ゴブリンキング ―本領―
未だ逃げきれていない住民達。その住民達を介護する0番隊員と、ギルドの冒険者達。その目線の先にある居るだけで威圧感を放つような存在は、彼らの戦意を奪い去る。
黒く背の高い肉体を持ったゴブリンキングを前に明確な闘争心があるのは、この場において信良ただ一人だった。その闘争心が、達也に完膚なきまでに叩きのめされたのが身に染みたからか、隊長としてか――――何にせよ、信良はゴブリンキングを本気で倒す気でいた。
(奴の目の傷は未だ残っていない筈……とすると、奴は俺をどうやって認識している?考えられるとすれば――)
立ち上がりながら額から流れる血を腕の裾で拭い、同時にゴブリンキングの鼻元に目線を寄せる。
(ゴブリン特有の嗅覚か………ならば、それを封じれば――)
信良は鼻元から視線を泳がし、辺りをコッソリと見渡す。何も考えずに見渡す訳ではなく、理由を持ってのものだ。
しかしそれをよそ目に、ゴブリンキングは周囲の臭いを感じ取りながら戦いの準備を整える。
(こちらも目をやられてしまった………これでは暫くは何も見えぬが………ハンデとしては丁度良いか)
ニヤリと薄気味悪い笑みを浮かべながら、驚異的なまでの闘志を漂わせる。より濃く、重い闘志を。それには辺りの0番隊員や冒険者達だけではなく、ゴブリン達の動きすらも鈍らせる程のものだった。
運悪く強力な冒険者が居ないのか、それとも既にゴブリンキングの手によって葬られてしまったのか、どちらにせよ、強者たちがこの場に集うことはない。
「こちらも本気で戦おうと思うのだが――その前に、貴様の名前を聞いておこう。名を何という?」
「………須藤 信良……」
「スドウノブヨシ!貴様は絶対的な力を望んだことはないか!?」
ゴブリンキングから溢れる威圧感が弱まった訳ではない。しかし、その口調は道楽に浸るご機嫌そのもの。
「ワシにはあるぞぉ、力を欲したことが!!
かつて貴様達と同じ異界調査団に仲間を虐殺され、無力だったワシが隠れることしか出来なかったあの日ィ、ワシがどれだけ力を欲したことか!」
その瞬間ゴブリンキングの脳裏には、燃え上がる村で、何体ものゴブリン達が倒れていく光景だった。ゴブリンはその光景に憎しみを覚え、同時に無力さを知るのである。
「隠れることの出来たワシしか生き残ることは出来なかった。よって一人残されたワシは絶望し、仇をとってやろうと必死になったわ。
しかしだ、前触れなく奴は現れた。黒き服装に身を包んだ奴がなぁ」
奴、その単語に信良は引っかかりを覚えた。ゴブリンキングの言葉に対する違和感、しかし信良はそれについて聞くことも出来ずに、ゴブリンキングの昔話は続く。
「奴はワシに力をくれてやるとぬかしおった。それを受け入れてみれば、風船が破裂するように力が溢れ出てきおった!」
「………異端化したのか」
突如喜ぶように高らかに語り出すゴブリンキングに対し、信良は冷静に捉え考察する。そして導き出された答え、それが異端化だった。
しかしその答えに、信良は突っかかっていく。
「……つまり言えば、お前は異端化したことで強くなったと。楽して逆恨みの対象を根絶やしに出来る力を手に入れたと――くだらないな。
