十二話 アルクスの町(中)
:エリス・ザッハード
アルクスは北部からマナフィス国に侵攻してきた魔族率いる魔物の軍勢に対抗するための前哨基地として建造された。魔族の軍勢を押し返す事に成功したマナフィス国はアルクスの町を拠点に城塞都市マースを建造し、国境の防衛力を強化した。それが今から三十六年前になる。それから四年後に国内の魔物に対処しながら北東部の国々と協力し何とか魔物の軍勢を北部の極寒地帯に閉じ込める事に成功する。
そして前哨基地としての役割を果たさなくなったアルクスは、魔物によって壊滅させられた村々や町などの生き残り――所謂難民――を集めて新たに町として使われるようになったのが、今から二十九年前になる。
平和だった森に突如として現れた魔物に対して村人は逃げるという選択肢しか無かった当時は、他国から流れてくる難民も合わせて膨大な数の難民が溢れていた。
その溢れた難民と必要の無くなった基地の二つを無理やり合わせて町にしたのが今のアルクスだ。もちろんアルクスだけで全ての難民が収容出来る訳も無く、あらゆる都市や町に分割したが難民と少数の兵士のみで構成された町はここだけだった。それでもアルクスの収容人数を難民の数は大きく上回った。所狭しと建てられた家々によって正にアルクスの町は迷路状態。今でこそ表通りが整備されたものの、一歩裏通りに足を踏み入れてしまえば、道を知らない者が一人で抜け出すのは困難を極める。
依頼主である領主へ報告を済ませた私とダンは、そんなアルクスの中央広場にある冒険者組合支部に向けて北側の城門から南側の城門までを貫く表通りを歩いていた。
領主には武装した上位の小人鬼や妖魔巨人については話したが、もちろんエステルの事については話していない。迂闊に信用できない者に話せば、最悪冒険者を使った討伐隊を送られる可能性もあるからだ。
「で、これからどうするんだ?」
隣を歩いているダンが近くの露天で買ったクック鳥の串焼きを豪快に頬張りながら言う。
クック鳥は南部で広く生息している鳥で、鳥という名前は付いているものの空を自由に飛ぶことは出来ない変わった鳥だ。長い脚に長い首が特徴で狩りの他に家畜として飼われていたりする。その肉は程よく脂が乗っていて、しつこくなくさっぱりとした味わいで人気だ。
私はその問に怪訝な表情を浮かべる。ダンの言う「これから」が何を示しているのかはわかっているつもりだが、どうするとは一体どういうことなのか。
「エステルを助けてあげる。それ以外無いでしょ?」
「何言ってるんだ、それは前提の話だろ。お前が言ってた魔族の研究をしている知り合いに助力を請うとして、問題はその後だ。俺達だって暇じゃない。何時までもエステルの側に付き添う事は出来ないぞ」
「うっ……確かにその通りね……」
確かにダンの言う通り。エステルには言っていないが、私達は次の目的地である王都カナンハンで依頼を受けている真っ最中。アルクスでの遺跡調査の依頼もその一環だった。本当ならこのまま北上しなければいけないが依頼の期間は一年近くあり、少しの寄り道――進行方向とは真逆だが――してもいいだろうというダンの考えで私の知り合いが住んでいるカナンハンに一回戻る事になった。
私はこんな依頼よりもエステルの方が重要だと思っているから、途中で破棄したいところだが依頼主がかなり厄介な人物だけに、破棄なんてしたらこちらの首が飛びかねない。
「うーん……どうしよう?」
「あ、因みに俺はこっちの方に伝は一切無いから当てにしないでくれ」
食べ終わった串焼きの串を持った手をひらひらと振って付け加えてくるダンを軽く睨むと、白々しく口笛を吹きながら視線を逸らす。
大きくため息を吐いてから正面を向くと、少し先にこの町の中央に当たる中央広場が見え始めた。
