幕間:夢魔の誘い
ミスティが垣間見た夢のお話
身体に熱が通っている。
まるで血液が熱を持っているように、心臓が鼓動を打つたびにとくんとくんと疼きを生んでいます。
理由は、きっとシオンさんとの戯れ、でしょうか。シオンさんの魔力を取り込んで、そして私の魔力がシオンさんに交じっている。
だからといって、何か変わるわけでも無くて、ただ精神的な
「あぁ……」
漏れる吐息は熱く、切なくて。体中を流れる血が暴れ狂うように、酔いしれる。
お酒を飲んだことはないのですが、この溺れるような不快さとも快さともつかない浮遊感は、それと近いのかもしれません。
どうやって辿り着いたのか分からないまま、私は自分の部屋のベッドの上にいて、ふと浮かんだのは、昨日の出来事。
シオンさんと一緒のベッドで寝て、シオンさんの匂いに包まれて、生まれて初めてではないかと思う程の安らぎを得ました。
けれど、それも今はもうお腹いっぱいで。これ以上一緒にいたら、歯止めが効かなくなってしまいそうで。だから、今はいい、と意識を手放して。
そして、そのまま夢の中にいました。
夢の中にいる?
自分が発した言葉ながら、その言葉には違和感がありました。それは、夢であることを分かっているかのよう。
「あら、珍しいお客さまですわね」
いつの間にか、そこに立っていたのは、紅い令嬢。紅い。それは紛れもない血の色。美しくも恐ろしい、原色。
「怖がらなくともよろしいですわ」
溶ける。恐ろしい筈なのに、その声はどこまでも優しくて。恐怖を溶かして安心にかえるそれは、まるで毒を流し込んで内側から溶かすように。
頭を撫でて、抱き締められて。その存在はさながら母のような、いえ。母と呼ぶにはあまりにも尊大な何か。初めて覚える感情に、私は何も言えずにいると、その人は、ふふ、と笑いました。
「楽になさい」
いつの間にか、彼女はテーブルに座り、紅茶を飲んでいました。
向かいの席には、湯気の立つティーカップが置かれ、目が合うと、にこりと促して、私は、その席に着いていました。
「珍しいこともあるものですわね」
カタン、とティーカップを置き、私の瞳をじっと見つめてきます。
「こうして『夢魔の誘い』をあなたくらいの年ごろで暴走させることなど、滅多にあることではありませんわ」
「『夢魔の誘い』とは何ですか」
彼女は、怪訝そうな顔を見せましたが、ああ、と合点がいったように微笑みました。
「なるほど。大体理解しましたわ。あなたは孤児ですのね」
「何故それを」
「その根源を知っている存在が傍にいるのであれば、導いてくれるはずですもの。淫魔としての流儀というものを、ね」
「……私が、淫魔の血を引いている?」
「しかしおかしいですわね。私の与り知らない一族などいないはずなのですが……いえ……ふふふ、なるほど」
「あなたは、私のことを知っているんですか?」
「それはあいにくと私の立場上、話すことはできませんわね。単なる繋がった運命の悪戯として、夢幻として忘れていただく以外には。ね?」
その声音は優しく、しかし、まるで猛獣の睨みのように射竦めて、私はそれ以上を尋ねようとする気力を無くしてしまいました。
「ですが、このまま返してしまうのも、高貴なる血を引く者として恥ずべきこと。教授しましょう。まずは、夢魔の誘いについて、ですわね」
夢魔の誘いというのは、淫魔――サキュバスが夢の中に誘って生気を吸うその儀式に使われる夢魔の支配領域。
明晰夢、夢を夢として知覚して、その夢を意のままに操る。より深く繋がるために演出は欠かせないものでしょう? と彼女は問いかけてきます。
「正直に言うと私はあまり好まないのですけれどね。だって、直接、味わった方が美味しいでしょう?
この力に使い方を覚える必要はありません。だってこれは本能の疼きですもの。その時が来れば、おのずと目覚めるのです」
「その時?」
彼女は、よくぞ聞いてくれた、と見惚れる程に満面の笑みを浮かべます。
「初恋ですわ。初めて愛おしいと思った殿方に、淫魔は部屋を開くのです」
「なっ!」
夢の中だというのに顔を熱くしている私を見て、彼女はまたクスクスと笑います。
「けれど、最初はコントロールが上手く行かないモノで、誰にでも開けられるようその部屋を開いてしまうのです。ですから、淫魔の親というのは、開きすぎた夢魔の誘いをそっと包んで、閉じる役割を担うのです。よかったですわね。運が悪ければ、誰とも知らぬ男の精を浴びる所だったでしょう」
「……」
彼女の説明を聞き、分からない所はあるものの、けれど、私の奥底にある何かが、本当に。本当にほっとしているのに気付きました。
「あなたにも子供が出来たら、きちんと教えてあげるのですよ? 淫魔というのは確かに多情ですけれど、故に、相手は選ぶのですから」
子供……その単語を聞いた時、私の頭の中に浮かんだのは、シオンさんと一緒に子供を抱いている姿で。
一緒に見守っているその姿は、何だか貴くて、眩しくて……気恥ずかしくて
「あらあら」
うふふ、と彼女は笑います。ひょっとしたら、この夢の中で、何もかもが見透かされているのかもしれません。
「なるほど。やはり、あの御方ですか」
「あの御方……? あなたは、シ……」
続けようとした唇を、そっと人差し指で塞いできました。
「その先は、言ってはなりません」
彼女はすくっと立ち上がり、背中を向けながら、視線だけを寄越して、
「もう二度と会うことはないでしょうけれど、その恋路。応援しておりますわ。あぁ、素敵ですわね」
あなたは、ずっとずっと。あの御方に出会うのを待っていたのですね?
「どういう意味ですか!」
手を伸ばした先には誰もいなくて、私は、ガバリと目を覚ましていました。




