神々の戦場
レックスは一度自分の私室に行き、装備を整え始めた。
いつもの大剣の他、今までの経験をもとに改良を加えられたものもある。
だが…脳裏に過ぎるのは…不安。
自らを圧倒する『神』の存在…。
敗北し、命を散らせた隊員たち…。
そして…ソフィールの表情…。
思い出すだけで胸が潰れそうになる…!
ソフィールにあんな表情をさせたのは何だ…?
敵の勢力が想像以上に強大なものだったからか…?
本部が強襲されたからか…?
どれもピンと来ない…!
あの表情はまるで始めから予測していた結末がとうとう近づいてきたかのような…そんな感情が読み取れた。
諦めから来る…緩やかな絶望…。
「くっ!」
何があいつをそこまで苦しめる…!?
許さない…!!!
防具を身に纏い、大剣を力強く握りしめ、部屋を駆け出て行く。
(全て…切り刻んでやる…!
あいつを脅かす全てを…完膚なきまでに…!!!)
レックス達と別れた後、ニーナやカイル達はずっと食堂に居た。
そして、敵の襲撃にあった。
いきなり空間の一部に歪みが生じたかと思うと、すぐそこから獣鬼や武装した戦士達が湧き出るように出現したのだ。
それらは本部の各所に突如現れ、周囲に破壊と混乱を巻き起こした。
「らあぁぁ!」
気合とともに一閃させたカイルの手斧が獣鬼の首に喰らいつき、引き裂く。
その直後に別の戦士が背後から狙う…鋼の刃がうねりを上げて襲いかかる…。
「甘い!」
カイルは即座に屈み、剣劇を回避し、床に手を突き『力』を開放した。
術者の意思を反映し、床の材質が変化、鋭利な石槍となって敵に牙を剥く…。
ザグッ…!
「…?」
心臓を貫かれ、何が起きたかも把握できない表情のまま倒れ伏す戦士。
『硬質結晶化』…認識した無機物(主に鉱石類)を変質させ、自在に操るカイルの能力…。
その力の前に、既に二十を超える敵が倒され、屍をなって床に散乱していた。
周囲に警戒しつつ、状況を判断するカイル…。
自分の周りにいた敵は大概片付けたが…まだ戦闘音は続いている…。
どうやら相当の数の敵が本部全体に湧き出たらしい。
(アイリス達は無事か…?)
先程まで一緒にいた大切な仲間の姿を探すカイル。
自分は何時、如何なる場所でも力で武器を精製出来る…だが他の隊員は別だ。
食卓に着くときに帯剣しているような変わりものはそういない。
自分達もさっきまでは談笑し、疲労を癒していた。
即座に敵の迎撃に転じられたのは自分だけだ。
一緒にいた彼女達は一旦身を翻して自分達の部屋まで退避している筈…。
途中で戦闘に巻き込まれていないだろうか?
特にアイリスのように個人の戦闘能力が劣っている場合、武器すらない状況で生き延びることは不可能に近い。
焦る心を抑えつつ、時折出現する敵を切り捨てながら進むカイル…。
(嫌な感じがする…早く皆と合流しなくては…!!!)
フランツもまた、レックス同様に装備を整え、敵の迎撃に向かおうと走った。
焦る動機を抑えながら冷静に敵の情報を模索する。
本部の通路の至る場所で戦闘が起き、双方の戦死者が倒れ伏している。
(既に相当な数の敵が直接内部に侵入してる…?)
本部の周りには城壁もあり、無論隊員たちが交代で見張りを立てている。
周りの地形も海を西に望む雄大な平地…隠れて近づくことなど不可能だ…。
(まさかこれが『三鬼将』の『力』…?)
有り得る…!
