達也という男 ―前編―
「………ん?ここは……?」
目を覚ました信良の視界に飛び込んできたのは、木材で緻密に組み立てられた知らない天井だった。
海の潮風のしょっぱい香りが少し漂うこの一室では、今自分の居る場所が同じ港町であると確認しできる。
「……なんで俺は……?」
「気がついたか」
信良がベッドから身体を起こそうとすると、ベッドの横に置かれた椅子に座るジャックの姿に気づく。それと同時に、自分が置かれた状況を着々と理解していく。
「……負けたのか……俺は………?」
「ああ。手も足も出ずにズタボロにされてたぜ」
信良にある敗北の悔しさなど知ったことかと言わんばかりに、ジャックはストレートに回答する。
流石にその言葉が効いたのか、信良は思いつめるような顔をして自分の広げた両手を見る。その手は土と砂で汚れ、背中や額は自分の汗で湿っているのに気づく。
「……歯が立たなかった。あの人は……弱くなったどころか、前よりも格段に強く……っ」
「んなの、見てりゃあ聞かなくたって分かるよ。ついでに言うと、お前が油断してたのも」
「うっ……」
言葉の右ストレートと言うのか、ジャックの言葉は信良の脆い部分を仕留める。それほど鋭い。しかしそれで、信良がジャックに『使う言葉を選べ』などという言葉を出すことは出来なかった。
ジャックに言い返せない最大の理由としては、それが図星だったということだろう。信良の顔には、図星を突かれた時のあの痛い表情が浮かんでいる。
「そりゃあそうと――達也さんの戦い方、昔と変わっていなかったなぁ。どんな敵でも観察し続けて、攻撃を受け流しながら討つ。お前が憧れた達也さんと全く同じ」
「……ああ。悔しいけど……俺が戦っていたあの人の姿は、間違いなく自分の憧れたそれだった…….」
ジャックと信良の考察通り、達也は昔から自分の戦い方を変えてはいなかった。それどころか実力を上げることにより精度を上昇させ、全てにおいて強化されていた。
しかし、それを周囲の野次馬達のように周りから刮目していたジャックは、ささくれが刺さったような違和感を覚えていた。そしてジャックは、その時の光景を思い出しながら会話を持ち出す。
「二人が戦ってる時よぉ、シアちゃんから聞いたこと話してもいいか?」
「ん?別にいいが………」
「お前も多分、あの人への印象変わるぜ」
そうしてジャックは、今からおよそ3時間程前のシアとの会話の内容を細かく語り出した。
―3時間前―
潮風香る青空の下、広場にて信良が笑顔を漏らす達也に斬りかかっている頃、ジャックは近くにあった椅子に座って二人の戦いを眺めながら、同じく横に座るシアと会話をしていた。会話の主となるのは勿論、達也についてである。
「達也さんは隊から離れて、ずっと怒ってました」
「それは隊を抜けさせられたから?」
「いいえ。ただ単にいつも、ドラゴンを恨んでいると言っていました」
この会話を側から聞くものなら、内容を知らなくても非常に暗くなる話だろうとすぐ分かるだろう。
会話をする二人の表情は、どこか懐かしむようでもあり、どこか悲しむような顔だった。そしてその悲しみは達也に向いたものだった。
「異世界に来て数週間はとても悲しんでいて、いつも私に甘えてきましたよ」
「……というと?」
「『もう誰も手放したくない』とだけ言って、夜になると寄り添ってきました。雨の日はずーっとですよ」
シアの言葉のテンションは、まるで世話の大変な我が子を、ママ友達と困った子だと笑いながら話し合う時のようだ。
そんなシアの言葉を耳に入れたジャックは、あることを思い出す。二年前、0番隊がほぼ壊滅状態になり、達也が信良達の元を離れることになったキッカケの出来事である。
「雨の日に甘えたくなるのは仕方ねぇよ。あの日も雨だったからな………」
「あの日……ですか?」
「達也さんから0番隊が壊滅した時の話……聞いてない?」
「あまり話したがりませんから」
「まあ……そうか」
