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私をつかまえて   作者: 西形ゆうな
3/5

不注意な約束

 ウィンター公爵家に向かう馬車の中。

私は敷き詰められたクッションにお尻を守られながら、窓からぼんやりと流れ行く景色を見やった。

 ああ、どんどんウィンター公爵家のタウンハウスに近づいて行く。昔は何度この道を通ったことか。


「つっても、兄貴はパブリック・スクールに通ってて屋敷には殆どいなかっただろうが。むしろ俺に会いに来てるのかと思うくらいだったぜ」


「あんたってば体が弱くていつも屋敷で寝てたもんね。バート叔父様にお願いされて遊び相手になってあげたんだから、少しは感謝しなさいよ」


 エヴァンはムッとした様子で足を組み直した。嫌味なくらい長い足だ。

 それにしても、いないと分かっていて少しでも恋する人を感じられる場所に出向いてしまう乙女心。あの頃の私ってば、健気よねー。まあ、初恋破れたりとはいえ、バート叔父様の顔を見たいかなーなんてちょっとした下心もあったりはしたんだけど。


「いつまでも昔の話を蒸し返すなよ。今はご覧の通り何処から見ても病弱さの欠片もないだろ。親父や兄貴よりも俺の方が体格がいいし、強い」


「当たり前でしょうが、軍人なんだから。何子供みたいに張り合ってるのよ」


 言い返してやるとエヴァンは不機嫌そうに無言になった。しかししばらくすると何を思ったかぐっと体を前のめりにして私に顔を近づけた。そして手袋越しでも分かる、軍人らしい硬くゴツゴツとした大きな手で膝に置いていた私の手を強めに掴んだ。


「痛った!ちょっと、力加減くらいしなさいよね。何?いきなり」


 エヴァンはわずかに手の力を緩めると、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。


「いいのか?俺にそんな態度を取って」


「何が?」


「今日の舞踏会は規模がでかい。それに親父のお節介か、未婚の男達がわんさか呼ばれてるぞ」


「なっ……!?」


「俺がお前の側を離れたら、どうなるか分かるな?」


「……自分で撃退くらいできるわよ」


 エヴァンは私の言葉にククッと嗤った。


「テレンス卿の時みたいにか?お前、親父や兄貴の前で同じことできるのか?」


 それに騒ぎを起こせば主催者である親父の顔に泥を塗ることにもなるしなぁ、と痛いところを突いてくる。


「招待客の男共、かなり本気だぜ。テレンス卿の話も何のその。スティラート公爵家当主になれるならって、目の色変えてる奴らばかりだ」


「……」


「それにスティラート公爵もどうやら悩んでるみたいだぞ。血統の維持はスティラート家に課せられた最大の義務だ。お前があまりにも言うこと聞かないんで、もう強硬手段で政略結婚させるしかないのかって」


「っ!まさか!」


「お前、公爵を甘く見すぎだ。確かにあの人はお人好しだし娘に甘いが、れっきとした五大公爵家の当主だぞ?その気になればお前みたいな小娘なんか監禁でもなんでも出来るに決まってるだろうが」


「……まさか、父様はそんなことしないわよ」


「馬鹿だな、ティーナ」


 知らず小さく震えてしまった私の手を宥めるように、エヴァンは重ねた手をポンポンと叩くと、今までの口調を一転、甘く優しげな声音で私に語りかけた。


「むしろ父親にそんなことさせてやるなよ。そうなれば公爵だって可哀想だ。けどスティラート家の義務がそんなに生易しいものじゃないって、お前も分かってるだろ?」


「……そうだけど」


「だから、今日は俺が守ってやるよ」


「え?」


 私は俯いていた顔を上げた。アンバーの瞳に映る私の顔。


「昔世話になった礼だ。今日はお前の側から離れないでいてやる。俺は仮にも今夜の舞踏会の主催者の息子で、公爵家の次男。しかも未婚ときてる。俺ほど虫除けに適任の男もいないだろ?」