先程見た聖騎士の一角・クリフの貪食龍の力を思い出す。
他を寄せ付けない圧倒的なまでの『力』…。
鮮血の騎士団が誇る『三鬼将』もまた聖騎士と同格の力を持つという…。
眉唾物とは思えない。
断罪の十字と鮮血の騎士団の戦い…。
今まで決着が付いていない…むしろこちらの方が押されている…。
やはり『三鬼将』の存在によるものが大きい筈だ。
シリウス先輩や他の聖騎士が迂闊に本部を離れられないのは…いつ今のように本部が強襲されるか分からなかったからなのだ…!
考えに耽っていると眼前の通路から数体の獣鬼が現れる…。
血生臭い匂い…鮮血の滴る手斧…恐らく経験の薄い短剣隊員がやられたのだろう…。
(敵の狙いは…やはり総帥の命?こんな所で足止めを食らってる暇は無い!)
即座に細剣を抜き、加速する…!
一瞬、敵の姿が消えたと錯覚した獣鬼達…無理も無い。
フランツ自身の二つ名でもある能力『雷帝』…これは言うなれば高度な『魔力付加』だ。
それを使いこなす戦士が通常の魔力付加の扱いに長けていない訳が無い。
(斬…!)
フランツは精神を研ぎ澄ませ、コンマ数秒で自身の肉体を強化したのだ。
目標を見失ったまま、呆けた顔のまま宙を舞う獣鬼の首…。
フランツはそのまま走り去った。
この時レックス、カイル、フランツの三人が向かっている場所は偶然にも三者三様だった。
敵の目的が分からない以上、こちらが重要だと思う拠点を死守する以外無かったのだ。
レックスは…敵の狙いが組織の保護した霊獣や魔具だと踏んで、格納庫へ(その近くに霊獣の保護区域もある)…。
カイルは…まず仲間の安全を確保するのが先だと思い、アイリス達の向かったであろう後宮付近の隊員寮へ…。
フランツは…敵の狙いがジガードの命だと推察し、ジガードとそれに同行したシリウスの姿を探す…。
それは偶然にも…『三鬼将』の狙いとほぼ、一致していた…。
ジガードの私室…。
先程まで部屋にいた人間のほとんどは敵の迎撃に向かい、ここに残っているのは部屋の主とその懐刀の二人だけ…。
ジガードは目を瞑り、辺りの「力」を感じ取っていた…。
そして…強大な『力』がぐんぐん近づいてくることを機敏に感じ取った。
シリウスもまたそれを感じたようで、腰に携えていた双剣を引き抜く。
「主よ…ここは私が…」
鋭く、冷静に言い放つ自慢の懐刀に頷くジガード。
「許可する…存分に味わうがいい…。
敵は『大物』だ…間違っても喰われるな…いいな?」
その言葉に優美な口元が残忍に歪む。
「御意…!」
それとほぼ同時に、巨大な扉が開かれる。
身の丈三メートルは超すであろう巨漢の剣士がゆっくりと現れた。
「断罪の十字総帥…ジガード。
そしてそれに忠誠を誓う聖騎士最強と名高き剣士…シリウス…」
目の前の人物の情報を確認するかのように読み上げる『狂犬』ダクラス…。
待ち焦がれた敵との邂逅に狂気せんばかりに歓喜する。
「最早、前座は要らぬだろう…?貴様らは…」
次の瞬間、数十メートルはあった距離は零になり、双剣と大剣が火花を散らし激突する。
「俺に喰われろ!!!」
「欲望のままに狩ることしか知らない…まさに狂犬だな…!!!」
広大な室内に…凄まじい剣劇の嵐が響いた…。
本部北東…女性隊員寮のすぐ手前に蹲る影が四つあった。
ニーナ、アイリス、エレンとその相棒の聖狼だ。
彼女達も敵の襲撃に気づき、武装を整えるために自分達の寮へと向かったのだが、目的地を目の前に予想外の事態を目撃していた。
寮の前には武装した女性隊員たちが三十名ほど周囲を警戒していた。
