悪役令嬢の誘い
悪役令嬢は恋する乙女の味方です
私は何をやっているのでしょう。
こうしていることは何の解決にもなりませんし、何より私は王族として、気丈に振る舞い周囲を安心させねばならないのだと。あぁ、思うよりもただ粛々と行うというのはこれほどまでに大変であるのかと、私は、本当に何も知らなかったのだと思い知らされます。
今日も、あの人は帰っていった。
「シオンさん……」
声を呼ぶと、とくん、と鼓動が大きくなるのを感じます。
けれど、だからこそ、私の中にある歪みに血が通うように痛みを呼び起こす。私は未だに罪を重ねているのだとそう思い知らしめる。
私が、少しでも罪を償いたいとそう思うのであればスレイさんに結婚を申し込むべきなのでしょう。彼が望まなかったとしても、跪いて、許しを請うべきなのでしょう。
けれど……もう、そんなこと出来ません。どうしても、シオンさんの顔がちらついてしまいます。声が頭の中に響いてきます。感じたことの無いはずの温もりを思い出してしまいます。
その上、シオンさんの幸せを望むことすらしない。もしも、本当にシオンさんの幸せを望むのであればすぐに私の元に通うなんてことは止めさせるべきなのです。運よく警備の目を潜っているのだとしても、それもいつまで続くか。ひょっとしたら、もう、扉の向こうのシオンさんは傷だらけで、それでも来てくれているのかもしれません。もしそうだったら……私はそれでも求めてしまうのでしょうか?
『……シオンさん、大丈夫なんですか?』
けれど、分かっていても、それを最後まで言えません。告げようとしたことをすぐさま後悔して、目の前が真っ暗になってしまうくらいに。
『何がだ?』
『…………何でも、ありません』
私は、シオンさんに甘えてしまう。
「そういえば、スレイさんが歌を歌った、と言っていましたね」
シオンさんとのお話は温かくて、だからこそ、その熱は私を焦がしていく。
私は歌が大好きでした。聞くのも、唄うのも。私を取り巻く空気を吸い込んで、思うがままを込めて、そうして、私の嬉しい気持ちや楽しい気持ちが伝わればいいな、と。誰かの祝福になればいいと。
スレイさんはその楽しさすら奪われていた。あぁ私の大好きが奪われて、それはどれだけ辛いことなのだろうと。辛くなることがあったって、歌にしてしまえばやがて晴れるだろうと、そう私が信じられたものすらも。
辛い。シオンさんを通して自分の罪深さを知っていくのは。シオンさんは、もう、私にとってかけがえのない人になってしまっている。シオンさんに臆することなく会いたいとその胸に飛び込みたいと逃げ込みたいとそんなことばかり考えてしまう。そんなことなど許されてはいないのに。今すぐ、スレイさんに……
『失礼いたしますわ』
後ろから声がかかって、私は反射的に縮めながらもすぐさま振り向く。
それは、蝶でした。闇夜の中で月夜の蒼白い光に反発するように紅い鱗粉を撒き散らせながら飛び交う、美しい黒と真紅の蝶。
窓は既に開け放たれ、きょろきょろと、女性の声の主を探します。すると、蝶がそれに応えるように、ぺこり、と淑女のように挨拶をしたように感じました。
『あいにくと不自由な身でして、このような形で挨拶に参った次第ですけれど、ご安心くださいませ』
手のひらくらいの大きさであった蝶は闇を深くし、やがて、一人の女性の姿が浮かんできます。
そこに現れ出でたのは、真紅の長い髪をたなびかせた妖しげな令嬢。挨拶を終え、開ける瞳は紅く吸い込まれそうで、ぼうっと、そう、一瞬、見惚れてしまいました。
その佇まいからして、さぞ高名な令嬢とお見受けしますけれど、そのような名前に心当たりは……それに、実際に姿を現さず、使い魔? でしょうか、そのような存在を通してこの場に姿を現すだなんてそんな高度な魔法……この方は一体……
『私のことなどどうでもよろしいでしょう? 今、貴女の心を占めるのは私ではない筈。そうですわね。例えば、今、この場で貴女を殺すとしましょう』
「!」
その場にすらいない筈なのに、ただの映像であるはずなのに、その濡れた視線で見つめられただけで、心臓を鷲掴みにされたような恐怖を感じてしまいます。
『そんな時に貴女が縋る存在がいる。助けてほしい……いえ、死ぬのであればせめてその方に一目会ってから。とにかく常に貴女の心を掴んで離さない存在があるでしょう?』
彼女……バスティアさんの言葉は私の胸にゆっくりと融けていく。
そう、彼女の言うとおり、私の胸の中には確かに……シオンさんがいた。助けてほしいと今この場で声を張り上げて助けに来てくれるのではないか、とそんな図々しい希望を持ってしまう。けれど……けれど
『ええ。分かりますわ分かりますわ! ええ。私が命を奪うのも、私の命を奪うのも、その方でなければならない。その方の心を独り占めにして、私だけを見て! その為に……あらゆる障害は排除する』
高らかに、愛を謳う彼女に、私は混乱する。
「何を……何を言っているのですかあなたは」
何とか問うた私に、しかし彼女はふふ、と笑いながら、告げる。
『分かっているはずでしょう? 愛を手に入れる為に貴女は罪に塗れねばならないのだと』
狂っている。私は、確かにそう考えていたはずなのに、彼女の心は正確に私の胸を貫いた。
そう、私はスレイさんの為に……だから、
『諦める、というのですか?』
目を細め、冷たい声色で彼女は私を見つめる。
『そんなわけはないでしょう? その身は確かに焦がれ、熱く燃え、咲いているはず。人の理などと言う陳腐なものなどその前に立ちはだかることなど、烏滸がましい』
「ちがいます……私は…………わた、くしは!」
『いいのですよ。フィオレティシア・アイルーン』
彼女は、私を赦し、そして受け入れる。
『その鼓動が、想いが許され得ぬ筈がありません。さあ謳いなさい。讃えなさい。貴女の想いを。浅ましい? ならば深く牙を突き立てなさい。罪が重いというのであれば、それを引きずってでも歩めるほどに強くおなりなさい』
「あなたは……あなたは一体何者なのですか!」
最後、震える声で私は尋ねる。彼女は、あぁ、申し遅れました、と花が恥らうようにぺこりと頭を下げました。
『私はバスティア・バートランス。幻影の君を慕う者の一人ですわ』




