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運命を狂わせる幻影

 アルトレイアが去って少しした後、暫くボーっとしていた。いや、ショックな自覚はなかったんだが、思いの外ぽっかりと穴が空いたような心地だった。


 しかしそういうわけにもいかない。


「マリア……」


 ベッドですやすやと眠っているマリアを眺めながら、その傍らに腰かける。


 頭に手を当てて、ゆっくりと祈りを捧げる。俺の中の魔力が、じんわりとマリアの中に入っていく。


 これで少しは良くなるといいんだが。


「……」


 まだバスティア・バートランスとの戦いなんざ始まってもいないくらいなのに、これだ。


 怪我をするだとかそういうことくらいなら別にいいんだ。問題なのは、俺が動揺しすぎなことだ。


 マリアのことも……そして、アルトレイアのことも。


「これでよかったのかもな」


 魅了して、利用して。そういう手管は実に幻影の君ファントムロードらしい、と思う。


 しかし、俺には荷が重いってことがよく分かった。


「えへへ~……もうたべられませんよ~……」


 こいつはまたベタな寝言を。


「でもでも~……あーんってしてくれたらたべられるかもしれません~」


 おい天使よ。


「……たく」


 何か笑みが零れてきた。うん。大丈夫だ……ありがとな。


 最後に、頭を一撫でして、部屋を後にした。


※※※


「イリューシオン様」


 自室に戻るとクロードが待っていた。俺の到着を見計らい、ティーセットを構える……本当に器用だなクロクロ。


「アルトレイア・マクシミリアンは……自らの居場所に戻りましたか」


 ぴくり、とクロードの淹れた紅茶を取る手が止まる。


「残念ですね。彼女であれば優秀なとして、役立ったでしょうに」


「お前……!」


 クロードをじろりと睨みつけると、しかしクロードもまたこちらを見つめ、引かない。


「イリューシオン様。私は、私達は貴方の命に従い、貴方が死ねと命じればすぐに死ぬ覚悟です。それは貴方には成さねばならぬ大義があり、それはとても並大抵では為すことの出来るものではない、と弁えているからです」


 分かっている。正しいのはクロードだ。いかにファントムロードの力が強大とは言っても幻影の迷宮を掌握したバスティア・バートランスを相手にするには、足りない。


 騙してでも、アルトレイアを、それに他の奴らをも巻き込んで、幻影の迷宮を攻略する。それが最善手だ。それが理屈というもんだ。


 けどな。


「分かっています。私達が、イリューシオン様に命を預けられるのは、そうやって貴方が私達の命を尊んでくださる人であるからです。もしも、貴方が死ねと私達に命じる時が来たというのなら、それはイリューシオン様があらゆる可能性を巡らせ、それでもなお……と。そういう時であることを分かっているからです」


 何かを言おうと思っていた俺はその言葉に見上げると、クロードは静かに微笑んでいた。


「おや、どうかしましたか?」


「お前いい男だよな」


 本当に。乙女ゲーの隠し攻略キャラになるくらいに。


 そんな時である。


 ドタドタドタ! と荒々しく寮内を駆けてくる音がする。誰だこんな真夜中に。


「シオン!」


 そして現れたのは


「アルトレイア!?」


 はぁはぁ……と息も荒く、クロードの淹れたお茶をごくごくと飲み干した。


(……ん? そう言えば何でクロードは)


「話をしよう。シオン……いや、イリューシオン」


 俺達は息を呑む。先程の様子を窺うような質問とはうってかわって、あまりにも真っ直ぐにはっきりと。迫ってきた。


「何でお前、その名前を」


「そうか……やはり真実なのだな」


 アルトレイアは、先程の勇ましい様子とは見紛うほどに、見たこともないような切なそうな表情を見せる。


「伝えそびれてはいたが、私はあのファントムロードを名乗る者にかどわかされ、気を失っていた最中、夢を見ていたんだ……お前が、命を失う夢を」


「なっ!?」


 アルトレイアは語った。


 イリューシオン・ハイディアルケンドとアルトレイア・マクシミリアンが結ばれたその結末の行方。


「……」


 そんなバカな話を、と一笑に付すことはこの場を紛らわすための冗談としても出来なかった。


 『幻影の君に愛の祝福を』においての主人公はリリエットだ。その為、他のヒロインは最終的にファントムロードに捨てられ、惨めにリリエットと攻略対象の元に姿を現す、そういう結末が例外なくあるだけ。そのことしか判明していない。


