六話 行き着くは……
あの後、天井を二度破壊して目的の階層に出ることが出来た。合計で三度エリスさんが魔法で天井を破壊、つまり限界だと言っていた一歩手前まで魔力を消費してしまった。
膝に手を着いて俯いているエリスさんは息が荒くて辛そう。
「大丈夫ですか、エリスさん?」
「……ええ、心配してくれてありがとう。でも私は大丈夫よ」
気丈に振る舞って入るけどあからさまに顔色が悪い。血の気が引いて額に脂汗がにじみ出ている。典型的な魔力枯渇寸前の症状だ……。
生物は限界を超えて魔力を消費すると死んでしまう。これは魔術を使うものにとっては常識で、常に自らの魔力量に注意を払わないといけない。大体の魔術師は魔力枯渇が起きると意識を失ったり、意思と反して魔法が使えなくなったりするから滅多なことでは限界を超えて魔力を消費して死ぬことは無い。
実際に私も何回か魔力枯渇で意識を失ったことがあるからわかる。
つまり、エリスさんの意識があるということは、まだ魔力枯渇は起きてないってことなんだけど、心配なものは心配なんだ。
「とりあえず移動しよう。妖魔巨人に見つかったら厄介だ」
そう言ってエリスさんを一瞥したダンさんは少しゆっくりとしたペースで歩き出す。エリスさんを気づかってのことだろう。エリスさんもそのペースに何事も無くついて行く、がその後ろ姿はどこか力なさげに感じてしまう。
まだまだ背の低い私じゃエリスさんの身体を支えてあげることが出来ないのが悔しい……。そんな思いを抱きながら私もとぼとぼと歩き出した。
移動し始めてからしばらく経った。初めはどこに出たかわからなかったみたいだけど、探索していたときに目印を残していたみたいで、途中でそれを発見して今は順調に出口へ最短ルートで向かっている。
今歩いている場所はしっかりとした石材で組まれた建造物のような通路で、天井はそれなりに高く道幅はかなり広い。所々に脇道のような通路が横へ伸びている。全ての脇道が最終的にこの通路に繋がっているんじゃないかと思う。
妖魔巨人に襲撃される前はおしゃべりをしながら歩いていけど、今は誰一人として口を開かない。装備の金具が擦れる音や足音だけが広い通路に響いている。
そんな中、通路の先から何か重いものを引きずるような音が少しの間を空けて聞こえてきた。初めは遠くか細い音だったけど、次第にそれは大きくなっているような気がする。
その耳障りな音に顔をしかめていると、ダンさんが「ちっ!」と苛立たしげ舌打ちをした。
そして、「こっちだ」と声を掛けてすぐ右手に伸びている脇道に入って行ってしまう。
何事かと困惑していると、エリスさんは黙ってそれに従い脇道に入っていき、私もそれに習う。
恐らくここで何事かわかっていないのは私だけだ。流石に何の経験も無い私には何が起こっているのかわからない。だから、しばらく通路を進んだ後に私は素直にダンさんに尋ねることにした。
「急に脇道なんかに入ってどうしたんですか?」
「敵だ。しかも十中八九妖魔巨人だな。あの通路だと風の流れは俺達から見て向かい風だから多少は時間稼ぎ出来るとは思うが、気休め程度だろうな。妖魔巨人は目が悪い代わりに鼻がいい。間違いなく匂いを辿って追いかけてくるぞ」
若干焦りの色が見える表情で話すダンさんの言葉をまるで証明するかのように、後ろから身体の芯に響く重い音と共に激しい衝撃が響く。
そして、何かが勢いよく崩れる音。妖魔巨人が手に持った武器で自身が通れない通路を崩しながら迫ってきている!? さっきの耳障りな音はそれを引きずる音だったのか!!
「どうやら早々に見つかったらしいな! 走るぞ!」
ダンさんの掛け声と共に私達は走り出す。出口までどれ程かわからないけど、今はとにかく走るしかない!
