一話 プロローグ ある日の日常
そこは、暗く寒い世界だった。誰も居ない、何も無い……ただ暗闇が支配する、そんな世界を歩き続けた。なぜ歩いているのか、何時から歩いているのか、そんな事は忘れてしまった。ただ、何かに突き動かされるように歩いていた。
ある時、この世界に光が灯った。それは小さく弱々しい火だった。それなのに、とても暖かく感じ、自然とその火へ向けて歩き出していた。しかし、幾ら歩いても火の元へは辿り着かない。それでも歩き続けた。まるで引き寄せられるかのように。
どのくらいの時間歩き続けたかわからない。が、唐突にそれは起こった。火が段々小さくなっていくのだ。元々弱々しかった火が更に弱くなり、暖かさは薄れていく。
暗闇をひた走る。あの火が消えてしまったら全てが終わってしまう気がしたから。
しかし、歩いていた時と同様に、どんなに走っても辿り着かない。それでも、今にも消えてしまいそうな火を守るために、必死に手を伸ばした。その思いが通じたのか、伸ばした手は、幾ら歩いても、走っても辿り着く事ができなかった火を確かに掴んだのだった……。
◆◆◆
ガレス大陸。この大陸はガレス、ボールス、ベリノアと呼ばれる三つの大陸の中で最も小さい大陸だ。
小さいと言っても大陸。その広大な土地には大小様々な国があるが、中でも「シリヌス共和国」、「ポルックス商業国家」、「砂漠のレグルス国」、「エルトナ王国」は四大国家と呼ばれ、ガレス大陸を大まかに四つに分ける形で統治している。その四大国家の中で一番歴史が長く、力を持っているのがエルトナ王国だ。
一番歴史が長いって言っても、ガレス大陸にある国はボールス大陸とベリノア大陸にある国より歴史が浅い。それはこの大陸の全ての国が一度滅んでいるからだ。
「聖魔戦争」。五百年前にあったとされる「魔族」と呼ばれる強大な力を持つものたちとの戦いにより、主戦場だったガレス大陸の国は全て滅びた。
何十年にも及ぶ戦いの後、ある英雄の手により魔族の王――「魔王」が討ち滅ぼされる。
その英雄の名は「ヴァーンヒルト」。残りの魔族を全て討ち滅ぼした彼は、魔王を討ち滅ぼした地をカームと名づけ、そして自らを「ヴァーンヒルト・カーム・エルトナ」と名乗りエルトナ王国の建国を宣言した。
私は、そんなエルトナ王国の許可を得たもの以外立ち入ることを禁じられている王城図書館で静かに本を読んでいる。
この王城図書館はエルトナ王国で最も書物が集められている場所で、高さは一般的な民家四軒分で横はその更に倍の八軒分はあるくらい大きい。基本的に貴族や王族のみしか出入りを許されないけど、十日に一度だけ学院に通っているものに開放されている。
すると、遠くから女性の声が聞こえてくる。
「エステル様ぁ! どちらに居られますかエステル様ぁ!!」
読んでいた本を閉じ、その本を本棚に戻してから声のする方へ向かうと、黒いワンピースにエプロンドレスを着たおっとりとした雰囲気の女性がスカートを摘み上げて走ってくるのが見える。
「エステル様! こちらに居られましたか!」
彼女の名前はマリア。私が五歳の時から侍女をしてくれていて、心から信用できる唯一の人物である。赤茶色の瞳に蜂蜜色の髪をしていて、身長は女性としてはかなり高く、そのせいかよく躓いて転ぶことがある。
そして私はエステルことエステリーゼ・エルトナ。年齢は十四歳で、金色の瞳に燃えるような赤い髪を肩口まで伸ばしている。そして、エルトナ王国の第三皇女だ。
皇女と言っても母は平民、つまりエルトナ国王の愛人の子というわけ。
私が五歳の時に母が流行り病でなくなったのを機に、父であるエルトナ王国国王メルコフ・カーム・エルトナに引き取られ、王城で生活することになった。
でも、父は私のことがあまり好きではないようで、引き取られた日から全く会いに来てくれないし、会話もしていない。廊下を歩いているのを遠目から見かけるくらいだ。それでも、私に衣食住を与えてくれた父には感謝している。
なぜ私には「カーム」という名が入っていないのかというと、全ての国において国王や当主は主名と呼ばれるものを名乗ることが慣わしとなっているから。
主名はそのものが国王、または貴族などの当主であることを示すもので、国王なら自らが建国をした土地の名や国の象徴の名などを使い、当主は自らが治める土地の名や国王に与えられた名などを名乗るのがこの国では一般的だ。また配偶者も同じ主名を名乗ることができる。
だから、私は主名であるカームを名乗れない。
「そんなに慌てて、どうしたのマリア?」
「どうしたのではありませんよぉ! 先程からダンスの先生がお部屋でお待ちになっておいでです!」
額に薄っすらと汗を浮かべながら言ってくるマリアに私は苦笑いで返す。
いけないもうそんな時間……でもダンスかぁ。
正直、社交界やら舞踏会やらの為に、ダンスを練習する意味を見出せないんだよね。
王位継承が絶望的な私なんかと関係を築こうとする貴族もいないし、貴族連中はプライドが高いから、母が平民だということもあって私を嫌っている者ばかり。
煙たがられることはあっても歓迎されることはない。そんな舞踏会の為にダンスの練習をするなら、本を読んでいた方が楽しいし自分のためにもなると思う。
「適当な理由をつけて今日はお休みってだめかな?」
