いつかどこかで
「酒はまだ呑めないんだっけ。まあいいや。おっちゃんは呑むけどさ。うん。気楽に世間話でもしよっかたまには」
「……」
『シオン……お前さん、ファントムロードだったりしない?』
いきなりこうぶっこんできて、おっちゃんはどこまでもいつも通りだった。
いや、いつも通りを装っているのか。一体どこまでおっちゃんは予測を立てているのか。こちらの反応を確かめているのか。
いずれにせよ、こっちも固まっているわけにもいくまい。
「っと悪いね」
おっちゃんの目の前に在るグラスに酒を注ぐ。おっちゃんはそれをこくこくと半分くらいまで飲み干して、酒臭い息を吐いた。
「で、何だっけ。ファントムロード?」
「ん? そーだねぇ。別に忘れてくれてもいーんだけれども。それよりミスティとの仲はどう?」
さっきの問いかけはやはり俺の返答を求めたものではなく、どう反応するかを確かめるためのものだったのか、それ以上を求めるでもなくあっさり話題を変えてきた。
「そりゃ仲良くやってはいるさ。仲間なんだしさ」
何か失態があったか……いずれにせよ挽回のために言葉を重ねるのもそれはそれでまずいだろう。こっちもおっちゃんに合わせることにした。
「あらそんだけ? 惜しいねぇ。おっちゃん、シオンだったらミスティ嫁にやったって構わないって思ってるんだけど」
「何言ってんだか……」
その言葉は、冗談であったのだとしても、少々、反応したくなった。
これが俺の正体に繋がるはずもないだろう。そう考えるが、安易におっちゃんに反応してしまっていいのか? 波風立てずにやり過ごすべきじゃないのか。俺の中の一部がそう警鐘を鳴らす。しかし、俺の中の幻影の君がそれを許してくれない。
「なあおっちゃん、ミスティさ。不安そうだったんだ」
コトン、とグラスを置いた音が響いて、無音になった。
「おっちゃんが自分のことどう思ってんのか分かんないってさ。だから、そういうこと言わんでくれ。無責任なこと」
「……そっか。ミスティ、そこまで打ち明けてたんだね。よかった……てのは、ああ、ダメだったね。また怒られる」
くっくと笑ってまた杯を傾けて、空になったグラスに酒を満たした。
「知ってたのか?」
「どうかねぇ。思春期の娘ってのはようわからんよ。おっちゃんが腹痛めて産んだ子でもないしねぇ」
そりゃどうあっても腹は痛めんだろうけども。
「聞いていいか? ミスティの本当の両親について」
「聞いていいも悪いもないだろうさ。ただ、それを正直に答える義理が無いってだけでね」
んー……とおっちゃんは何度か唸った。それは、思い出す動作なのか、それとも嘘を練りあげているのか判別は付かないが、少しずつ語り始めた。
「おっちゃんの昔馴染みから押し付けられたんよ。どうにも、きな臭いところに首ツッコんでたらしくてさ。それがヤバくなったってんで、ミスティだけでも預かっといてくんないかって……こっちの答えも聞かんでね」
もう一つあったか。
当たり障りのないことだけ切り離して話す。これだったか。
語るに任せておくしかないのだと。俺はおっちゃんの言葉に耳を傾けた。
「嫁自慢が酷くってね。お前も早く嫁を見つけろってうるさかった。あーつってもミスティに手出すなよってのもしつこく言われたね。何でも同じ年頃のボスの倅の嫁にくれてやるんだってさ。たく政略結婚なんて貴族の真似事かって感じよ」
「は? 待ってくれ。ミスティに婚約者?」
今さらそんな新しい登場人物を出されても困るぞ。
「ハハハ!……ま、どうせ無効さそんなの。なんたって、そう言って預けた当人が迎えに来ないんだから、さ。ミスティには庶民らしく自由恋愛してほしいわ。そんでおっちゃんを楽させてほしい」
おっちゃんは笑顔だった。笑い飛ばしていた。
しかし、何故だろう。その裏にはどこか鬱屈した感情を感じる。
預けた当人が迎えに来ない? 何だろうどこか引っかかる表現だ。
「で、ミスティがおっちゃんのこと信じられないでいるってんなら、当然、おっちゃんのことについても多分知ってんでしょ? まあ、別に隠してたわけでもないからそれはいいんだけども」
おっちゃんのこと、それは、
「もしかしたら、自分のこともどっかから拾ってきた道具の一つなのかもしれない……そんなことミスティ言ってたんじゃないの」
「それは」
「ハハ、別に誤魔化さなくたっていいんだけどもね。ホントに。だって、それ事実なんだもの」
は……?
「おっちゃんはさ。ミスティを利用して生きてんのさ。それは変わんない。だから、まあミスティが離れるってのは別にいいんだ。それが当然の成り行きってえ奴だろうさ」
「……違うだろ」
何も知らないけど。それでも。
「おっちゃんは一体何を利用したってんだ。いいじゃねえかそんなの。おっちゃんだってミスティの為にさ。色々苦労したり」
「そんなこたないさね。手がかかんない子でさ。むしろもうちょっと大人を頼ったりしたらいいってのに。思い通りになんかならなくって、さ。ああ、可愛げのない子だと思ったけど。でも、そんなこともないんだろうね。きっと」
そうだな。可愛過ぎてちょっとズルいと思ったくらいだよ。けどさ。
「それでも、おっちゃんはミスティを見守って立派に育てたんだと思うさ。それで何かを貰ったっていうんだったら、それは当たり前だよ。対価とかそういう無粋な言葉は使いたくはないけど。でも、ミスティだって、おっちゃんのことは憎からず思ってる。それだけの話だから、だから」
ああ、何だ。今日は頭を使いすぎたのか、妙に頭が重い。
伝えたいこと、伝えなきゃいけないことがたくさんある、って思うのに。
おっちゃんは、驚いたような顔をして、やがて、微笑んだ。
「……不思議だね。何でかな……シオンと会って、そんなに時間は経ってない筈なんだけど、何でだろう……ずっと昔から知っていたような気がする」
おっちゃんは頭を机の上に突っ伏して、酒を瓶ごと呷った。酒のまだ残った瓶の向こうに何かを見ているようで
「どこ、だったかな……もう少し飲めば……思い出せるのかな」
止めとけ、と言おうとしたところで
「くー……」
寝息が聞こえてきた。おっちゃんの寝顔とかそんなんどこ需要なんだよ。
「ふわ……」
釣られた。こっちも何か眠い……ダメだな。せめて部屋に戻って。
そうこう考えている内に、俺の意識も朦朧としてきた。




