第245階 ひと時
「ふぅ…いつも大忙しよ。ラナン」
疲れ気味のクラの表情も素敵だと感じる。
そう思いながら、私は背伸びをする。
ここは王路院の屋上にある四大貴族だけが知る、秘密の空間の一室。
もっとも四大貴族専用空間というよりは、魔法的価値で足切りされているといった方が正しいわ。
現にラナンとしては気付けず、【自動集然】が反応していた経緯があったりするわね。
「時魔法の授業以降、人気に拍車がかかったわね、虎に翼とでも言うべきかしら」
クラは私の言葉に小さく溜息を吐きながら、苦笑する。
「ラ・ナ・ン!私は貴女に魔法を教える時間も欲しいの!!実際どうなの!?困ってはいない?」
困っていないといえば困っていないような。
授業中は本来の私を、嫌というほど思い出させてくるのは、少し面白くないわね。
「だってラナン!フユは呑み込み早くて優秀で純粋だし」
フユさんはお嬢様第一主義者だと感じられるから、影での凄まじい努力をしている構図が容易に思い浮かべられるわ。
「上手に越したことはないわ」
クラはガッツポーズをして私の両手を握ってくる。
白くて細くて長い指に包まれる。クラの手はほのかな熱を帯びている。
私も白くて細い事には変わりないんだけど、クラは美しく長い。
「よし!そうよね!!絶対そうだと思った!大方魔法が出来ない理由も集められたし、ラナンもすっごく伸びるよ」
「期待しておくわ」
そう言った刹那、ノートが一冊置かれる。50ページほどの。
高価そうな紙質に文字が記載されていて、読める文字の周囲に読めない文字で囲んである。
読める文字は魔法名だと思う。めくっていくと【早送り】【巻き戻し】【停止】などが確認できたわ。
「これは魔法液で書いてあるから疑似的に魔法を使えるわ、
それに補助的な役割を促す文字も刻んであるから、発動しやすい発動しにくいがきっとあるはず。
そこが重要で発動できない補助が弱みになっている。発動疎外の理由を浮かび上がらせられるってわけ」
すべて理解して記してある、その意味を考えるとクラの底知れぬ何かを感じざるをえないわ。
底知れぬ才能か何かを。きっと私は【集然】を使用すれば、書かれてあるすべての読めない文字も読めてしまう。
そこまで考えて、強い心地よい違和感を抱く。それは【集然】の本質への酷似を否定したいに等しい心持ちを表していた。
「ありがとう、試してみるわ」
「負担軽減の補助も、沢山記しておいたから、疲れることはないと思う」
実際どのぐらい上達するのだろう。
上達や成長という感覚を、私はこれまで味わったことはないのだから。
【集然】は、すでに完成された何かを取り出すことに近似している。
「すごい文字列ね、全然分からないわ」
「…私は。…分かるという感覚が当たり前で、フユにも驚かれた。
父様も母様もみんなそう。私にとって当たり前に驚かれる。
講義の時だってそう」
寂しそうという感覚は抱かなかったわ。
紡がれる言葉に込められる強さは感じとれた。
孤独ではないけれど孤独。それを乗り越えてきた強さ。
「それで、ラナンは私の当たり前が出来たり出来なかったりする。
なんだか私が私でちゃんと人間やってるんだなって思える。
逆にフルール御姉様はなんでもできたのよ」
フルール御姉様ね。
どんな人なのだろう。
クラがアオナに凌駕を望む相手。
「人間やってるって面白い表現だわ」
「なんだか、違うのかなって。一緒でありたいと思うのに…
私はみんなと笑い合えるのが一番だよ」
赤らめながらクラは恥ずかしそうに
その彫刻の様に美しくか細い両手で頬を隠そうとしている。
「私は貴女を肯定し、賛同し、共に歩むだけ」
皇帝陛下の心の赴くままに。
「今更なんだけど…ラナンはどうして私を見つけてくれたの?
なんか表現が、ちぐはぐな気がするけど、上手く言えないっ!」
私は探していた。貴女のような人物を。
国家と国家が共に歩む理想を現実にしてくれるような、
皇帝に相応しい人物を。とまで考えて纏まってきたと思う。
「私は探していた、そうだと私自身を信じ切れる。クラを。
天に仰ぎ見てい抱く、皇帝に相応しい人物を。ただそれだけ」
アオナ・エカルラートとして。
ミリカンテアの勇者として。
央界を束ね、トーラルカエに坐する者として。
「私は少し自信を失っている…。過去の闇が追いかけてくる。
あの忌まわしき内乱『ジ・ハード・ラグナレク』で沢山、沢山、沢山大事なすべてを奪われた。
父も母も…。だからその悪夢から逃げようと必死だ」
「大丈夫よ。何も心配しないで。
私は…」
戦争の象徴を踏み躙り壊したから。
「私は、クラの為にクラの前に転生してきたんじゃないのかなって心の底から思う。
何も心配しないで」
「そうじゃないの!そうだけど…。私は私のせいじゃないって分かってる。
それでも私がいたから、みんな死んでしまったじゃないかなって。
見当違いだけど思ってる。でも…」
私は少し背もたれを押していた、それだけで全身を転がすように練られて発動。右掌の上に発現する。
ーー十七世 すべて
世治。
????
「私はこの剣に誓って、未来皇帝クラレットの悪夢を断ち切るわ」
穏やかな風が舞う。
私自身は微笑んでいた。
クラの話を聞く間、ずっと。
「私はその時、クラのそばにいてあげられなかった。でも安心して。
これからは私がそばにいる。私を少しでも信じられるなら、クラ自身を少し信じてあげて」
「うん…」
「オーニソ先輩には悪いけど、私は勝たせてもらう。
クラが私をもっと信じられるように」
クラは深く頷いた。
そのまま伏せて、流れていく小さな雫を私は愛おしいと思いながら、クラの次に紡がれる言葉を待った。
それは一瞬。でも愛おしくも永い一瞬。
「楽しく流れていく時間のはずなのにごめんね。ラナン」
「クラの感じていることや思っていること、心の中を知れて有意義な時間になったわ。
私はそう思う」
「ありがと。少しだけ、ほんの少しだけど晴れたよ」
クラの表情から小さな暗さが抜けきる事はなかった。
だけど、それでも。たしかに火が、光が灯った。
そんな風に感じられて、私は決意を新たにした。