達也の心情を察したのか、二人の表情は少し暗くなる。そして二人の間に僅かな静寂が生まれる。その静寂はほんの一分も無かっただろうが、二人にはとても長く感じただろう。
静寂を断ち切ったのは、ジャックだった。
「……二年前のあの日、俺達0番隊は、増加傾向にあった魔物達を蹴散らすため西の大国ウェルダリアに向かっていた」
「……ジャックさんは、その中に居たんですか?」
「ああ。俺と信良はその頃から隊に居たからな」
ジャックは事情を知らぬシアの無垢な質問に、優しく受け答えし、そして話を続ける。
「魔物の討伐は何の問題も無く終わり、ウェルダリアで1日休んだ後、俺達は最寄りにあった支部を目指した。
来る時には晴れてた空に雲がかかって、気づけば雨も降ってきてなぁ」
「歩きだったんですか?」
「いいや、その時は魔道車を使ってたよ。魔力で走るってだけあって早いもんだよ。でもまあ……アレに乗ってなければ、どうにかなったのかもしれねぇなぁ」
前触れ無く、ジャックの顔は後悔に覆われる。過ぎたことを気にしても仕方ないのだが、人は後悔せずには居られぬ生き物なのだろう。
「帰りは近道ってことで山道を使ったよ。山道つっても大して急斜面って訳じゃないし、魔物の出現率も少ないってことで安全だったんだ。
面白い位に道中は何も起きなくてさ、皆んな余裕が出来た。そんな時に……アレは現れた」
「アレって、信良さんが言っていた――」
「そう――『異端』のドラゴンだよ」
ジャックの言葉の途中で察したシアに対し、ジャックは明らかに声のトーンを変えて話を続ける。
「雲がかかってる濁ったような空なんかよりもよっぽど禍々しい位に黒く、岩肌のような鱗、そして何より、小さな城くらいある巨体が空を飛んでんだ。誰だってビビる。
奴は俺らに……いや、むしろ達也さんに気づいたというべきだろうな。奴は一目散に俺達の方へと向かってきて、そのまま攻撃してきたんだ」
「………」
シアは固唾を飲んで聞き入ることしか出来なかった。まるでRPGの序盤に魔王が現れたような衝撃は、聞き手の言葉を失わせる。
「戦闘が始まってからのことはほとんど覚えていない。覚えていることとすれば、ドラゴンによって0番隊のほとんどのメンバーが殺され、雨が降ってるにも関わらず周囲が焼け焦げている。
そして眼前に立つ真っ黒な巨体に向かい合う、傷だらけになりながら怒り狂ってた達也さんくらいだよ」
「達也さんが……?」
シアは、信じられないというあからさまな反応を顔に出してジャックに見せる。
「そう。あの達也さんが怒り狂ってたんだ。そしてヤケクソになって斬りかかって、奴の左目に一撃食らわせた。しかしだ、奴は空を飛んで逃げてった。勝ち逃げってやつだよ。
結果として俺と達也さんと信良は生き延びることが出来たが、それと同時に仲間の仇を失っちまったんだよ」
「………辛かったですか?」
「ああ……辛かったよ。なんせ怒りの矛先が無いんだから」
ジャックの心は、シアから見ればまるで自分の言葉という針で痛めつけてるように見えた。自ら心に痛みを負う理由をシアは考えたが、少女である彼女には分からなかった。
「………あの、達也さんは、0番隊に戻りたがってるんです。本当はまた皆さんと戦いたいけど、前みたいな悲劇を起こしたくないって………だから………」
「わかってるよ。達也さんを責める事なんてしない。いや、そもそも俺達には、そんな権利ありゃあしない。信良だってそれは分かってだよ。ちょっとムキになってるだけさ。だから嫌いになんないでやってくれ」
ジャックは信良の方を見ながらそう言うと、椅子から立ち上がる。そしてシアを見下ろすように見て一言言うのだ。
「あの人がどう進もうと、俺は何も文句を言わない。あの人が戻りたいと言うなら祝杯だってあげてやるし、戻りたくないって言うなら元気に送ってやる。ただ………達也さんのことを……俺達の隊長を、宜しく頼むよ」
その顔は、まだシアが見たことのない顔だった。ただ純粋に一人の男を慕う気持ち。それをジャックの表情から読み取ることは、案外造作もないことだった。