今追ってきている妖魔巨人は壁を崩しながら進むしか無いから十分逃げ切れる。その証拠にどんどん音が遠ざかって行ってる。このまま遺跡を出てしまえば……。
「――――っ! エステル伏せて!」
と、エリスさんが叫びながら私の頭を手で強引に押さえる。バランスを崩しながらも何とか転倒せずにすんだ。
そこへ、私の頭があった場所から微かな風きり音がしたかと思うと、何か細長いものが前方に飛んでいくのが見える。それは次第に勢いを無くし床に落ちると、キンッと硬いものと硬いものとが弾かれ合うような音と共に一、二回弾み床に転がった。
矢だ。後ろから矢が飛んできたんだ。首筋に冷や汗が流れる。あと少しエリスさんが気付くのが遅れていたら私の頭にあの矢が深々と突き刺さっていた。
頭を押さえられ、軽く礼をしているような態勢で走りながら、脇から後ろを見る。
視界に映るのは何か得体の知れない小さな影が五つ。大きさは十歳前後の子ども程だろうか。ここからじゃ遠すぎて詳しい容姿は窺えない。
「ダン! 後方、小人鬼、弓持ち、五体!」
エリスさんが私の頭を押さえたままダンさんに敵の情報を知らせる。妖魔巨人の出す騒音のせいで声が通りづらい。そのためエリスさんは言葉を短く区切って簡潔に聞き取りやすくしている。
そうしている間にも何本もの矢が放たれているが、その殆どがこちらに届かず残りは全く別の場所に飛んでいってしまっている。どうやら先程の私の頭目掛けて飛んできた矢はまぐれだったみたい。
それにしても、頭を押さえられながら走るのは予想以上に辛い。そろそろ手を放してもらいたいなぁ……。
「あ、ありがとうございました、エリスさん。命拾いしました。だけど、そろそろ手を放してもらっても……」
「あら! ご、ごめんなさいね、エステル……」
エリスさんが慌てて私の頭から手を放してくれた時には矢は飛んでこなくなっていた。この距離では当たらないとわかったのだろう。
自由になった頭を上げて再び後ろを見る。小人鬼たちは矢を射らなくなった分、先程より多少距離を詰めてきていた。
そのことによって見えなかった姿が鮮明に見えるようになった。大きな切れ長の目に大きな鷲鼻、口は人間とほぼ同じだが下顎から伸びる二本の牙が唇の間からはみ出している。耳は横長に伸びて非常に長く、肌はくすんだ緑色をしている。手にはそれぞれよく手入れされた剣と木製の盾が握られているけど、それとは対照的に身体にはぼろ布を腰に巻いているだけだ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「キィッ! キィッ!」
身長が低い分、脚も短いはずなのに物凄い速度で追ってきている。二人とも私の走る速度に合わせてくれているから本来の速度が出せていない。それに加え私の息が上がってきていて、走る速度が落ちている。このままでは追いつかれてしまう。
「エリス! 小人鬼だけでも仕留めるぞ!」
「わかったわ!」
その状況を知ってか、ダンさんとエリスさんが小人鬼を仕留めるために勢いを上手く殺して反転する。その行動について行けない私は頭だけを後ろに向けて勢いを徐々に緩めていく。
反転と同時にエリスさんの長杖の先端に小さな魔法陣が描かれる。
「これでもくらいなさいっ!」
そして長杖の先端を前に突き出すと、拳大の氷の礫が多数放たれる。
第二階層水属性魔法「氷弾」。氷の礫を放つ単純な魔法だ。
威力は低いが魔法陣構築の容易さや魔力制御のしやすさから牽制によく使われる。注ぐ魔力の量で礫の大きさ、魔力制御で放つ数を変化させることが出来るため、汎用性が高いのが特徴だ。
先頭を走っていた小人鬼は急な攻撃に驚き、まともな回避行動も取れずに頭に氷の礫が直撃する。
そして骨が砕ける音と共に、後ろにいた仲間の一体を巻き込みながら弾き飛ばされる。他の小人鬼達は左手に持った木製の小さな円盾に動物などの革を打ちつけたレザーシールドと呼ばれる盾を構え、氷の礫を受け止めている。
しかし、それは同時に自らの視界を左腕と盾で遮ってしまうことになる。小人鬼達の左手側に生まれた死角を利用してダンさんが素早く接近する。小人鬼達もダンさんの接近に気付いた様子だがもう遅い。
「――ふんっ!」
「ギャウッ!?」
背中から抜き放たれた大剣は右斜め上から振り下ろされ、小人鬼の左肩に食い込む。遠心力の乗った大剣はそのまま身体を斜めに両断し、分かたれた上半身は血を噴出させながら宙を舞う。
後ろで盾を構えていた小人鬼は一瞬、目の前の光景にギョッとした表情を見せるが、仲間をやられた怒りからか唸り声をあげてダンさんに襲い掛かる。
「遅いっ!」
ダンさんは大剣の勢いを殺し、返す刀で向かってくる小人鬼を迎え撃つ。真横に振られた大剣はその軌道を邪魔するように構えられた小人鬼が右手に持つ刀身が短い剣――ショートソードと真っ向からぶつかる。
