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越えて

進まない……

「君が―――かい?」


 彼は私の名を呼び、そして何の遠慮も無く、恐れも無く、その身体に触れる。


「……あなたは、私のことを恐ろしくはないのですか?」


「うん? どうしてかな」


「どうしてって……」


 彼は、とても困ったような顔をして、私の髪をいた。


幻影ゆめというのはね。人に必要なものだと思うんだ」


 彼は私を胸の中に収めて、ゆっくりと話を始めた。まるで、幼い子供を寝かしつけるためのおとぎ話のように……まぁ、とは言っても私には経験が無くて、想像でしかなかったのですけれど。もしかしたら、こんな心地であったのかな、と。そんな幻影ゆめを見てしまう。


「辿り着く場所が分かっている旅路などつまらない。分からないからこそ、そこに何が待っているのか心を弾ませる。未来など知る由もないからこそ、どのようなことだって出来るのだと、そうしてやがて、定められていた運命すらも覆す」


 楽しそうに笑いながら、私の身体を撫でまわします。しかし、その心地よかった手の動きを止め、悲しそうな声で、呟く。


「しかし、その幻影というものは時に厄介だ。知らないからこそ、その悪い想像ばかりを膨らませて、そうやって、幻影げんえいきみを怖がってしまう。本当は、怖がる必要なんてありはしないのに」


「いいえ。彼らの反応は当然です。だって私は」


「……あぁ、君は優しい子だね。やはり」


 ふわりと私の背中に手を回して、抱きかかえられる。


「君を受け入れるには、まだ人の世は早いのだろうね。だから、それまでは私が世界を捻じ曲げよう。幻影で、君のことを包み込もう」


 そこで、私は気付いた。


 この人は……いえ、この方は一体


「私が怖いかな?」


 悪戯で、同時に残忍で超然とした、背筋を凍らせるような笑み。


「……はい」


 私はその瞬間に分かっていた。


 この方は、きっと、私などとは比べ物にならないくらいに世界の悪役なのだろう。その本質は暗き暗き幻影やみの底にある。とても怖い存在で。


(けれど……)


 唯一、私に手を伸ばしてくれた温かな存在。それが……彼という幻影の中で私が唯一見つけ出した、真実こたえ



          やっと――――とどいた……

 

※※※



「はっ!?」


 いってぇ! 思いっきり頭打った。後ろの扉に思いっきり頭をぶつけた。


 しかし……何だったんだあの夢。それに最後のあの声って……てそうじゃない!


 やばいやばいやばいやばい! 何寝惚けてんだ俺は! まあとりあえず朝から取調室でこんにちはとかそういうんじゃなかったからまあよしとしよう。


 しかし……何だこのすこぶる体調の良さは! 今までの人生のうちでここまで調子のいい目覚めなんて無かった! っていうレベルだぞ。まさしく120パーセントって感じだ。


 おっとぉ思わず『アチョー!』とか口に出してしまいそうなテンションを何とか抑えよう。落ち着けぇ、冷静に思考しよう。


 よし。うん。まだ朝は早いみたいだ。そして俺は何とか見つからずにいる。なら、とっととこの場を脱出しよう……の前に。


 こんこん! とドアをノックする。そして扉に耳を澄ませる。



 すぅ……すぅ……


 

 寝息が聞こえた。よかった……。とりあえずは良かった……て、うん? ベッドで寝ているんならこんな近くで声が聞こえるっておかしくないか。


「よっと!」


 というわけで最後のひと仕事。屋根に回り込んで窓から様子を窺う。


「……何であんな寝方してるんだ」


 扉に顔を押し付けるようにして、毛布も被らずに。


 仕方ない……不可抗力よね? と自分に言い訳しながら窓を少しくりぬいて……む、魔力で編み込まれてる面倒なやつだ。さすがに警備は厳重だな。ははは! だがこのファントムロードの行く手を阻むことなどできぬわ!


「げへへへ」


 のそりのそりと足音を立てないようにフィオレティシアに近づく。


「よっと」


 そして背中と膝に手を入れて、ゆっくりと持ち上げる。お姫様をだっこである。


「ん、んぅ……」


 そうやってベッドに運んできたところで、ふと身じろぎして、声を上げる。緊張が走り、また窓へと目指していた足が止まる。


「ご、めん……な、さ……」


 顔を歪ませて、涙が頬を伝った。


「……」


 近づいて、その涙を拭って、そして頭を撫でた。その甲斐あってか、ゆっくりと、その顔が穏やかになっていった。


(無理、かな……)


 フィオレティシアとスレイの因縁に蹴りをつけるためには、立ち向かわなければならない。それが理屈ってもんだろう。


 きっと間違っているんだろう。けれど、俺は今、フィオレティシアのことを、守ってやりたいってそう思った。


「上手く行くさ。スレイのことで、フィオレティシアが苦しむ必要なんてもうない。皆で楽しくやってこう」


 そうして、今度こそ、俺はフィオレティシアに背中を向けて、部屋を去っていく。



「シ……オ、ン…………さん……」


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