十三話 吸血鬼と人間の狭間
二週間ぶりの投稿で、しかも一日遅れてしまいました……申し訳ないです(汗
「不思議な少女との出会い」でのエリスの説明が、没案と正式案が混ざっていたので修正させていただきました。
叫び声がした場所へ近づく程に鼻腔を擽る芳しい香りが増し、それと同時に喉の渇きも強くなる。
一体この喉の渇きは何なの? さっきまで全然喉は渇いてなかったのに……これも半吸血鬼化の影響? でも急に何で……。
そんな事を考えている間にもどんどん喉の渇きは強くなっていく。
渇きを超え、まるで喉が焼かれているような痛みが走り出した頃になって漸く、森に小さな切れ込みを入れたかのような小さな道が見えてきた。恐らく裏道の類だろうその道は、大人が四人手を繋いで広がった程の幅しかない。
このまま道に出るのは不味いかもしれない……道のようすが覗ける場所に一旦身を隠そう。
私は喉に手を当てて必死に我慢し、その道が見える位置にある茂みに身を隠す。叫び声がしてから少ししか経っていないといえ、叫び声を上げた主が生きている可能性は低いだろうとみて、まだその場に留まっているかもしれない敵を警戒しての行動だった。
しかし、その心配は杞憂に終わる。そっと茂みを掻き分けようすを窺うが、そこには一切動く者は居らずもう動くことは無い人だった物が無残に横たわっているだけだった。
かなりの力で叩き潰されたであろう頭部は原型を全く留めないまでに潰れており、半ば胴体に減り込んでいる。身なりは全身にフルプレートアーマー――金属板構成された鎧でかなりの重量がある――を纏っており、近くには剣先が折れた長剣が無造作に転がっている。
しかし、私の視線はその物よりも殆どが地面に染み込んでしまっているが、まだ艶めいている紅い血に釘付けだった。
あ、あの血がこの香りの元? あれを飲めばこの焼け付くような喉の痛みが治まる?
そんな恐ろしい考えが脳裏を過ぎるが、頭を振って頭から追い出す。
なんでこんなこと……普通の人ならまず血を飲もうなんて考えない。で、でも、少し、少しくらいなら……。
金色の瞳が薄っすらと紅くなる。
頭ではわかっていても身体には――吸血鬼の本能には抗い難いものがある。
鼻腔を擽る香りはまるで果実水のように甘く爽やかで、我慢が出来ないくらいに増した喉に走る焼け付くような痛みを優しく拭い去ってくれる。だから、我慢することは無い。本能に身を任せれば楽になる。
そんな甘い誘惑に負けてしまった私は、少しずつ茂みから道に横たわる死体に向け抜け出していく。
そして、茂みから抜け出した私はよたよたと覚束ない足取りで陽の光に照らされている死体に向かって歩き木陰を出る。
その瞬間、中天に差し掛かった陽の光に照らされ目が眩む。
「っ!? か、身体が重い……」
あまりの身体の重さに思わずその場にへたり込んでしまう。
こ、この身体の重さにだるさ……ずっと陽の光を避けて木陰に居たから忘れてた……それに何だか前よりだるさが増したような……いや、今は木陰に避難するのが先……。
四つん這いで身体を引きずるようにして木陰に避難して一息つく。
「あれが吸血鬼の吸血衝動ってやつ、なの……。毎回血を見る度にあんなのに襲われてたら気が持たないよ……でも、もうこの身体は元には戻らないんだから泣き言ばっかり言ってられない! 何事にも長所があれば短所がある。今はそう考えるしかない」
暗くなっていく気持ちを頬を平手で軽く打って切り替える。
それにしても陽の下に出れないのはやっぱり辛いな。おかげで一線を越えなくて済んだけど、これじゃ外でまともに活動出来ないよ……あれ? 喉の痛みが引いてる?
甘い香りはそのままだが、激しかった喉の痛みは最初に感じた喉の渇き程度に弱まっていた。
もしかして陽の光に当たって吸血鬼の要素が弱まったとかかな? だとしたら身体のだるさを我慢してでも陽の光を浴びた方がいいかもしれない。
恐る恐る手を日向に出すが肌がじりじりと焼けるような感覚と共に、さっき程では無いが手から腕にかけて重くなっていく。
「……今は日向を歩くのはよそう。それに今はやることがあるし……」
なるべく死体を視界に入れないように森の中に移動し走り出す。
今思えば叫び声の方へ向かった理由も自分で考えたにしては攻撃的というか野生的というか。今の身体がどこまで動くかなんてダンさんに協力してもらえば安全に確認できるし……これも吸血鬼の本能みたいなものなのかな? 人助けが悪いとは言わないけど今の私じゃ囮ぐらいにしか役に立たないかもしれないし……さっきもそうだったけど、もしかして私ってかなり吸血鬼の本能に流されてる?