 シオン・イディムとして描かれていた人物像とは一致せず、ご都合主義、あるいはこれがイリューシオン・ハイディアルケンドの本性である。そういう悪評としてのみ残った。


 だから、アルトレイアの語った真相というのは、まだまだ分からない部分はあるもののそのあたりの疑問や違和感を解消するものであり、少なくとも、直ちに否定するのは難しく思えた。


「何故、シオンは一人で戦いに行ってしまったのだろうな……それほど、私を信頼していなかったということだろうか」


「いえ。そこまで悲観的にならなくてもいいでしょう。そのときのイリューシオン様がそうした理由は存在するのですから」


 クロードは、アルトレイアの前でありながらもイリューシオン、という名前を使いながら、言う。


「クロクロ殿。なぜこんなところに」


「実はコイツの正体はクロード。クロード・ヴァンダレイムなんだ」


「は!?……む、だが、クロード・ヴァンダレイムであれば寧ろ納得できるような……いや、しかし……」


 アルトレイアの混乱はとりあえず後にしよう。


「どういうことだ?」


 俺は問いかけた。分からないのはそこだった。そりゃ気持ちは分からんでもないんだが、それでも、自分を愛したアルトレイアを信じて、一緒に手を携えるべきだろうと。一番文句を言ってやりたい部分はそこだったのだ。


「バスティア・バートランスは非常に厄介な力を持った淫魔です。人の心の隙を容易く付け入り、乗っ取ってくる。それに対抗するためには、言ってしまえば愛する存在を作るのが一番手っ取り早いのです」


 相対するだけでも、その魅了に取り込まれてしまう。バスティア・バートランスを愛するつもりなど無くとも、寄る辺なき心ではそれを跳ね除けることは難しい。しかし、それ以上に愛する存在を知覚していれば対抗できる。


「しかしそこでも問題が出てきます……その愛する存在を失ってしまえば、その心には一気に大きな穴が空いてしまうからです」


 それは、考えてみれば当たり前の話だ。


 それでも奴に対抗しうる手段が、最大の弱点を生むことになるとは、皮肉な話だ。


「……クロード。もしかして、父さんが破れたのはそれが理由なのか」


「……そうです。卑劣にもバスティア・バートランスは。真っ先にイリューシオン様の母君を狙いに来ました。常時、ファントムロードを守ることこそが最優先であり、対応が遅れ……長らく黙っていたこと。申し訳ありませんでした」


 クロードの体が震える。主を守れなかったその怒りと、後悔を思い出したのだろう。


「だから、シオンはあの時、私を置いていった……?」


 とにかく。『幻影の君に愛の祝福を』の中で、イリューシオン・ハイディアルケンドがヒロインたちを利用していたのは事実なのだろう。そして、その後にバスティア・バートランスとの決戦に置いて弱点になってしまう故に置いていった。


「だが、何故あのファントムロードはそんなことを知っていたのだろうか? 今だって、別にその、シオンは私を選んだわけでは無いだろう?」


 少し顔を赤らめながらアルトレイアは疑問を呈する。


 確かにそうだ。だが、俺には思い当たる節はあった。そして、これはクロードやマリアにも。リリエットにも。他の誰にも告げてはいなかったことだ。


 信じてもらえるかも信じてもらう必要があるかもわからないが、いい頃合いであるのかもしれない。


「なあ二人とも。俺には前世の記憶があるって言ったら、信じるか?」


「前世ですか……なるほど。そういうこともあるでしょうね」


 訝しげにするアルトレイアとは対照的にクロードは中々に寛容だった。悪魔だからそういうこともあるのだろうか。


「そこは、まあこの世界よりも大分便利な世の中で……その中で乙女ゲーってのがあってさ」


「乙女ゲー……?」


「何ていうのかな。選択肢を選んでいって。その結果、どうなるかっていう未来を楽しむっていうか」


「シミュレーションか。光魔法の中にもそう言ったことが出来るものがあるが中々に難易度を要する。それを一般にも手の届く範囲で流通させるとはなるほど。便利な世の中というのは相当らしいな」


