幻影で会いましょう
幻影魔法は相手の五感を刺激することによって相手の感覚を惑わすというのはまあもはや説明するまでもないか。
その効き具合に関しては、その深度も影響してくる。
より目立つように相手に働きかけることにより、幻影魔法で出来ることが増える。また、故に相手がこちらに対して『細かな一挙手一投足を見逃さない』『些細な物音を聞き逃さない』などといった注意が深ければ深いほど術中に嵌る。
情報を司る指揮官の天敵であり、結束する冒険者の戦略、人の知恵をこれでもかと否定する性質の悪い迷宮の主である。
まあ性質のいい迷宮の主などいるのかという話は置いておくとして。
もう一つ付け加えることがある。この深度というのは感情という要素も深く関係するのだ。好感、恐怖、歓喜、憎悪……とにかく、大きく感情を揺さぶられれば揺さぶられるほど幻影魔法はその力を増す。
あのもう一人のファントムロードは『ファントムロードの戦いはファンタスティックでなければならない』などと言ったがこの言葉は幻影魔法の特徴をよく捉えていないと出てこない言葉だ。
もうお分かりだろう。フィオレティシアは一種の狂化状態下であり、感情の揺らぎは極端に少ない状態だった。口づけはそのためのショック療法だ。歌を歌うという行為そのものを阻害することでエラーを引き起こし、無理矢理意識を戻すという意味合いもある。
幻影魔法は成功した。後は……俺次第だな。
幻影魔法は相手に幻影を見せるわけだが、その幻影は俺が操っているわけだから当然俺にも認識できる。常の俺は現実の光景と、その上に自らが作り出している幻影が折り重なっている光景を二重の景色を、俯瞰しながら戦っている。何言ってるか分からねえと思うがこればかりは説明がしにくい。前世の経験があるから分かるが住んでる世界が違うとしか言いようがない。
まあとにかく、その原理を利用して、お互いを幻影で創りだした仮想空間に引きずり込んで無理矢理対話させることが出来る。この時、幻影に完全に意識を持っていかれるため現実で何かあっても対応できない。まあ時間の感覚も違うし、実際は数瞬にも満たないくらいだがそれでも色々としんどいので普通はやらない。
(しかし何だここは……)
目の前に広がるのは……荒れ果てた荒野? 雲は厚く、晴れ間すら見えない薄暗い空、ひび割れた大地。乾いた風。殺された風景。
この風景は、俺とフィオレティシアの意識、無意識を混同させた空間であるわけで、これがフィオレティシアの心象風景といえば納得出来そうな気もするんだが……何だろう。何かが引っかかる。まあどうでもいいか。
「フィオレティシア」
呼びかける。びくりとした背中は、しかし振り返らない。
「本当に……本当に、ファントムロード様だったのですね。シオンさんは」
近づく。
「来ないでください!」
近づく。
「私はシオンさんに優しくされる資格なんてないんです……一緒にいると、辛いんです」
そうか……そうだろうな。
「まあ止めないけどな」
すっぽりとその身体を抱き締める。
「どう、して……」
「こうやって、受け入れていくしかないんだと思うんだ。痛いってことは、血が通じてるってことだ。そうやって、生きて、色々なことを学んで、そうしていかなきゃ何も出来やしないんだ。償いだってそうさ。
スレイのやつ、モノを知らんというか達観しすぎというか何ていうのかどうしようもないからな。そんなやつに対して何かをしてやらなきゃってんならさ。せめて、笑顔でいなきゃダメなんだよ。幸せでなくちゃダメなんだよ。それで、その積み上げて来たもんを返す……それしか方法はないんだと思う」
スレイとフィオレティシア。前世……で上手く行かなかったのは、まあ誰も幸せにならないからだ。無為に過ごしている暇なんざない。辛くても嬉しくても、それでも、血を無理矢理通わせて、そうして生きていくことでしか、何も生み出せはしない。
本心ではあるが、まあ、伝えたいことは伝えたし、建前は止めておくか。
「ひょっとしてさ。俺のことを、優しい優しい物語の王子様みたいに思ってはいやしないか? 違うさ。俺は甘言で乙女を惑わす悪役だ」
「そんなの、説得力がありませんよ」
まあそうだな。俺の言葉一つ一つ、その込められた意味だとか、紡がれた背景だとかそういうのを知らなきゃ慰めにしか聞こえないと思う。
いや、慰めか。ただし、相手が違うが。
「少し、俺のことについて話をしようか」
震えるその身体を強く抱き締めながら、俺は話を始める。