そう考えつつも走る足は止まらず、すでに道の先での馬の蹄の音や怒声を私の耳が捉えている。
今はここまで来ちゃったし、ようすを見てから判断しても遅くないと思う。
体内に意識を向けると僅かに鼓動が早くなっているのがわかる。そして薄っすらと熱を持つ身体。
それは高揚感からなのか、ただ単に緊張からなのかはわからないが不快には感じ無い。寧ろ心地いいくらい。
「ふぅー。やっぱり流されてるみたい」
身体の熱を出すように一度息を吐くと、今度はしっかりと自覚して音のする方へ走る速度を一段上げて走り向かう。
馬の蹄の音が聞こえたから移動はもちろん馬なんだろうけど、どうにも速度が出てない気がする。いくら私が走るのが速いって言っても流石に馬相手には追いつけない。なのに走り始めてまだ少ししか経ってないのにもう追いついちゃいそう。
あの死体を見てから騎士の小隊でもいるのかと思っていたけど、もしかしたら違うのかもしれない。
そう考えてる間に道の先に何か見えてきた。
「あれは……」
見えてきたそれは遺跡で見た革の鎧を纏っている小人鬼だが、以前と違い狼のような魔物に跨り手には斧槍――槍の穂先に斧頭とその反対側に突起がついている武器――を持っている。
その狼のような魔物の身体は人間の胸下にまで届く程大きく、薄暗い黒の毛色に所々紫色の毛が稲妻のように走っている。口から覗く大きな鋭い牙に鉤爪のような湾曲した爪は、前に三本後ろに一本とまるで鳥の足のよう。
見た目は上に跨っている小人鬼よりも強そうだ。
それが二組、左右に揺れながら走っている。
その前には騎乗している騎士が二人に軽装の狩人風の男が上半身だけを後ろに向けて追ってくる魔物に弓を引き絞っている姿が見える。
更にその前には二頭立ての地味だがよく見れば細かな装飾が施された箱馬車が走っており、その両前脇を守るように騎士が二人ついている。
速度が出てない理由はあの馬車ね。
さっきの死んでいた騎士も合わせると五人も騎士がいて、更に弓使いも護衛にいるなんて貴族か何かかな? それにしては魔物が出る場所を移動するのに護衛がたった六人しか居ないのは少な過ぎる気がする。
まぁ私には貴族の事情なんて知ったことじゃないけど。
狩人風の男が魔物に矢を射るが、左右に揺れて狙いをつけさせないように動いている魔物にかすりもせずに、矢は空しく地面に突き刺さった。
「くそっ! なんだって小人鬼なんかが雷狼に乗ってんだ!」
「文句ばっか言ってないで矢を射続けろ! アルクスまであと少しなんだ! こんなところで追いつかれる訳にはいかん!」
「言われなくてもわかってる!! ああ、くそっ! あいつら余裕ぶっこいてやがる!」
怒鳴り声をあげている間にも二回矢を射るが、どちらも軽く避けられている。
どうやら、あの狼のような魔物は雷狼という名前らしい。
森を走っている間にアルクスに続いてる別の道に出てしまったみたい。アルクスまで近いらしいし私が囮とかしなくて大丈夫そうかな? 今は顔を隠せるようなものが無いから、貴族の護衛に顔を見られるのは後々面倒そうだし、出てこないと思うけど貴族本人に顔を見られるのは益々面倒。
狩人風の男が更に矢を射るがやはり魔物には当たらず、道が緩やかな曲線を描き始めた。その時――
「ブルォアアアアアアアアアアアア!!」
私がいる方とは道を挟んで逆側の森から咆哮をあげ、大きな音を立てながら何か凄まじい速度で近づいてくる。
「オーガの野郎、先回りしてやがったな! 引き離すのに犠牲が出たってのによ! くそがっ!」
「御者にもっと速度を出さないとオーガに捕まると知らせて来てくれ!」
「はっ!」
狩人風の男が乱雑に矢を射る中、一人の騎士が指示を飛ばし、もう一人の騎士が馬の速度を上げて前に走っていく。
狩人風の男の話からすると、さっきの頭が潰れた死体はそのオーガという魔物の仕業みたいだ。これはもしかしたら出番があるかもしれない! っと流されない、流されない……。
若干心が躍っている自分を叱咤しつつ、魔法の準備を開始する。
準備するのは「想像されし魔武器」。十中八九当たらないだろう遠距離系の魔法よりも今の身体能力を活かした接近戦の方が確実に仕留められる。囮をするにしても武器無しでなんて私には無理だ。