地面には獣鬼の死体が散乱し、対する女性隊員達は返り血すら浴びていない。
女と言えど組織の戦士、その腕は男に勝さるとも劣らない熟練者ばかりだ。
「そこのお前!何者だ!?」
そのうちの一人が怪しい人物を見かけて呼び止める。
当然、武器は構えたまま、相手がどんな対応を取ろうが瞬時に迎撃できる体制だ。
「………」
それは小柄な少年だった。
頭の上から黒いローブをすっぽりと被り、まるで生気を感じない…。
「何者だ!組織では見ない顔だな!?」
「……邪魔」
刹那、凄まじい殺気が眼前の少年から放たれる。
思わず怯みそうになるが、流石は鍛えられた戦士…瞬時に迎撃に当たる。
後方から弓師による射撃が飛び、側方から身軽な斬撃が奔る。
同時に魔術師が強大な火炎弾を生み出し、止めを刺すべく待機する。
派手さは無いが堅実で、無駄のない見事な連携攻撃だ。
だが…
次に起きた光景を現実として見れた者は誰一人居なかった。
隊員たちの攻撃は…全て対象の少年の体を貫いている。
全身から血が滴り、辺りに特有の匂いが散漫する。
次第にそれは少年の足もとに小さな血の池を作り出す。
だが、少年は生きていた。
「……また…か…」
「な…!?」
「馬鹿な…!?」
攻撃を加えた筈の隊員たちの顔が蒼白に染まる。
何故死なない?
手加減などしていないのに…!?
現実なのか…!?
「う…うわあああああああ!!!」
後方で待機していた魔術師が、その場の空気に耐え切れず、火炎弾を投げつける。
唸りを上げて飛来する巨大な炎…だが…
「……熱い……嫌…」
少年が左手を掲げると、突然足もとに充満していた血液が意思を持ったかのように飛びかかり、炎弾を斬り裂いた。
「な!?」
その場にいた少年以外の全ての人間が驚愕し、そして…
ザクザクザクザクッ…!!!!
荒れ狂う血流の刃によって…全身をなます切りにされて絶命した。
敵を斬り裂き尽くすと血流は少年の体に突き刺さり、やがて彼の体表から全て吸収された。
最初は傷口から血が零れ出していたが、やがて一滴の血も滴らなくなった。
まるで血が肉体の損傷を補ったかのように…
「……巫女……奪う…」
そのまま少年はゆったりとした足取りで後宮へと歩いて行った。
その様子を、ニーナ達は木陰からずっと見ていたのだった…。
「嘘…でしょ…?」
強気なニーナが唇を震えさせながら吐き出した言葉。
それは皆の心情を言い表す最適な言葉だった。
ロウエンも…恐怖に毛を逆立て、怯えている。
「あれが…三鬼将…こんなことって…」
戦斧隊員の彼女達は『神』の存在を知らない…。
いや、知っていたとしても目の前で起きた光景を理解することなど出来なかっただろう…。
「……」
エレンは…全身を切り裂かれた一人の若い女隊員の元へ走り寄って行った。
年相応の可憐な少女だったであろうに…今は見る影もない。
「ねぇ…ねぇ…嘘でしょ?」
小さな肩が…震えだした。
直視してしまったのだろう…目の前で友達が惨殺される一挙手一動を…。
信じられず、それでも拒否することも出来ず…彼女に出来るのは絶望に打ちひしがれることだけ…。
それは…一六歳の少女にはあまりにも残酷すぎることだった。
「今度美味しいケーキ屋さん教えてくれるって言ってたじゃん…。
楽しみに待っててって…言っ…て…あんなに…元気…で……」
もう動かない友の手を握り締めて涙するエレン。
ロウエンも心配そうに寄り添うが全く視界に入っていない。
「エレン……」
歩み寄ろうとするアイリス、その肩に手をかけ、冷静に言葉を紡ぐニーナ。
「あいつは巫女を奪うと言っていた…ソフィール様が危ない…!
