』は持てども肉体を持たない。
そして『契約』とは神と人間が一つになる儀式…これはつまり『転生』という概念に近い。
人間が母体の胎内より生まれるように、契約にもそれ相応の環境が必要なのだ。
それを介せずに契約を行うと言うことは『力』の流出、或いは適合できずに存在が霧散する可能性すらある危険な行為だ。
「じゃあ…まさかフィオーラは…」
「彼女の精神は今、私の中で冬眠しているような状況にある。
このままの状態を維持すれば彼女の死は避けられるけど…この先目覚めることは無い。
だからこそ私は鮮血の騎士団の…アーサーの傘下に入ったのよ。彼女を蘇らせるために」
「だからこそ…?フィオーラの精神を回復させる術なんて、一度に『強い力』で……!?」
ラッセルは思い出した。
アーサーがフィオーラを殺し、ラッセルに重傷を負わせて尚、組織から持ち出した『モノ』の存在を…。
「まさか……!」
「そのまさか…よ」
エキドナははっきりと言い切った。
「私は『邪神』の力を手に入れるために彼らに協力しているのよ」
彼の者の始まりを知る者は無く―――――――――――
――――――――――彼の者の終焉を知る者は数多―――――――――――――――
彼の者の心知る者は無く――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――彼の者の望み、皆の知るところにある―――――――――――――――――――
彼の者は呪い――――――――――――触れ得る全てを焼き滅ぼし
彼の者は災い――――――――触れ得し者に触れし者も又滅ぼされ
彼の者は絶望―――――――――――――――――それ故に絶対神
人は彼の者を恐れ、敬い、恐怖と言う名の称賛を謡う――――――――――――――――
世界の終焉―――――――――――――――戦乱の創生者――――――――――――――災厄の元凶――――――――――――――――
数々の名前が彼の者に与えられた
その中で最も彼の者に相応しきは…『邪神』
絶対たる者にあれど、それを求める者は無く
忌み嫌われし存在なれど、それを消し去ること叶わず
彼の者に慈悲は無く、彼の者に見えし者に救いなど無く
彼の者に抗う術など無く、彼の者から逃れし者など無い
そして彼の者は告げるだろう
『何』であったことも無く―――――――
『何』と必要とされることも無く―――――――――
何の意義も見い出せぬまま――――――――――――――ただ、死ねと―――――――――――――――
同時刻、鮮血の騎士団の本拠地の最深部にて
一人の男が石柱に鎖で縛られ、吊るし上げられていた。
元々は身の丈三メートルを超す巨躯で有ったが、今では両の足を失い、右腕を失い、見るも無残な姿をさらしていた。
彼の真下には『何か』が存在していた。
一見すれば歪な形をした幾重もの花弁にも見えるだろう。
だがその大きさが、花と表現するには余りにも規格外だった。
直径は軽く見積もっただけでも二十メートルはあるだろう。
高さも約十二メートル、厚みも相当なものだ。
そして正面から見ている分にはまだいい。
最も恐ろしいのはこの物体を見下ろす位置に居るダクラスだろう。
当然、ダクラスの下に広がっている存在は花などでは無い。
花弁のように広がる幾層もの何かは、普段は広がってなどいない。
中央にある何かを守る様に硬く閉じられているのだ。
開くのは今のように……『食事』をする時だけだ。
「あ……ああ……」
ダクラスは最早理性を失い、力を失い、放って置いても死ぬような無力な存在に成り下がっていた。
しかし彼の中にいまだに存在する『地獄犬』の存在が彼を無力でいさせてくれなかった。
ダクラスの視界に広がるのは…丁度その物体の中央。
開かれた暗い穴から伸びてくる細くて長い無数の触手の群れ。
それは即座にダクラスを石柱ごと縛り上げ、同時に締めつける。
余りの力に石柱が砕け、ダクラスの骨格の中で比較的原形を留めていた背骨をへし折った。
それだけなら気を失って楽に死ねただろう。