「それは……ありがたいけど。でもエヴァンはいいの?あんたにだってお目当ての女性がいるでしょ?確か今は……アヴェーヌ伯爵令嬢だっけ?」


「だから、あんなゴシップ誌に載ってる女達なんか遊びだよ。どうでもいいんだって。それに、全部切ったしな」


「切ったって?」


「綺麗さっぱり別れた。今は清い身だよ。それもお前の好きなゴシップ誌に載ってなかったか?」


 そういえば最近は今日の舞踏会のことで鬱々としていてゴシップ誌を読んでいなかった。


「本当にいいのね?」


 エヴァンはしっかりと頷いた。


「その代わりお前は俺の横で大人しくしてろよ?俺が何を言ってもお前を助けるためだ。否定したり、ましてやいつもみたいに騒ぎ出したりするな、いいな?」


「……何を言う気?」


「ま、それはその場に合わせて適当に。とにかくお前が騒げばその場しのぎも台無しだ。黙って俺のいう通りにしろ。約束できるな?」


 エヴァンのいう通りにするなんて何だかすごく癪だけど、今日ばかりは仕方ないと私は了承した。

 エヴァンは満足そうに笑うと、話は終わりとばかりに手を離して背もたれに体を預けた。







「ようこそ、クリス。久しぶりだね」


「お招きありがとうございます、ウィンター公爵」


 私は昔取った杵柄で、なんとか淑女らしくお辞儀をした。

 くっ。相変わらず叔父様ったらいい男だ。四十代半ばの筈だが、それが逆に渋みとなって男の色気が増している。父様とは大違いだ。


「クリスさん、お久しぶりね。最近はめっきり遊びに来てくれなくなってとっても寂しいわ」


 ああ、ウィンター公爵夫人も相変わらずのお美しさね。ミランダ様はその衰えることの知らない柔和な美貌をより優しげに綻ばせた。

 本当に、ミランダ様は昔から私のことを実の娘のように可愛がってくれているのだ。はぁ。

 公爵夫妻の隣にはジェレマイア様と奥様のヘレナ様。これぞ貴族!といった完璧な男女の一対が、嬉しそうに私を見つめている。

 やめて。そんな邪気のない笑顔を向けないで。

 ミランダ様もヘレナ様も相変わらず招待客が見惚れる美しさで、私は居た堪れない気持ちになる。どんなに私がお洒落をしても、元々の素材の違いはいかんともし難い。この美女二人に会う度に、私は幼き日の失恋を思い出して敗北感を覚えるのだ。


「僕達の可愛いクリスももう立派なレディだね」


 ジェレマイア様は眩しそうに目を細めた。整った顔と貴族らしく洗練された雰囲気は相変わらずだ。

 しかしそんなジェレマイア様の言葉により一層気分が沈む。『立派なレディ』になったらお嫁さんにしてくれるという約束は、ジェレマイア様の中では本当に子供への戯言だったんだろう。あれだ、「大きくなったらお父さんのお嫁さんになる!」「お、楽しみだな!」というお約束のやり取りと同じだ。だって私を見る目が完全に妹を見る目だもの。だめだこりゃ。

 私が内心溜息をついていると、エヴァンが組んでいる腕を小さく引いた。目線をやると、前を向いてシラッとしている。


「クリスさんは髪を小さく纏めることが多いですけど、今日のような髪型もお似合いですね。なんだかぐっと大人っぽくなられて。それにその髪飾り、とっても素敵」


 いえ、素敵なのは貴女です。

 金髪碧眼。美の女神と讃えられるヘレナ様がほんわか微笑みながら私を褒めてくださった。ジェレマイア様の影響か、この方も私を可愛い妹のように思ってくださっているのだ。以前に「男兄弟しかいなくて妹が欲しかった」っておっしゃってたし。

 ミランダ様もヘレナ様も、顔良しスタイル良し性格良しで、私が敵うところが一つもない。容姿は生まれつきだから仕方ないにしても、性格だってお二人のように女性らしい淑やかさがないことくらい私だって自覚している。


「ありがとうございます。髪飾りはエヴァンからの贈り物です」


 私は何の気なしに、ポロリと余計な言葉を零してしまった。本当に、後から思い出すたびに自分の首を絞めたくなる余計な一言を。

しかし、この時はまさかあんなことになるとは思わなかったんだから仕方がない。


「まあっ!」


 ヘレナ様が驚きの声を発してエヴァンを見る。その隣でジェレマイア様が何故かいっそう嬉しそうな表情を見せた。


「お前が女性に贈り物をするなんて初めてじゃないか?エヴァン」


 その言葉に今度は私が驚いた。

 え、そうなの?贈り物なんか慣れたものではないの?


