第241階 血の夕刻
「ふーん」
ネモフィラさんは死神に目をつけられている。それは分かっていたこと。
だから朝の日課にしていた。
でも、なんとなく今日だけは、3人との食事を終え会計を済ませた直後の夕刻に開いていた。
右人差し指の腹の上で練って発動
ーー命針盤 太陽人
世束。
七大神王の神脳を溶かして作った地球人の命の羅針盤。
命針盤の構成と絡繰りを落とし込んだから作成は容易。
ネモフィラさんを指し示す命の灯火が、急激に弱まってしまっていた。
これは何か強大な死の予感が近付くと起こる現象。
その死の予感と関われば関わるほど灯火が弱まっていくようになっている。
踏み躙ってやるわ!心の中でそう叫び、私はクラに場所だけを伝えた。
クラは何も言わずにあとから行くと、なぜか容易に納得してくれる。
感謝よ、クラ。
右小指の爪の上で練って発動
ーー至常超 ちょく
世治。
クラ達と一緒にいた場所から一直線。
分厚いガラスのような何かを速さで突き破り、魔法的に景色が変わる。
色もにおいも変わらないけれど、ものすごくうすく複雑に折り合った別世界で包まれていた。
左小指の腹の上で練って発動
ーー時軸反 ずらし
世治。
その先は時空が切り裂かれていて、隔離されている空間だと感じたので補正する。
同時に私を相手の時空認識から突き放せるように阻害していく。
私の認識で塗りつぶされた箱庭を染めていく。
右手の平の腹の上で練って発動
ーー七漆黒 すべて
世治。
私の《七漆黒 すべて》は場を塗りつぶす。稚拙な悪を轢き殺す、本物の深淵の黒一色で。
だから悪人相手だと容易に絶対恐怖を用いて、一瞬が創れる。
這い出る殺意も魔法も恐怖も踏み躙って。
その一瞬で分かった。
敵がいる、私の中で殺すに到達するような。
だから、黒を引き抜いた。
容赦はしない。
すぐに目に入ったのは心臓を貫かれている男性。
次に確認できたのは、立ち上がろうとするも立ち上がれず、涙と血で顔が汚れて泣きじゃくるネモフィラさん。
そして、骨が砕かれているのか、動きにぎこちがなく息を切らしながらよろめくアガパンサスさん。
それから残りの2人。
せせら笑う刀身が闇色の刀を持つ黒髪ボブの女。
もう1人も刀を持ち、男性の心臓付近を素手で貫いている女。
「なぜ…これた?ラナンさん」
私はアガパンサスさんの隣に立った。
アガパンサスさんの瞳は希望に満ちた。一瞬。一瞬だけだったけれど。
「この間の食事のお礼。してなかったわね」
アガパンサスの表情は苦悩のものへと変っていく。
「素手で心臓付近を…貫いている女。元火の四大貴族の護衛長を務めて裏切った大罪人だ…。それにもう一人も。
とにかく逃げろ…どちらもとにかく相手をしてはいけない。ネモフィラ、ごめん。ごめんな。あんなに喜んでいたのに......」
アガパンサスさんは緊張の糸が切れたように倒れ込む。
そして空間の地平線の彼方まで、黒一色で塗りつぶすほどの殺気の影響で死んだように気絶していく。
刀を持つ2人は臨戦態勢。
でもその溢れる殺気を涼しい風の様に感じとっていた。
私個人としては。
「おかしいわねぇ。誰も入ってこれるはずないんだけど。絶対に!!!」
腕を組みながら、嫌悪感と疑問を同時に抱いたような表情で。
「おい、こいつにも顔を見られたぞ。どうすんだこれ」
困り果てて眉間にしわを寄せた顔。
「あは、こいつも消すしかないっしょ」
白く細い指が口に近づいて、魔法的な構えへと動く。
でも私にはどーでもよかった。
彼女ら2人が誰かで何をするなんて。まるで。
左人差し指の爪の上で練って発動
ーー神異特異
何か結界のようなものが張ってあったようだけど阻まれることは一切なく。
周囲の全能力を低下せる、結果的に私個人に付随するすべての超強化へと繋がる。
超範囲、感知不可、不可視の斬光。
右目で練って発動
ーー至常超 はやさ
世治。
何か血に関する術式が私を捉えようと這いずり、殺意の眼光と共に混じりあうなか、
私は私を滑らした。
何一つ追いつくことはなく、数多の外界の英雄達の首を一捻りした絶対必殺もかすりもしない。
私の血は何も変わらず、清らかに流れている。
《至常超 はやさ》の薄れを利用し回転していく。
ゆだねる薄れのなかでも、私の握る《七漆黒 すべて》は静かに流れに身を任せてくれる。
その終着点で《七漆黒 すべて》は貪り喰らうように斬り裂いた。
だから飛んだ。殺意ごと。纏っていた威圧さえも。さけるチーズの様に。
彼を貫いていた腕が。私以外、この場にいたみんなが。飛ぶはずのないと思っていたであろう腕が。
武を極めんとするその腕から赤黒くはじけ飛ぶ血しぶきの激しさは、腕が身体から離れ、
この私によってもぎ取られた意味を現実に突き刺した。
誰も動けず時が止まったと錯覚するような刹那。
横目で見ていた。彼女達の表情を。
思考から理解が失われた表情を。
