吹雪く華の老婆心
「……ぃってぇ…………」
身体中に痛みが走るが、そこまで本気でもなかったのか派手にぶっ飛ばされた割にそこまで尾を引くダメージでもなかったようだ。
まあ痛みもないわけでもなく、思わず口に出してはしまったが、大丈夫だ。立てるし、十全に動ける。こちらとしてもいい機会なのだ。俯いてもいられまい。
立ち上がり、不敵に俺は不敵に笑いかける。
「ゴーレム!?」
おろおろとしていた気配のアレムに驚愕の感情が浮かぶ。より正確に言うならなーんだこいつ、である。そりゃそうだろう。ここでありがとうございます! とか言い出したら完全にドMである。
しかし、しかしだ。心配そうに落ち込んでいる彼女に対し、幻影の君は健在を示さなくてはならない。乙女を受け入れる度量を。さながら水底で足を漕ぐ白鳥のように……うん。正直ちょっと節々が痛い。
「全力でかかって来ていい」
今度こそ、避ける。
真横を風圧が通り抜け、アレムと目が合う。頷くことこそしないが、その意を汲み取ってくれたようで、遠慮なくこちらに腕をぶん回してきた。
相対して分かってきたことがある。
アレムの攻撃は基本的に大振りだった。腕力による力任せで例えるなら壁が押し迫ってくるようなもので、今の俺が無理に相対しようとすれば吹っ飛ばされるのがオチだ。しかし鋭さが無い。だから、無理に逆らわずに重力魔法で自重を軽くし、風魔法でどこかにぶつかる衝撃を和らげればダメージは回避できる。
しかし、これはアレムから距離を開けられているということに他ならない。懐に入り込めない以上、その強固な身体に対してダメージを与える術はない。
今更ながら思い出した。アレムは迷宮の守護者。敵を打ち破ることよりも主を守ることこそが使命だ。アレムが本来の機能を発揮するのであれば、外敵は吹雪く華に指一本触れられずにぶっ飛ばされるしかないだろう。
しかし今は状況が違う。アレムは今、守り一辺倒でなくあっちからも攻撃を仕掛けてきている。いわば色気を出している。無論こっちのリスクも増すが、完璧であった守りに綻びも出ているということに他ならない。
だから――
「ゴーレム!?」
幻影魔法で対象を誤魔化し、大振りさせる。そして、わざとそれを解いて、混乱させ、硬直させる。その隙に――しかし、それが甘かったことを思い知らされる。
吹っ飛ばされる。確かに、数瞬の隙は生まれたし作戦は決して悪くはなかった。しかし、それを実行する俺の経験値が足りない。的確に。俊敏に。作戦を実行させるための最適解を導き出すことが出来ず、その差は、アレムの持っている自力で容易く吹っ飛ばされる。
「ハッ! 上等だ!」
俺は再びアレムに向かって行くのだった。
※※※
「はぁ……はぁ…………っはぁ……!」
ギィン! と金属を弾く音がする。とは言っても、片方は旧き支配者の手によって固められた奇跡の氷の塊ではあるが。
アレムの身体には幾重も切り傷がある。炎で温度を高めたり色々してみた。一撃一撃は大したことはないが、それでも着実に、削っていけた証だ。
終わってみれば案外いい勝負できたのではないか、と思う。ま、アレムも万全じゃあないが。それに、今の俺以上にアレムを削ったバスティア・バートランスは決して油断できないことも再認識した。
「悪かったなアレム……」
「ゴーレム」
謝罪の念を込めたが、しかし当のアレムは嬉しそうにしていた。
「しかしあれだな。療養しなきゃならんというのに」
『何、気にするでない。この程度は誤差に過ぎん』
それを言われるとまた複雑だな。
『じゃが……そうじゃな。少しでもこの子に魔力を送ればそれだけ回復にもつながるのじゃが』
「魔力……こんな感じか?」
アイリシア師匠との修行、と、それにフィオレティシアとの経験。ああそうだ。マリアに対してもやっていたことがあったな。大丈夫だ。イメージは出来ている。それにより、ゆっくりアレムに魔力を流し込んでいく。
すると、徐々にアレムの表面に出来ていた傷は塞がっていく。
「ゴーレム……」
心地よさそうにしながら、アレムへのケアも何とか全身くまなく終わる。
それから、どうということもなくゆっくりと二人、寝そべった。
「何か悪いな。アレムの為、って思ってたのに俺ばっかりになってる感じが」
『気にするでない。アレムとしても、お主の役に立てることを喜ばしく感じておるよ』
と、ブリジット。彼女の主たる吹雪く華の声が響いた。
さて、引っ込み思案な彼女の感情を知ることが出来たのは、こっちとしても喜ばしいことだが、出来れば本人の口からその言葉を聞きたいと思うのはいささか我儘だろうか。
『おやおや妾は邪魔かのう……』
「いや、そんなことはない、んだが」
そんなことはない、と言いたいところだが口ごもってしまう。
『……この地に来てからの。アレムの交信が途絶えた瞬間があった』
何? 一大事じゃないのかそれ。と口を挟もうとしたが、その声は思いの外、穏やかで、それは憚られた。
『で、それが回復してみれば、アレムがお主に心を許していると来た。まあ、何をしたかは大体想像はついておるしその辺りの心配はしておらぬ。だから、妾がその詳細は聞かぬ。それでよい。そういう刻が、この子に出来たことを、僅かばかりに寂しいとは思うが、まあ。よかったと思っておるよ』
―――ありがとう―――
あの時のこと、か。そうか。それを聞いて、さっきから感じていたもやもやの正体が分かった。それは、アレムと俺だけに許された思い出であって、それを他の誰かに盗み見られているというのは気分が悪かったのだ。
『まだまだ課題はあるものの最後辺りは中々によい動きをしていたぞ』
最近はアイリシア師匠との魔法の鍛錬ばっかりだったしな。たまにはこうして白兵戦の訓練も悪くはない……しかし、少しだけ引っかかるな。ブリジットが何を考えているのか。アレムとの交流、ってだけじゃないと見受けるが。
『……少し嫌な予感がしてのぅ。必要なければ無いで越したことはないのじゃが、お主には魔法に頼らずに戦う術をもう少し身に着けた方がよい』
「どういうことだ? 何を想定して」
『アイリシアのことをお主はどう思っておる?』
話題を変えた? となると、これ以上を聞き出すのも無理、か……。
「どう思うって言われてもな。尊敬すべき師匠だとは思ってるぞ本当に」
『幻影の君としての意見を聞きたいところじゃのう』
それはつまり、シオン・イディムとしてではなく、イリューシオン・ハイディアルケンドとして。嘘偽りのない答えを所望、と?