「しかもエメラルドと琥珀の髪飾りじゃないか。お互いの瞳の色を模した贈り物なんて意味深だな」


「エヴァンも適齢期。仕事や訓練にかまけて真剣に結婚相手を決める素振りを見せなかったが、まさか……?」


 灯台下暗しとはこのことか、とか言いながらバート叔父様の目が輝いている。


「まあまあ。今まで全く気づかなかったわ!あまりに昔から仲が良くて、兄妹のように思っていたせいね。ねえ、あなた!でもよく考えたらこれほどぴったりの二人はいないわ。クリスさんも身につけてくれているということは、そういうことなの!?」


 ミランダ様がかつて見たことのないほど興奮した面持ちで問いかけてきた。まるで少女のように頬を赤く染めている。

 そういうことって、どういうこと?いきなり何、この展開……。

 なんだか雲行きが怪しいと慌てる私をよそに、ヘレナ様が納得の表情で言葉を発した。


「お二人はそういう関係だったのですね!」


 だから、そういう関係って!?

 半ばパニックになりかけながら咄嗟に否定しようとした時、何を思ったかエヴァンが私の腰を引き寄せた。


「ティーナは昔から俺の特別ですから」


 ここでそれを言う!?

 私はあんぐりと口を開けた。これは昔からのエヴァンの口癖だ。「ティーナは俺にとって特別だな」「はあ!?何よ、特別って」「幼馴染みだし、お前ほど気を使わなくていい奴はいない。淑女然とした女の相手は大変だろ」「それは、私が淑女らしくないと言っているのかしら?」「分かってるじゃないか」「エヴァンの馬鹿!!」ってなやり取りを、昔から何度もしているのだ。

 しかしこの場でその台詞はどう考えても誤解を招く。見なさい、この目の前の四人のキラキラした瞳を。完全に意味を取り違えているじゃないの!


「ちが、違います!」


 私が慌てて否定の言葉を発すると、エヴァンは私の腰に回した腕に更に力を込めた。


「ティーナ、約束してくれたじゃないか。まさか忘れたとは言わせない」


 約束……?

 アンバーの瞳が私をじっと見つめる。琥珀色の中に映る自分を見つけると同時に、私は馬車の中でのやり取りを思い出した。


「俺にティーナを守らせてくれるんだろ?」


 そう言ってエヴァンはニヤリと笑った。その顔が「いいのか?俺の助けがなくても」と語っている。

 私は咄嗟に会場に目を走らせた。予想以上に敵(独身貴族)が招待されている。一人でこの場を乗り切るのは相当な労力だろう。それでも普段であれば無理やり強行突破をするだろうが、バート叔父様とジェレマイア様の前では借りてきた猫のように大人しくしてしまう自分を知っている。そんなところばっかり乙女で悪かったわね!

 私は眉を寄せながらも、不承不承口を開いた。


「……覚えてるわよ」


「ティーナは恥ずかしがり屋なんだ」


 エヴァンは口の端を釣り上げ、くるりと四人に向き直った。

 私の怒りをよそに、ヘレナ様が頬を染めて潤んだ目を向けてきた。完全に夢見る少女のそれである。


「素敵ですわ。さすが魔導騎士様ですわね。『生涯貴女を守りたい』というのは、騎士様からの伝統的なプロポーズですものね!」


 いや、いやいやいやいや。ヘレナ様、誤解です。エヴァンが私を守るのは今夜だけです。

 けれどヘレナ様の言葉の直後、更に場は興奮の様相を呈し、「エヴァンたら、いつの間に!」「やるじゃないか、エヴァン」「さすが私の息子だな」などと、ウィンター家の面々から次々と声が上がる


 その後、完全に誤解した四人からのお祝いの言葉と満面の笑顔、嬉しそうな様子にすげ無く否定することが躊躇われた私は、顔を引きつらせながら祝福を受け、何とかその場を後にした。




