加速する世界
欝蒼とした森の中を疾走する男が居る。
名はバード。階級は剣。
その迅速な動きと短剣裁きから『斬音』の二つ名を冠する猛者だ。
断罪の十字の戦闘員の内の一人。
眼は血走り、背中は汗でぐっしょり、それでもひたすらに足を動かし続けている。
そして全身は……恐怖に震えていた。
任務は失敗した。
対象の魔具は敵の手に渡り、仲間たちは圧倒的な力の前に無残に殺された。
おそらく…自分以外の隊員は全滅しただろう…。
まさか…あの『三鬼将』のうちの一角が出てくるなど誰が予想できただろうか?
戦斧の熟練した戦士達二十人がまとめて切り捨てられるなんて誰に予言できただろうか?
勝てない…!
余りにも強すぎる…!
こうなれば組織に急ぎ帰還して事の詳細を伝え……!?
麓の町まであと僅か…生還を確信した瞬間に…それは絶望に変わった。
町から…戦火が上がっている。
泣き叫ぶ女の悲鳴や、焼き崩れる民家の音、死と破壊の音が渦を巻いていた。
(しまった……!)
分かっていた筈なのに…!
任務に失敗した人間がまず最初に目指すのは人目の多い麓の町…行き先が分かっているならわざわざ追う必要はない。
そこで待ち伏せにすればいいのだ。
自分が敵ならばそうする。
だが、まさか関係の無い人間まで殺す必要があるのか……!?
その疑問に答えるように事の元凶が現れる。
全身を黒い甲冑に包み、血に濡れた大剣を軽々と担ぐ巨漢の戦士。
組織の人間だけでなく、この街の住民の血も吸ったであろう剣を向けて吠える顔に残忍な笑みが浮かんでいる。
「貴様が最後だな?
雑魚ばかりで退屈だったんだ…せいぜい俺を楽しませて死ね」
腕には自信がある。並の相手は自分に触れることも叶わずに切り倒されるだろう…。
だが…今回は敵が悪すぎる。
鮮血の騎士団の中でも強さと凶悪さで知られている最悪の敵…『三鬼将』の一人。
その中でも最も多くの敵を切り殺したと言われる猛者…『狂犬』ダクラス。
真っ向から戦うには余りにも不利すぎる…!
思考は一瞬。
即座に短剣に魔力を纏わせ、立て続けに衝羽を三発放つ。
「はん…!」
三発の衝撃波は大剣の一薙ぎで打ち砕かれた。
凄まじい風圧が自身の体まで掠めていく…なんという威力だ。
だが、それでいい。
バードは瞬時に飛んだ。
魔力付加の効力を脚部に収束させ、常軌を逸した速度で駆け抜ける。
高速移動術『飛脚』、バードが最も得意とする術だ。
元より自分一人の手に負える敵では無い。
ならば肝心なのは生き延びること…!
衝羽のフェイントを生かして一気に駆け抜ける。
飛脚の持続時間で出来る限り距離を稼ぐ、そして敵の捜索範囲を抜けて…数理離れた場所にある組織の駐屯地に…!?
その考えが甘かったと気づいた時には…もう手遅れだった。
体の一部の感覚が失せる。
頭の中では木の幹を蹴って飛翔するはずだった体が落下していく。
そして…目の前に映ったのは
斬り飛ばされた自分の両足だった……。
「!?」
激痛を感じるよりも、自らの最大の武器を奪われたことの方が大きく感じられた。
まさか…先ほどの一撃で衝羽だけで無く自分の足まで斬られるとは…!
自分と相手との間にある絶対的なまでの力の差を見せつけられる。
絶望すら感じない。
そんな高尚な考えに至る前に思考が死ぬ。
有るのは…死。
逃れられるはずの無い…他者によって決めつけられた運命だけだった。
地面を踏み締める重い足音。
ガチャガチャと金属同士が擦れ合う音。
否、それは死の足音だった。
「なにが『切音』だ…?
