七話 異変
「くらえっ!」
エリスさんが放った「氷弾」は妖魔巨人の棍棒により、その尽くを打ち落とされてしまう。
それと同時にダンさん魔物の左側に回り込むようにして走り出す。
それに合わせて小人鬼達は隊列を組んで迎え撃つ体制をとる。妖魔巨人は相変わらず真ん中でどっしりと構えたままだ。
どうやら、ダンさんの相手を小人鬼が、エリスさんの相手を。妖魔巨人がするようだ。
「おっらぁぁぁ!」
ダンさんが背中から大剣を抜き、その勢いのまま振り下ろすけど、小人鬼達はそれと無理して打ち合わず、狙われたものは守りを固めて後ろに下がり、他のものが死角から攻撃を加える、といった数を生かした半包囲陣形を組んでいる。
エリスさんが放つ魔法は先程と同様に妖魔巨人の持つ棍棒によって打ち落とされてしまっている。
それによって妖魔巨人は抑えられてはいるものの、ダンさんの援護をできる余裕がないことに、エリスさんはかなり苛立っているように見える。
戦闘は素人の私でもわかるくらいに、こちらが不利な状況に陥っている。相手は時間を稼げば後ろからの増援とこちらを挟み撃ちにできるため、無理に攻める必要が無く守りに徹すればいい。
一方、こちらは後ろからの増援がくる前に目の前の妖魔巨人と小人鬼を倒す必要がある。
しかし、エリスさんの魔力が残り少ないのと数的に相手が有利なことも相まって、決定打に欠き攻めきることが出来ない
私にはそんな状況を眺めることしか出来ない。小さく華奢な手を握りしめる。
それでも何か私にも出来ることは無いかと周囲に視線を飛ばす。
動いている敵に魔法を当てられる自信はない。それに万が一でもダンさんに当たってしまったら取り返しがつかない。剣術も教えてもらっていたけど、今は私が使える剣なんてないし、そもそも嗜み程度の腕しかない私じゃあ足手まといにしかならない。
ふと動かしていた視線が妖魔巨人でぴしりと止まる。
動いている敵に当てられないなら、動いていない敵なら?
あの妖魔巨人はさっきから殆ど動いていない。
それに、あいつはエリスさんの魔法を打ち落とすのに集中しているみたいだから、全く戦闘に参加していない私なんて既に眼中にないだろう。
こっそり移動して横合いから私が放てる最高の魔法をぶつけてやれば、多少は注意を私へと向けられるはず。
他力本願になっちゃうけど、その後はエリスさんがきっと何とかしてくれる。
そうと決まれば行動は早い方がいい。私はエリスさんの側を離れ、崩れた柱の残骸に身を隠しながらこっそりと妖魔巨人の右側へ移動する。
瓦礫の影から顔を覗かせて気づかれないよう慎重に妖魔巨人のようすを窺う。
妖魔巨人はエリスさんの「氷弾」を打ち落としながら、ちらちらとダンさんの方へ視線を向けている。まるで私に気づく素振りは無い。
そのことを確認した私は再び瓦礫に身を隠し、瞼を閉じて集中力を高めていく。
「焦るな私……。気付かれないようにゆっくりと魔法陣を構築するの……」
ゆっくり、ゆっくりと脳裏に描いた魔法陣が掌の上に構築されていく。
発動させるのは第五階層火属性魔法「炸裂する炎の矢」。クロスボウで使われるボルトと呼ばれる弓で使うものより短い矢の形に似た炎を放つ魔法で、この炎の矢はどこかに刺さると爆発する性質がある。
狙うのは鎧に包まれていない顔。その顔も兜である程度邪魔されてしまう可能性があるにはあるけど、爆発する性質を持つこの炎の矢なら、例え兜に弾かれても衝撃が伝播して注意は逸らせるはずだ。
魔法陣の構築が終わり、何時でも放つことができる状態のまま待機させておく。放つ数は三発。今の私が撃てる最大の数。
狙うは顔。動かない的相手に散々練習したから、私だったら当てられるはず!