その中央広場の端に逆三角形の盾に鳥の片翼に交差するように剣が描かれた看板が吊るされている小ぢんまりとした建物が見える。それこそが冒険者を束ねる組織――冒険者組合の建物、冒険者組合アルクス支部だ。他の都市や町で見る冒険者組合の支部はもう二回り程大きいのだが、アルクス周辺は凶暴な魔物も少なく森の奥にでも行かない限り魔物自体に遭遇しないため依頼が少ない。そのため必然的に建物も小さくなっている。
冒険者組合は人間対魔族の戦いがひと段落した時にエルフ達によって提案され、当時かなりの力を持っていた傭兵団「荒野の太陽」のリーダーだったヘリム・アニマーとエルフの長エルヴィン・アオドラセナ、更に各国の援助によって設立された組織だ。
活動形式は依頼主が冒険者組合に依頼を出し、それを冒険者組合に所属している冒険者が引き受けるという仲介人のようなものだ。設立当初は魔物の討伐が主な依頼だったが、魔物によって取りに行く事が出来なくなった薬草の採取や行方不明者の捜索、行商人の護衛など幅広く行うようになり、今や冒険者組合は必要不可欠なものになっている。
そんな冒険者組合の設立を提案し実行した妖精族のエルフは、整った容姿に横に延びた尖った耳が特徴の種族だ。エルフは魔物や魔族が出現する前は人間と全く関わり合いを持っていなかった。聖魔戦争では人間、獣人、妖精族が手を取り合い戦ったが、聖魔戦争終結後からエルフは人間との交流を断ち森の奥へ隠れてしまったためだ。
しかし、再び魔物や魔族が現れた時、彼らエルフは人間の前に現れ、自らが持つ知識や技術を惜しげもなく提供してくれた。それによって崩壊寸前だった人間は何とか持ち直し、魔族率いる魔物の軍勢を撃退する事に成功した。言わばエルフは人間の窮地を救った英雄的存在なのだ。
これからどうするかは追々考えるとして、今は冒険者組合で知り合いの――リオーズ・シランに送る手紙の文面を考えないと。あいつ気難しい性格してるから下手な内容だと返事も寄越さないから面倒くさいのよねぇ……。
重い足取りをエステルのためにと渇を入れて冒険者組合へ歩を進める。
腰から胸を隠す程度しかないスイングドアを押して中に入ると、奥には受付が左側には依頼を貼り付ける依頼盤が右側にはちょっとした休憩スペースがあり何人か冒険者風の男が丸い机を囲って座っている。受付には誰も並んで居らず伽藍とした、悪く言えば寂れているような印象を受ける。
「じゃあ私は手紙書いてくるから情報収集よろしくね」
「わかってるよ。まぁあまり期待は出来ないがな」
そう言って右側の休憩スペースにいる男達に歩み寄って行く。ダンにはエルトナ王国の状況と最近の魔物の動向を調べてもらうことになっている。
私は一番右側に設けられた郵便用の受付に向かい、受付の子どもっぽさが残る女性に声を掛ける。
「手紙を一通お願いしたいの」
「はい、お手紙ですね! 持込ですか? それともこちらで書いていかれますか?」
「ここで書くわ」
「かしこまりました! 代筆も出来ますがどういたしますか?」
「自分で書けるから必要ないわ」
「失礼しました! ではこちらが一枚で三銅貨になります! 後ほど送料と一緒にお支払いいただきますので!」
「わかったわ、ありがとう」
元気のいい、恐らく新人であろう受付の女性から紙を数枚受け取ると、近くの椅子に腰掛け助力を請う手紙をしたためる。使った分だけ後で支払うから余分に貰っても支払いの時に返却すればお金は取られない。
因みに一人が一日暮らすのに掛かるお金は大体十二銅貨程なので、一般市民からすると紙は贅沢品だ。
