九話 森の中
薪が弾けるバチッという音で私は目が覚めた。
重たい瞼をゆっくりと開けると、木々の隙間から満点の星空が見えた。
どうやら私は外で仰向けに寝かされているみたいだ。
音がした方へ向くと、近くに火が焚かれていて夜の暗闇を遠ざけている。ダンさんとエリスさんは近くにいないみたいで、薪が弾ける音と虫の鳴き声だけが暗い森の中へ響いている。
「いっ!?」
とりあえず身体を起こそうと力を入れると、全身に筋肉痛のような痛みが走り、思わず顔を顰めてしまう。
目尻に涙を溜めながら、起きるのを諦めてもう一度横になろうとすると、誰かが私の肩を抱いてゆっくり上体を起こしてくれる。私はそれに身を任せた。
私の上体を起こし終えると、肩を抱いてくれていた腕が背中に回り支えてくれる。
支えてくれている人物の方へ顔を向けると、そこには、大きな身体を縮こませ、片足立ちで私を支えてくれている全身を漆黒の鎧に身を包んだ黒騎士さんが目に入る。
その姿に思わず口元が緩んでしまう。
「ありがとう」
お礼を言うが特に返事などは無く、表情もヘルムを被っているため窺い知れない。
でも、何となく喜んでくれているような、そんな気がする。
黒騎士さんから視線を外し、再び焚き火の方へ顔を向ける。
「遺跡から出れたんだ……」
誰に言うのでも無く、独り言ちる。
意識を失う前、遺跡の出口での出来事の記憶ははっきりと残っている。
遺跡での出来事を、私のした事を頭の中で反芻する。
自分の記憶なのに自分じゃない誰かの記憶を覗いているような違和感。
でも、それは紛れも無く私自身の記憶。あの惨状を引き起こしたのも私だし、ダンさんに切りかかったのも私……。
自分の意志でやったことなのに、何かに突き動かされたような、何かに引っ張られるような……言葉にならない感覚があった…………気がする。
でも、今それを考えても答えは出ないだろう。私自身のことなのに、その私がよくわからないんだから。とりあえず頭の片隅にでも留めておこう。
ダンさん達にもかなり迷惑を掛けてしまったし帰ってきたら謝ろう。それと無事に脱出できたお礼も。
再び黒騎士さんの方へ顔を向けると、黒騎士さんは身動ぎ一つせずに私の身体を支え続けてくれている。
そういえば、まだ私を止めてくれたことへのお礼を言ってなかった。
「あの時、私を止めてくれてありがとう。黒騎士さんが止めてくれなかったら、取り返しのつかない事をしちゃうところだった……。それに私がローズマリーに捕まった時にも助けてくれたよね? 何だかあなたには助けてもらってばかり……本当にありがとう」
「……………………」
さっきと同じで黒騎士さんは返事をせずに黙っているだけだったけど、私の気持ちはしっかりと伝わっている、そう感じた。
三十分程、焚き火を眺めてぼうっとしていると、焚き火を挟んで反対側の茂みががさりと音を立てた。
咄嗟に構えを取ろうとして全身を痛みが走り、再び顔を顰めながら元の体勢に戻る。
私が自爆している間、黒騎士さんは全く動こうとしない。つまり茂みの奥にいるのは私達に敵意が無いもの、ということなのだろうか?