自信はある。でも状況的に外す訳にはいかない。
心臓が早鐘を打ち、流れ落ちる汗が頬を伝い地面に滴る。魔法陣が構築されている掌は汗でぐちょぐちょだ。
一度、大きく息を吸ってゆっくりと吐き出し、心を落ち着かせる。
大丈夫。今までして来た練習通りにやれば必ず当たる……!
ゆっくりと腕を持ち上げ、掌を妖魔巨人にかざして顔に狙いを定める。妖魔巨人がエリスさんの「氷弾」を打ち落とすべく棍棒を振り上げる。
放つタイミングは妖魔巨人が棍棒を振り切った時。もしも妖魔巨人が私に気づいても振り切った後の態勢が崩れている状態じゃ防ぐことは難しい。
逸る気持ちをぐっと堪え、その一挙手一投足を見逃さないように目を凝らす。
そして、妖魔巨人がその巨碗を振り下ろす。
「いぃまぁぁぁ!!」
妖魔巨人へと翳した掌から燃え盛る炎の矢が三本、勢いよく放たれる。
真っ赤な軌跡を残しながら真っ直ぐ飛んでいく炎の矢は、まるで吸い込まれるように妖魔巨人の顔に突き刺さる。一本目は目の下――人間で言うところの頬骨辺り――に突き刺さり、二本目は下顎、三本目は鼻頭に深々と突き刺さり、それら炎の矢は瞬く間に膨れ上がり盛大に爆発する。
「ゴフォォォオオォォ!?!?」
予想外の攻撃に妖魔巨人の巨躯が大きく揺れ、何も持っていない左手で顔を覆い、もがき苦しみながらたたらを踏む。
「よしっ!! 上手くいった!」
私は嬉しさのあまり、立ち上がり喜色満面の笑みを浮かべながら喜びの声を上げた。
後はエリスさんが上手くやってくれるはずだ。そうすれば、ダンさんを援護して、小人鬼を倒して、無事にここを脱出できる!
エリスさんの方を一瞥すると丁度魔法を放つところだった。私は自分の考え通りに状況が進んでいることにほっとし、再び視線を妖魔巨人に向ける。
しかし、視界に映った――いや、塗りつぶしたのは私に猛烈な勢いで迫って来る壁だった。壁のように迫って来るそれは妖魔巨人が力任せに投げた棍棒だった。
「あっ」
思わず漏れたその間の抜けた声の直後、視界がぐちゃぐちゃになり全身を襲う激痛と浮遊感。そして、何かに打ち付けられる感覚。
霞む視界に映るのは真っ赤に染まる床。
血? 血!? も、もしかしてこれ全部私の…………そんなっ…………!?
動かそうとしても全く反応が無い身体とはまるで正反対に意識だけははっきりしている。
自分の身体から溢れ出ているであろう血から間違いなく重症を負っていることはわかるのに、不自然に痛みを感じない。
その代りに感じるのは身体の端から徐々にせり上がって来る寒気。次第に失われていく命の暖かさ。
まさにすぅーっと血の気が引いて行く。
さ、寒い…………寒いよぉ…………。だ、誰か、誰か助けてぇ…………ダンさん……エリスさん……マリアァ……………………………………。
助けを求めようにも口はピクリとも動か無い。それでも動かない身体を必死に動かそうともがく。
今まで見て来た景色が巻き戻すように脳内に駆け巡る。
ダンさん、エリスさんとの出会い、ローズマリーに捕まった私の手を取ってくれた黒い甲冑を着た騎士、マリアの最後の言葉、王城での日常、マリアとの初めての出会い……そして、顔も思い出せない母――お母さん。
ドクリッ、と心臓が一度脈打つ。
冷え切って命の灯が消えかけた身体が何かに包み込まれるように暖かくなっていく。
それに比例するようにはっきりとしていた意識が次第に霞んでいき、瞼が下がる。
「ふふっ、眠たいのね、私の可愛いリーザ。いいのよ、お母さんが側についててあげるから、ゆっくりお休み」
遠い、遠い母の記憶。優しい母の記憶。もう忘れたと思っていたお母さんの記憶。お母さんに頭を優しく撫でられながら重くなる瞼をそっと閉じる。
(お母さん………………)
今は亡きお母さんの温もりに包まれながら、心の中でそっと呟いた。
◆◆◆
:エリス・ザッハード
あーいらいらする……。魔法は弾かれるし予想以上の魔力不足で身体はだるいし、もう何なの! ダンもダンで、小人鬼なんかに抑えられちゃって! いっそのことダンに妖魔巨人も任せちゃってもっと深い階層の魔法でも使おうかしら。と、柳眉を吊り上げる。
そんな苛立っている状態でも有り得ないとわかる選択肢を考えていると、どこからか飛んできた炎の矢が妖魔巨人の顔に直撃し爆発する。
「なにっ!? 今度はなんなの!!」
いらいらした感情を吐き出すように叫びながらパッと見た感じ「炸裂する炎の矢」と思われる魔法が飛んできた方へ視線を向ける。
そこには私の後ろにいるはずのエステルが、妖魔巨人の側の瓦礫にいるのが目に入った。
「私の側を離れちゃダメだって言われたでしょ!!」と今すぐ怒りたくなる気持ちをぐっと抑える。
今は妖魔巨人を倒す方が先! 折角のチャンス、有り難く使わせてもらうわ!