『それもあるが、一人の女子としてどう思っておるかということじゃな』
「……ま、本人の前じゃ言えないけどさ。可愛らしいと思う」
こう、素っ気ない振りして何だかんだで周りのこととか考えてたりする辺り。
近づいてみて初めて分かるくらいだが、割と隙だらけだったり、妙に子供っぽいところがあったり。
『何じゃ憎からく想うておるのか……であれば何故手籠めにせぬ?』
「簡単に言ってくれる、いいか? アイリシアには――」
『……双子の兄のこと、か?』
何だ。分かってるんじゃないか。
『憎からず思っておるのであろう? であれば、奪ってしまえばよいではないか』
「たくどいつもこいつも、俺にそんなとこ期待されても困るんだけどな」
アスタも。そしてブリジットも。何で俺にそんな役目を期待しているというのか。俺には分からない。そんなもの、アスタがアイリシアと一緒にいられれば、それが一番いいんじゃないのか?
そんな理想ごとアイリシアを攫うなんて、しんどい。仮に、恋破れたというのなら、そんな彼女を包み込む存在でありたい。それ位には、アイリシア・B・ココレットという存在を愛している。それだけだな。
ああそうだよ。確かにさ。何もかもを投げ捨てて、アイリシアの眼を俺に向けさせてやりたいとかさ、そんな風にだって考えることだってあるさ。けどな……アスタが眩しいんだ。優しくて温かいあいつから、アイリシアを奪うのは……アイリシアからアスタを奪うのは、そんなのは、許されないだろ?
『なるほどの。やはりお主は、幻影の君なのだな』
「何を知った風な口を」
『知っておるさ。お主が知らぬ幻影の君という存在を。確かにな。であるからこそ、言ってやる。お主は、確かに幻影の君を継ぐ存在じゃ』
その声色は優しくて、何故か頬を涙が伝う。
『であるからこそ、あの子を……アイリシアを救ってやってほしい、と。柄でも無く期待してしまったのじゃが』
「救うって何だ? 他人の恋路が上手く行くように手を回せと?」
そもそもだ。アイリシアとアスタは双子の兄妹で、それはつまり禁断の愛である。
そして、アスタ・ココレットという人間はごくごく善良な人間であり、そのような禁忌を犯すような性質を持たない。
つまり、この恋を成就させるというのであれば、アスタ・ココレットという人間を歪ませなくてはならないのだ。信条を歪ませるにせよ情念を暴走させるにせよ自由を奪うにせよ、どうあってもそこにアイリシアが愛していた男の影はないだろう。要するに矛盾だ。
『そうじゃな。もし、それが本当の願いであるとするのであればそうなのじゃろう』
「違うってのか?」
『さて、どうであろうな。こればかりは、まあ妾がとやかく言えた義理ではないからな。どうしても、妾の分が混じる。それでは公平とは言えまい』
「……公平?」
『あの子の幸せを願ってほしい、それだけのことじゃ。しかし、妾は結局、旧き支配者であるからの。妾の考えるままが、そのままあの子の幸せになるとは限らん。しかし、半分は人の血を引くお主であるなら、まあ……妾よりはマシであろうよ』
周りのことなんざこれっぽっちも考えてないように見えて、その実、一人で色々抱え込んでいる。
あぁ、何だ。この吹雪く華は、どこか彼女に、アイリシアに似ているのかもしれないと思う。アイリシアは、この旧き支配者と同じ心根の持ち主だと思う。
そしてその上でこのブリジット・B・B・バリアリスの心を言い表すとするなら――
「老婆心だな」
『ぶち殺されたいのか貴様!』
今、一瞬マジだった。
『まあよい……代わりと言っては何じゃがな。お主には見返りを授けようと思う』
「見返り?」
『平たく言うとコネクションじゃな。幻影の君の系譜とともに失った、個人としての親交……妾とお主、助け合うことを誓おうぞ』
それは、とてもありがたい申し出だと思う。
『その証として、妾はまず、アレムをお主に貸し出そうと思う』
「ゴーレム!?」
『無論、アレムの意思次第じゃ。アレムがお主に力を貸したいと願った時、妾に一々伺いを立てなくともよい。それだけの話』
アレムが吹雪く華の使者である以上、その行いはブリジットにそのまま振り返る。故にその行動はブリジットに制限されて然るべきだった。それはそうだろう。仮にバスティア・バートランスが幻影の君を継ぐような事態になれば、旧き支配者との深刻な対立構造と成り得たのだから。
しかし今、幻影の君に力を貸す。その契約の為に、今日という日はあったのだろう。その資格があるか、見定めるために。
「それじゃ、よろしくな。アレム」
「ゴーレム」
俺はアレムの手を握った。