「そんなことをして、もしメイド長に知られたら怒られるのは私ですぅ! 気が進まないのはわかりますけど、どうか出てくださいぃ!」
目の端に涙を浮かべるマリア。あまり話をしたことは無いけどメイド長は相当に怖いらしい。
うーん……マリアにあまり迷惑をかけすぎるのも悪いし、気は進まないけどダンスの稽古に行きますか。
泣き出しそうなマリアをなだめながら廊下を歩いていると、暇そうな顔をした白髪で紅い瞳の女性が窓から外を眺めている。その姿はどこか憂いを帯びているような、そんな感じがする。
その女性はこちらの気配に気がつくと満面の笑みで近づいて来た。
「まぁ! エステルちゃんにマリアじゃない! こんなところで合うなんて奇遇ね!」
「そ、そうですね、ローズマリー先生……」
「お久しぶりでございます、ナイトハルト様」
マリアは腰を深く折り恭しくお辞儀をし、私は苦笑いで返事をする。そんな私の態度なんて全く気にしないローズマリー先生はさっきの姿はどこへやら、にこにこと凄く嬉しそうだ。
彼女の名前はローズマリー・ナイトハルト。魔法騎士団の団長を勤めており、父が最も信頼する部下の一人でもある。人当たりが良く、人望も厚い。
顔はまるで絵画に描かれた絶世の美女がそのまま飛び出てきたと思わせる程に整っており、エルトナ王国では見ない真っ白い髪を腰下まで伸ばしていて、血のように紅い瞳に美しい曲線を描いている眼をしている。
身長は平均的な女性より少し高いくらいで、体躯は本当に剣を振るえるのかという程すらりとしており、整った双丘が自己主張をし過ぎない程度に服を押し上げている。男性の横を通り過ぎようものなら十人が十人とも振り向くことは想像に難くない程の美人だ。
「もう、私のことはお姉ちゃんって呼んでって言ってるじゃない。私たちの仲でしょ?」
「そんない親しくなった覚えはありません」
「ふふ、照れちゃって……」
ローズマリー先生は口元を手で隠しながら微笑む。
正直、私はこの人が苦手だ。普段は凛とした態度で振舞っている……かと思えば、こうやってからかってくる子供っぽさも見せる。掴みどころが無くて、どう接したらいいかわからない。嫌いじゃないけど……やっぱり苦手だな。
「それはそうと魔法の方はどうかしら? しばらく練習を見てあげられてないから、どれくらい上達したのか気になるわ」
ローズマリー先生が首をかしげて尋ねてくる。
この世界が誕生した時からあるとされている奇跡の力。それが魔法、魔術と呼ばれるものだ。
因みに、聖魔戦争前は魔法と魔術は別の意味だったらしいが、聖魔戦争で大量の書物が失われたとかで今は同じ意味で使われている。
魔法は体内の魔力を消費して記憶の中の魔法陣を任意の場所に描き、その描かれた魔法陣によって様々な力を発揮することが出来る。魔法陣に籠める魔力の大きさや魔法陣の精密さによって効果に影響があり、つまりは籠める魔力を大きくして、魔法陣を正確に精密に描けばそれだけ魔法の威力が上がるということ。
魔法は使用の難易度や消費魔力等から全十一階層に分けられ、階層を示す数字が大きくなることを階層が深くなると言う。例えば、七階層よりも高い階層の魔法と言うのでは無く、七階層よりも深い階層と言う感じだね。
エルトナ王家は代々魔術師の家系らしく、エルトナ王家に生まれた者は必ず魔法学を勉強することになっている。
ローズマリー先生は暇だからと、十歳になった日から始まった魔法・魔術学の授業の先生をしてくれている。暇と言っていた割に色々と忙しいようで授業は不定期で、正直何故私の先生役を申し出たのかわからない……。
「前に教えてもらった第五階層魔法ができるようになったくらいです」
「凄いじゃないエステルちゃん! 十四歳で第五階層魔法まで出来るようになるなんて、エステルちゃんはやっぱり天才だわ!」
そう言うと、突然、ローズマリー先生が私に抱きついてきた。
一般的な魔術師が到達できる限界が、全十一階層中、第七階層までと言われている。十四歳で第五階層魔法が使えるのは、なかなか凄いことなのだそうだ。
何だかローズマリー先生の息遣いが荒い気がするけど、多分気のせいだよね。
「ローズマリー先生、そろそろ放してください。私はこれからダンスの稽古があるんです」
「あら、ごめんなさい。私ったら嬉しくてつい……」
ローズマリー先生が渋々離れると、私は別れの言葉を言って稽古場へと歩き出した。
「また今夜会いましょう、エステルちゃん……」
「今夜?」
ローズマリー先生の発した小さなつぶやきに、疑問を感じた私は振り返り、首を傾げて尋ねる……が、ローズマリー先生は既にそこにはいなかった。
今日は授業も無いし、夜に会う予定も無い。それなのに今夜会いましょうとはいったいどういう意味なのだろう?
「どうかなさいましたか?」
立ち止まっていた私にマリアが不思議な顔をして尋ねてくる。
「……何でも無い。行きましょう」
私は歯切れの悪そうな顔をしてマリアにそう答えと、マリアと共に再び歩き出す。ローズマリー先生の言葉は気になるけど、今はダンスの稽古に行かないと……。
私はローズマリーが残していった疑問を、頭の隅へ追う払うと、その場を後にした。
初作品で拙い文章ではありますが、楽しんでもらえたら幸いです。