表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私をつかまえて   作者: 西形ゆうな
2/5

幼き日の失恋

 結局、父様の反対もあって(まあ、父様の反対など屁でもないが)ウィンター公爵家に断りを入れることができなかった私は、鬱々とした気分で鏡台の前に座っていた。

 今日は件のウィンター公爵家主催の舞踏会。私は鏡に向かって大きく溜息を吐いた。私の後ろでは、マリアが私の赤い髪を丁寧に櫛で梳いている。


「ねえ、マリア。私何だか具合が悪いのだけど」


「気のせいです」


「動悸が」


「今夜の舞踏会への期待で胸を高鳴らせているのですね」


 ああ言えばこう言う。伊達に私付きの侍女を長年やっていない。全く動じる気配がない。


「マリアは私のことが心配じゃないの?」


「クリスティーナ様」


 マリアは鏡越しにひたと私を見据えた。


「覚悟をお決めください」


 私はぷくっと頬を膨らませた。

 ああ嫌だ。本当に行きたくない。

 私は鏡に映った自分の姿を眺めた。一言で言って地味だ。いや、赤い髪と翠の目はこれ以上ないほど目を引くし印象的だ。ただその二つの色彩が強すぎるせいか、どうにも顔立ちが平凡に見えてしまう。よくよく見ると二重の目元が可愛らしいと言えなくもないと自分では思っているが、顔の美醜はひとつひとつのパーツよりもむしろその配置とバランスで決まると、自分の顔をみるとつくづくと思う。

 私はうっかりウィンター公爵夫人とスタンリー侯爵夫人(ジェレマイア様の奥様のことね。ジェレマイア様は現在、ウィンター公爵家嫡男としてスタンリー侯爵を名乗っている)の、種類は違うが完璧な美貌を思い出して、本日二度目の大きな溜息を吐いた。二人の美女は本当に私を可愛がり親しみを込めて接してくれるのだが、私はどうしても尻込みしてしまう。

 それは私の過去の恋愛に起因する。







 私の初恋はうららかな春の陽気とともに訪れた。

 父様からお客様に挨拶をするようにと呼ばれ、一階の最も陽当たりの良いテラスに向かった。屋敷の中でも特別に趣向を凝らした我が家自慢の庭に面したテラスに招かれているということは、特別なお客様のはず。背筋を伸ばしてテラスに足を踏み入れた私を出迎えたのは、キラキラと眩しい陽射し。思わぬ光に目を瞑って立ち止まり、再びそっと目を開いた先に、春の陽射しよりも眩しい彼がいた。

 スラリと高い背丈。上品で落ち着いた物腰。端正ながら男性の色気も十分に備えた彼に、私は一瞬で恋に落ちた。

 彼はゆったりと腰掛けていた椅子から立ち上がると、呆然と立ち尽くす私の前にやって来た。そして紳士が淑女にとる完璧な礼をとった。


「私はウィンター家当主、バート・ブラッドリー・ウィンター。以後お見知り置きを、レディ・クリスティーナ・スティラート」


 彼はその場で跪き、滑らかな動作で私の手を取ると、そっと手の甲に柔らかい唇を押し付けた。次いで顔を上げ、優しげにへーゼルの瞳を細めて私に微笑みかけた。

 一連の出来事を夢見心地に受け止めた私は、自分でも分かるくらいに真っ赤になって固まってしまった。心臓が物凄い速さで動いている。バクバクバクバク、鼓動が耳の中で反響する。これ以上は胸が破裂してしまう、そう思った時、クスリと小さく笑った彼がその力強い腕の中に私を閉じ込めた。彼は間近から私の瞳を覗き込むと、楽しそうに笑った。「愛らしいな」そう言って。

 

 彼と運命の出会いを果たしてから、夜も眠れない日々が続いた。寝ても覚めても、思うのは彼のことばかり。彼に相応しい女性になるために、それまで大嫌いで逃げに逃げ回っていた行儀作法も刺繍もダンスも、一生懸命に取り組んだ。お父様には人が変わったようだと大いに喜ばれた。

 彼は会うたびに私に優しく微笑みかけ、その腕に軽々と私を抱き入れた。あまつさえ、頭の天辺にキスを落とし、私のウェーブがかった赤い髪を愛しげに指で弄んだりもした。身内だけだった「クリス」という愛称で親しげに私に呼びかけ、そんな私達を父様も微笑ましげに見守っていた。父様は彼と同じ公爵位。つまり私は公爵家息女。身分的にも何の問題もなく、だから私達の仲は父様も公認だと、二人の未来は磐石だと、そう思っていたのに。


