シオン・イディム
ステータスとか頑張ってみましたなお
「おかあさーん! 何か捨て子いたから拾ってきたぁ! おとーさーん! よろこんでぇ! 男の子だよぉ!」
半ば強引にイディム家に連れられた俺であったが気分はさながら捨て犬であった。
「おぉ! 何だ何だ。リリエットのもの拾いもここまで来たか。いやぁ将来が楽しみだ」
確か、イディム家はこの村の商家の設定、だったか。食料品から日用品、嗜好品に至るまでこの村の流通を取り仕切り、無いものであっても伝手を頼って取り寄せ、村人の頼りにされている。ほぼ自給自足のこの小さな田舎村で稼ぎはたかが知れているとは言え食うには困らないくらいの中流階級だ。
とは言えさすがに正体の知れない子供を拾ってきた我が子に対する感想がこれかと思わんでもない。
「ぼうや、名前は?」
そしてエプロン姿で出て来たのは何とも恰幅のいい婦人である。
「……イリューし……」
「シオン。シオンよお母さん」
いやちょっと待ってほしい。これでも、だ。親に貰った名前というやつにはそれなりの愛着だの何だのがあるわけで。いや、素直に名乗るわけにもいかないんだろうが、
「……貴族か」
俺の対面に座ったいかつい髭面のおっさんは、値踏みするように俺を見て、呟いた。
「名前に執着を持つ、というのは分からんでもない。親から受け継いだもんとか、そういう積み重ねみてえなもんが『誇り』ってやつなんだろう。だがな、俺達みたいな小市民にとってはたがが名字だし、名前だ。だからあえて言う。今のお前にとって、その名前が重すぎるんなら、一旦捨てちまってもいいんだよ。それで忘れちまうようなもんなら、元々要らなかった、ってそういうことだろうよ」
深くは尋ねなかったものの、おっさんは貴族も平民も、幅広くいろんな人間を見て来たんだと思う。だから、俺が訳ありだってのも勘付いている。
その上で、断じた。今の俺はイリューシオン・ハイディアルケンドではいられない。ならばどうするか? その名を名乗ることなく、過ごしていくことは出来るか? そうでなくては話にならないのだと。
「シオン・イディムだ。お前は俺達の家族として過ごせ。今はそれでいいだろ。まあ色々やりたいことがあるってんなら手伝ってやる。お前がそれを受け入れられるんなら、な」
おっさんは俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でまわす。
悔しいが、今の俺には何も出来ない。腰を据えて力を蓄える為の環境を整えることも出来ない。今、この手を取ればいい。
厳しい。だけど奇跡の様に優しい。
「お世話に、なります」
「……何だろうなぁお前ガキっぽくねえな」
ひどい言われようである。
「よし、それじゃあ明日、戸籍だの何だのこしらえに行くか」
「ぁ……そうだ、せめて、これ」
俺の持ち金の全部を差し出す。大した額はないし、これで正真正銘の無一文になっちまうが、俺に出来ることと言ったらこれくらいだ。
「……そんな簡単に差し出すってこたぁ正当な報酬で得た金じゃねえな。盗んだ金か?」
しかし、おっさんはあっさりと看破する。
「そういう金はまあとっとと使いきっちまいてえんだろうな。だが、そいつを俺達が受け取るわけにもいかねえ。どうしてもってんだったら寄付しちまえ。それで清算しろ。色々と」
「ねえお父さん。私、お腹すいたわ」
沈黙が下りたところで、リリエットは横から口を出してきた。
「リリエットお姉さまだって言ってるでしょぉ!?」
ぐりぐりと俺の頭を万力のように締め付ける。
「今日のご飯はシチューよ」
そう言っておばさんはデカいシチュー鍋をぽんとテーブルの上に置き、リリエットの用意した皿に、シチューとパンを用意する。
(……こんな温かい飯も久しぶりか)
食べるものと言ったら屋台で買った串焼きやら果物やらだった。宿屋や飯屋の中に入って怪しまれるわけにもいかないし野宿だった。
あむ、と木で出来た匙で掬う。すると、何かぐんにゃりとした独特の生臭いなんかに当たった。何だこれ?
