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幕間:天使と一人の信徒

 シオンたちが修行に勤しんでいた頃、迷宮都市にまた新たな侵入者が訪れようとしていた。


「……さすがにこれ以上、飛んでいては目立ちすぎますか」


 飛び立つ姿は紛れもなく天使。飛翔と共に飛び散る羽根は地上に光の粒子となって積もり、霧散し、世界を清浄に払う。


 鎧に身を包んだその体躯は解放され、しかし動きやすい婦女子の装いに身を包んでいる。束ねられていた髪は解放され、若干ウェーブのかかった金色の髪はふわりと広がり、柔らかな大人びた雰囲気を醸し出す美女がそこにいた。


「ここが幻影の君の治める地、ですか……」


 自らの足で町に降り、顎に手を添えて考え事に耽る。


 ふと、視線を感じて見遣ると、子供たちが興味深げにこちらを観察するのが見えた。


「ごきげんよう」


「ごきげんよー!」


 その元気な声にくすりと笑い、天使は目的地に向かう。向かうが……


「……おや」


 着いた先は行き止まりである。


「やはり土地勘がない土地は危険ですね」


 真実を述べるのであれば、この天使。実はやんごとなき事情により世間知らずの気があるのであるが、如何せん、ツッコミが不在である。


「……出来ることであればあまり使いたくはない手であるのですが」


 天使は羽根を広げて空を飛びはしない。自分が訪れたことは極秘事項、正体を露見したくはないからである。

ではどうするか? 人間でも可能な挙動で以て任を遂行する。


 助走すらなく壁をよじ登り、家屋を仕切る壁を猫の様に歩き、屋根の上から辺りを見回し、目的の建物を見つける。


「……こちらですか」


「アイエエエエエエエ!?」


 町人たちの興奮に満ちた喧騒は聞こえるものの、それが自分に対して向けられたものとは露ほども思っていない。


 フォローするのであれば本人としては天使であることを隠す意味合い以外の何物でもないわけではあり、それが目立つ行動であるかどうかというのは発想の外である。繰り返すが、ツッコミ不在である。


「ようやく着きましたか」


 呟いた先に在ったのは彼女の目的地……とは少し外れていた。


 それというのも、彼女の狙いというのは自らの天使の特権を利用して目的地へ辿り着くことだからである。天使とは天の使いであり、つまり神を信奉する信者にとっては神の代弁者といえる存在である。神官たちは天使に対し、仕え、その力となるべき義務がある。


 故に、彼女が目指したのは教会であった。幻影の君の支配下である地であっても、この世界に遍く存在する教会こそが、彼女たちの力の源泉である。


 出来れば使いたくない、と彼女が一人漏らしたのはこのことだ。自らが天使であることを明かし、特権を振りかざそうというその行為を嫌ったのだ。信者であれば漏らしたところでこの地の支配者である幻影の君、その他諸々に言いふらしなどしないであろうが、問題はそこではなく、自らを律し清くあろうとする天使かのじょの精神を穢すのだ。


 しかし、故にというべきか。救いの手というのはあるべき場所に舞い降りるのだ。


「何かお困り、ですか?」


 教会の前で尻込みをしていた彼女に話しかける存在がいた。


 温かそうな茶色の髪に朱色の瞳。人懐こい笑みを浮かべた、まるで子犬のような少年。アスタ・ココレットである。


「……教会に、用事が?」


「あー……そうですね。道案内を少し頼みたいと思いまして」


「……道案内?」


 何でそれで教会に? と多少訝しげになりながらも、まあいいか、とアスタは結論付けた。


「お困りでしたらボクがうかがいます。どこに行きたいんですか?」


 天使は多少面食らった。名乗る前に、自らが天使であると告白をする前に、何者でもない自分に力を貸す、とこの目の前の少年は臆面もなく言うのだ。


「……えーっと……困った人は助けようって、よく神官せんせいに言われるから、こういうのは当たり前のことですよ。少なくとも信徒ボクたちにとっては」


 あぁ、主の教えとは何と偉大であるのだろうと。天使は一人、感動に打ち震えていた。


「これも主の思し召しですね」


「え? 何か言いましたか?」


「……いえ、何でも」


「ええっと……それで、一体どこに行きたいんですか」


「ああ、忘れていました。この学園の男子寮に、知り合いが務めていると聞きまして、はるばる訪ねてきました」


「そっか。だったらちょうどいいや。ボクも帰るところだから」


「なるほど。あなたもこの都市で学ぶ者の一人なのですね」


 アスタの背中を追いかけながら、天使は穏やかに足を弾ませた。



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