異端教のドラゴン
城のとある一室。書斎となったその部屋には、数え切れぬ程の本と、それを置き彩る本棚の数々。書斎と言うよりも図書館の方が正しいかもしれない。
この空間では、人々を自然と落ち着かせる何かがあった。形では存在することのない、“雰囲気”だ。即ち、仲の悪い者達でもすぐさま仲良くなる――――
「たくっ、何で俺がお前なんかと二人っきりでいなきゃいけねえんだ………?」
「はっ、団長が一緒に居てやったんだ。ありがたいと思ってもらいたいねぇ」
「言ってろ」
――訳では、なさそうだ。露骨に嫌味を言い合う達也とランロードには、犬猿の仲という言葉がお似合いだ。
二人は少し距離を開けながらカツカツと靴音をたてて書斎の奥を目指す。辺りを見渡しても眼に映るのは本ばかり。そんな空間であるにも関わらず、二人の足取りに迷いはない。
「………ここだ」
ランロードがある本棚を前にして、突如として足を止める。それを見て自分も足を止める達也。
二人の前の本棚は一見して普通の本棚で、他同様空き無く本が敷き詰められている。ランロードはそこから何の躊躇も見せることなく一冊の本を手に取る。その本は少々古く、よく見れば本の表紙や中身の至る所がボロボロになっている。
ランロードはその本を手に取ると、無造作に達也にへと受け渡す。達也はそれを素直に受け取ると、まずその表紙に目がいく。その表紙は真っ黒で、文字や装飾などは存在しない。しかしそれでも、達也にはそれが何なのか一目で分かった。
「………こんな物、いったいどこで手に入れたんだ?」
既に脆くなった本を乱暴に、ランロードに見せつけるように持って問いかける。
「これは奴等の………異端教の教本の一冊じゃねえか」
教本、即ち、宗教などの教えの根本。彼等にとってはとても重要な物であるはずだ。何故それが城の書斎なんかに置かれているのか。それ考えると、ある一つの考えが達也の脳裏に浮かぶ。
「おいおいまさかとは思うが、ここの王様って異端きょ――」
「そんな訳あるか」
達也の予想を口にするのを遮るランロード。
達也はランロードのツッコミを受けると、不意にその教本に目をやる。パラパラとページをめくってみると、先程よりも隈なく見てみた分感じるものがあった。
達也がこの教本に抱いた違和感。それは、
「………何十年前の教本だ?」
ボロボロなのは扱いがどうだとかではなく、この教本が扱われていたのが何十年も前だからであった。
「解析の結果、三十年前近くに扱われてた物だ。お前も知っての通り、異端教の教本は十年から二十年おきくらいで変化しているし、二、三冊前のだろう」
ランロードの解説通り、異端教の教本は何年かおきに変化している。それもこれも、異端教が六司教それぞれで考え方が違うというからだろう。
ランロードは達也から教本を取ると、迷いなくページをめくる。そして開いた一つのページ、それを達也に差し出す。
「このページを見てみろ」
「………?」
差し出された教本を手に取りそのページを見てみると、そこには謎の言語で幾多もの名前と思われるものが書かれている。
「………こりゃあ、『魔神文字』か」
『魔神文字』とは、まだ世界と異世界が繋がるよりも遥か昔に異世界で使われていた文字である。
「三十年前の時点で、魔神文字を解読出来る者は少ない。恐らく、暗号的な役割だったんだろう。因みに、お前は?」
「あ?当然読めるが………それがどうした?」
「…………」
何も言い出せないランロード。そもそも魔神文字を解読出来るというのは現在、日本の小学生が10カ国以上をマスターしているぐらい珍しい。あたかも当然のように魔神文字を解読出来る達也は、読めないどころか存在を知らぬ者からすればどうかしている。
「………まあ、読めるんだったら話が早く済む。読んでみろよ」
素直に従い、常人では到底理解出来ぬ魔神文字をスラスラと解読していく。すると半分程読んだところで、ある単語に目が止まる。その単語は哲二にとって胸にくるものがあり、自然と怒りが込み上げてくる。
(コイツは…………まさか………)
「名をヴリトラ」
達也の目に止まった単語を、ランロードが読み上げた。ランロードはそのまま続ける。
「魔物の中でも単体で強大な戦闘力を誇るドラゴン。その中でも非常に強力な個体を異端化させたもので、その危険度はSSSに相当する。