「うーん……やっぱり煮込み料理には合わねえな。色々試すか」
何入れたんだおい! そしてリリエットは当然の様にその問題のブツを俺の皿の中に入れる。
「たくさん食べないとおっきくなれないんだからね!」
いやおい。絶対嫌いなもん押し付けただろ。
それから、おっさんの手でガシガシと垢を落とされ、お下がりのダボダボの寝間着を着ながら、リリエットと眠るように言われた。
「……逃げたら……ゆるさないん、だからね……」
完全に夢の世界に旅立ちながらも必死に寝間着の袖を掴んで離さない。
これは逃げられないな、と。まあ言い訳のように呟いて、一緒のベッドで泥のように眠った。夢を見ることもないくらいに深く。
翌日。戸籍を作るために俺は親父と一緒に役所に顔を出した。
この世界の戸籍はステータスの管理も一緒にされている、とそのことを思い出したのは審問官と握手をしてしまった後のことである。
「なるほど……問題ありません」
出来上がったステータスカードをじっくりと見て、そして俺に手渡してきた。
大丈夫……なのか? と俺はそれを見る。すると、シオン・イディムという名前はともかくとして所持スキル、魔法、ステータスなどの項目がある。
名前に関しては保護者による申告というかその辺りの変更は効くらしい。が、大丈夫なのか、と俺はそのステータスを見る。
名前:シオン・イディム
年齢:五歳
レベル5
成長傾向
STR:? VIT:? AGL:? DEX:? INT:? MEN:? LUC:?
ステータス
HP:?
MP:?
腕力:?
耐力:?
素早さ:?
器用さ:?
魔法威力:?
魔法耐性:?
幸運値:?
所持スキル
???、???、???
「少し体力が低いと思いますが鍛えることで資質を伸ばすことも出来ますし、今の段階であればさほど問題はないかと」
いや、待ってほしい。何で、この審問官はまるで俺のステータスが見えているかのように話をしているんだ?
俺には見えないだけなのか?
「どうした? 大丈夫だぞ。これからだこれから。身体鍛えて体力付ければ才能も伸ばせるんだからよ」
じぃっと俺のステータスカードを覗き込むおっさんも、肩を叩いて豪快に笑う。
どういうことだ……?
「それじゃあ俺はちょいとばかし用事があるが一人で帰れるか?」
教会まで案内された後、微妙にプライドを刺激するような物言いで、おっさん……いや
「大丈夫だよ。親父」
親父につっけんどんに言い返す。
「……そうか」
親父は嬉しそうに笑って、去って行った。
(……父さん)
親父と、父さん。二人を交わらせることなく分けた。
まあ親父に言わせればたがが呼び名でしかないんだろうな。果たして、この辺りの葛藤を話したら、親父はどんな顔をするんだろうか……そして、父さんは
「おや、どうしましたかな?」
教会の扉を開けると、中にはくたびれた老人の神父がいた。
皺の深い笑みを浮かべ、真っ白な髭を撫でるその姿は人格者の風格を漂わせた。
「寄付をしに来ました」
「……ふむ」
そう言うと、神父は近づくのではなく、むしろ遠ざかり、奥の部屋の扉を開けようとする。
「いいんですか? 俺を一人にして」
声を掛ける。他人に無関心だとかそういう感じには見えない。神父が何を考えているのか分からなかった。不用心だろうそもそも
「寄付を、しに来たのでしょう? であればこのような小さな教会から何かを盗むなどとそのようなことをするはすもない」
そりゃ理屈はそうだろうが。
「それに……あなたには一人、祈る時間が必要かと。そう思いましてね。私は何も見ません。立ち去るときも、声を掛けなくて結構です。願わくば、あなたの心に平穏を」
何もかもを見透かすように、一つ会釈をし、去って行った。
布袋に入れた金銭を、適当に祭壇の上に置き、一つ溜息を吐いた。
一人きりの空間で、考える。祈りを捧げる……か。
「……父さん」
呟きが漏れた。
暗い地下の迷宮の底であっても、俺は生まれ、育まれた。
意識だけははっきりしていて、けれど何もかもが力不足で。せめて……せめて身体相応に何もわからず、何もかもを忘れられれば良かっただろうに。
「ぁ……ぁあ……!」
嘆きだ。いつからか涙は嘔吐の様に止まらず、手は石造りの地面を叩く。
―――――――
その時だった。何かが、聞こえた様な気がした。
――――――――オンさ……
何だ? 一体何が。俺は耳を澄ませ、正面のステンドグラスから漏れる光を見据えると
「イリューシオンさまあアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
そこに突然、羽の生えた人影が現れる。
光を伴う金色の、糸の様にきめ細やかな長い髪。青空の様な澄み切った瞳。天上の存在として、きめ細やかに整った容姿。武骨な鈍色の鎧にその身を包もうと、その輝きを失わない、その天使。
「よがっだでず。ほんどうによがっだでず……まだおばなじでぎまじだ……」
ただ鼻水垂らして俺を抱き締める姿が色々台無しである。
「マリア……!? 何でここに」
「ぐすっ……実はですね。ずっとイリューシオン様のそばにいたのです」
マリア・メルギタナス。天界からの資格として送り込まれながらも、取り込まれ、俺の世話役となった天使。
マリアの話によると、あの騒動の最中、非常に濃い闇魔法の影響下で、自身が衰弱していく中で何とか俺を守るため、自身を保つために俺の中に宿った、のだという。
「そっか……悪かったな、マリア」
「そんな、何を謝ることがあるんですか!」
マリアは少し怒りながら謝罪を否定する。
だって俺はマリアは天界に帰ったんだと思った。薄情だなとさえ思った。
けれど、俺をずっと見守ってくれていて、実感はないけれどそれでもと俺を支えてくれていたのだとしたら。マリアに対して返せるものが無い俺は、なんて情けないのだろうと思う。
「いいんですよ。イリューシオン様。もう、いいんです」
マリアは俺を胸元に抱き寄せて、頭を撫でる。
「俺は……」
見守ってくれていたなら分かるはずだろう? 俺はきっと、天使の目から見たら罪深くて、汚い存在だ。
「そんなことはありませんよ。イリューシオン様」
「でも……!」
マリアは何も言わず、抱き寄せる力を強くした。それに甘えて、寄りかかって俺は盛大に泣いた。
「でも、どうして今こうして話が出来るくらいに回復したんだ?」
「それはですね。ここは聖属性の魔力に満ちているからです。神への祈りが、私に力を分け与えてくれるのです」
そういうもんなのか。だとすれば……親父に感謝しなきゃならんな。
今、こうして。リリエットに出会って。親父に諭されて。そうしなければ教会に寄りつくことなんてなかった。マリアと再び会うことも無かったのだ。
「マリア……頼みがあるんだ」
こうしてマリアが回復した今、解き放ってやるのが一番マリアのためにるんだろうと思う。俺も、それなりに幸せな道を歩めるのかもしれない。イリューシオン・ハイディアルケンドの名前を捨て、シオン・イディムとして生きると。
けれど、何の因果か。俺は取り戻した。イリューシオン・ハイディアルケンドの世話係を。仲間を。残滓を。だから、未練が出る。
「俺はさ。取り戻したいと思う。幻影の迷宮を。父さんたちが、クロードたちがいたあの日々を。だから力を貸してほしいんだ。俺が、強くなるために」
親父たちに内緒で強くなり、力をつけ、いつか、取り戻すためにあの地へと戻る。
その為に、マリアの力を借りたい。知識と力を俺に捧げてほしい。
虫のいい話である。俺がマリアの為にしてやれることなんて何一つないくせに、マリアを縛り付ける為の力もないくせに。何を言っているんだろうと思う。
だから、頭を下げて頼むしかない。マリアにも、俺と同じ想いがあってほしいと信じて。
「……頭を上げてくださいイリューシオン様」
マリアは強引に俺の頭を持ち上げ、言う。
「……天界は、この異常事態を重く見ているでしょう。ダンジョンの主は世界の安定を担うものでなければなりません。ファントムロードの牙城が崩れた今、そのバランスはいつ崩壊するやも知れません。あなたを、再び迷宮の主に押し上げることは、私の使命でもあるのです」
「……天界にとっても、ダンジョンマスターは手綱を握れるやつの方がいいってことか。あわよくば恩を……て、悪い」
俺が言えるようなことじゃない。どんな思惑があろうと、マリアが力を貸してくれるんならただ有り難いってだけの話のはずだ。
「いえ。その調子です。私は……あまり難しいことは分からないですから。イリューシオン様は、そうやって、たいせつな人を守るためにはどうすればいいのか、悩んで、決断していってください」
「……ありがとな。マリア」
そうして、俺の修練の日々は始まる。
いつか見た、ファントムロードとして歩み始めるあのプロローグに。俺は辿りつけるだろうか。