ただ飛び回るしか能の無い。蝿と同じでは無いか…」
この男の眼に…自分は「敵」として映っていない。
ただの狩られる「家畜」としてしか映っていなかった…。
振り上げられる剛剣。
仰ぐことしか出来ない自分。
最後に脳裏に浮かんだのは…自分が忠誠を誓った美しい少女。
自分なら…それもまた否。
自分しか彼女を守れないと…心のどこかで思っていた。
ダクラスは敵組織の構成員の生き残りを実にあっさりと片付けると帰途に着いた。
自らの巨体に見合った巨躯を誇る黒馬に跨り、思索に耽る。
つまらない任務だった。
剣ランクの猛者が率いる部隊を相手に出来ると聞き、喜んで来てみればただの小賢しい雑魚。
多少策を施してきたようだが捻じ伏せてやった。
全ては力だ。
力こそが美しく、力こそが意味を為し、力こそが正しい。
理論?戦術?
そんなものに何が出来る?
弱肉強食。
何も出来ない弱者共は大人しく喰われ、糧になるがいい。
自虐的な笑みを浮かべながら男は一人月を見上げた。
今宵の月は…まるで男に斬られたかのように真っ赤だった。
「そうか…やはりあの程度の男に任せたのは愚かだったな」
同じ月の下、シリウスは直属の密偵から任務失敗の報告を受けていた。
助けることは考えなかった。
戦力にならない負け犬を助けるより、泳がせて敵の情報を少しでも多く引きずり出す方が有益。
つまりは見捨てたのだ。
「くっくっく……不様なものだなぁ弱者とは…!」
月を見ながらシリウスは笑った。
志、半ばにして散った弱者の無力さを嘲笑った。
そうして散って行った人間の数が多ければ多いほど、自分の正しさが証明される気がして…。
優美な顔立ちと出で立ちがとても残酷に見えた。
闇夜と月明かりに映るシリウスの姿はまるで…
死を数え、狂気せんばかりに笑う…死の天使のようだった。
「三鬼将に気をつけろ」
「ふぁんひほう?」
食堂で魚のフライを頬張りながら聞き返すレックスに、呆れて諸手を肩まで上げるラッセル。
この男はいつだってマイペースだ。
同じテーブルに腰を掛けているカイルとアイリス、同じく同席しているニーナとエレン(といつも一緒の聖狼)、そして珍しく席を共にしていたフランツも苦笑いするしかない。
全員、訓練を終えた後の遅めの夕食。
ラッセルは丁度いいだろうと思い、つい先程受けた報告を皆に話した。(その矢先にレックスに出鼻を砕かれた訳だが…)
気を取り直して話を再開する。
「近頃、敵勢力…鮮血の騎士団の動きが活発化している。
各地で暗躍する戦闘員の質も急激に増強されている。
そして…最上級幹部である『三鬼将』まで動きだしたらしい」
「三鬼将まで?」
「隊長は彼等と戦ったことはあるんですか?」
「まさか四人目が居るとか無いですよね?」
ニーナとアイリスとエレンが同時に質問してくる。
流石、(自称)親衛隊。息ぴったりだ。(最後は余計だが)
ラッセルは頭を抱えながら、(取り合えずスルーして)話を続ける。
「これは捕虜の口を割って聞きだした情報だが…奴等は敵の中でも群を抜いた力を持つらしい。
下端の連中は知らないがそれなりの階級のやつはある程度知っていた。
それぞれが一騎当千の力を誇る…うちで言う聖騎士並らしい」
「聖騎士と同格!?」
「そんな連中が三人…そして恐らく敵の頭はそれ以上の力を持っているだろうから四人…か」
カイルは純粋に驚き、フランツは自分たちの敵がどれ程強大かを再認識していた。
レックスもいつの間にか聞き入っているくらいだ。
断罪の十字が保有する戦力の内、主軸となるのは三人の聖騎士と十三人の剣…。
レックスはシリウス以外の聖騎士を見たことが無いが、あのシリウスと肩を並べるというならそれがどれ程の強さを秘めているかは想像がついた。
その名実ともに最強の戦士と同格とまで謳われる戦士が敵にも三人…。
そして敵の頭をそれ以上の戦力と考えると…?
更に、敵の保有する魔具と霊獣の数を計算に入れると…?