もう一刻の余地も無い!」
自らを奮い立たせるように叫び、戦士達の亡き柄から装備を拝借するニーナ。
軽鎧や剣は切り裂かれて使いものにならないが、投げナイフを収めたベルトが無事に残っていた。
それを肩から腰に回すように縛り、後宮へと走るニーナ。
アイリスもまた、エレンを心配しながらも…今起きてる現実に向き合うために落ちていた弓と矢筒を拾い上げ、ニーナの後を追った。
エレンは…まだ友の亡き柄を前に泣き続けていた…。
組織が手に入れた魔具と保護した霊獣は本部の敷地の西側の区画を使って管理されている。
広大な保管区域に入ることができるのはたった一つの入り口だけ。
それ以外の空間は何重にも仕掛けられた罠と結界で守られている。
だが…今回組織を襲撃した相手にとって、そんなものは児戯にも等しいものだった。
上質なレースをあしらった黒いゴシック調のドレス、淡い栗色の髪…とてもこの惨劇を引き起こした本人とは思えない出で立ちだった。
保護区画の防衛を担っていた聖騎士の一角・クリフは突如現れた敵の気配に舌を巻きながらも迅速に対応した。
敵の狙いが魔具では無く、霊獣だと感知したクリフは、周囲の隊員たちにその場を死守するよう命令すると、単身で敵を追った。
やがてたどり着いた敵…それはやはり三鬼将の一角だった。
可憐な外見と相反して、他を圧倒する威圧感がある少女…彼女は施設内に鎮座していた丸太に座り込み、品定めするかのようにクリフを眺めていた。
「貴方がクリフ・ガーファード?
少しお年を召しているけど中々勇ましい殿方ですわね…気に入ったわ」
まるで買い物を楽しむ町娘のような…そんな物言いにも油断せず、言葉を返すクリフ。
「実物を拝むのは初めてだなあ…。
鮮血の騎士団・三鬼将が一人、『妖妃』の……」
名前を知らないことに気づき罰が悪そうに頬をかくクリフ。
くすくすと笑いながら話を続ける少女。
「エキドナよ…私の名前はエキドナ。
覚えておいてくださいませんか?いずれ貴方の主となる者の名前なのですから…」
「エキドナねぇ…覚えてはやるが首を垂れる気は無いな…。
とりあえずお近づきの印に…死んでくれや?」
音も無く跳躍し、拳を振りかぶるクリフ。
防御を必要としない自身の『神』の力を盾にした特攻。
振り上げられた拳は標的の居た丸太を粉々に打ち砕いた。
だが…砕かれたのはあくまで「丸太」だけだった。
標的の少女はいつの間にか別の大木の上に降り立っている。
「ふふ…殿方はどうしてこうもせっかちなのかしら?でも…」
妖しい笑みを浮かべながら、空間を細い指でなぞる。
するとその空間に切れ目が生じ、やがて大きな穴となった。
その空間から何体ものおぞましい外見の魔物たちが現れる。
首が三つある犬型の大きな魔物…九つの頭がそれぞれ獲物を探し、引き裂かんとする巨大な蛇…。
地獄犬と九頭蛇…伝説に謳われる怪物達だった。
「少々焦らすのも…淑女の嗜みですわ…!」
歪んだ笑みを浮かべながら、自慢の僕達に指示を出すエキドナ。
「上等…!!!」
拳を握りしめ、獲物に喰らい付かんと吠えるクリフ。
彼らの戦いに介入することが出来るのは…彼等と同じ『神』の力を持つ者以外叶わなかった…。
後宮にて敵の迎撃に当たっていた隊員たちの中で一人、群を抜いた力を持つ隊員が居た。
まるで踊り子のような軽装…当然武器の一つも持っていない。
だが彼女の手から放たれる炎は意思を持つかのように敵に食らいつき、焼き滅ぼしている。
剣の一角にして紅一点・『華炎』のマリアだ。
敵も何とか彼女の炎を掻い潜ろうとしているが全くの無駄だった。
炎は鞭のように撓り、肉食動物のように鋭く咬み付く…もたついた瞬間にその者の首に喰らいつき、瞬時に焼き切った。
「おいで…蛇炎…!」
術者の命を受け、忠実にその手に戻る力の結晶。
それはまるで爬虫類のように長大な体幹と短い四肢を持っていた。
蛇炎…五行の一角である「炎」、その上位に位置する炎の精霊だ。
気性は荒く、並大抵の術者では扱うことなど不可能だが、彼女ほどの術者ならば話は別だ。
その強大な力を行使しての戦いはまるで優美な舞を見ているかのような錯覚を引き起こす。
まさに彼女は戦場に咲く炎の華だ。
だが…咲き誇る花も…いずれはその花弁を散らせるもの。
「!?」
尋常ならざる殺気を感じて身構えるマリア。
所々血で赤黒く染まったローブを着た少年が近付いてくる。
そして……
ザクッ…!!!