右手に持った長杖の上端に意識を集中し、迅速に魔法陣を構築していく。瞬く間に描かれていく魔法陣は二種類。
第六階層風属性魔法「風の封殺結界」と第三階層土属性魔法「突き立つ石槍」。
「風の封殺結界」は任意の空間に風の結界を張り、その中のものを切り刻むという魔法だ。
「突き立つ石槍」は地面から多数の石の槍を出現させ、相手の動きを封じる魔法で、出現場所の周囲の石や土を寄せ集めて発動させるから意外に制御が難しい。
本当は火属性魔法の方が妖魔巨人には有効なんだけど、私は風属性魔法と土属性魔法の方が得意で魔法陣の構築が早いから今は威力より早さ重視!
「風の封殺結界」の風の結界は力技で簡単に抜けることができてしまう。だから、本来なら他の仲間が中にいる対象を足止めして外に出さないようにするのが定石。しかし、今はそのたった一人の仲間であるダンが戦闘中なので足止めする役がいない。
そこで「突き立つ石槍」の出番。これで足止めすれば簡単には結界の中から出られない。魔法学校時代から散々練習してきた合わせ技だから同時構築も難なく出来る。
「風の封殺結界」だけでは恐らく仕留め切れない。でも、魔法で付けた傷は簡単には治らないから動けなくすることは出来る。
(小人鬼を全滅させた後で始末してやるから覚悟しておきなさい!)
心の中で妖魔巨人を始末する算段をし、今までの鬱憤を晴らすように乱暴に長杖の先端を妖魔巨人に向け魔法を発動させる。
それと同時に、怒り狂った妖魔巨人は、「炸裂する炎の矢」で潰された視界なんて御構い無しに手に持った棍棒を乱雑に投げる。
その棍棒はエリスのいる方向とは全く違う方向へ飛んでいく。
「そんな状態で投げたって当たるわけ――――――っ!?」
慌てて視線をエステルのいる場所へと向ける。棍棒が飛んで行った方向はエステルがいた方向と同じだった。
そして、私はその光景を見て全身の血が引いていくのを感じた。
棍棒の直撃を受けて宙に舞うエステルの姿。大量の血をまき散らしながら舞うエステルは受け身も取らずに地面に叩き付けられた。
「い、いや……嘘よ、そんなの……嘘よ!!」
顔を歪ませ、その光景を否定するように大きな叫び声を上げて、地面に横たわりピクリとも動かないエステルに駆け寄る。
駆け寄って直ぐに治療魔法を使えばきっと何とかなるわ。そう、きっと何とか……何とか……。そんな甘い考えはエステルの身体の状態を見てすぐに打ち砕かれた。
特に酷いのは右半身だった。右脚はぐちゃぐちゃに潰れていて殆ど原型を留めていない。右腕は何箇所も本来向いてはいけない方向へ折れ曲がっており、胴体は折れた肋骨が皮膚を突き破り飛び出している。
内臓系もかなりダメージを受けているだろうことは想像に難くなかった。瞳は虚ろでどこを見ているのかもわからない。そんな状態でもひゅうひゅうと苦しげな呼吸音と共に胸が上下している。
これは助からない。直感的にそんな思いが脳裏に浮かぶ、がぶんぶんと頭を振ってそれを全力で否定する。
「だめ! だめ、だめ、だめ!! ここから出してあげるって言ったのよ! 絶対に生きてここを出ないといけないんだから!」
自分で言った言葉に縋るようにして、残りの魔力を搾り出して治療魔法を発動させる。