「ちょっと、エヴァン!どうすんのよ!叔父様達、完全に誤解してるじゃない!」


 這々の体で四人から離れると、私は声を潜めながらもすぐさまエヴァンに抗議した。


「んなもん、舞踏会が終わったら俺から親父達に一言言っといてやるよ。とにかく、ティーナは今夜を乗り切ることだけを考えろ」


 エヴァンは全く意に介した様子を見せない。


「本当ね!?ちゃんと叔父様達に言っておいてくれるわよね!?」


「ああ、任せておけ」


 そして小さく鼻唄を歌い出した。

 こいつはどんな状況でも私の窮地が楽しくて仕方がないらしい。そりゃ散々浮名を流しているエヴァンからすればこんな誤解は大したことないのかもしれないが、私の名誉はどうなるのよ。

今夜の舞踏会中ずっと一緒に行動するのだから、他の貴族からの多少の憶測は仕方ない。でもこんなのはいくら何でも想定外よ。よりにもよって叔父様達に誤解されるなんて!


「おっと、ダンスが始まったな」


 私が一人イライラしている間に、会場に流れていた音楽の曲調が変わった。程なく主催者でこの場で最も高位の叔父様夫妻が最初に踊り始める。成熟した大人のダンス。さすが、見惚れるほどお上手だ。

 次いでジェレマイア様とヘレナ様。美しくて優雅で、私は切なく眉をひそめた。悔しいけど本当にお似合いの夫婦だわ。


「ほら、ぼーっとしてないで行くぞ」


「えっ!?嫌よ、踊らないわよ、ダンスなんて」


 寝耳に水のエヴァンの言葉に、思わずビクッと肩を揺らしてしまった。


「俺は主催者の息子だぞ。そういう訳にはいかないんだよ」


「だったら他の人と踊ってよ!」


「お前、本当に後先考えないっつうか、間抜けだよな。周りを見てみろよ。お前を狙って目をギラギラさせてる奴らばかりじゃねーか。俺が離れた途端、男共に囲まれるぞ」


 そうだった。ダンスが嫌すぎて今夜の状況を一瞬忘れていた。


「でも本当にダンスは嫌なのよ。苦手なの。知ってるでしょう?」


「知ってるさ。誰よりもな。とにかく行くぞ」


 エヴァンに腕を引っ張られ、嫌々ながらホールの真ん中に進み出る。

 向かい合って手を重ねる。エヴァンがもう片方の腕を私の腰に回した。


「絶対足を踏むわよ」


「今更だろ。昔はお前のダンスの練習に付き合わされて、何度足を踏まれたか。重くて骨が折れるかと思ったぜ」


「もうっ!」


 周りから見えないように、ドレスの裾からエヴァンの足を蹴った。


「痛てぇな。お転婆は相変わらずか」


「エヴァンが意地の悪いことを言うからだわ」


「それはすみませんね。ま、平気だよ。俺に任せとけって」


 その言葉が合図のように、新しい曲が始まった。

 たぶん私は音楽のセンスがないのだろう。領地で駆け回っていたから運動神経は悪くはないと自負しているし、ダンスの動きもちゃんと覚えられるのだが、いつも上手くリズムに乗れない。出だしは大抵つまづく。

 それなのに、今日はすんなりと音楽に乗れた。曲が始まったと同時にエヴァンが強く私を引き寄せたからだ。

 踊り始めて驚いた。自分の体じゃないようだ。エヴァンのリードに合わせて体が滑らかに動く。軽やかにターンが出来ている。すごい!

 それでも必死になって音楽についていった。集中したせいかあっという間に時間が過ぎ、大きなミスなく終えられた時にはホッとした。

 これで任務完了ね。はーやれやれ。

 上がってしまった息を整えながらその場を去ろうとしたが、重ねた手が離れない。それどころか腰に回った腕に力が込められて、再び体を引き寄せられた。


「ちょっと、もう終わったでしょ。離して」


 しかしエヴァンは口の端を僅かに上げると、私の耳元に顔を寄せた。


「一曲踊って離れたんじゃ意味ないだろ。二曲目の相手をってんで男共が殺到するぞ。それに俺もここでお前と離れたんじゃ、立場上他の女達の相手をせざるを得ない」


「でも、二曲続けて踊るのは不味いわ」


 舞踏会ではダンスは一曲ごとに相手を変える。あくまで社交を目的とした場で、ずっと同じ相手と踊るのはマナー違反なのだ。ルノア含む周辺国の社交界では、二曲続けて踊れるのは婚約者、三曲続けて踊れるのは夫婦のみという慣例がある。