戦場の華は…最後に自らの鮮血によって赤く咲き誇った…。
後宮の最奥…ソフィールの私室。
先程から隊員たちの断末魔の声が絶え間なく伝わってくる…。
強靭だった防衛網は既にその大半を失い、侵入者がすぐ傍まで迫って来ている。
震えて蹲るソフィール…この少女だけは命に代えても守り抜かなくてはならない…!
だが……
「……そう。マリアもやられたのね…」
部下からの報告を聞き、戦況を分析する聖騎士最後の一角セシリア…。
戦況は…最悪だった。
主力の剣隊員・マリアを始めとして警備していた戦力の七割近くが戦死している。
しかもその全てを殺したのが年端も行かない外見の少年だという…。
恐らくそれこそが三鬼将の中で最も謎の多い存在…『血鬼』と呼ばれる存在だろう。
だとすれば対処できるのは恐らく自分だけ…今すぐソフィールを別の場所へ移して戦いに臨みたいのだが…。
護衛が居ないのだ。
戦力の大半は防衛網に駆り出され、そして散った。
今、手元に居る部下では獣鬼相手が精一杯…それも多数で来られた場合は対処しかねる。
何とか無事な戦力と合流したいのだが…
ガシャアアン…!!!
「!!!」
いきなり後方の窓ガラスが割れた。
まさかもう来たのかと身構えるセシリアだが…
その影は二つ、どちらも見たことのある女性隊員だった。
蹲っていたソフィールも彼女達の顔を見て顔色を多少明るくする。
「待ってください!私です!
戦斧所属隊員のニーナです!
そしてこの子は同寮のアイリス!ソフィール様の護衛に馳せ参じた次第です!」
汗を拭いもせず声を上げるニーナ。
敵の目を掻い潜って最速で急行したのだろう…。
「貴方達…誰に言われてここに来たのですか?
本来、戦斧隊員は命令無しにこの場に来ることは禁止されている筈です!」
「ですが!このままではソフィール様の御身が!」
「くっ…」
確かにニーナの言うとおり、このままではソフィールの身が危ない。
戦斧隊員とはいえ、彼女達の実力は中々のもの…援軍としては物足りないが護衛としてなら優秀な人材として使えるだろう…。
本心から言えば…ニーナにこんな危険な任務を負わせたくは無かった…。
今は…個人の意思よりもソフィールの身の安全が第一だ。
そう考えたセシリアはニーナとアイリスに向かって指示を飛ばした。
「いいわ…聖騎士の一角として貴方達にソフィール様の警護と護送を命じます。
速やかにソフィール様を連れて、本部のジガード様の元へ!私はこれから…」
その先を告げる必要は無かった。
扉を細切れにして部屋に入ってきたのは報告に有った少年…護衛を全て殺してここまで来たようだ。
セシリアは瞬時に敵を確認すると、拳大の火炎弾を次々と生成し、一斉に叩きこんだ。
それを確認した少年は、自分の爪で自らの手首を深く切りつけた。
血飛沫が上がり、隊員達を皆殺しにした血流の刃が大量に展開される。
火炎弾の嵐と血流の刃が真っ向からぶつかり合った。
「早く行きなさい!」
「はっ!」
「行きましょうソフィール様!早く!」
「う…うん!」
セシリアの一喝に鋭く応え、即座にソフィールの手を引き、窓から退避するニーナとアイリス。
「巫女……逃がさない…」
血の刃のうちの一本が突然鎌首を上げ、窓から逃げようとする三人に襲いかかる。
だが、それを見逃すほどセシリアは甘くない。
口の中で軽く、呪文を唱えると…それを展開。
右腕に力を収束し、力強く振り下ろす…!
