幻影に踊れ
ハーレム主人公はやっぱどっかおかしくないとつとまらない
扉を開けた先にあったのは、さながらコンサートホールの様。
カーペットの敷かれた地面は足音を吸収し、歌声は曲面を描く天井を反響し、奥に設えた舞台には歌姫が静かに佇んでいた。
明らかについこの間、訪れたこの場所とは様変わりしていた。幻覚か? いずれにせよ、バスティア・バートランスの影響力が高まっている。そのことを指し示すには十分だった。
ぴくり、と歌姫がこちらに気付いたのか。こちらを向き、その喉の動きを止めた。歌声は止まらない。これは既に迷宮の余興であり、響く歌声は歌姫が舞台から降りねば止まらないのだろう。
「お待ちしてました。シオンさん」
フィオレティシアはにっこりと笑顔でそう言った。その笑顔は、どこかぞくりと寒気を誘う蠱惑的な笑みだ。
来ないでください、とも彼女は言った。果たしてどちらの言葉が真実か……いや、きっとどっちも真実で、どっちも嘘なんだろう。
「お前は一体何者なんだ?」
「そんな……シオンさんは、私のことを忘れてしまったんですか?」
切ない声色で、むしろこちらに尋ねてくる。
「そうだな。お前はフィオレティシアだ。それ以外の何者でもない」
これは……幻影の君にとって相応しくない振る舞いだったな。
今、目の前にいるのは紛れもないフィオレティシア・アイルーン本人であり、操られているわけでもない。
ただ、狂ってしまっているだけだ。
「ん……く……!」
頭を抱え、荒く息を吐く。
「やだ……やだ……シオンさん、みなさん、逃げて、くださ……」
涙がぽつりと地に着いて、それを合図とするように、昼と夜が逆転するようにまた彼女は笑みを浮かべる。
「シオンさん、ずっと……ずっとずっとずっとずっと!
ずっと、待っていました。離れてしまうのが辛かった。離れてしまうと嫌なことばかりが私の心を占めてしまって。あなたのいない世界がとても冷たくて、暗くて。
覚えていますか? あなたが最初に私の元を訪れて、共にいてくれた夜のことを」
「ああそうだな。あの日は、君が子守歌を歌ってくれたんだった。おかげであの日は絶好調で迷宮に臨めたよ」
そういえば、あの不思議な夢……あれは一体、何だったのだろうか。
災厄の歌姫。それと、幻影の君。二人を結びつけていたのは……
「あなたの体調を気遣うようでいて、けれど、違うんです。そう言い訳をしていただけなんです。本当は……一緒にいてほしかっただけ」
「そっか」
「ずっとずっと後悔していたんです。どうして、その後、引き留めなかったのだろうって。ずっとずっと一緒にいてほしいって。だから、シオンさん。私と……ずっとずっと一緒にいてください」
仄暗い迷宮の中で、彼女は永遠を願う。
彼女を救うのが主題であるのなら、それも一つの相応しい終焉だろう。この身が彼女の慰めになるのであれば、その為に一生を尽くすのもまあ悪くない。けれど、
「残念だが、それはダメだ」
しかし、それでは何も救われはしない。
もしも、本当に彼女がそういう欲望のままに生きられるのであれば、そもそも苦労などないのだ。そうでないからこそ苦しんだ。
仮に。フィオレティシアが俺を手に入れたとしても、それを後悔する彼女もいるのだ。今はその葛藤の半分を忘れてしまっているだけ。
だから、俺は彼女のものになるわけにはいかない。それ以外の選択肢で以て、彼女に応え、答えを示してやる必要がある。
「どうして……どうして溺れさせてはくれないのですか!」
彼女は叫ぶ。その悲痛な叫びは俺の身にもしかと届き、ちくちくと心に刺さるが、しかし、それに呑み込まれるわけにはいかない。
「私が、災厄の歌姫だからですか」
「違う。俺が幻影の君だからだよ」
唇を震わせ、自らの身体を抱き、罪におびえる彼女に、しかし俺は堂々と宣言する。
え? と彼女は理解できない、というように呆けている。
「幻影の君として誰かのモノに収まるわけにはいかない。叶わぬ幻影を乙女に提供し、惑わす存在でなければならない」
手を伸ばす。しかし、手を取りはしない。
「我が名はイリューシオン・ハイディアルケンド。さあ災厄の歌姫よ。本当に俺を手に入れたいともうのなら、全てを懸けて挑むといい」
もっとも、手に入れるのはこちらの方だがま。
「ふ……ふふふ……あははははは!」
無邪気に笑う声が木霊して、ぶわっと様相が変化する。
「あ~……」
虚ろな目をした魔物どもが壁を突き破って現れる。
フィオレティシアの歌声も再開し、迷宮内に流れていた歌声は力を増していく。
どちらかがどちらかを手に入れる為の戦い。もはや相容れないことをお互いに確認し、戦いの火ぶたは切って落とされた。
シオンは幻影の君らしくあろうというのが判断基準の一つになっています
まあお手本が存在しないため……ねえ?