「ティーナはやることが中途半端だな。こうなったら徹底的に虫除けしとけ。この場で二曲踊っておけば、今年の社交シーズンは簡単に乗り切れるだろ」


「でも、あんたと婚約してると勘違いされるのは嫌だわ」


「お前、いつも求婚してくる男達を迷惑がってるじゃねーか。勘違いされて困ることあるのか?むしろ求婚が減るなら儲けもんだろ。まさか、本当は山のように求婚の申し込みをされて喜んでたんじゃないよな?」


「そんな訳ないでしょ!でも、これ以上叔父様達に誤解されたくないもの」


「だ・か・ら!親父達には後から俺がちゃんと言っておく。お前が本当に求婚を避けたいなら、とりあえず特定の誰かと噂になっとけ。このシーズンを乗り切れば、とりあえず次のシーズンまで時間が稼げる。いくらスティラート公爵位が魅力的ったって、競う相手が俺なら王族でもない限り横槍は入れられない。ウィンター公爵家に敵対しようって勇気のある貴族はまずいないだろうからな」


 ……確かにエヴァンの言う通りだ。

 そう考えると、エヴァンはこれ以上ない最高の隠れ蓑になってくれるだろう。少なくとも時間稼ぎはできる。稼いだ時間でとにかく父様を脅して脅して脅しまくって、政略結婚は諦めさせないと。そして市井で暮らす計画をより具体化すればいいのだ。


「でも今シーズンだけとはいえ、エヴァンだって私と噂になれば今までみたいな女遊びはしにくくなるわよ?」


「別にいいさ。幼馴染みのティーナのためだ」


 エヴァンの答えを聞き、頭の中で損得を素早く計算する。そして私はコックリと頷いた。


「分かったわ。乗るわ、その案」


「そうこなくっちゃな」


 エヴァンが僅かに目を細めた。私もつられて笑顔になる。


「まさかエヴァンがこんなに私のことを考えてくれるとは思わなかったわ。正直に言って意外ね」


「そうか?」


「ええ。でもありがとう。持つべきものは親身になってくれる幼馴染みね」


「どういたしまして。さ、踊るぞ」


 そして私達は再び音楽に合わせて一歩を踏み出した。

 一曲目同様、苦手なのが信じられないくらい軽やかな滑り出し。まるで舞っているかのようだ。ドレスの裾がたなびくのが気持ちいい。

 エヴァンのリードが上手いんだわ。

 私は素直に感嘆した。ダンスの教師も勿論上手かったが、何て言えばいいのだろう、エヴァンとはとてもしっくりくる。

 エヴァンのリードでくるりとターンし、再び彼の腕の中に収まる。

 まるで抱きしめられるかのようにぎゅっと力を入れられ、私は思わず口を開いた。


「ちょっと。少し近すぎるんじゃない?」


「こうでもしないと、足をもつれさせて転びそうだからな、お前」


 失礼な、といつも通り反論しようとした私の口から漏れたのは、自分でも意外なことに小さな笑い声だった。言葉の皮肉さとは裏腹に、エヴァンがとても楽しそうに笑っていたから。

 二曲目で多少の余裕が生まれたのか、私は踊りながらお喋りを続けた。


「昔は本当に転んでいたわよね。二人して」


「そうだな。上にのしかかられたこともある」


「あら、そうだったかしら」


 私は何だか楽しくなってきた。こうしていると、小さな身体でエヴァンと二人ダンスの練習をしていたのがつい昨日のことのようだ。

 ベッドで寝ているエヴァンを、いつも私が無理やり連れ出した。エヴァン付きの侍従が毎回悲壮な顔で慌てていたっけ。


「エヴァンてば、転びそうになった私を支えようとして顔を真っ赤にしてたこともあるのよ。覚えてる?」


「もちろん覚えてるさ。全部、ちゃんと覚えてる」


 いつもの意地悪げな表情ではなく、柔らかく、優しく細められたアンバーの瞳を見て、私は不意にドキッとした。

 何、今の……。

 そして気づいた時には、縫いとめられたようにエヴァンから目が離せなくなっていた。小さな頃から見慣れたはずの、でも何だか急に知らない男の人のような色彩を見せるアンバーの瞳から。