「俺は幻影の君だ。色々あってさ。順風満帆な人生とはいかなかった。人を騙して、殺して……それでいて、のうのうと平穏な生活に入りびたりながら育った」
フィオレティシアが息を呑み、身体の震えが止まる。どくどくと、心臓が冷たく焦燥を奏でている。
「フィオレティシアは、俺から見れば綺麗な存在だと思うよ。だから、俺の方こそ、フィオレティシアに……皆に、触れていいのかどうか、不安で不安で仕方がないんだ」
卑怯な方法だと思う。諸刃の剣でもある。
「なあ、フィオレティシア……俺は、優しくなんてされる資格はない存在だ。愛されてはいけないモノだ。だから、今こうしているのだって、実は辛い」
悪役に出来るのは精々偽善だ。善なる行いなんて出来なくて、自分の欲を慰撫することしか頭にない。愛した者を、自らの悪徳に沈めこむことしか出来ない。
それでも。それでも、フィオレティシアを救わなくてはと思うのだ。その為の意志を紡がなくてはならないと。失くしてはならないと。
「……ち、がう」
声が聞こえる。
「違います! シオンさんは……シオンさんは……優しいじゃないですか。いい人ではないですか。そんな悲しいことを思わないでください……! 胸に秘めたままでいないでください……だって、だって……」
振り向き、胸に縋りつく。
しかし、ハッとその言葉を止める。気付いている。フィオレティシアにそんな言葉をかける資格はない。
「私は……」
それは、今の俺の感情と似ていた。だから、それを拒もうとしていたフィオレティシアに自らの言葉を肯定する権利が無い。
ならばどうするか?
「一緒に生きよう。フィオレティシア」
まあ、あれだな。俺は悪役で、間違いの塊のようなもので、とてもじゃないが優良物件とは胸を張って言えないだろう。
けど、前に進む手助けくらいならきっとできると信じたい。信じさせてもらいたい。
「……シオンさん……シオンさん……!」
抱きつかれたその体躯を俺も抱き締め返す。
幻影が変わる。
地は潤い、花が芽吹き、爽やかな風が歌声を運ぶ。人々の活気に満ちた城下町、そしてその奥にそびえたつ城。
これは……
「私の故郷の王都……です」
フィオレティシアが呟く。
「いつか……いつか、シオンさんにも実際に見てもらいたいとそう思います」
呆然と眺める。しかし、その声はどこか不思議そうな心地だった。
「でも……どこか、この風景は、私の知っているものとは」
違和感、だろうか。
まあ実際に目にしたことの無い俺にとっては何とも判断のしようもないのだが。
そういえば……何だろう。街並みがどこか、新し過ぎるような気がする? 一部分だけならそういうこともあるだろうが、全体的に。
『……どうしてですか!』
と、いきなり場面が切り替わったようだ。
ここはどこだろう。今一つ分からないが、とにかく。一組の男女がいた。
女は男に詰め寄り、男はしかし、そんな女性を軽やかに躱しながら、しかし、どこか慈愛に満ちた表情で受け止めていた。
『私には人の世は少し荷が重くてね。その点、君にならば託せる。そう判断したんだ。済まないとは思う』
『……それだけですか?』
『君の歌声はやはり素敵だと私は思うからね。そう思ってしまったら、やはり他の人間たちにも聞いてほしいと。自慢したいと。そう願わずにはいられない。君だって、その想いを歌わずにはいられないのではないかと思うのだがどうだろう?』
『……一つだけ、約束を』
『何かな』
『もし……もし、私でない私と、あなたではないあなたが再び巡り会うことがあったのなら、その時は―――』
そうか……そういうこと、だったのか。
頭の中に入ってくる災厄の歌姫と、そして幻影の君の真実。
『……――』
再び。そう、再び、だ。俺達に呼びかけてくる声があった。
その姿こそ、災厄の歌姫と畏れられた存在。そして……
『私ではない私……』
フィオレティシアの姿を見て、にこりと微笑んだ。
そして、こちらの方を見る。
『いつぞやは、申し訳ありませんでした。つい、溢れる思いが抑えきれず』
やっと――――とどいた……
あなたではない、あなた。
『どうか、お幸せに――』
※※※
目を覚ます。歌声は止み、フィオレティシアのドアップが。
ぷはぁ……と、二人の間に唾の橋が。うわぁ、何か、あれだ。口の中が妙に甘いような気が……
「シオン、さん……」
うぁ、何か頭がくらくらする。
「シオンさん!?」
「きゅぅ……」
そのまま俺は倒れた。
これにて事態は一件落着
説明しきれてないことはまた改めて