次第に顔が青ざめる。
単純に考えて、敵の保有する戦力が自分たちの組織を上回っているという考えに至ったのだ。
幾らレックス達が一つの任務を成功させても、他の二つの任務が失敗に終わっていたら総合的に見て自分達の組織の負けだ。
レックスの顔を見て、いかに状況が絶望的かを悟ったと見たラッセルは軽く頷いた。
「ついさっき報告が有った。
剣の一角であるバードが率いていた部隊が全滅したとな」
「あの『斬音』のバードが!?それは本当なんですか!?」
その報告に大きく反応したのは一人。
ラッセルの下に着くまでバードの指揮下で戦っていたというフランツだ。
フランツの反応に目を見張り、レックスが尋ねる。
「バードって人はそんなに強かったのか?」
「当たり前だ!」
息を荒げながらフランツが答える。
「純粋な攻撃力は高くなかったが、頭脳と機動力においては剣随一とまで言われた人だ。
今まで何度も模擬戦を挑んだが…攻撃が当たらないまま首に短剣を突き付けられて負けた。
機動力で僕が遅れを取った唯一の人だ…!」
「何!?」
あの圧倒的なスピードを武器としているフランツさえ及ばないという速さの持ち主…。
それが逃げることも叶わずに切り殺されるという敵の力量…。
末だ見ぬ敵の実力にレックスはぞっとするものを覚えた。
ラッセルは壁に掛けてあった振子時計を見て、思い出したように話し始めた。
「そのことを受けて今日これから、剣隊員を集めた会議が有る。
レックスとフランツは俺と一緒に来い」
「了解…ってフランツも?」
「戦斧隊員の自分が何故?」
面喰った二人に対してラッセルは応えた。
「剣は全部で十三人。
そのうちの一角であるバードが戦死したから欠員補充という形でフランツが昇格したんだ。
元々、レックスが居なければとっくに剣に昇格してた筈だしな」
「僕が…剣に?」
「ちょっと…不謹慎だな…」
苦い顔をするフランツとカイルにラッセルが諭す。
「確かに不本意な形であるだろうが…今は緊急時なんだ。
剣の人員が減れば、任務にも支障が出る…これ以上敵に遅れは取れないんだ。
頼むフランツ…昇格を受け入れ、より一層組織を支えてくれないか?」
ラッセル自身、不本意なのだろう。
この事態を招いたのは…今まで敵の存在を知りながら壊滅させることに至らなかった自分達にあると…。
「…分かりました。バード殿の意思は僕が引き継ぎます…」
フランツが力強く頷くと、ラッセルは軽く微笑み席を立った。
「では行こうか。着いてきてくれ」
レックスとフランツは軽く頷くとラッセルの後を追った。
それを見送る仲間達の中で一人だけ…ニーナだけが暗く沈んだ表情だった。
(……嫌な感じがする…何か…)
今まで信じていたものが唐突に崩れるかのような…
そんな予感がした。
誰も近づかない古びた異形の城。
そこに入っていく巨漢の剣士…もし誰かが見ていたらさぞかし胆を潰すだろう。
ダクラスは何の興味も無さそうに城内に進んで行った。
やがて大きなホールの様な場所に辿り着く。
月明かりにうっすらと照らされた幻想的な空間に、いつもと同じように三人の先客がいる。
「あらあら…なんと血生臭い殿方でしょう?
仕事熱心なのは素晴らしいと思いますが、多少は身だしなみにも気を配っていただけない?」
栗色の髪と黒いゴシック調のドレスの少女が甘ったるい声で話しかけてくる。
「黙れ『妖妃』。貴様の声ほど耳障りなモノは無い。
自分の手を汚さず、いつも僕に任せているような女に戦場の理などわかるまい」
殺意を隠さず返事をするダクラス。
同じ『三鬼将』とは言え、その仲は決して睦まじいものでは無い。
そんな二人の会話を前にして何の反応も示さない少年…。
三鬼将の最後の一角、『血鬼』の名を冠するもの。
何も喋らず、一切動かず、まるで生きているようには見えない…。
そして三人の最上級幹部を前にして威風堂々と佇む男。
彼こそが鮮血の騎士団を束ねし者…『剣帝』。
「よくやってくれたダクラス…。
今まで君のお陰で数多くの魔具と霊獣を手中に納めることが出来た。
これからも頼りにしているよ」
「だったらもっと喰い応えのある獲物をくれないか?