しかし、小ぶりのショートソードがその何倍もの重量がある大剣とまともに打ち合える訳もなく、ダンさんの振るった大剣はショートソードを半ばからへし折り小人鬼の身体を深々と切り裂く。
その光景を一番離れた場所から見ていた別の小人鬼は、勝てないとみるや仲間のことなどお構いなしに手に持った武器を捨てて逃げ出した。
「ギャギャ! ギャギャギャギャ!」
「逃がすわけないでしょ!」
そこへエリスさんの「氷弾」が頭部目掛けて放たれ、それを受けた小人鬼はうつ伏せに倒れ込み僅かに痙攣した後、ぴくりとも動かなくなった。
そして、最初にエリスさんが放った魔法で吹き飛ばされた仲間の下敷きになっている小人鬼は頭を打ったのか気絶している。その小人鬼にダンさんが無造作に近づくと喉元に大剣を突き刺す。
私はその戦いを食い入るように見ていた。
王城にいた時は訓練を見学することはあっても実戦を目にすることなんてなかった。つまり生々しい実戦を見るのはこれが初めて。デリンジャーの戦いは恐怖のあまり目の端にさえ入れることが出来なかった。
むせ返る血の臭い、転がる死体。これが戦い。これが実戦。私がこれから置かれる世界。
私は一人、戦慄を覚えた。
戦いが終わった後でも私達――主に私――には休憩する暇は無い。
後ろからは変わらず妖魔巨人が追ってきている。だいぶ迂回することになってしまったけど、ダンさんの話ではもうすぐ出口だということで、さっきよりも若干速度を上げて走っている。
すると、前方に開け放たれた大きな門が見えてきた。その大きさは妖魔巨人より少し大きい程。
「あれを抜ければ出口はすぐそこよ!」
と、隣を走っているエリスさんが教えてくれた。
ようやくこの逃走劇も終わる。でもこの胸の中にあるもやもやとした感じはなんだろう? 不安のような焦りのようなこの感覚は……。
無意識にエリスさんの服の袖を掴んでしまう。それに気付いたエリスさんは優しく微笑み返してくれて少し安心した。そういえば昔にマリアともこんなやり取りがあったっけ……。
そうこうしている間に門を潜る。
そこは大きな広間だった。天井の崩れた穴から日が差しており、壁や床の所々に生えた苔や草も相まって排他的な雰囲気をかもし出している。私達が潜った門から出口へと誘うように両脇に等間隔で並んでいたであろう太い柱もその殆どが折れ、崩れている。
もう夕方なのか差し込む日はどこか赤みを帯びている気がする。
すると、私のすぐ前を走っていたダンさんが急に立ち止まり、全く勢いを落とせていないまま、私はダンさんの背中に思いっきり顔から突っ込んでしまった。鼻が痛い…………。
「エステル、エリスの側を離れるなよ」
「え?」
鼻先を擦りながらダンさんの視線の先、出口がある方へと視線を向ける。そこにはさっきの倍の数がいる小人鬼に妖魔巨人が一体立ち塞がっていた。
後ろからは別の妖魔巨人が追ってきているので、まさに挟み撃ちの形になってしまっている。更に前方の魔物の一団は今まで見てきた妖魔巨人と小人鬼とは明らかに装備が違っている。
さっきの小人鬼達がぼろ布にレザーシールドだったのに対して、この小人鬼は革でできたレザーアーマーを着ており、左手には金属製の円盾を持っている。どことなく体格も筋肉が付いていてがっしりしている気がする。
そして小人鬼達の真ん中にどっしりと構えている妖魔巨人は全身に金属製の鎧を身につけ頭にはこれまた金属製の簡単な兜も身に着けている。右手には木製の棍棒に金属のスパイクを取り付けたものを持っていて、他とは違い一番良質な装備を身に纏っている。
素人の私が見てもわかる……あの妖魔巨人がリーダーだ……。
「待ち伏せるだけの頭があるってことね……。どうするの、ダン? 強行突破しちゃう?」
「いや、無理だろうな。妖魔巨人に目が行きがちだが、足元にいる小人鬼ども……俺の見た感じじゃあ小人鬼小隊長クラスだ。逃がしてはくれないだろうな」
「うそっ!? そんなの北の前線でも滅多に見ない奴じゃない!? そんなのがどうしてこんなところにいるのよ!?」
「…………さぁな。だが、こいつらを撃破しないと先には進めそうに無いのだけは確かだ。後ろから来てる妖魔巨人に追いつかれる前にやるしかない!」
ダンさんが背中の大剣を引き抜き、右肩に担ぐ。エリスさんも、「そうね……!」と小さな声でつぶやくと、長杖を前に構えて戦闘体制をとる。
私はエリスさんの邪魔にならないように、エリスさんから四歩程後ろの位置に移動する。今の私には何も出来ない……。そのことが歯がゆい。私にもっと力があれば……。
そして、ダンさんが駆け出すのと同時にエリスさんが放った魔法により戦いの火蓋は切られた。