………達也、お前がいう『異端のドラゴン』のことだよ」
異端のドラゴン――その単語は、達也の脳裏に深く根付いていたものだった。達也は眉をピクリとさせ、身体には力が入り硬くなる。
(………くそっ、あん時のことが頭を過りやがる………)
脳裏を過るは、あの雨の日。一瞬にして多くの仲間を失った、達也にとって最も記憶に深い出来事の一つ。今でも昨日のことのように鮮明に思い出すことの出来るそれが、達也の怒りを、憎悪を、殺意を掻き立てる。
「…………おい」
悪意に身を投じていた達也を、ランロードの敵意の困った一言が呼び戻す。
「殺意を剥き出しにしたいなら外でやってくれ。ここは城だぞ」
「………ああ、悪かった………」
先程の自分を戒めるように気を落とす達也。
ランロードは達也の手から教本を取り本棚へと戻すと、落ち込む達也を見て呆れたか疲れてか、右手を持ち上げて首筋を掻く。
「………まあ、俺が言いたいのは、異端のドラゴン………奴等の言うところのヴリトラは、最低でも三十年前には存在したってことになる。しかし奴が最初に目撃されたのは、お前たち零番隊を襲撃した二年前…………」
「………何故今まで見つからなかったんだ?」
ヴリトラを知る達也は知っている。ヴリトラの巨体を、黒曜石のように硬い鱗を、周辺に居るだけで何らかの自然現象を引き起こす、その性質を。そんな特別秀でた魔物が、何故二、三十年もの間見つからなかったのか、そこには明確な違和感が存在する。
「考えられる可能性は二つ、ヴリトラのような強力な力を持つ異端を生み出すには十年単位の時間をかける必要があるというもの。もしこれが正解な場合、奴等は強力な異端を量産出来ないことを意味する。ハッキリ言って、こっちであれば奴等の対処にも余裕が出来るんだが………」
ほとんどを語ったところで、ランロードの言葉が止まる。そこから察したのか、達也が問いただす。
「………もう一つは?」
「…………考えたくはない。あくまで仮説にすぎないが………」
ランロードは語ることを少し戸惑うも、溜息を一つ吐いて息を落ち着かせ、決心する。
「………もう一つは、奴等がヴリトラの存在を一時的に消し去ったりする………いや、何かに保存しておいて、召喚術のようにいつでもどこでも姿を現させることが出来る可能性だ」
その仮説はどこか小難しく、少し理解するのに時間がかかるものだった。それでも達也には、その仮説の意味が少し理解出来ていた。
「………要するに奴等は、ヴリトラを含めた異端の魔物たちを魔物としてではなく、兵器として扱えるかもしれないってことか?」
「まあ、その通りだな。しかし何度も言うがあくまで仮説、今はどうにも出来ないことさ。ただ、頭の中に入れてほしかっただけさ。異端教の六司教の一人、黒服のことを追うお前にはな」
ランロードは、達也が探す人物のことを知っていた。同時に、ランロードが知っているということを達也は知っていた。
ふと、ランロードは自分の左手首にある腕時計に目をやる。
「………とっ、もうこんな時間か。お前はもう支部に迎え。外に迎えを用意している」
腕時計に記させれた時刻を見て、達也を慌てさせるように伝える。
「ああ、そうだな。何ならお前のことぶちのめしてこうとも思ったが、仕方ねぇ」
「はっ、お前なんて俺の速度には追いつけないだろ」
「んなもの、黒装使えば一種で終わるは!とっ、こんな無駄話してる場合じゃねぇは」
達也は最後にそう言い残すと、書斎に入った際のドアへと向かう。その途中一度足を止めると、振り向くことなく達也は口を開く。
「………死ぬなよ」
「お互いな………」
互いが一言だけ言い残しやり取りを終えると、達也はドアから外へと向かい歩いて行った。
書斎に一人取り残されたランロード。すると誰も居ないにも関わらず、とても小さな声で呟き出す。
「………さっきの言葉、冗談なのは分かってるさ。………ただ、自分の状況をしっかりと考えろよ。お前が黒装なぞという忌々しい異端の技を使えることが周りに、特に信良にでも知られれば、どんな反応を示すか………?
お前が一度、黒装を使うたび、ユイちゃんがどうなるのか………分からない訳じゃないだろ………?」
達也にイラつきつつも、達也のことを哀れむその姿には、哀愁を感じ取ることが出来た。