例えば…シリウス…奴ぐらいの敵で無くては俺の餓えは癒せない」
さも口惜しいと言わんばかりに食ってかかるダクラス。
眼前の男は今まで一度も自分の要望に応えてくれたことなど無い。
いっそこの男に斬りかかってみるか…?
がちゃ…
背負った大剣を軽く掴み、剣帝を睨む。
すると…
「止めておきたまえ。
私に剣で勝とうなど…叶わぬ夢だぞ?」
突如、辺りの空気が一気に重くなる。
まるで人知を超えた存在にひれ伏すかのように体が重くなる。
ダクラスもまた、直立してはいるがその全身は僅かに震えている。
恐怖に震えているのではない。
歓喜しているのだ…圧倒的な力を持つ存在に。
戦いたい…!
壊したい…!
壊されてもいい…!
殺されてもいい…!
ダクラスにあるのは強大な敵との戦いへの渇望。
自分の命などどうなろうが構わない。
刹那に散ろうとも本望だった。
そんな狂犬の心理を見抜いた剣帝はゆっくりと玉座から立ち上がり…。
狂犬もまた、ようやく訪れた戦いに歓喜し、大剣を抜く…。
双方が激突しようとした…その瞬間。
「いい加減にしてください。
こんなところで貴重な戦力を浪費させることに何の意味が有るんですか?」
今まで黙秘していた少年が重い口を開いた。
同時に凄まじい殺気が辺りを包んで行く。
垂れ下った前髪から覗く瞳には…泥沼のように濁り、光など一片も無かった。
「そうだな…我々が今激突しても何の意味もなさない。
死合うならばまずは奴等を消してからだ…それでいいかい?」
「チッ…またお預けか」
渋りながら剣を鞘に納めるダクラス。
剣帝は不満を隠そうともしない部下に苦笑すると、次の任務について話した。
最初、呆然と聞いていたダクラスだったが、その内容を聞いて狂気せんばかりの笑みを浮かべた。
「どうかな?少しは君たちの期待に応えられたと思うが?」
「とうとう本格的な戦闘に突入か…!
良いぞ…実に良い…血が騒ぐぞ…!!!」
「目標があの場所なら…あの坊やも居るでしょう?
私の僕にしてもいいかしら?」
「……少しは期待できそうですね…」
三鬼将がそれぞれ頷くと、配下に声をかけて回り出した。
じきに戦争が起きる。
世界の全てを巻き込む大戦乱が…。
そのための前哨戦として……
断罪の十字に攻め入り、『巫女』を確保する…。
断罪の十字本部・ジガードの私室。
そこにはレックス達を含め十三人の剣が一同に集まっていた。
老若男女…それぞれ入り混じっているが実力は確かな、組織の戦線を支える猛者達だ。
部屋の主は珍しく不在で、殺風景極りない部屋にラッセルの声だけが響く。
「あの白髪のおっさんが『白狼』のゼロット。
氷雪系の魔術と卓越した剣妓の持ち主で、剣の双壁の一角だ。
ちなみにもう一角は俺だがな。
あとあこの色気の無い女は………」
ラッセルは会議が始まるまでの間、レックスに知人の剣隊員を紹介していた。
今までは一つの任務に就く剣は一人か二人だったのだが、交戦が激しくなるにつれて導入される剣も増えるだろうからということらしい…。
(ならもうちょっと的確な紹介が欲しいのだが…)
なんて言ったら間違いなく地べたにキスする羽目に会うだろうからレックスは黙っていた。
今まで無かった事態。
膠着状態だった戦局が一気に動く前ぶれ…。
緊張を隠せないレックスに、フランツが声をかけた。
「どうした?お前ほどの男が臆したというのか?」
普段の責めるような口調では無く、仲間を労る優しい口調だった。
前回の任務以降、フランツはどこか人間味が増え頼もしい存在になった。
失った隊員たちの信頼も着々と取り戻しているというのは本当らしい。
「正直、な…」
組織の力は絶大。
決して負けることは無い…そう思っていた。
だが実際はまだ自分が負け戦を経験していないだけ…組織は苦戦を強いられている。
自分の力に不安を覚えたのは…初めてだった。
「信じろ」
フランツは迷いの無い瞳でレックスに向き合い、そう言った。
「僕達は強い。
そしてシリウス先輩や総帥はさらにその上を行く強さを持っている。
僕達は組織の力を…組織の正義を信じて戦うのみ…違うか?」
揺るがない意思。
迷うことの無い腕。
今のフランツは正に組織の剣足るに相応しかった。
「フランツ…」
そうだ。
自分にも揺るがないモノがある。
仲間を守ること…そして、自分を救ってくれた少女が本当に微笑めるように尽力すること。
これだけは敵が誰であろうと決して揺るがない。
迷ってたまるものか。
俺が…俺である限り…!