そうこうしている内に、茂みから大きな音と共に分け開かれ何かが出てくる。
「ん? おお! 目が覚めたのかエステル!」
そこには片手を軽く挙げて、もう一方の手には猪のような動物? を肩に担ぐようにして持っているダンさんが居た。
「ダンさん! 今までどこに――っ!?」
と、ダンさんに近づこうと、またも身体を動かそうとして痛みが走り顔を顰める。
ここまで身体が動かせない状態になったことが無いから、ついつい何時もの調子で動こうとしてしまう。
その光景を見ていたダンさんが一瞬きょとんとした表情を見せた後、ぷっと吹き出し笑いだした。
「ハッハッハッハ! あれだけ激しく動いてたら筋肉痛にもなるよな! 辛いんだったらそのまま大人しくしておいた方がいいぞ。明日には出発するからな」
『あれだけ動いていたら筋肉痛にもなるよな』という言葉が私の記憶を再び呼び起こす。
その言葉の後にあの時の事を聞いてこないと言う事は恐らく、今はその話はしないということなのだろう。
目覚めたばかりの私に気持ちの整理のための時間を作ってくれたのだ、と思う。
私はその事に感謝しつつ、「わかりました」と返事をすると、ダンさんは数度頷き近くにあった自身の荷物から、それ程大きくない二、三人用の鍋を取り出して食事の準備をし出す。
その様子を視界の端に収めたまま、視線をダンさんが出てきた茂みの方へと向ける。
てっきりダンさんとエリスさんは一緒に行動しているものだと思っていたので、同じ茂みから一向にエリスさんが出てこない事に疑問を覚える。
ダンさんはさっきの猪のような動物を解体しているけど、話を聞くぐらいなら邪魔にはならないよね。
「エリスさんと一緒じゃなかったんですか? ダンさん」
「ん? ああ、エリスは魔物が近寄れないように簡易結界を張りに行ってる。それに山菜の類も取りに行っているから、もうしばらくすれば帰ってくるだろう」
「なるほど、そういうことでしたか」
結界は基本的に結界を張るための媒介を等間隔に設置していき、それに魔法を掛ける事によって発動する防御系魔法の一つだ。
結界を張っている間、術者は遠くに離れることは出来ないけど、魔力を溜め込むことができる特殊な媒介を使う事で効果は著しく下がる代わりに、術者が自由に行動できる結界を張ることが出来る。それが簡易結界だ。
話を聞く限りこの辺りにも魔物が居るみたい。
こんな何でも無い普通の森の中にも魔物が蔓延ってるんだ。もしかしてあれって猪型の魔物……? 私、魔物なんて食べた事無いけどおいしいのかな?
そんな事を考えている間にもダンさんは黙々と解体作業を進めている。
その作業を黙って眺めていると、不意にダンさんが手を止めて顔をこちらへ向けてくる。その顔は今から悪戯をする子どものような悪い顔をしていた。
「そうそう、エリスで思い出したんだが、あいつエステルの事凄く心配してたから、帰ってきたら抱きついてくるかもな。あいつは嬉しいことがあると直ぐに抱きついてくる癖があるからなぁ~」
「えっ……そ、そんなこと……エリスさんだって女の人ですからそんな無闇矢鱈に抱きつくなんて……」
でも、もし仮に、そんな抱きつき癖がエリスさんにあって、全身筋肉痛のような今の状態で抱きつかれたら……。
冷や汗が背中を伝う。本人に確認できない今はどうかダンさんの嘘であって欲しいと願うしかない。
しかし、その願いは数分後に戻ってきたエリスさんによって砕け散ることになった。
目じりに涙を溜めながら「エステルゥゥゥ!?!?」と、飛びついて来たエリスさんによって、私は気絶一歩手前まで追い込まれ、悶絶する私にエリスさんは何が起こったのかわからず、困惑してオロオロするのだった。
「ごちそうさまでした」
空になった木製のお椀とスプーンを地面に置き、ふうっと一息つく。
夕食が出来る前は全然お腹が空いていなかったはずなのに、いざ夕食の魔物肉と山菜のスープを目にした途端、急にお腹が鳴り出して気付いた時にはお椀に噛り付くようにスープを胃の中に流し込んでいた。
普段の私は小食であまり量は食べられないはずだったのに、スープを五杯もおかわりして鍋の中にあったスープを殆ど一人で食べてしまった。これにはダンさんとエリスさんも苦笑を浮かべていた。
休憩したからなのか満腹になったからなのか、気づけば身体の筋肉痛のような痛みは殆ど治まっていた。
私は少し腰を浮かしてダンさんとエリスさんの方へ向き直して座ると、二人が既に食べ終えているのを確認し、勇気を振り絞るかのように少し声に力を込めて話しかける。
二人もそれを感じ取っていたのか既に真剣な表情で私を見つめている。
「ダンさん、エリスさん。私を遺跡から助け出してくれてありがとうございました。……そして、あの時、突然襲い掛かってしまって本当にすみませんでした」
私は額を地面に擦り付ける気持ちで深々と頭を下げた。
ダンさんとエリスさんも『あの時』がどの時を示しているのかわかっているため、聞き返してくることは無い。
暫しの沈黙の後、最初に口を開いたのはエリスさんだった。
