天運の主は立ちはだかる
そして俺達は食事も終わったセレスさんの宿屋で取った部屋に移動する。一人部屋に四人はさすがに手狭感がある。アレムはとりあえず俺の膝に座ろう。
「さて、皆さんは私、というよりもその背後におわします天運の主、ルーレエスト様に用があると言う方がより正確なのですね……なるほど。であれば、少々お待ちください」
セレスさんはそう言って立ち上がり、天使の羽根を広げ、天使としてのマリアと同じような鎧姿となって浮かび、光輝く。
「何を……」
『――吹雪く華、幻影の君、それにマリア。お久しぶりですね』
遮った声は疑問を遮る。
答えるまでもない。声はセレスさんのものでもそこから放たれる存在の圧が物語る。その存在の呼吸を、この身に流れる血が知っている。
「ルーレエストさま……」
信じられない、と口元を抑えながらもマリアが呟く。それに対し、セレス、いや、天運の主は、晴れやかに微笑んだ。それは祝福に満ち、企みなど介在する余地のないほどに、屈託がない。
マリアも信じられないようなモノを見た様な顔でさらに驚きながらも恐縮に頭を下げた。
『それで私に何用ですか』
うってかわって淡々とした口調で性別やそこに込められた感情を読み解けない。正体が見えない。
「こそこそと何のつもりだ。まず俺に話を通してからにするか、そうでなくともいの一番に俺に挨拶に来るのが筋じゃないのか」
『おやこれは異なことを。あなたは正式な幻影の君などではない。そんなことすら私が知らないとでも思っていたのですか』
一瞬、怒りが駆け巡り、身体が強張った。
「ゴーレム……?」
アレムが心配そうに上目遣いをした。膝の上だったアレムには伝わっちまったか。大丈夫だと頭を撫でた手に震えは無かった。うん、大丈夫だ。
「撤回してください」
しかし、そこに意外な声が上がった。
「イリューシオン様は正統なる幻影の君です。私は間近でその活躍を見届けてまいりました。その蒙昧なる振る舞い、捨て置くことは出来ません」
『……ほう』
ブリジットもマリアの一喝に息を呑む。
『……マリア……』
じっと、セレスさんを通し、天運の主の瞳がこちらに向き合う。
『……礼を欠いたことを詫びましょう。幻影の君。ですが、あなたに来訪を知らせなかった理由は確かに存在します』
「何だ?」
『マリアの対応が見たかったのです。もし、あなたに告げずにこの地を去るというのであればそれまでということ。しかし、マリアは打ち明け、あなたと共に来た』
「試されていた、ってのか」
マリアと、そして俺が。
『正直に言うと驚きました。まさかマリアがあなたの為に私に対し、怒りを表すとは。いえ、確かに私の尊厳を穢す物言いを諌める意味合いもあったでしょうが以前のあなたであればそのようなことも考えに至らなかったでしょうからね』
以前のあなた……あー猪武者よろしく罠にかかってバスティアに捕まって連れて来られた時か。
「……イリューシオン様が何か私に優しい目で私にとってよくないことを思い出しているような気がします」
マリアは頬を膨らまして抗議してくる。HAHAHA、気のせい。
『本当に、その成長、喜ばしく思います…………故に、惜しい』
惜しい? マリアが帰ってこないことをか? にしては、今の今まで執着らしい執着を見せていなかったのが気に懸かる。
この天運の主のことだ。まさかマリアの行方が知れなかったなんてこたあないだろう。
『……私はある目的の為に日々欠かさず、聖定魔法を試みていました。いつか来たるその日を迎えるため、どのような要素が必要か、その道標。その最中で、垣間見えたのが、マリア・メルギタナスの姿でした』
『その目的とは何じゃ?』
『あなたと同じですよ吹雪く華。後継者、この天運の主たる古の玉座を明け渡すに足る器を探すこと』
「ふぇ!? い、いえ。待ってください。は……ははは。そんな。わ、私の頭がよろしくないのは分かっていましたが、その……ええっと……畏れ多くも私がその後継者……みたいに聞こえた? ような、そんな、気のせい、ですよね?」
マリアが慌てふためくも、天運の主は優しく、しかし無慈悲に告げる。
『いいえ。マリア・メルギタナス。あなたは確かに遠い将来……の話となりますが、天使たちを束ねる天運の主、いつかその座に君臨する逸材のはずでした』
「え……えぇええええええええええええ!??!?!?!?!??」
マリア、混乱の極みである。ブリジットの方は『なるほどそんなところだとは思ったが』とか呟いていた。アレムは……分かってないか。
しかし、はずだった、ね。
『本来であればセレスを迎えに行かせる必要もなく、私達の元に帰ってくるはずでした。そしてその暁に、出会いと成長……そして別れの先に、天運の主たる資格に目覚める。私の聖定魔法はそう示していました』
「出会いと……別れ?」
マリアは混乱から立ち返り、天運の主の言葉を受け止める。
『ですがそれが徐々に変化しつつあった。順調で在った筈の運命に混沌がもたらされた。それは時間が経てばたつほど色濃くなり、この幻影の迷宮でこれから起こる出来事を見通すことが出来なくなっています』
『……やーいやくたたずー』
ブリジットこの場でぶちかましやがった!
『やかましい!』
そして天運の主も応戦だと!?
『……冗談はともかくとして、お主の作り出した運命に干渉じゃと?』
『あなたも分かっているのでしょう? もう一人のファントムロード。彼の存在の出現によって私の思い描いていた未来は大きく歪んだ……いえ。恐らくこの世界が歩むべき本来の運命ですらもその存在が捻じ曲げている』
もう一人のファントムロード。その存在によって全てが狂い始めた?
気になることは確かにあった。だが、それ以上にこいつに尋ねなければならないことがあった。それに比べれば、運命どうでもよかった。
「天運の主。お前はマリアに起こることを知っていて、ここに送り込んだってのか。マリアがどれだけ不安だったのか……」
それにだ。
マリアの元に訪れるはずだった運命というのが分かる。恐らく、いや、間違いなくそうなのだろうことを。
何度となく訪れた筈の、『幻影の君に愛の祝福を』の裏で繰り広げられ、最後の最後、垣間見えた――幻影の君の死。
一体マリアがどれだけ悲しんだのだろうか、それは分からない。けど、
「お前は、その運命にマリアを晒したってのか! 悲しい思いをするってことを知っているくせに、いっそ出会わなければよかったって、そう後悔するかもしれない道を、止めるどころか、何も知らねえマリアを唆したってのか! お前は!」
『……イリューシオン、お主』
「ゴーレム……」
『……あなたに責められる謂れはありません。幻影の君。あなたの邪魔などしていない。寧ろあなたを助けるための人材を派遣したに過ぎない。そうでしょう? 私はあなたに感謝こそされ、恨まれる筋合いなどない』
唇を噛みしめた。
例え全てが天運の主の思うがままであったとしても、それは俺の力が及ばなかったに過ぎない。それは責任転嫁というものだ。
それに……最初から出会わなければよかったとどの口で言える? マリアを引き留めるために来た。その筈だった。今だって、情けないことばかり感情に任せて言いそうになってしまう。
それでいいのかって。頭の中がぐちゃぐちゃだった。
『マリア。改めて私の言葉として尋ねましょう。あなたは確かに道を踏み外しつつありますが、それももうひとりのファントムロードのいない状況下で、私の聖定魔法を振るえば再び私の後継者となる道を開けるかもしれません。それに賭けてみるつもりはありませんか』
天運の主は立ちはだかる。マリアは、ゆっくりと口を開いた。