「役者は揃ったようだね」
「!?」
急に声がすると思い、振り返ると…いつものように玉座にジガードが座っていた。
それだけでは無い。
ジガードに連れてこられたようにいつの間にか四人の男女が一同に会している。
一人はやたら体格の良い大柄な中年男性。
既に三十路はとっくに超えているはずだが、服の裾から見える鍛えられた筋肉やその表面にまざまざと残る傷、細く開かれた瞳から見える眼光は鋭い。オールバックに固めた髪が精悍さを感じさせる。
自分達等足元にも及ばない長い長い戦闘を潜り抜けたのだろうと想像できた。
二人目は女性だった。
強い意思を宿す瞳、短くもまるで絹のように光を放つ淡い青髪。
女性としてはやや長身で、正面から向き合う時の威圧感をさらに高めるだろう。
どこか…誰かに似ているような印象を受けた。
あとの二人は…レックスにとって知っている顔だった。
「シリウス!?それに…ソフィール!?」
「ふん…騒がしい男だ」
「………」
シリウスは相変わらずだったが…ソフィールの顔は暗く沈んでいる。
余りにも今までと様子が違う為、レックスは驚きを隠せなかった。
「ソフィール…?」
「………レックス…」
レックスがソフィールに声をかける前に、ジガードが話を始めた。
「諸君に集まってもらったのは他でも無い。
敵対勢力である『鮮血の騎士団』……。
彼等に対抗するために必要な決定的な力…『神』を手に入れるための対策を練るためだ」
「神!?」
まさかいきなり宗教による統治でも始めようというのか?
そう思っていると剣の内の一人が声を荒げた。
針鼠のように逆立った黄色い頭髪と虎の毛皮から作られた服が特徴的な青年だった。
「神様!?そんなもん一度も拝んだことはねぇ!
いくら状況が悪くなったからってまさか神頼み!?冗談じゃねぇぜ!」
喧嘩を売るような口調でジガードに吠えているのは『黄牙』のクーガー。
口調から察するように口よりも手が早く、好戦的な性格だ。
「冗談など言っていないよ…君たちがまだ知らないのも無理はない。
組織でも…いや、この世界にとっての最重要事項だからね…」
ジガードは眉一つ動かさずに、さも当然のように話す。
それがクーガーには余計に頭にくるものだったらしい。
「ごちゃごちゃごちゃごちゃうっせーんだよ!
元々性に合わないと思っていたが…もう我慢できねえ!
神様とやらが居るんなら今すぐ見せやがれ!!!」
「いいだろう…」
「!?」
クーガーの声に応えたのは先程の中年男性だった。
どすの利いた低い声と鋭い視線…睨まれたクーガーは勿論、その場にいた剣隊員全てが肝を冷やした。
「若いってのは良いもんだなあ…熱い熱い。
だが身の程を知らないってのは頂けないなぁ・・・少し頭冷やせや?」
「…!ふざけやがって…!」
クーガーの左手から突然、黄金色に輝く鍵爪のような物体が生えてくる。
『体表硬質化』…自らの皮膚や髪を変質させ、武器を作り出す能力。
カイルの硬質結晶化と類似しているが、能力自体はそこまで強くない。
クーガーの武器はその身体能力だ。
魔力付加無しで熊を殴り殺すほどの剛腕を始めとする並はずれた身体能力。
クーガーの能力はあくまで、最も使い勝手の良い武器を作るだけ。
それらを極限まで活用して敵を完膚なきまでに引き裂く…その姿からついた字が『黄牙』。
「やれるもんならやってみやがれ!!!」
瞬時に地を蹴り、まるで狼のような速度で疾走するクーガー。
まるで地を削るかのような突進、そのまま黄金色の爪を突き立てようとする。
対する男性はただ突っ立っているだけだ。
いくら一騎当千を謳われる聖騎士といえどあまりにも無防備すぎるように見える。
止めようとしたレックスをラッセルが諫める。
まるで眼前で行われていることの結果を知っているかのように…
「喰らいやがれ!!!」
クーガーの爪が男を貫く…そんな光景を描いていた人間全員が目を疑った。
勢いよく吸い込まれた爪は…男の服に傷一つ付けていないのだ。
「!?」
男の服装はただの革製品…とても防御力は認められない。
それどころかクーガーの爪との衝突音すらしなかった。
「何だ…これ…!?」
クーガーの顔が青ざめる。
自分の渾身の一撃が…まるで威力を全て吸い込まれたかのように無力化されたのだった。
今まで数多くの敵を血の海に沈めて来た必殺の一撃が…革一枚切ることも出来ずに沈黙している。
「自己紹介がまだだったな…」
男はクーガーの左手を掴むと、まるで石ころでも投げるかのように放りあげた。
そして…
ドゴ…!!