第三階層光魔法「輝く癒しの光」。掌の上に光の球体を出現させ、その周囲の傷を癒すことが出来る魔法だ。治癒魔法には様々な種類の治療方法があるが、この治癒魔法は傷口の周囲に傷を治す作用を促進させる魔力を流し込み、身体の治癒力を高める方法もの。そのため、目を見張るよな劇的な効果は期待できない。
攻撃魔法を主に学んできたため治療魔法は蔑ろにしてきた。今更になってもっと治癒魔法も学んでおけばよかったと後悔する。
治癒魔法を重ね掛けして効果を高める。しかし、無情にも怪我は全く治ってはくれない。
怪我が酷すぎるのだと最初に治癒魔法を発動した時に気が付いた。魔力不足で視界が揺れる中、それでも何度も発動する。エステルを治すことが出来ない悔しさと、エステルが手を出す前に妖魔巨人を倒せなかった力の無い自分に対する怒りをぶつけるように何度も、何度も……。
何度目かわからない治療魔法を発動すると、エステルの瞼が命の灯が消えていくようにゆっくりと閉じられていく。瞼が完全に閉じられると同時に上下していた胸の動きも止まった。
おもむろに天を仰ぎ、そして頬を一筋の涙が伝った。
守れなかった…………。助けてあげられなかった…………。
散々魔法の勉強をしてきて、天才だとか持てはやされて、冒険者になってからもダンと一緒に色んな依頼を難なくこなして……『今の私には何でも出来る』、『誰でも助けることが出来る』なんて思い上がった考えをして……。
私は馬鹿だ。この状況を避けることなんて幾らでもできただろうに、最悪の道を進んでしまった。
後悔の念と悔しさと悲しさが入り混じった感情が渦巻き、魔力枯渇で朦朧とした意識を手放したくなる。
しかし、「それは駄目だ」と心の中の冒険者としての私が叱咤する。
今はまだ戦闘中で敵は数多く残っているわ。こんなところで呆けている場合じゃないし倒れている場合じゃない。そんな考えをする冒険者の私に歯噛みするが、同時にやっぱり私は冒険者なんだなと感じる。
冒険者はその仕事柄、魔物との戦闘が多い。怪我人も出るし死者も出る。そのことを覚悟して着いた仕事だったのに、頼りになる相棒の御陰でそのことを忘れかけていた。
悲しみに暮れることは後でも出来る。エステルを弔うことも…………。だから、今は私に出来ることをしよう。
涙を袖で乱暴に拭き腫らした目でダンの方に視線を向け、加勢に向かうため立ち上がろうとしたそんな時、硬いものが砕けるような、ベキベキと不快な音が聞こえてくる。
瞬時に警戒心を高め、音の出所を探る。すると、その音は自身のすぐ近く、エステルの亡骸がある方から聞こえてくる。
全身に冷や汗が噴き出る。まさか彷徨える死者化!? でも、こんな短時間に死者が彷徨える死者化するなんてありえないわ!?
恐る恐るエステルに視線を落とすと、ビクビクと鼓動が止まった身体が跳ね、見るも無残な手足がまるで時間が巻き戻るように不快な音と共に不自然に直っていく。
飛び出していた骨はズルズルと体内に戻っていき、裂けた肉は蠢きながら互いに繋がり、何事も無かったかのように元通りになっていく。
そのあまりにも現実離れした光景を私は呆然と見ていた。
「な、に……これ……。エ、エステル、あなたは一体……」
搾り出した声は震えていたかもしれない。けど、その時の私はそんなことを気にする余裕はなかった。
そして、その声に反応するように閉じられていたゆっくりと静かに瞼が開かれる。その瞳は美しかった金色の瞳ではなく、血のように怪しく光る血のような紅い瞳だった。