少しだけ寂しくなったから
パリン……ガチャ、スッ……ギィ……
「……んー……」
意識がゆっくりと浮上する。何だ? 何か物音がしたような気が、それに気配がするような……気のせいか? いいやもう。眠い。
「くぅ……」
重い瞼を閉じれば眠気はすぐに調子を取り戻した。明日からはミスティの身元捜しもあるんだしさっさと……
もぞもぞ
「ん?」
毛布が動いた。そしてギィッ……とベッドが軋む。ベッドに誰か入って来た。いやいやそんなまさか。
恐る恐る視線を下に向ける。
「て、ミスティ!?」
驚いて声をあげた俺に人差し指を唇に押し当て遮ってきた。
「……何でここに」
小声で何とか対話を繰り広げようと試みる。
ついでに部屋の様子を見ると、窓にはぽっかりと小さい穴だけが空いている。その他、足跡などもないし、部屋の配置も何一つとして異常はない。月明かりに埃すら舞っていない。大したもんだな。
「用が無ければ来てはいけないんですか? 相変わらず父親としての自覚が足りませんね」
「いやだから違うだろうどう考えても」
「……それはまだ分かりません。だから、それがはっきりするまでは、シオンさんは私の本当のお父さんとして振る舞う義務があると思います」
いや、その理屈はおかしい。
と、口を突いて出そうになった。しかし、ミスティの表情を見てしまった。口調ははっきりとしているくせに、裏腹にこちらを上目遣いで窺う臆病そうな瞳。
乙女がこちらに甘えているのだ。ならば、甘えさせるのが幻影の君としての務めというものだろう。たとえそれが、男女のそれでなくとも。
「それでどうしたんだ? 何かしたいことがあるのなら今からでも別に付き合ったっていいんだが」
「……眠れないんです」
ミスティが本格的にベッドに入り込む。寝間着なのかいつもより露出の多い肌着から、肌が触れ合う。
「変ですね。こんな夜は、何回だってあったはずなのに」
独り言なのかあるいは、投げかけているのか判別がつきにくい。ただ、分かってしまうような自分と相手がいるだけだ。
こんな夜。眠るっていうのはどうしようもなく無防備を余儀なくされる行為でどうしても安心感を求めるものだ。だから誰かが傍にいてほしいって時たま湧き出てしまうのもしょうがない感情だ。
一人部屋を与えられて、一人で大丈夫だって強がりながら、いざとなったらぐずって、まだ両親と一緒に寝たいってそうやって育っていったんだ、前世では。
今の俺はどうだっただろうか。行き場のない放浪生活の中でも、睡眠に関してはそれ程不自由はなかった。寝床が確保できたわけじゃない。幻影魔法があればどんなところで寝たところで身の危険はなかったからだ。その安心は理屈だけでなく、幻影魔法という親子の繋がりを感じていたことも、確かに影響していたのではないかと今では思う。それからはまあ、語る必要もない。
ミスティは、どうだっただろうか。こうして誰かに甘えて、眠れる時間なんてあったのだろうか。そう考えると、俺はミスティの背中に手を回した。抱き締めた。ミスティは、拒まなかった。
「やっぱりこの部屋は、シオンさんの匂いが濃いですね」
「む、臭うか?」
「いえ。とっても落ち着く匂いです」
くんくん、と俺の胸元辺りに鼻が当たる気配がする。
「これもやっぱり、親子だからですかね」
「いや、どうだろうな。むしろ、遺伝子が遠いからいい匂いって感じるようになるらしいぞ」
「遺伝子?」
ああそうか。この世界にはまだない知識になるのかな。
うろ覚えではあるが。人間はある種の病気に強かったり、また違うある病気には弱かったりする。それを補うため、自分にはない遺伝子の型を必然的に求めるようになる。そして同時に自分と近い遺伝子との交配は避けるようになる。
だから、娘にとって父親の匂いというのは臭いものとして感じるようになるらしい。
だから―――それは、ミスティにとって俺が父親じゃない証拠になるんじゃないのか?
とは、言えなかった。
「要するに、そうだな。人間ってのは自分に足りないモノを補うように出来てるってことだ」
「なるほど、そうですか。だからシオンさんは……」
―――こんなに、美味しそうなんですね
「っ!?」
びくっとした。ぬるり、と身体のどこかを舌が這ったような……気のせい? と思ってミスティの方に顔を向けると
「ふふ……」
悪戯に笑みを浮かべていた。誘うように伏せられた瞳、濡れる唇、ぺろりと覗く舌。
醸し出される色気。俺は……俺は、
(……知っている?)
その閃きは何故か俺の心臓を握りつぶすような苦しみを一瞬もたらした。しかしミスティにそんなものを向けるわけにはいかない、と脂汗を隠しながら、また顔を向けると
「くぅ……」
(寝てるぅうう!!!)
おぃいいいいい!!! ここで寝たぁ!? うっそぉ。おい! 起きろと肩を揺すってやろうかと思ったところで、ミスティの無垢な寝顔を見た。
そして、ぎゅっとこちらの胸を掴むのだ。
「……ぱ、ぱ」
涙が流れた。
「ミスティ……」
『幻影の君に愛の祝福を』で、主人公はある日、木漏れ日の元で昼寝をしていたミスティに出会った。
そこで、リリエットはふと、ミスティの頭を撫でた。その拍子に、ミスティは漏らした。
ママ、と。一筋の涙と共に。
そして、リリエットは言った。
『私のことお母さんだと思ってもいいわよ?』
冗談交じりに。それを拍子に、ミスティはリリエットに懐くようになった。おっちゃんもそんなリリエットに対して感謝と共に安らぎを覚えるようになった。
ミスティは、ずっと。ずっとずっと、家族を求めていた。
望むのなら、ミスティのことを支えたいと衝動に駆られた。
「パパ、か」
おっちゃんに対してだってそんな呼び方してなかった。多分きっとこれがミスティにとっての本来の呼び方だったんだろう。
父さんと親父、それと似たようなものだったんだろう。
矛盾する父親の座は、果たして何をもたらすんだろうか。