培ってきたすべてが。砂の城が崩れる様に私に届かず困惑する表情へ流れ落ちる。
すべての表情に満足し、私は彼を抱えて無防備に対して次の一手で切り返す。
右頬の上で練って発動
ーー至常超 はやさ
世治。
追いかけてくる追撃は儚く。大人たちの手から逃げていく夢のようにきえていく。
無事に男性を抱えて戻り、ネモフィラさんの横に並べる。
涙が枯れはてながらも手を必死に伸ばす。ネモフィラさんは彼へと。力なく。
左手の甲の上で練って発動
ーー生命糸 こころ
世束。
心の死は精神の死に繋がり、肉体の死を確定してしまう。だからこそ心を治していく。
光の糸が補強し、ネモフィラさん、アガパンサスさん、男性の穢れを取り除いていく。
右手の平の上で練って発動
ーー生命王 青地球
世束。
生命の源はかの青き地球人の星。
これ以上に命を育む空間はない。それの清らかな青さでネモフィラさん、アガパンサスさん、男性を包み込む。
彼女は片腕で手術するように縫い合わせて血を止めた、その刹那。
『一九四五零八零六』
中心から周囲へ、線香花火のような剣筋に刀に纏わされた殺気と熱気、剣閃が夥しい量、
駆け抜けていく。
それが片腕で放たれてくる。
でも問題ない。
右足の甲の上で練って発動
ーー時空断 てんし
世治。
その攻撃は天使の羽に守られて届くはずもない。
混ざりあう時空は新しい時空からの干渉を拒み続ける。
後ろで寝ている3人にも届かせるわけない。
「なめるなよ!!!」
私の手の血流に違和感があった。
撫でまわされ、まさぐられるような気分と気持ちが良くない感じ。
この黒髪短髪。
血を操るのが得意なようで。
影響力は強く、他人のさえも弄繰り回すと予測。
左足踵の上で練って発動
ーー魔反鏡 すべて
世治。
魔法に付随するすべての効果を術者に適用する。
銀色の輝きは、手を中心として私自身を包む。
「かはっ!なぜあの女ではなく、私の拳の血が噴き出す」
相手の血を操る力の魔力要素は小さかったし、神域程度の感知魔法さえも容易に貫き通せる。
でも、捉えられないわけないじゃない。
右足小指の爪の上で練って発動
ーー至常超 はやさ
世治。
私の血に繋がっていく相手の薄い魔法行使に関連する真理の糸のような何かさえ追い付かず振り払っていく。
もう一人の女の物理的な刀の斬り上げも、かすりもしない。
そのまま血を操る黒髪ボブの彼女の背後に回り込む。
右手の甲の上で練って発動
ーー十知未 うるし
世治。
人類生誕から未来へと連なる人類に関する悪意。その糸をハサミを使用し紙を切る様に。
オリハルコンさえ斬り裂けるほどに束ねて、創られた《七漆黒 すべて》を用いて繰り出す。
十字の一閃目。
「斬られ…小…娘…」
左薬指の腹の上で練って発動
ーー延引広 実在点
世束。
永く薄く引き伸ばされる、現実。
終着点は《七漆黒 すべて》を用いて放たれる、《十知未 うるし》の一閃目が貴女の身体から離れるまで。
「さぁ、はじめよう」
肉と骨と血管を少しずつ食い破りながら進んでいく。
臓器にも損傷を与えながらそれでも無理矢理捻じ込むように。
彼女は、その稀なる魔法的な血の能力で抵抗してくれる。
【真祖】と呼ばれる力の一端、再生能力に肉薄するほどに近く、溢れる血が戻り、凝固し治療を試みてくれる。
それは首から刃を入れ、腹まで割き引き裂く。一つの動作の間のこと。
それでも類稀なる危機察知能力さながらの奇跡的な回避動作の相乗効果で、絶命だけは逃れられた模様。
なぜ反応できたのか、奇跡という名の運を手繰り寄せられたのかは疑問に思う。
まるで父の剣に匹敵する何かとの模擬戦を重ねたような相手を彷彿とさせ、後味は非常に良くないわ。
だからこその二撃目は傷めつけるための一手。
それでも彼女自身もここまで大きく切り開かれるほどの傷を、ましてや剣士からもらうなんてまるで考えられなかったみたい。
それは表情から物語っている。
《七漆黒 すべて》で斬った箇所から激毒のように目に見える形で侵食していく。
一撃目からの転還、切り返しの二閃目。
「ぐふ…ぎゃああああ!!!」
左太ももに《七漆黒 すべて》を食い込ませ、そのまま斬り落とす。
「かはっ!!!」
そのまま相手は自身の重みで倒れ込む。
「キキョウ!!」
駆け寄るもう1人。
「グロ…リオ…サ…撤退」
あぁ、地面に付着していない血も戻しているのか。
あれだけ血が流れても死なないなんて。
実に都合がいいわ。
「撤退させてやるわ。まるで大した事ないしね」
相手の面が割れた以上はどうとでもなるわ。
それに《七漆黒 すべて》で斬ったから。
すぐにはまともに何も出来ず、元に戻れない。
「腑抜けているし、すべてが弱すぎる」
刀の柄が砕けそうな勢いで彼女達2人は握りしめ上げながら、この場から一瞬で消えた。
ふいに後ろを振り向くと、遠目にクラ達が走ってくるのが見える。