それは炎の壁となり、ニーナ達を襲った血刀を焼き切るに十分な威力だった。
「貴方の相手は私!よそ見する余裕など無くてよ?」
「……邪魔……殺す…」
ニーナ達はその場をセシリアに任せて離脱した。
背後から激戦の音が響いたが…今の彼女達には対処しようが無かった。
フランツがジガードの私室を訪れた時…周囲に響く戦闘音と切り裂かれた隊員達の亡き柄が敵の侵入を知らせる。
自身の主と憧れて止まない先輩の姿を探し、部屋に一歩踏み込むと…
ピュン…!
頬をかすり、壁に突き刺さる…鎖のように細く強靭な刃が飛来した。
「!?」
危なかった…。
あと一歩左右に逸れていれば…今頃自分の顔面は風穴を開けていただろう。
戦慄すると同時に…眼前で繰り広げられる戦いに呆気に取られる。
シリウスの双剣はその姿を変え、敵に襲いかかる漆黒の鎖の刃と化し、空間を縦横無尽に駆け巡る。
そして、対峙する巨漢の剣士の剛剣は…触れるもの全てを粉微塵に砕いた。
聖騎士と三鬼将…互いの組織のエース同士の激突はこうも苛烈を極めるのだろうか…!?
フランツの困惑など余所に、二人は戦い続ける。
ダクラスがシリウスに向かって一歩踏み込む。
その瞬間、彼の巨体は一瞬にして消え、黒髪の剣士の背後に現れる。
「な!?」
今のは移動では無い…?
まるで瞬間移動するかのように別の場所に現れるなんて…!?
まさかこの男が本部に大軍を送り込んだ本人…!?
突如背後を取られたシリウスだったが、一切躊躇う事無く鎖刀を操る。
部屋中を覆わんばかりに伸び、獲物を探していた漆黒が…即座に主の背後の敵に牙を剥く。
ダクラスはその苛烈な攻撃を大剣の一薙ぎで払った。
だがその隙にシリウスは間合を離し、再びダクラスと対峙する。
「強い…まさかここまでなんて…!?」
フランツ程の実力者ですら目の前で繰り広げられる戦闘は肉眼で捉え切ることが叶わなかった。
自分があの中に斬り込んだら…間違い無く刹那で『排除』されるだろう…。
「楽しい…楽しいぞシリウス!
やはり戦いとはこうで無くてはなぁ…!!!」
ダクラスは予想以上の強さを持っていた敵に最高の賛美と殺意を込めて吠える。
まさにその姿は『狂犬』…戦と言う名の饗宴を至高と考え、涎を垂らさんばかりに歓喜する獣…。
「…せいぜい楽しめ…これは貴様の鎮魂の宴だ!」
鋭く言い放ち、再び鎖刀を飛ばす。
四方八方から敵に食らいつく蛇のように狡猾な刃…だが
ガウンッ…!!!
一体何が起きたのだろうか?
