この胸の高鳴りは
「それでセレスさん、折り入って頼みがあるんだが」
「は、何でしょうか」
「天運の主の元に連れて行ってもらえないだろうか」
「……我らが主に何用でしょうか」
空気が張りつめる。とはいえ本気でもない。天運の主を仰ぐ旧き支配者の眷属として、真実、天運の主を害そうとすれば目の前の天使は容赦しない。しかし、そんなことをするわけはないと多少なりとも信頼を得ている。また、たとえ天運の主を害そうと考えていたとしても、引き返せば咎めないという警告を兼ねている。
「あー、いや。別に喧嘩しようってんじゃないんだ。ただ……マリアも里帰りしてるからな。ちょいと挨拶してこようかなって」
「マリアが?」
セレスさんは素で驚いているようだった。
行き違いか。まあこっちもセレスさんが何をしてるのか知らなかったわけだし。
「……なるほど。事情は分かりました。私でよろしければ承りましょう……ただ、彼の地に赴くのであれば幾ばくか準備が要ります。まず、滞在の予定がありましたら食料その他必要な身の回りのモノを自分で用意しておいてください」
「食料?」
「ええ。天使に食欲は必須ではありません。人々から捧げられる祈り……聖属性の魔力を得て日々を営んでいます。食べられないことは無いのですが必要に迫られないので食文化の類は発展していないのです。精々、果実を齧る程度ですね」
「じゃあ、セレスさんがこうして食事をしてるのもただの趣味なのか?」
「いえ。下界に下りると天使も他の生命のようにその必要に迫られます。逆に言えば主が司る迷宮が、それだけ天使にとって聖域と呼ぶにふさわしい重みを持っているということ。そして趣味というというのも否定しません」
なるほど。まるで修行僧だがそれは天使にとって当たり前のことに過ぎないのか。人間はその在り様をなぞっているに過ぎないのかもしれない。
そしてやはり趣味になってしまったか。
※※※
土地柄色の濃いお土産品に近いものをセレスさんと一緒に買いこんだりそういった準備も終えて郊外に出たところで、セレスさんは天使の羽根を広げ本来の姿に舞い戻った。
マリアのそれとは違うが、神々しい鎧姿である。
「さて、それでは参りましょうか」
セレスさんが俺の背中から手を回してガッチリと身体全体を捉える。
鎧姿だから全く柔らかいだとかそういうことは無いわけだが。
「あの、セレスさん。何を」
「何を、とは異なことを。これから我らの迷宮に案内しようというだけですよ」
「どうやって?」
「飛行して、ですが?」
ヤダ何だかドキドキしてきた。この胸の高鳴りは何?
「幻影の君もお忙しいことでしょうし、全速力で参りましょう」
「いやそんなきをつかわ」
「喋らない方がいいですよ。慣れなければ舌を噛みます」
あ、これアレだ。ジェットコースターのベルトが下がった時の心地だ。
気付いた時には既に遅し。俺の意識も飛んだ。