結局はそれに頼らなければ戦えないということだろう?力を授かっただけで、自分で身につけた力じゃない。それなのにそこまでは浮かれるとは、バカなのか弱虫なのか――どちらにせよ、お前が力に溺れているだけの弱者だという証明には変わらないな」
「………粋がるなよ人間。授かった力も立派な力、なにより力を持たぬ者が持つ者に反論する時は、その者に勝ってからでなければ意味を成さないものよ」
ゴブリンキングの心情は怒りではない。かといって喜びでもなければ悲しみでもない。もはや言葉にするのも難しいような、狂気に満ちたその心情が、空気を重厚なものへと変えていく。
ゴブリンキングはその巨体を地面に近づけ姿勢を低くする。クラウチングスタートにも似たその姿勢と槍を持った右手からは、突撃の準備を整えていることが良く分かる。
「ワシに反抗的な態度をとったのだ。簡単には折れてくれるなよ」
突如、辺りから信良の無事を祈り見守っていた者達の視界からゴブリンキングが消え、同時に信良が背後へと重力が変化したように吹き飛ぶ。信良は背後にあった酒屋の店内まで吹き飛び、酒屋からは土煙があがる。その少し手前には槍を持った腕を信良の方へと伸ばし、姿勢を未だ低くしていたゴブリンキングの姿があった。
ゴブリンキングは低くしていた態勢を持ち上げ、再びあの巨体へとなる。
「「隊長!!」」
周囲に居た0番隊員の声である。隊長である信良を心配して出たであろうその声に応じてか、信良はより傷ついたその身体を無理矢理に持ち上げる。
苦しみながらも立ち上がるその姿を臭いで感じ取ったゴブリンキングは、つい先程自分が信良に突撃した時のことを思い出す。
(こやつ……即座にワシの攻撃に反応し威力を抑えたか。しかし、こちらは本気であっても全力でないというのにあれだけ吹き飛ぶとは、脆いものだ――)
「勝った気でいるんじゃねぇよ……!」
土煙の中で佇む信良が、ゴブリンキングを睨みつける。しかし、王の余裕と言うべきか、ゴブリンキングは全く慌てようとしない。それどころか、信良の先程より弱った声に、勝ちを確信している。
「もう良い。所詮貴様は、ワシを弱者などと言えぬということじゃ。実力に明確な差が有る。故に貴様はワシに勝つことなど出来はせず、ここで無様に死に絶えるのだ」
弱き者を見つめるゴブリンキングのその目からは、楽しみなど感じられない。ただ単に目の前に居る弱者を殺す――言うなれば蟻を意識して踏み潰すような感覚なのだろう。
楽しみも敵意も感じられない、その無情の表情を前にして、信良は口元にニヤリと笑みを浮かべる。
「確かに……俺は実力ではお前には勝てないかもしれない。このまま殺されても、仕方ないのかもしれないな……。
ただ一つ言わせてもらいたいんだが、お前今、俺が見えてるか?」
「なに……?」
信良の口から出た、一瞬悪足掻きにも聞こえるその台詞は、ゴブリンキングの思考を惑わせる。しかし、それは問題ではない。問題なのは、匂いによって信良の位置を捉えいたゴブリンキングが、信良の位置を確認できなくなっていたことだった。
すぐさまデタラメに槍を振り回そうとしたゴブリンキング。しかしそれ叶わず、信良の持つ四本の刃から放たれる風を纏った斬撃が、ゴブリンキングの胴体に大きな切り傷を刻み込んで吹き飛ばす。傷口はゴブリンキングの黒い肌が固いこともあり深くはないが、出血させるには十分だった。