冒険者組合は依頼の仲介の他に手紙の配達もやっている。日に二度出発する冒険者組合専属の配達人――元冒険者や元傭兵など――が指定した場所に届けてくれる。行商人にお願いするという手もあるが、速さと確実性を取るなら多少お金が掛かるが冒険者組合に頼んだほうがいい。
「あ! お久しぶりです、エリスさん!」
そこへ入り口から入ってきたばかりの男が声を掛けて近づいてきた。
「誰かと思えばベティーじゃない。こんなとこで合うなんて奇遇ね。あなたの活動拠点ってマースじゃなかった?」
「そうなんですけど、ちょっとした事情で。それといい加減ベティーはやめてくれませんか……」
少し疲れた表情で肩を竦めて答える青年の名はベンデンス・リーヴァ。黒に近い紫色の髪を小奇麗に切り揃え、丸みを帯びた顔立ちにくりっとした大きな瞳は青年というよりも少年という印象を与える。身長は私とあまり変わらない、男性の中では少し低い部類に入る彼は、しかし身に纏うフリューテッドアーマー――薄い鉄板に溝状の凹凸を付け通常より軽量化した全身鎧――のせいで一回り大きく見える。左手には大きな丸い鉄盾を持ち、腰にはメイス――打撃用の頭部と柄を組み合わせた金属製打撃武器――を吊り下げている。護衛を専門にしていて「不退のベンデンス」の二つ名でマースではそこそこ有名な冒険者だ。
ベティーとは何回も仕事を共にしたことがあって、今でもマースに寄る必ず時は顔を出している。穏やかで誰にでも優しく接することが出来る性格の持ち主で到底殺し合いなど出来無さそうなだが、その戦い方は勇猛果敢。どんな攻撃にも全く怯まず逆に打ち返し、自身より後ろには何人たりとも通さない。故に付いた二つ名が「不退」なのだ。因みにベティーは彼の愛称――私しか呼んでいないが――である。
マースを拠点としているベティーは主に北進する人々の護衛の依頼を受けている。だからマースより南方の町に居るのはかなり珍しい。余程報酬がいい依頼か依頼主が大物なのか。
「そのちょっとした事情って?」
「いやー、久々の指名を受けたんです。アルクスからカナンハンまでの護衛なんですけど、今日の朝合流予定だったのにまだ到着してないみたいで……」
無骨な手甲で後頭部を掻きながら困った表情を浮かべるベティー。
ベティー程の冒険者を指名する辺り、それなりの人物が依頼主って事はわかる。
腕のいい冒険者の指名は普通の依頼よりも割高になることが多い。ましてや、有名冒険者に指名依頼を出すには結構な金額が必要になる。それだけお金があるなら子飼いの護衛くらいはいるだろうから、ただ単に遅れているだけだろう。
「ま、どうせ遅れてるだけでしょ」
「それならいいんですけど……。数日前からアルクス周辺の魔物が活性化してるって話もありますし少し心配で……。依頼を受けたからには安否確認はしないといけませんから、僕はこの辺で失礼します。またお互い無事に再会出来るといいですね」
「え、ええ、またね」
そう言って少年のような笑みを浮かべて軽く礼をし、足早に受付に向かって行くベティーの背を見ながら別れ際に放った言葉を反芻する。
魔物が活性化? この辺の事情にあまり詳しくないベティーでさえ知ってるってことはかなりアルクスの近くまで魔物が出てきてる? いや、でもそれなら討伐関連の依頼で冒険者組合がこんなにも静かな訳ないか……。むむむ、情報が足りなさ過ぎる。今の状況で考えたところでどうしようもないわよね。ダンの情報に期待しましょ。
そうしてベティーの登場で止まっていた手紙の執筆を再開し……再び手が止まる。
外に待たせているエステルの事が脳裏を過ぎる――――が、森と平原の境目まで魔物が出張ってくる事なんて滅多に無いだろうし大丈夫と、エステルが森を駆け抜けている事など全く知らずに止まっていた手を動かすのだった。
ちょっと忙しくなってきたので、次の投稿は来週の土日になるかもしれません……。