遺跡の中で使った時は例外で普段の私は何かしらの武器を一本作るのが限界。しかもあんな装飾なんて到底無理。だから今回はシンプルな刺剣を一本分用意することにした。
右手に魔力を集中して魔法陣を描く。薄っすらと発光するそれを目立たないように注意しながら引き離されないように走る。
その間に御者に連絡がいったようで馬車の速度が上がる。
すると突然、何かが空から馬車のすぐ前方に落下してきた。砂埃と共に紅い液体をまき散らしたそれは馬の亡骸だった。恐らく死んだ騎士が乗っていた馬だろう。それをオーガという魔物が投擲してきたのだろう。
狙ってかそれとも偶然か。投擲された馬の亡骸は馬車のすぐ前方という足止めするのに効果的な場所に落下した。
「うそでしょ!?」
その常識はずれで想定外な出来事に思わず声を出してしまうが、誰にも気づかれなかったようだ。
突然の事態に御者は咄嗟に避けるが、速度が増した馬車はバランスを崩して横倒しになり、数メートル横滑りして木に激突して止まった。その際、御者は最後まで立て直そうと奮闘したが途中で投げ出され、馬は馬車と一緒に横倒しになり生きているかはわからない。
それでも木に激突した部分が少し潰れるくらいで済んだのは、見た目とは裏腹にかなり堅牢だったのだろう。中にいる人物が無事かは別として。
後ろに居る騎士と狩人風の男は多少混乱しつつも、己の主または雇い主を守ろうと馬の速度を落とすが、そこへ後ろについていた魔物が待っていましたとばかりに飛び掛かる。
雷狼に跨っている小人鬼が両手で持った斧槍を騎士に向けて叩き付けるように上から下へ振り下ろすが、騎士は腰に吊っている長剣を抜き放ち舌打ち混じりに頭上から落ちてくる斧槍を横へ受け流す。
狩人風の男は切り上げ気味に振り上げられる斧槍に上体を捻って躱そうとするが、腕を軽く切られ宙に血が舞う。その際に切られた衝撃でバランスを崩してしまう。
それと時を同じくして私の「|想像されし強靭なる武器」の魔法陣が描き終わり、両刃の細い剣が伸び、なんの装飾もされていない武骨な刺剣が魔法陣から引き抜かれる。
っ!? こんな時にまた喉が……でも今はそんなことを気にしてる時間は無い!
唇を噛み痛みで正気を保ちつつ、斧槍を翻し狩人風の男の頭目掛けて振りかぶる小人鬼に向けてまるで矢の如く跳躍する。
「間に合えっ!」
純白の髪を棚引かせながら、見る見るうちに小人鬼との距離が縮まる。
そして、斧槍が振り下ろされるのと同時に、私の間合いに捉えた小人鬼の振り下ろそうとしている腕を刺剣で下から上に一閃し、返す刃で首を切り落とす。
記憶では出来るとわかっていたけど、こう易々と出来てしまう今の吸血鬼の身体に驚愕しつつも、抑えきれない高揚感が口の端を吊り上げさせる。
腕と頭を失った小人鬼を蹴り落とし、雷狼の背に着地する。
「お、お前どこから出てきた!?」
体制を立て直した狩人風の男が怒鳴っているのか尋ねているのかわからないような声を上げるが、無視して雷狼の後頭部を刺剣で一突きし、そこから飛び降りて地面に着地する。
ふぅ、何とか間に合った。さぁ次は誰を殺そ……ってダメ! また流されてる!
吸血鬼側に偏り始めた思考を頭を振って追い出すが、しかし身体は素直で、その顔は今にも舌なめずりでもしそうな程の喜色の笑みを浮かべてしまっている。
騎士の方は実力が小人鬼よりも数段上のようで、すぐに小人鬼は切り捨てられ、、雷狼は不利と悟ってか森の中に逃げて行った。
助けたはずの狩人風の男は横転した馬車と私の間に移動し、あからさまに警戒している表情をして弓に矢を番えている。
小人鬼を仕留めた騎士も私を見た瞬間に警戒してか一定距離を置いてようすを窺っている。
それも仕方ないと思う。こんな人気の無い場所に突然少女が現れ、魔物の首を飛ばし、尚且つ顔には笑みを浮かべているなんて、こういうことに詳しくない私でも怪しいと警戒する。
「アルベルト様! ご無事ですか!?」
「あ、ああ、自分でも不思議なくらいに無事だよ……」
狩人風の男の後ろでは、横転した馬車では二人の騎士が馬を降りて、上に向いてしまった扉から中に居た人物を引き上げているところだった。しかし、次の瞬間には私の視線は別のところに釘付けになる。
「ブルァアアアア!!」
その場にいる全員が咆哮のする方へ視線を向けると、そこには木を素手でなぎ倒して森から姿を現した死が立っていた。