 ちっともダンスに集中できなくなってしまった私を、それでもエヴァンは優雅に舞わせてくれた。

 いつの間にこんなに逞しくなったんだろう。

 私のミスステップなど、きっと誰も気づいていない。それくらいエヴァンは力強く私を支え、次の流れに導いてくれる。

 何だか息苦しい。重ねた手や回された腕、二人が触れ合う部分が急に熱を持ったようだ。

 私は居た堪れない気持ちになり、思わずぎゅっと目を瞑った。

 しかしそれが良くなかった。エヴァンが懸念した通りに見事に足をもつれされ、ぐらりとバランスを崩してしまった。


「きゃっ」


「おっと」


 エヴァンはすかさず回した腕に力を込め、傾きかけた私を腕の中に抱き込んだ。

 頬がエヴァンの胸にあたり、これ以上ないほどピタリと密着したことが分かった。驚いて息を吸い込むと、懐かしい香りがした。エヴァンの、そう、新緑のような匂い。

 私はエヴァンの腕の中で固まった。二曲も続けて踊ったせいか、心臓がドキドキと凄い勢いで脈打っている。

 もう足もステップを踏んでいない。私はただ、エヴァンの腕の中で抱きしめられていた。


「……あの、エヴァン……?」


 ドギマギしながらそろりと目線だけで周囲を見渡すと、どうやらエヴァンに抱きとめられたと同時に曲が終わったようだった。

 エヴァンは一度ぎゅっと力を込めた後、わずかに体を離した。


「楽しかったか?」


「……え?」


「ダンスだよ。楽しかっただろ」


「……え、ええ。とても」


「……そっか。よかったな」


 エヴァンはそう言うと、私の頭に手をおいてポンポンと優しく撫でた。

 その仕草にまたドキッとして、急に顔が熱くなってきた。

 きっと赤くなってるわ。どうしたのよ、私。

 何だか泣きたくなって無意識に視線を逸らした先に、バート叔父様がいた。離れてはいたがしっかりと目が合い、慈愛の籠った目で微笑まれた。そしてエヴァンの方に視線をずらし、今度は満足そうに頷いた。


 私とエヴァンはそのままホール中央から退いた。給仕から飲み物を受け取って喉を潤す。勢いよく飲み干してから、ようやく喉がカラカラだったことに気づいた。

 招待客達が遠巻きに私達を見ている。先程までの賑やかさとは違うざわめき。私とエヴァンが二曲続けて踊ったことに、きっと憶測が飛び交っているんだろう。予定通りだ。

 私は視線を無視してホールの端に寄った。約束通りエヴァンは私から離れず、でも何だか私はソワソワしてしまって、ろくに話しもできなかった。

 エヴァンは招待客からの挨拶はもちろんのこと、次々とやってくる私へのダンスのお誘いや未婚のご令嬢達からのエヴァン自身へのアプローチをのらりくらりと躱したりしていたから、さほど退屈には感じなかったかもしれない。

 何だか私はどっと疲れて、もう早く帰って寝てしまいたいと思っていた。


 そうこうしている内に気づけば舞踏会も終盤に差し掛かり、注目を促すベルが鳴った。

 珍しい、と私はぼんやりと思った。舞踏会などでは偶に主催者から始まりの挨拶があるが、それ以降は皆好き勝手に歓談するのが普通なのだ。


「紳士淑女の皆様、今宵は楽しんでいただけましたでしょうか」


 張りのある声で朗々と語り出したのはバート叔父様。公爵の言葉に、会場は潮が引くように静かになっていった。


「今夜は皆様に大切なお知らせがあります。いやはや、実のところ私も本日報告を受けたばかりで驚いているのですが……」


 そう言って、叔父様は何故かピタリと私に目線を合わせた。叔父様の横ではミランダ様が満面の笑みを湛えている。


「私の二番目の息子であるエヴァン・セドリック・ウィンターとクリスティーナ・スティラート嬢の婚約を、ウィンター公爵家当主の名で皆様にご報告致します」


「……んなっ!!」


 なんですって!!?

 私はこれでもかと目を見開いた。


「……やられたな」


 隣でエヴァンが小さく呟く。

 私は信じられない出来事にクラリと目眩がした。けれどそんな私をエヴァンが隣からしっかりと支えて、ミランダ様の頬をより一層興奮で赤く染め上げたことなど、その時の私はもちろん知る由もなかった。

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