「頭を上げて頂戴、エステル。あなたを守れなかった私――私達には、あなたにお礼を言われる資格は無いわ」
「私はそんな事無いと思ってます。二人は私を助けてくれた。ダンさんに切りかかった私を必死に止めようとしてくれた……。だから、今私はここにいるんだと思います」
悲痛な面持ちでそう言うエリスさんに、頭を上げて微笑みながら言葉を返す。
エリスさんの頬に涙が伝う。その顔には悲しみでは無く、どこか憑き物が落ちたようなスッキリとした笑みがあった。
あの時、私の軽率な行動がどれだけこの人の心を傷つけ悲しませたのか、私には想像出来ない。
でも、私のためにここまでしてくれて心を痛めてくれる人なんて、今までの短い人生の中で二人しか知らない。薄ぼんやりとしか覚えていない母と侍女のマリアの二人しか。
だから正直に言うと嬉しかった。例えそれが不謹慎で相手の心を踏みにじることだとしても……。
再び訪れた沈黙を破ったのは今度はダンさんだった。
「妖魔巨人に邪魔されて答えを聞きそびれていたが、話してくれる気になったか?」
泣き止んだエリスさんを横目で一瞥して確認したダンさんは、何時もの陽気な雰囲気を捨て、真剣な面持ちで尋ねてくる。
一見、私に話すか話さないかの選択しを与えているような尋ね方だけど、その瞳には話すまで問い詰める、といった険しい感情を感じる。
私はその瞳を真っ直ぐ見つめ返し、深く頷いて答えると、一回深呼吸をしてから話し出した。
「まず初めに遺跡で襲ってきた妖魔巨人と小人鬼は私を探していたのかもしれません」
「なに?」
ダンさんが怪訝な表情を見せる隣で、エリスさんは静かに私の話に耳を傾けてくれていた。
それから私は今までの事を全て話した。私自身の事、エルトナ王国の事、そして襲撃してきた吸血鬼の事……。
「まさか……そんなことが……。エステルを信用してない訳じゃあ無いが、俄かには信じられないな……」
「確かにこんな話、出会ったばかりの私達にいきなり話すなんて出来ないわよね……」
腕を組み、眉根を寄せて考え込むダンさんに対して、エリスさんはこの突拍子の無い話を、私の話を全部信じてくれいるみたいだ。
ダンさんは「一先ず、目先の脅威から改めて確認な」と言って、疑問の解消に乗り出した。
「つまり、遺跡で遭遇した魔物は、お前の事を追っている吸血鬼の差し金じゃないかと考えている訳だな」
「はい。ダンさんとエリスさんの話を聞く限り、あの妖魔巨人と小人鬼は特別な個体が混ざっていたってことでしたし、執拗に追ってくる魔物、出口を塞いで逃がさんとする行動はまるで、何ものかを捕まえるために追い込んでいたようにも見えると思うんです」
「まぁそれに関しては俺も疑問を覚えたが……確かに、エステルの過去のことを考えると、あの異常な魔物の集団や行動にも合点がいく……か」
顎を手で擦りながら、思案顔をするダンさんは、すぐに考えが纏まったようで次の質問を投げかけて来た。
「一つ、話をする前に確認しておきたいことがある」
「何でしょうか?」
「……エステルが遺跡の中で目覚める前、感覚で構わないから、どれくらいの日数が経ってると思ってる?」
そもそも、気を失っている期間なんてそう長いものでも無いと思うけど、といまいち質問の意図が見えないことに、首をちょこんと傾ける。
「っ!? ダン!!」
「エリス……何時かは確認しないといけないことだろう?」
「それはそうだけど……今は時間が必要だと…………」
しかし、何故かそのダンさんの質問を血相を変えて止めに掛かるエリスさんに、ますます何が何やらとわからなくなる。
私が遺跡で目が覚める前ってことはつまり、吸血鬼の襲撃があってからということになる。
恐らくは次の追手がどの辺りにいるか予測するため? いや、でもこの話の流れだと私の話した内容の事で何か気になるところがあったのだろうか。
考えても考えても答えは出ない。だから、普通に答えよう。唯の確認なんだからそんなに深く考えることも無いだろうし。
「……そうですね。時間は長く見積もっても一日、二日程だと思います」
私の答えを聞いたダンさんは指で眉間を押さえて、「そうか」と一言だけ返す。
一体どうしたのだろう? 流石に質問されて答えたら「そうか」だけなんて消化不良もいいところだ。
「一体どうしたんですか、ダンさん?」
「…………落ち着いて聞いてくれ、エステル」
ダンさんもエリスさんも改まって緊張した面持ちをしている。その雰囲気はどこか腫れ物に触るような慎重さからくるものだと感じる。
その雰囲気にこれからダンさんが話そうとしている内容が只ならぬものだと、伝わって来る。
緊張に思わずゴクリと唾の飲む。
まだ言葉が発せられていないにも関わらず、聞いてはいけないような、でも聞かなければ前に進めないようなそんな予感がする。
ダンさんの言葉を一言一句聞き逃さないように意識を聴覚へと集中する。
「エルトナ王国が滅んだのは五十年も前の話なんだ」
「………………えっ?」
発せられた言葉はあまりにも予想外なものだった。
物凄く遅い投稿ペースですが、なるべく早めに投稿出来るように頑張ります!