「かっは…!?」
鳩尾に強烈な拳を叩きこまれ、涎を吐き散らしながら悶絶するクーガー。
男はそれを見上げながら言った。
「断罪の十字・聖騎士が一角。
クリフ・ガーファード…覚えておけひよっ子」
「なっ…!?」
圧倒的…そんな言葉では言い表せなかった。
余りにも格が、否、次元が違い過ぎる…。
(これが…聖騎士…最強の称号を持つ者…)
一体、自分達と何が違うというのだ?
クーガーの戦闘能力はレックスと比べてもそう見劣りするものでは無い。
それが赤子の手を捻る様にいとも簡単に負けた。
一体なぜ…!?
その疑問に答えたのはジガードだった。
「これが…人と『神』の差だ」
神…。
言うは易し、だが理解は出来ない。
ますます混乱しそうだ。
「この世界に精霊やその力を内包する霊獣が存在しているのは君たちも知っているだろう?
だが、その上に…全てをその支配下に納める絶対者、神が存在するのだよ。
かつてこの大陸に在った魔道大国…その存在には神が必要不可欠だった…」
「魔道大国…」
レックスも組織の資料室で見た情報からある程度のことは知っていた。
聖戦が起きる前、この大陸にある全ての街は魔術を学術体系として成り立っていたらしい。
気候を予期し、病を癒し、物資を輸送する…。
あらゆる方面で魔術は確立し、人々は自然と共存した豊かな生活を送っていたという。
まさに理想郷…確かに自分の知る魔術とは余りにも格が違う。
そんなものを実現させられる力、存在…確かに神と謳われるのも頷ける。
「クリフの契約した神は『貪食龍』。
エネルギーの循環の象徴とされ、能力はあらゆるエネルギーを吸収、変換することだ」
「エネルギーの完全吸収能力!?じゃあさっきのも…」
クーガーの爪による刺突攻撃は…圧力、魔力、突進力といった力による攻撃だった。
レックスが以前使用したことのある『吸収』の宝珠では魔力しか吸うことは出来ない為この攻撃は防げない。
だが、クリフの神…『貪食龍』はあらゆる力を吸収する。
どんなに鋭い剣も、灼熱の炎も、拳でさえも無力と化す…最強の盾。
そして吸収した力をそのまま攻撃の際に変換し、敵に打ち込む…最強の矛。
(なんて力だ……打ち崩す方法なんて有るのか…!?)
これが…神…!
まさに絶対者…まさに蹂躙する者…!
クリフを改めて見ると、うっすらとその周囲が霞んで見える。
「!?」
レックスは見た…。
大柄なクリフの背後に…さらに巨大な影が取り巻くように存在しているのを…
そしてその影の輪郭をなぞると…それは全身にびっしりと鱗を纏った長大な龍だった…。
まるで「喰い足りない」と言わんばかりに自らの尾を咥えながら、金色に輝く大きな目でレックスの方を睨んでいる。
「………!!!!」
何故今まで気付かなかった…!?
三人の聖騎士から感じられる強大な威圧感はこれが原因だったのだ。
クリフだけじゃない…。
シリウスともう一人の女性からも同等…否、シリウスからは更に強大な『力』を感じる。
気づけばレックスの全身は恐怖に震えていた。
敵だの味方だのでは無い…。
圧倒的な力の差の前に…「弱者」は恐れ慄くしか出来ない…。
「ほう…その様子だとお前…見えているのか…」
クリフが興味深そうにレックスを見つめる。
品定めするかのように頭のてっぺんからつま先まで見回すと…
「小僧…お前には『資格』があるようだな…」
「?」
『資格』…何のことだ?