 何だか意外な方向でアルトレイアの理解が進んでいた。 違うそうじゃない! というのも何かめんどくさいから止めとこう。


「その中でさ。リリエットが主人公で、リオン達を攻略対象にした恋愛を楽しむゲームがあるんだ」


「……? その、何だ。シオンは対象じゃないのか?」


「違う違う。俺は、そんなかじゃあ悪役だよ」


 そして、その中でのリオンとアルトレイアの話をした。


 リオンとリリエットが結ばれて、そしてアルトレイアがファントムロードに魅了されるという一つの終焉エンディングの話を。


「それでは、私が見たのはその結末の話なのか」


「そうだと思う」


 だが、それにしたってわからない部分がある。

たとえ『幻影の君に愛の祝福を』をプレイしていたとしてもアルトレイアのその後のことなど知りようがないのだ。



「それではね……また会おう、シオン。今度こそ」


 幻影の君ファントムロードに愛の祝福を。そう言い残し、去って行った。




 それでも『幻影の君に愛の祝福を』のことを知っている。そのことは間違いない。しかし、原作の『幻影の君に愛の祝福を』にはあのファントムロードはそもそも存在していない……と言い切るのは難しいのか? 舞台の裏で実は暗躍していた人物の一人なのか。


 結局のところ、分からないままだった。


「シオン」


 アルトレイアはじっと、熱を込めた瞳で、俺を見つめる。


「私はシオンのことが好きだ」


 アルトレイアの言葉が、俺の心臓を掴んだ。


「……アルトレイア、俺は」


「勘違いをするな。別にシオンに恋人になってほしいなどとせがむつもりはない。寧ろこちらからお断りだ……ただまあ伝えずにいるのは少々辛いのでな」


「何だそれは。その……困るぞ?」


「ああ大いに困ってくれ」


 けらけらとしたり顔で笑うアルトレイア。実にすっきりとした顔をしていた。


 俺とアルトレイアの運命の話。アルトレイアはそれを知って、覚悟を決めた。強い、とそう思う。同時に、俺の方がアルトレイアに釣り合わないような行動をとってしまいそうで怖くなる。


「アルトレイア・マクシミリアン。貴女は、本当にイリューシオン様の為に力を尽くしてくれるのですか?」


 その時、悪魔クロードが問いかけた。


「もちろんだ」


「では、一つ提案があります。とはいえ、これは率直に言って人の輪から外れた行いとなりますし、より私達に深く関わることになります。断ってもあなたの人としての尊厳は微塵も損なわれることはありません。寧ろ……」


「まずは話を聞かせてもらおうか」


 よろしい、とクロードは一つ咳払いをする。


「アルトレイア嬢。あなたにはイリューシオン様の……ハーレムを作る手伝いをしていただきたいのです」


「は?」


 いつにもなく真面目な顔をしたくロードは、表情をそのままにのたまった。


「いや待て何故シオンまで驚いているんだ?」


「言っていませんでしたからね。出来れば秘密裏に進めて行ければと思っていたのですがちょうどいい機会です」


「……どういうつもりの発言なのだ? もし、シオンの私欲を求める為の欲求であるというのであればそんなことにまで付き合う義理はないぞ」


「もちろん違いますとも。先程説明しましたが、我らが宿敵、バスティア・バートランスとの戦いの最中、あなたを置いていった理由は単純。それが致命的な弱点に繋がるからです。しかし、幻影の迷宮を掌握した彼の者との戦いを単独で切り抜けるのには無理がある……そして、貴方自身も、イリューシオン様と手を携えて戦いたい。そう願っているのでしょう?」