巨漢の剣士はただ無造作に剣を振っただけ…それだけで彼に襲いかかっていた漆黒は全て消失した。
「なっ…!?」
「ほう…これは…」
「……」
度肝を抜かすフランツ。感心するかのように声を上げるジガード。
自らの剣をいとも容易く砕かれたシリウスは敵の能力を把握しようと思考を張り巡らす。
「驚くことでも無いだろう…これが俺の内に宿りし神…『死神狼』の能力だ」
「死神狼…」
ガルム…それは地獄と呼ばれる空間の入り口を見張っている巨大な黒狼のことだ。
地獄に運び込まれた死者たちを監視し、もしそこから逃げ出そうとした存在その喉笛を噛み切られる。残酷で狡猾な気性の…獣の身でありながら神の一角に籍を置く強大な力。
「死神狼の能力は『空間跳躍』。
認識可能なあらゆる空間を自在に行き来し、獲物を食らい殺すことの出来る力だ」
なるほど…。
シリウスは静かに納得した。
ガルムに狙われた者は疲れ果て膝を着くまで逃げまわされ、その果てに喰らい殺されるという。
いくら逃げ回ろうが空間そのものを跳躍出来る番人から逃れることなど不可能だ。
「そして先程の現象はその応用。
俺の手、或いは剣に触れた『空間』は全て別の空間に切り飛ばされる。
例えそれが『神』であろうと…な」
自身の勝利を確信した目で、挑発するようにシリウスに己の能力を告げるダクラス。
対するシリウスは何の感慨も無さそうに目を細める。
「貴様らは俺のことを『狂犬』などとほざいているらしいが断じて否!
俺が冠するべき名は…そう!『死神』!!!
俺こそが全ての戦場に死を宣告する唯一絶対の存在!!!」
そう言って高笑いするダクラス…その背後にいつの間にか黒い影が揺らいで見える。
それは…巨漢のダクラスすら一口で呑み込みそうな巨大な体躯を誇る漆黒の狼だった…。
シリウスを見据え、その巨大な口を大きく開き、まだかまだかと涎を垂らして唸っている…。
だが…そんなダクラスに対してシリウスが取った行動は…
「くっくっく……」
「ん…?」
余りにも場違いな声が聞こえたので聞き返すダクラス…。
だが、それは聞き間違いなどでは無かった。
「はっはっはっはっはっは…!あっはっはっはっはっは!!!」
シリウスが腹を抱えて大笑いしているのだ。
普段の口数の少ない、常に冷静沈着な男と同一人物とは思えなかった。
フランツでさえ先程までとは違う呆気に取られた顔をしている…。
「貴様…追い詰められてとうとう狂ったか?下らん…!」
憤るダクラスに…シリウスは声をかけた。
何の温もりも通わぬ声で…
相手に『死』を宣告するかのように…
「逆上せ上がるな…下衆…!!!」
ゾクッ…!!!
恐れを知らない、荒れ狂う『狂犬』が…初めて恐怖を覚えた。
さながら、今まで自分が殺してきた相手と自分の立場が入れ替わったかのように…。
ダクラスを余所にシリウスは言葉を続ける。
「高々その程度の能力で…死を宣告するものだと…?
笑わせるな下衆…!
『死神』の名こそ相応しい…?思い上がるな下朗…!!」
「…な…!?」
ダクラスの内に芽生えた恐怖は…まるで地に亀裂が奔るかのように広がり…やがて致命的な傷を植え付けようとする…。
「見せてやろう…真の神を…!
刻みつけてやろう…死の宣告を告げる呪われた天使の烙印を…!!!」
シリウスから放たれる魔力が…変化していく。
他を寄せ付けぬ、完成された芸術的なまでの優美さは消え…
自らを取り巻く全てを蹂躙せんと蠢く、圧倒的なまでの殺意が感じられる…。
「シリウス…許可しよう…」
ジガードの澄み渡った声が、その場の空気をより凍て付かせる…!
シリウスの額に…何かの紋章が見える。
それは…羽の無い翼が十字架に縋っているかのように見えた。
引き抜かれ、散るは天使の象徴……
存在の証を奪われた者に…最後に残されたモノ…
尽きぬ憎しみ…
果ての無い殺意…
堕天使の中でもまた異端…
そして…この世を統括する『四神』の一角…
「誘え…」
目の前の『的』に剣を向け、氷のように冷たい声で…漆黒の闇のように恐ろしい目で…その名を称えた。
「死天使…!!!」