足裏と地面が擦れることで土埃がゴブリンキングの黒い肉体に絡まるように上がる。そのままゴブリンキングは一瞬フラつく動作を見せるも、すぐさま態勢を立て直す………ことは出来ず、そのまま信良の追撃が風のように素早くゴブリンキングの肉体を傷つけていく。
(この酸味のある臭い………酒か。コヤツ、酒を飛び散らせることでワシの嗅覚を封じたか……)
ゴブリンキングの考察通り、信良の狙いは酒によって嗅覚を封じさせることだった。自分の服と辺り一面に酒を飛び散らせることで、自分の臭いを薄れさせる。嗅覚の強い魔物には理にかなったやり方だった。実際にゴブリンキングは信良を見失い、今現在攻撃を受け続けている。
視覚と嗅覚を失うも、聴覚を頼りにゴブリンキングは槍を振り回す。しかし信良も0番隊隊長、ただ力任せに振り回すだけの攻撃が当たる筈も無く、ゴブリンキングのその黒い肉体はみるみる内に赤く染まっていく。
「………舐めるなぁぁ!!」
ゴブリンキングは叫びに似た雄叫びを上げ、槍を突く。土壇場に起きた奇跡なのか、その突きは信良を一直線に捉えていた。
当たれば重症、直撃ならば即死であろうその一撃。それに対し信良がとった行動は、無視であった。その突きを気にすることなく、真っ直ぐゴブリンキングに突っ込む。
足音でそれを察していたゴブリンキングは、攻撃を止めることはなかった。信良に槍が当たりかけたその時、何かに弾かれ、槍の軌道が逸れる。
「!?」
ゴブリンキングは反射的に、一つの建物を向く。その建物の上には、ライフルを構えこちらを狙う圭介の姿があった。見えてはいない。ただ、音で銃弾であるということと、その銃弾の飛んできた方向は分かっていた。
(ここまでそちらの狙い通りか………)
「………トドメだ」
信良の持った刃はゴブリンキングの胴体をシッカリと捉え、四本の刃による斬撃を放つ。今までの攻撃で付いた傷全てが、その一撃で連鎖的に開く。ゴブリンキングの胴体からは血が噴水のように吹き出すと、力無く地べたに膝をつき、そしてそのまま倒れ込む。
「………あまり人間をなめるなよ、『小鬼の王』」
「「やっ、やったぁぁぁぁ!!」」
ゴブリンキングが倒れたのを確認すると、その光景を見ていた町人達からは歓声の声が上がる。その声は遠くまで広がり、建物の中に篭っていた町人達、ゴブリン達と戦っていた0番隊員や冒険者達も安堵する。ゴブリン達はというと、王が殺されたであろうにも関わらず悲しんでなどいない。戦意が無いのは当然だろうが、むしろ喜んでいるようにも見える。その姿は多くの人を不思議に思わせた。
「ふう……一先ず、どうにかなったか………」
信良は溜まっていた息を一気に出し、身体の緊張感を解く。これによってゴブリン達の襲撃は阻止され、港町は、再び心地よい潮風が吹く落ち着いた雰囲気を取り戻した。
――かに思えた。
グシャッ
「………グハッ………!?」
その声に皆が信良の方に目線を向けると、信良は腹部を背後から槍で貫かれ、口から血を吐いていた。
「「隊長!!」」
「………グッ、おっ、お前ら………逃げ……ろ」
信良は腹の奥底から絞り出すように声を出す。その背後には、誰もが押されるであろう、長い鼻を持ち、背の高い影があった。先程信良に倒された筈のゴブリンキングは、その肉体の傷が塞がり始めた状態で立ち上がっていた。
「ガハハハッ!!いやぁ中々楽しめたぞ!
