もう一人の君との別れ
「…………何で」
戦いが終わり、静寂が訪れた迷宮の奥で声が響いた。
地面に突き刺さった剣の横。リリエットは、呆然と疑問を口に出した。
「分かってんだよ最初からな……お前が口にした理由なんて本当じゃないことくらい」
そうだ。アルトレイアが言った通りだ。
仮に。仮に俺を殺して、リリエットが自分の中の幻影の君を取り戻したとしても、それで本当に救われる筈なんてない。
「……嘘、ではないのだけれどね。一応。君たちに語った理屈は。正直に言うと、大分迷ってもいた」
だが、たとえ、狂気に憑りつかれようと、そんな選択をするわけはない。
それが、俺達の愛した乙女だった。リリエットは首を動かして、周りを見回す。やれやれ、と溜息を吐いて、警戒を解いている皆を眺めて、どっと力を抜いた。
「たく、何でだよ……何でさ。今さら悪役ぶんなくたっていいだろが」
それで全部けりつけるつもりだったのか。ふざけるな。
「それは、君が言えた義理ではないと思うけれどもね」
リリエットは苦笑した。
「……少しばかり、悔しいな」
「悔しい? 何がだ」
「もし、もし、君たちみたいに信じることが出来れば。あの時、少しは何かが変わったのだろうか、ってね。まあ、何もかもが遅すぎたのだろうけれど」
「……リリエット……」
「それと、ね。私は性格が悪くなったのか、ちょっと、我慢が出来なかったんだ。このままキレイに去ってしまったら、君は、私のことを忘れてしまうのではないのかと。君に、私を刻みつけたかった、って言えばいいのかな。理解できないって思ってた悪役令嬢、アレは、私と同じ生き物だと言っていたが……まったく。全ては彼女の言うとおりだった」
彼女? それがバスティア・バートランスだけを指しているとは思えず、問おうとしたところで、異変に気付いた。
幻影の君の衣装が、光を放ちながら消えていく。
「お前、何が」
「矛盾は解消されるものさ。乙女ゲーの、冗談みたいな奇跡は終わる。けど、安心してほしい。リリエット・イディムは、君たちの乙女は消えはしない」
肩を掴んでいるはずなのに、その感覚は幻影のように空虚で。
「入学式の日に、私と私は交わったわけだが、どうにも上手く融和できなかったようでね。私は、ずっと。リリエットの、もう一人の別人格として、君たちを。そして彼女を見守って来たんだ
だから、君たちが愛した彼女は確かにいた。まあ、嘘を吐いていたのは事実だが、それでも」
『私はリリエット・イディム。よろしくね』
だから、あの日の出会いも決して幻影などではない。
「けど、お前は!」
お前は、もう一人のファントムロードであるお前は、一体どうなるんだよ。
「……そんなに気にすることは無いさ。そうなるはずだったところに戻るだけなんだ。元に戻るだけ……ただ元に……」
「お前それ天に召されるやつじゃねえか!」
こんな時に、不敵に笑えない冗談言いやがってコイツは。
「冗談はともかくとして、本当に大丈夫だよ。私には私が生きてきた世界がある。そこでまた、幻影の君を求める旅を続けるだけさ」
少しだけ沈黙が下りて、
「……ねえ、シオン」
怯えるような声が聞こえて、その声は、少しだけリリエットの。幻影の君となる前の、彼女を思い起こさせる。
「私は……君を救えたのかな?」
「ああ」
「……私は、君にとってただの道具に過ぎなかった? あんたの心を、ちょっとでも。支えになれなかった?」
愕然とした。
お前は……お前は、ずっとその幻影を追い求めて来たのか。
そんな、そんなバカなことを考えてたってのか。
『ああ、そうだ。俺は全てを裏切って、ここにいる』
ああ、そうか。
『けどさ。それでも、俺はあいつらが大好きなんだ。あいつらが、今もこの胸のうちの幻影であってくれるから、だから、俺は強くなれたんだ。
だから、最後。俺の命はあいつらを守るために使う……恨まれるだろうけどさ。勝手なこと言ってんなって言われるかもしんないけどさ。でも……それでも…………』
「当たり前だよ。バカ」
幻影は幻影でしかなく、このリリエットにとっての幻影の君の言葉を真に代弁したと言えるのかは分からない。
けれど、これが救いになってほしい、と幻影を見た。
「……ああ、忘れてた。最後に、君に会えたら言おうと思ってたことがあったんだ」
何かをなぞるような芝居がかった口調に気付かず、何だ? と顔を近づけて聞き逃さないようにして、
「……愛していたよ。幻影の君」
口づけを残して、もう一人のファントムロードは消え去った。
「してやられたわね? シオン」
しばし呆然としていると、今、世界で誰よりも一番近いリリエットと目が合う。
リリエットの顔は、気まずいやら気恥ずかしいやら色々な感情が混ざっていたようで。
俺達はしばらくここで呆然としていた。
これにて戦いは終わりです




