十一話 アルクスの町(外)
一日遅れてしまい申し訳ないです……。
昨晩野営した場所を朝早く出発した私達は、森を抜けて遺跡から南の方角にあるアルクスの町に向けて街道を歩いていた。
黒騎士さんは兎に角目立つという事から遺跡の時みたいに私の影の中に隠れてもらっている。
「あ、暑いぃ……それに身体が重いぃ……」
そんな中、私は一人だけへばっていた。
一年は二十ヶ月あり一月二十日で、大陸にもよるがボールス大陸には春夏秋冬がある。三月の頭から始まり八月辺りまでが大体春で今は六月の半ば。暑すぎず寒すぎずの過ごしやすい気温だ。
そう、今居るのはガレス大陸ではなくボールス大陸の南部にあるマナフィスという国の領内だ。ダンさんが教えてくれるまでずっとガレス大陸だと思っていたから、まさか海を越えて別の大陸に居るなんて考えてもみなかった。
このボールス大陸は南と東に長く延びるブーメランのような形をしているのが特徴で、南部と北部では全く気候が異なる。南部は比較的暖かな気候で作物がよく育ち、生き物が暮らすにも適している。一方北部は南部とは正反対に身も凍るほどの寒冷な気候をしている。その寒さは想像を絶し、一年中凍りに包まれている地方もあるとか。
そして、その過ごしやすい気温の中、何故私がへばっているのかというと、それは吸血鬼の特性によるものだ。
吸血鬼は基本的に日が落ちてから活動を開始する。吸血鬼は太陽を苦手としていて、日が昇っている間にも活動することは出来るが今の私のように本来の力が出せないらしい、とエリスさんが教えてくれた。
他にも変身能力や飛行能力などもあるみたいだけど、どうやったら使えるのかわからないから今は使えない。
「まさか、こんなにも日の光が辛いなんて……」
「あともう少しでアルクスに着くからそれまで辛抱してね」
「……は~い」
と、苦笑いしながら言ってくるエリスさんに、気の抜けた返事をしながら頷いた。
何回か休憩を挟んではいるが、もう既に六時間程歩いている。以前の私なら一時間程で疲れていたと思うけど、今は全く疲れていない。これも半吸血鬼化の影響だろうけど、太陽が苦手な性質とは違って凄く助かっている。まぁ、半吸血鬼化の影響って考えると少し複雑な気持ちだけど。
そうこうしている間に道の先、まだ大分遠くだと思うけど壁のようなものが見えてきた。
それは王城から見ることができた王都をぐるりと一周していた城壁と同じ物だと直ぐにわかった。高さは王都の城壁よりもかなり低いが、城壁の上にバリスタ――巨大なクロスボウのようなもの――が複数台取り付けられており、寧ろ防衛能力はこちらの方が高そうに見える。そして正面には中々に大きな城門があり、今はその口を大きく開け放っている。
「あのバリスタが取り付けられてる城壁に囲まれているのがアルクスの町ですか?」
「ええそうよ。この距離だとあと一時間も掛からないわね」
「しかし、よくこの距離でバリスタがあるのに気付いたな。視力に多少自身がある俺でも全く見えないぞ?」
ダンさんが眉の片方を端を吊り上げ、手で頭を掻きながら尋ねてくる。
これも半吸血鬼化の影響らしい。
吸血鬼は人間よりも圧倒的に身体能力が高く、視力と聴力も人間より優れているらしい。らしいと言うのも、吸血鬼の五感については本を書いた著者の主観によるものとの事で確証が無いためだ。
でも、現に視力に関してはダンさんよりも上みたいで、本に書いてあった事の裏づけが取れた形になる。
聴力に関してもハッキリとした確証は無いけど、何となくよくなっている気がする。
「これも半吸血鬼化の影響みたいです」
あっさりと答えた私にダンさんは「……そうか」と答え、少し困った表情を浮かべる。そのダンさんを隣にいるエリスさんが凄い形相で睨み付けているが、当のダンさんに気付くようすは無い。
私の中では既に半吸血鬼化を受け入れている。多少思うところはあるものの、弱い私がこれから生きていくためには便利である事は間違いない。あるものは使う。それが自分自身にしか影響が無いのであれば尚更だ。でなければこの魔物が跋扈する世界を生き残れないだろう。
「私の身体の事はあまり気にしないで下さい。最初は戸惑いましたけど、今は便利な身体になった程度にしか感じてませんから」
「そうか? まぁ本人がそう言うなら俺は気にしないさ」
と、言うダンさんは既にいつもと変わらない態度で接してきてくれた。
その対応の早さというか、適応の速さというかに嬉しい反面、思わず苦笑が漏れる。エリスさんも何時もの事なのか、呆れ顔を浮かべるだけだった。
そのまま街道を進んでいると左右の森が途切れ、周りを森と山々に囲まれながらも決して狭くない平原に出た。
そして、その中心に堂々と聳えるのは城壁に守られたアルクスの町だ。さっきよりもハッキリと見えるようになった城門には中に入るための人の列が出来ていた。
「昨日話した通り、俺達は依頼主への報告と必要な物を買い揃えてくるからここら辺で待っててくれ。森の浅いところは冒険者が魔物を狩ってるから殆ど出ないと思うが、くれぐれも奥には行かないでくれよ?」
「わかりました。森の奥には行きません」
頷いてそう言うと、ダンさんも一度頷いてからアルクスの町に向けて歩き出し、エリスさんは「なるべく早く帰ってくるからね」と私に声を掛けてからダンさんの後に続いて歩き出した。
私はしばらくの間二人を見送ると、素早く近くの木陰に避難して腰を下ろす。
「ふぅ、やっぱり日の下は辛い……」
一息ついてから一人ごちる。
しばらく木陰の有り難味を噛み締めていたが、流石に暇になってきた。あと数時間は時間を潰さないといけないと思うと、どうしたものかなと首を捻ってしまう。
黒騎士さんとお話? でも、黒騎士さんって一回も口を開いてくれないんだよね……。それでも一人で居るよりはいいかな。
「黒騎士さーん! お話しましょー!」
木陰に居るせいで自分の影が見えないけど、適当に地面に向かって話しかければ聞こえるよね? そんな軽い気持ちで地面に向かって声を掛けるが、幾ら待っても全く反応が無い。
「寝てるの……かな?」
前にも影の中に居たんだから何かしらの異常事態が起こって出て来れないって事は無いと思うけど、影の中がどうなっているのかわからない以上何ともいえない。しかし、反応が無いって事は私が残り数時間を一人で過ごさなくてはいけなくなった事を意味する。
これからどうしよっかな……。ダンさんは森の奥には行くなって言ってたし、奥に行かなければ少しくらい探検してもいいよね?