……で、どうだった?少しの間でも強者になった感想は?」
ゴブリンキングの顔には、あのニヤついた顔があった。それどころか、信良が視界を封じる時に切った部分が完全に再生され、目を見開いていた。
「既に視界は回復したいのだが、簡単に騙されてくれてよかったよ」
「グッ………まさか………?」
「そぉ、目が見えないというのは芝居だ。なのに貴様は調子に乗り、慎重になる事なくワシに攻撃し続けた。なんともぶざまなことか」
「……!?」
「まあ、人間にしては良くやったと思え」
ゴブリンキングはそう口にすると、槍に信良が刺さったまま槍を振り、槍を持つ方向へ信良を放り投げる。
「ワシを倒せるのは、慢心などすることない強者か、またはワシ同様、自分という存在を辞めた者くらいじゃな……」
ゴブリンキングは、何処と無く哀愁が漂う声でそう呟くと、信良から目線を外し、町人達の方へと振り返る。
(………弱いな………俺は……)
信良は心の中で、自分を悔やみ、憎んでいた。
(慢心も、油断も、した覚えは無い。あるとすればそれは………)
ゴブリンキングに放り投げられ、宙を舞う信良の脳裏に浮かぶは、一人の男の背中。同じ隊服を着るまでになっても追いつくことは出来なかった、永遠の憧れであり、苦しみを分かってやれることが出来なかった、男の背中だった。
(結局俺は、貴方の苦しみを分かってやれることが出来なかった。それが枷となったから……いや、違うな。元々俺じゃアレには勝てなかったか……。
………達也さん……やっぱり俺には、隊長なんて向いてねぇよ……)
ドサッ
信良の身体が何かにぶつかる。しかしソレは妙に落ち着き、信良は自然と身体を寄りかからせていた。
(……なんだ?あったけぇ……枷が外れていくみたいだ………)
信良にかかっていたストレスという名の枷は、その温もりにより粉々に砕けていく。そして信良はその温もりの正体を確かめようと、ふとその顔を見る。
そこには、一人の男性の顔があった。背中ばかり追いかけていた所為で見ることが少なくなっていた、あの優しい顔が。
「………達也さん」
「遅くなっちまったか?」
「遅すぎですよ………」
温もりの正体は達也だった。直後、達也めがけて信良の血がこびり付いた槍が投げられる。それに気づいた達也は即座に刀の柄に手をやり、一瞬すら超えた速度で槍を真っ直ぐに切り裂く。槍は縦に半分となって、達也の背後に転がった。
「……ほう、貴様中々やるなぁ。何者だ?」
「仲間傷つける奴に名乗る名なんて持ち合わせていねぇよ」
ゴブリンキングに向けてそう吐き捨てる達也。するとそこに、町人達の介護などをしていた隊員の二人が駆け寄ってくる。
「おうお前ら、コイツ頼めるか?」
「もっ、勿論です!」
達也は二人に信良を力の抜けた信良を引き渡すと、刀の刃を鞘に収め、ゴブリンキングに近寄っていく。その足取りは軽いが、ゴブリンキングには明確な敵意があった。
ゴブリンキングはそれを察すると、槍を持って来いと声を上げる。その声と同時に二体のゴブリンが、先程の槍よりも硬い材質の槍を持って走ってきた。ゴブリンキングはそれを手に取り、ブンと降る。ゴブリン達はそれによって吹き飛んでいった。
「貴様からは同じ匂いを感じるなぁ。楽しめそうだ」
「楽しむ?」
「ああ、ワシにとって戦いとは道楽だからなぁ。あそこでグッタリしている男のように、弱者を捻り潰すのは特に好きでなぁ」
達也にはその言葉がイラっときたのか、少しだけ声のトーンを低くくする。
「あいつが弱者だと?確かに、お前にとってはそうかもしれないな、『小鬼の王』よ。実力に差があったから、あいつは負けた。だがなあ、今度捻り潰されるのはお前だよ。俺の仲間をあんなにしやがったんだ――当然やられる覚悟もあんだろうなぁ?」
「ハッ、当然だ」
その言葉と同時に、両者足を止める。既にゴブリンキングの槍の間合い。両者未だ睨み合う。しかし、お互いが顔にニヤリと笑みを浮かべていた。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ……ギリギリ、急所は外れてる」
少し離れた所では、治癒魔法を使って信良の治療が行われていた。信良は夢乃に治療を受けながら、達也を見つめている。
「………なあ、他に治療しなきゃいけない奴は……いるか?」
「いえ、今のところは………ゴブリン達も何故か動きを止めてるようですし………」
「そうか……なら、良く観ておけ。アレが、かつて俺達0番隊を率いた男の、本気の戦いだ」
信良がその言葉を言い終わっていた時には、両者の戦いは始まっていた。