その疑問に答えたのはまたもジガードだった。
「そもそも構成員に階級を与えているのはこの時のためだ。
神と契約するためにはそれ相応に優れた人間で無くてはならないからね。
今後君たち剣には特別な任務を与える。
今まで組織が総力を挙げて探し当てた神…その聖域に踏み込み、『契約』を果たすこと。
既に鮮血の騎士団にも数体の神が渡っている。
これ以上奴等に遅れを許す訳にはいかない…失敗は許されない任務だ。
死を恐れるなとは言わない…ただ、覚悟を決められた者だけが着いて来て欲しい…」
その言葉に最初に反応を示したのはフランツだった。
集団の中から一歩前に踏み出し、ジガードに対して膝を着き、頭を下げた。
「元より承知のことです…」
ジガードは満足そうに微笑み、シリウスも薄く笑みを浮かべる。
フランツだけでなく、次々と他の剣隊員が続く。
圧倒的な力を見せられても尚、揺るがない意思を持つ屈強な戦士達…。
それを見送り、最後にレックスが前に踏み出した。
他の隊員同様に忠誠の姿勢を取り、ジガードを見据える。
気絶させられているクーガー以外の剣12名が全員、ジガードに着いて行くと誓った。
その様子にクリフも、もう一人の女性も満足そうにする。
全員の意向を確認したジガードは次の指示を出すために口を開こうとしたが…
ドガアアァァン…!!!
突如、爆発音とそれに伴う振動が起き、部屋中を揺らした。
何事かと周りを見渡すと、部屋の外から緊急事態を示す鐘の音が鳴り響いている。
「もう始まったのか…予想よりも若干早いな…」
シリウスの冷静極りない声が、かえって事態の深刻さを伝える。
ジガードは軽く、頷くと全員に命令を下した。
「恐らく鮮血の騎士団が本部に対して攻撃を開始したようだ。
この場に居る全員は各自、戦闘態勢に移れ…!
シリウスは私に同行しろ。クリフは格納庫の警備と周辺の隊員への指揮を。セシリアは…」
セシリアと呼ばれた聖騎士最後の一人である女騎士が応える。
「分かっています。
ソフィール様を後宮へ…その後身辺警護に当たります」
「そうだ…頼んだよ」
「はっ…!」
迅速に指示を飛ばすジガード、そしてその要請に滞り無く応える最上級幹部…。
戦闘力だけでなく、現状に対する冷静な判断力と行動力を持ち合わせている。
レックスも直ちに自分の武具を取りに走ろうとしたが…
一瞬目に入ったソフィールの顔が鮮明に映った。
その表情は…とても怯えきっていた…。
レックスはすぐに彼女の元へ走り寄ったが、セシリアの冷たい目がそれを諫める。
「ソフィール様は私に任せなさい。貴方は敵の迎撃を…」
「待ってくれ!少しだけ話をさせてくれないか?
ソフィール、どうしたんだよ!?何をそんなに怯えているんだ?」
必死に話しかけるレックスに圧倒的な威圧感が襲い掛かる。
「私が貴方にしたのは提案では無く命令よ…?」
「くっ…!」
不安そうにこちらを見返してくるソフィール…。
何が原因か知らないがこれ以上彼女を怯えさせる訳には行かない…!
「…今すぐ連中を片付けてくるからな…待っててくれ!」
ソフィールが何かを言おうとしたことに気付かず、走り出すレックス。
戦場の音は…すぐ傍まで来ていた。
この時はまだ誰も知る由も無かった…。
この時から…レックスを取り巻く世界の歯車が一つずつ狂い始めることなど…。
一の歪みが他を巻き込み、破滅の波紋は広がり行く…。
それはやがて世界を巻き込む戦乱の序章でもあった…。
更新遅れてすみません。
いよいよ物語の中核に触れ始めました。
皆さんを退屈させることの無いよう、これからはより一層奥深い話を書いていこうと思っています。
感想等よろしくお願いします。