そう結論を出すと、腰を上げて後ろの森に足を踏み入れる。
最初は日の光に当てられてだるかったからあまり気は進まなかったけど、今は周りを見渡せば私の知らない植物や動物が居て心が躍っている。これで森に入るのは三度目だけど、一度目と二度目は色々と気にする余裕がなかったから、じっくり森を観察するのはこれが始めてだ。
周りをきょろきょろと見回して観察しながら歩いていると、遠くの方から水の流れる音が聞こえてくる。
徐に音のする方へ足を向けると、浅く幅の狭い小さな川が流れていた。
川の近くに膝をつくと四つんばいの形でその川を覗き込む。そこには澄み切っていて木漏れ日をきらきらと反射させて流れているとても綺麗な川があった。
実は自然の川を見るのはこれが初めてなのだ。エルトナ王都には豊富な地下水を使った水路があったが、あれは川と言うよりはやはり水路だった。
その綺麗な水の流れを見ていると、水面に写っている顔に一瞬驚いて後ろを振り返ってしまう。もちろんそこには誰も居ない。今ここに居るのは私と影の中に居る黒騎士さんだけだ。再び水面に視線を戻すとまじまじと水面に写る顔を見る。
わかってはいるつもりだったけど、赤色だった髪がいきなり真っ白に変わっていれば水面に写る自分の顔が他人のように思えてしまう。
遺跡で目が覚めてから自分の姿を見る機会なんて無かったから、今の内にエリスさんの話の確認をしようと思いつく。
アルクスの町へ向かう道中でエリスさんが私が暴れた時の話を少ししてくれた。その話の中で私の瞳が紅く染まり、唇の間からは短い牙が顔を覗かせていたらしい。昨日の夜の段階で瞳も牙も元に戻っていたらしいけど、自分で確認できるのなら確認しておきたい。
水面に向かってニッと歯を剥く。そこには若干だが他より長く鋭く尖っている歯が二本あった。
まぁこれくらいならあってないような物だし気にはならないかな。
続いて瞳の色を確かめる。目を見開いて確認するがこちらは特に変わっておらず、以前の金色の瞳のままだった。わかっていた事だったが、ほっと胸をなでおろす。
髪に続いて瞳の色まで変わってしまっていたら、母との繋がりが切れてしまうそんな気がしていたから、変わっていない事に安心した。
遺跡の中でも髪の色は確認することが出来たが、やはり水面に写る自分の肩口まで伸びた髪は全てを拒絶するような真っ白な色に染まっている。いや、染まっていると言うよりも全ての色が抜け落ちていると言った方がしっくりくる。
その事実に深いため息を吐くと、気分転換に川の水を両手で救い上げて顔を思いっきり洗う。程よく冷たい水がとても気持ちいい。
すると、突然森の奥から男性と思われる叫び声が微かに聞こえた。
「――くれぐれも奥には行かないでくれよ?」とダンさんの言った事が頭を過ぎり考え込む――が、数瞬もしないうちに私は叫び声のする方へ走り出した。
森の奥、そこから聞こえる叫び声など、正しく魔物がいますよと訴えているようなものだ。盗賊の類という線もあるにはあるが、それでもやる事は変わらない。
何時かはこの身体がどこまで動くのか確認しなければいけない。危険は伴うけど、確かめるついでに人助けが出来れば一石二鳥だろう。
そう言い訳をして心の中でダンさんに謝ると、更に走る速度を上げる。
瞬く間に通り過ぎていく景色に多少驚くが、それよりもその尋常じゃない速度を操れている自分自身への驚きが大きかった。邪魔な小枝を手で払いのけながら先を急ぐ。
その時の私は全く意識していなかったが、走る私は口角を吊り上げ獰猛な笑みを浮かべていた。それはまるで緊張を感じさせない、狩りを楽しむが如き笑みを……。