「無論だ。幻影の迷宮に起こった異変。シオンのこともそうだが、放っておくわけにはいかない、と私は考える……しかし」


「あなたと同じようにイリューシオン様と深い絆を結んだ方たちと手を携えて戦う、それが出来れば戦力面での不安も、置いてゆかれる不安も解消できると思うのです」


「……おい待て。クロード」


 クロードの言葉を聞いて、疑念が出て来た。まさか、そういうことなのか。怒りを滲ませて、クロードの言葉を遮る。


「まさかとは思うがな。アルトレイアを失っても代わりがいればバスティアに隙を突かれることはない、なんてそんなことを考えているわけじゃないだろうな」


 使い捨ての道具みたいに。かけがえのないものなどではない、とでも言うように。


「そう解釈してもらっても構いません」


 しかし、クロードは感情を揺らさず、そう答える。それは、この問いかけを想定していたということ。そして、それでもなお返答を変えない、ということだ。


「お前……!」


「分かった。クロード殿」


「アルトレイア!?」


「イリューシオン様。どうやらアルトレイア嬢の方が肝が据わっているようですよ、ここは我が主としての威厳をどうかお示しくださいませ」


 いつの間にか追いつめられてる。二人とも、理をかなぐり捨てる覚悟位とうに出来ているらしい。


「……これから、よろしく頼む」


 そして、そんな二人を好ましく思ってしまっている俺は、断れるわけもない俺は、まあ悪役に染まっている、ということだろう。


「それでは後は若いお二人にお任せします。二人きりの夜というのはどれほどあるかは分かりませんが大事にお使いください」


 そう言って、クロードはにこりと笑みを浮かべて部屋を後に……てちょっと待て。


「……シオン」


 じっと、顔を赤くして見つめ合う俺達……そうだ。


「アルトレイア。お前が見た夢の中でさ。俺の過去のことってどれくらい知ってる?」


「うん? いや……」


「だったら、これからお前に話してもいいか? クロードもいないし。話しちゃいけないかもしれないことも含めて、お前に知ってもらいたい……あ、あれだぞ。バスティア・バートランスのこともきちんと話してなかったし、クロクロのこともな」


 何故にむっちゃ早口で言ってるだ俺は。アルトレイアは、くすりと笑った。


「そうだな。それでは、私も聞いてほしい。私の昔話を」


 秘密を話せる人間。それが少なかった俺は喋らなくてもいいことまで喋ってしまっていそうで、アルトレイアも俺に負けじと色々と打ち明けてくれて。


 そうこうしている内に、夜が明けるまで、俺達は話をつづけ、そして、いつのまにか同じベッドに横たわっていた。


※※※


 丁度、初めにアルトレイアを介抱し、そして部屋を後にした後。暗闇に出でたクロードに話しかける影があった。


「やあクロード」


「っ!? あなたは」


「ヤダなあそう警戒しないでもらえるかな?」


 現れたのは闇より深き幻影を纏う、しかし彼の傅く主人とは違う謎の幻影。先程、相対したはずのそれは、容易く再び幻影を現す。


「何の用ですか」


「アルトレイア・マクシミリアンのこと、さ。いや私としても予想外であったのだがね。あのようなことをさせるためにあの夢を見せたわけでは無いんだが……上手くいかないものだね」


 やれやれ、と本当に困ったように手を挙げる。


「では貴方は何を目的にしているというのですか」


「そこは君も分かっているとは思うんだ。一つ言っておくと……十中八九、いや、確実に。このままではシオンは命を落とす、ということだよ」


「!?」

「私の目的は、君の願いと、共通する部分があるということだよ。手を貸してほしい、とまでは言わないがね。君の忠義を見込んで」


「では何を?」


「……アルトレイアは必ず戻ってくる。その時に、君には彼女を導いてやってほしいんだ。人の輪を外れた道へと、ね」


「……やけに信じているのですね彼女を」


 幻影はそれ以上の感情を見せず、沈黙する。


「あなたは、何が望みなのですか」


「別に。私の目的と君の悲願はお互いに協力し合えるのではないか、とただそれだけだよ。今回だけさ。それ以上は特に予定はない。ま、この先どうなるかは分からないがね」


「随分と見通しが甘いのですね」


「それはそうさ。私の望みは、この運命というやつをぶち壊すことにあるのだからね。予定調和などあるはずがない」


「あなたは一体……」


 会話を続ける気があるように見せて、しかし魔力を込め、必殺の間合いを見極めるクロード。


「……逃しましたか」


 目的は果たしたのか。はたまたクロードの殺気に気付いたのか。どちらにせよもうファントムロードはいない。


 クロードは気を取り直して、主人の為に淹れる紅茶の用意に戻ることにしたのだった。



最後の方は時間軸が前後しています。タイミング的にはこの話の最初の方くらいのお話

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