だがその触手はまるで彼の精神に入りこむように頭部を覆い尽くした。
ダクラスには感じられただろう。
自身と一体となっていた神…地獄犬の存在が自分から切り離され、触手に捕らえられて、下に『堕ちて逝く』という感覚を。
地獄犬は最後まで抵抗し、吼え続けていたが…それによって処刑が延期されることは無かった。
それを把握したダクラスはぼんやりと…だが同時に確信していた。
次は自分が『喰われる』番なのだと。
やがてその番が訪れる。
触手はダクラスをゆっくりと下へ下へと導いて行く。
その先に広がる空間は奈落とはまた異なる空間だった。
例えるならそう…無限の苦痛。
奈落に呑まれた者はそこで『終わる』。それはある意味慈悲に溢れた空間だったのだ。
だが今からダクラスが堕ちて逝くそこには終焉など無い。
その身が滅びても尚、魂はその闇の中を苦しみ抜き、もがき続けるだろう。
ダクラスは人の意識を失う刹那、想いを馳せた。
『何故自分は…強くなりたかったのだろうか』と。
ダクラスを呑みこんだ『それ』の様子を見届けた影が二つあった。
剣帝の異名を持つアーサーと悪意と呼ばれる少女。
鮮血の騎士団の頭目とその懐刀だ。
「これで十二体目…か」
アーサーが口にした数は『それ』の生贄となった神の数だった。
本来、神は殺せない。
精神体である神を殺せるのはそれを遥かに上回る力を持つ『四神』だけだ。
この世の最大原則を司る二対四極…『生』『死』『増幅』『減衰』の四大神。
だがこれらに勝るとも劣らぬ力を持つ存在があと一つだけ存在しているのだ。
「ええ…あと一体の神を捧げれば『邪神』は目覚めるでしょう。その時こそ…」
邪神…巨大な花に見えるそれはその『卵』だった。
かつて聖戦でジガードと闘い、激戦の果てに倒れ伏した最強にして最悪の神。
アーサーがフィオーラを殺してまで手に入れたのは、仮死状態の『邪神』だったのだ。
最初は人が抱えられるサイズだったそれも…十二体もの神を『喰らった』ことでどんどん肥大化し、ここまで成長した。
いや、復活したと言うべきか。
アーサーは口元を歪める。
もうすぐ自分の望みは叶う。聖戦で果たせなかった自身の悲願をようやく達成できる。
「その時こそ……私は『王』に戻れる…!」
(必ず果たしてみせる……あの時の『誓い』を…!)
願いの実現する時を目前に控えたことに歓喜するアーサーに、笑みを交えながらマリスは問うた。
「それで……最後の生贄ですが…標的は決まっていまして?」
「案ずるな。もう既に、否最初から最後の生贄は決まっている…」
アーサーは瞳に強い力と意思を漲らせて応えた。
「邪神の最大の障害にして、唯一無二の存在。それさえ消えてしまえば我々に負けは無い…」
そう、アーサーは邪神を打ち倒した『力』を知っている。
かつてジガードと供に闘ったアーサーはその力を見て来たのだ。
四神の一角にして『最強』と呼ばれた神――――――二対四極が内、『増幅』を司る神
虹色に光る翼と、四肢を包む銀の鎧、そして見る者を圧倒する金色の獣王―――――――――
とある島国において『小皇』と言う意味を持つ名を冠しながら――――――その力はまさに無限大
『金獅子』―――――――
「最後に捧げるのは金獅子の力。それさえ手に入れれば我々の勝利だ…!」
猛々しく唸るアーサーの姿を、マリスは美しい笑みを浮かべて見守っていた。
だがその意味を知る者は…まだ居ない。
聖戦――――『神』と『邪神』の闘い―――――
それは『神』の勝利で終わった―――筈だった
しかしそれは第一幕の終焉でしか無かった。
本当の『始まり』は、本当の『地獄』はこれから始まるのだ。
断罪の十字と鮮血の騎士団。
この二大勢力は今、間違いなく世界の『中心』に居た。
ようやく御膳立てが整ってきたので次回辺りからジガードやソフィールなどの中核に触れて行きたいと思います。
ジガード…今まで出番あまりなくて御免よ。><
これからもご愛読よろしくお願いします。
感想、ご意見等有りましたら是非聞かせてください。