目指した背中、目の前の背中
「勘違いを正す……?」
達也の言い放った言葉に対し、信良が返した言葉である。理解が追いつかず、僅かな語彙力の低下と返答する力を失って反射的に出た一言だった。
即座に信良は、達也のその言葉の意味を考え始める。自分にある勘違いとは何か……それを記憶という大きな袋の中から探り出すような感覚だろう。
「深く考えなくて構わねえよ。そのまんまの意味だからな」
「俺が貴方を勘違いしていると?」
「そういうこと。まあそれは置いといて……続きしようぜ。勝ち負けつけば納得すんだろ?」
達也は片手に持った刀をカチャリと鞘に納め、姿勢を低くする。そして右手の腹を刀の柄にかけ、居合の構えをとる。
信良にとって、それは見慣れたものだった。自分が今着く地位であった達也に憧れ、その背中を見続けて覚えてきた。
(言うなれば達也さんにとって居合は十八番。驚異的な速度で近づき、そして標的を切り捨てる……!)
信良の脳裏をよぎるは、見慣れた達也のその居合と、それにより命を落とす自分の姿だった。
(ハッキリ言って達人以上――しかしっ、決して反応出来なくはない!この日のために、どれだけ反応速度を上げてきたと思っているんですか!!)
勝利に対する明確な構図が見えた信良に今あるのはただ1つ、自分が勝つという自信のみであった。
信良は刃を前方に二本投げ地面に突き刺すと、残りの二本を両手に持ち、独自の戦闘態勢を整える。その構えはいわゆる二刀流であるが、右手に持った刃の切先を達也に向け、左手の刃を力無く地に向けて持つ。
「いつでも良いですよ……!」
信良の刃は一本一本が達也に対しての敵意を纏い、いつ来ても即座に攻撃に移れるようになっていた。
しかしここになって、達也に言われた一言が脳裏に浮かぶ。そしてその言葉が、信良に疑問を抱かせる。
(変わったことが勘違い………?何を言ってるんだ。貴方は隊を離れたことで大きく変わってしま……先程の俺の攻撃に対する反応が証拠だ。かつての貴方なら、あの一瞬で攻撃に転じ、そのまま終わらせることだってできたでしょうに……間違いなく貴方は弱くなっている!
そんな貴方の攻撃など今の俺には意味がな――)
信良が瞬きをしたその時、そこに達也の姿は跡形も無くなくなり、港町特有の潮風が流れていた。
ここに居た者全てが、達也の立って居た筈の場所に目線を置き去りにされていた。勿論、信良もである。
するとなんの気まぐれか、信良はふと目線を下に下げる。意識など無く、反射的な行動であった。
そこには、本来いる筈もない力強く優しいであろう男が、信良の首に右手に持った刀の刀身を突き付けていた。首に触れてはいない。ただ、首と1センチもない程の距離に、刀の刀身はあった。
「先ずは一本だな」
「――!?」
声の主は達也だった。達也は背の高いその身体を信良の身体の死角に潜り込ませていたのだ。秒など数えれない程の速度でだ。
達也の姿を視界に捉えた瞬間信良は衝撃を受け、背後に数は下がり転んで尻餅をつく。
「おいおいどしたぁ?まだ終わりじゃあないんだろお?」
達也は自分の身体を起き上がらさせ立ち上がり、信良を見下ろしながらそう言う。
この時の信良の心情は、目の前に立つ一人の男に対する恐怖そのものだった。負ける不安など一切無かった目の前の男が、一瞬にして自分に王手をかけたのだ。余裕は不安と変わり、自信が恐怖となった一瞬の出来事。それは非常に鮮明な記憶として、信良に刻み込まれる。
「たしか稽古では五本勝負だったよな?ってことは後二回勝たなきゃダメだよなぁ」
「………あっ、そ……そうですね……」
「んじゃ、さっさとかかって来いよ。昔通り相手してやる」
達也はそう言うと先程まで居た位置にまで戻ると、再び信良の方を振り向いて刀を構える。今度は居合ではなく、単純に片手で刀の柄を持って信良に切先を向ける。その顔には、笑顔が溢れていた。
未だに理解が完全には出来ていない信良。自信も簡単にへし折られ、本当なら戦う気力など残っていないだろう。しかし、それでも立ち上がる。立ち上がり、そして達也を見る。
(今の居合……弱くなってるなんて、確かに勘違いだったな。間違いなく実力を上げている。仮に今の俺が二年前のあの人に追いついていたとしたら………いや、それも勘違いか。どうやら、俺はこの人の底には近づくことすら出来ないらしい。
ならば何故、そんな実力を持っていながら、貴方は隊に戻らない?実力を上げているということは、特訓をし続けたということでしょう。俺はもう……貴方が分からない……)
信良は考えた。考えに考え、達也が何を思うのか、それを考え続けた。その度に信良の心に残るは、分からないというイラつきと分かることの出来ない自分の未熟な自覚だった。そして信良は、それを振り払うかのように、達也に向けて斬りかかる。
そこからの流れはご想像通りである。信良は攻撃をし続けるも、達也はそれをことごとく捌ききる。自分から攻撃をするのではなく、ただ捌き続けるのだ。よって信良の気力は削がれ続ける。自分の攻撃が通用しないという絶望と似たその感情は、着々と信良の心に刻まれていく。
一方野次馬と共にジャックとシア、そしてその他の隊員達はその光景を見続けていた。間違いなく実力者である信良が歯が立たない。興味深いものである。
そしてジャックは、達也に対する様々な考察をしていた。
「昔に比べると、隊長の反応速度、動体視力とその他etcが上がってるなぁ。それにまだ余裕が見えが、あれが今の隊長の本気ってことかぁ」
「え?」
ジャックの声に真っ先に反応したのはシアだった。
「達也さんは……本気なんて少しも出してませんよ?」
「え?」
シアのその言葉は、一瞬ジャックの考えを鈍らせた。要因としては、自分が見ていた達也が、まだ本気を見せていなかったのだということ。約二年間の旅に同行し続けたシアが言うのだから、間違いないであろう。
「………まあ、確かに本気じゃないだろーな。本気なら、隊長あんな顔しないよなぁ」
その言葉を放つジャックの目線には二人の姿。そして信良の決闘を繰り広げながらも、子供のような無邪気な笑いを顔に浮かべる達也の姿だった。
その笑顔は、ジャックを呆れさせる。
(……何故貴方は……笑っているんだ?)
笑顔には勿論信良も気がついていた。彼にはそれの意図など分からず、時間は刻々と過ぎていく。自分が目指していた背中とはどういうものだったのか、その答えが出ることもなく、信良は気力を使い果たして、地べたに倒れ込んだ。