 初めて招かれた彼のタウンハウスに、私は胸をときめかせながら精一杯のお洒落をして向かった。父様のエスコートで彼の屋敷に入ると、当主の彼自ら出迎えてくれた。高鳴る胸を落ち着かせ、私は必死で学んだ淑女の作法で挨拶をした。


「お招きありがとうございます。ウィンター公爵」


「まあ、なんて愛らしい」


 しかし私の挨拶に応えたのは、愛しい彼ではなかった。彼の横に佇む、艶やかな亜麻色の髪と美しく繊細な顔立ちの、柔和な印象の貴婦人だった。

 誰だろうと怪訝な表情をした私を余所に、彼は上機嫌で「言った通りだろう」と隣の女性に話しかけると、私に向き直った。

そしてなんの躊躇いもなく爆弾を投下した。


「彼女は私の妻、ミランダ。クリスに会えるのを楽しみにしていたんだよ」


 この時ばかりは、彼の笑顔も何の役にも立ちはしなかった。


 妻、つま、ツマ……。


 『つま』とは何ぞ、と往生際の悪い私の頭が都合の良い解釈をフル回転で探し始めた矢先、ミランダと呼ばれた女性は女神の如き笑顔で私に引導を渡した。私の付け焼刃のマナーなど、所詮は土にまみれた芋が水で軽く洗われた程度だと言わんばかりの優雅な仕草で。


「バート・ブラッドリー・ウィンターの妻、ミランダでございます」


 そして僅かな望みも残さないとばかりに、涼やかな声で私の息の根を止めた。


「お噂はかねがね。本当に何て愛らしいのかしら。よろしくね、『リトル』・レディ・クリスティーナ」


 クリスティーナ・スティラート、五歳。越えられぬ年齢の差をつきつけられた瞬間である。


「やっぱり女の子は可愛いわね。うちは男の子ばかりだから」「ああ、本当に。何ならもう一人頑張ってみるかい?」「やだ、貴方ったら。お客様の前ですよ」と、周りを憚ることなくイチャイチャし始めた二人。今ならば言える、他所でやれ、と。

 しかしその時は呆然と二人の熱々ぶりを眺めるしかなかった私は、暫くしてようやく我に返ると、喉も裂けよとばかりに叫んだ。


「裏切り者!バート叔父様なんか大っ嫌い!!」


 うわーん、と怒涛の涙を流しながら、私は踵を返して元来た門まで走った。乙女心を弄ばれ、只々悔しく、一人浮かれていたことが恥ずかしく、もう消えてなくなりたいと心底思った。

 そんな様子だったから、当然周囲への注意などしておらず、私は勢いよく門を走り抜けた。


「危ない!!」


 焦ったような怒鳴り声と、腕を引く強い力。馬の嘶き。全てが一瞬の出来事だった。引かれる力のままドサリと倒れこんだが、私の体は暖かい何かに包まれて固い地面に打ち付けられることはなかった。


「クリス、無事か!?」


 慌てて追いかけてきたお父様やバート叔父様の声も碌に耳に入らなかった。門から飛び出した私に運悪く出くわした馬車の御者が真っ青な顔でオロオロしている。相手はどう見ても貴族の子女、事と次第によっては打首もあり得る。きっとお父様に不問と告げられるまで、生きた心地がしなかっただろう。あの御者には悪いことをした。

 私はもちろん御者を庇う余裕などなく、ただ誰かの腕の中で衝撃をやり過ごした。そしてしばらくして僅かながらも落ち着くと、倒れこんだまま私の体をしっかりと抱き込んだ人物を確かめるべく、のそりと顔を上げた。

そこに見た、バート叔父様と同じヘーゼルの瞳と、これまたバート叔父様の面影を濃く宿す顔立ちの少年。


「よくやった、ジェレマイア」


 ホッとした、けれど誇らしげなバート叔父様の声を合図に、少年は私を抱えたままゆっくりと身を起こした。そして私に怒るでもなく、花が綻ぶように笑った。


「お転婆さん、注意しないと危ないよ」


 ジェレマイア・ジョスリン・ウィンター。当時十三歳。私の二度目の恋の相手である。


 彼は私が走り出すや否や、訳が分からずポカンと成り行きを見守ってしまった大人達を余所に、すぐさま私を追いかけてくれたのだ。

 危ないところを助けられて恋が始まるのはこの世の常。私はバート叔父様への失恋の痛手をひきずりながらも、新たな恋の予感に胸を高鳴らせた。


 ジェレマイア様はその年、王都のパブリックスクールに入学したばかりで、私と初めて出会った時は社交シーズンで領地から王都に出てきていた両親に会うために、週末を利用してたまたまタウンハウスを訪れていたのだそうだ。


 それからというもの、私は出来る限りジェレマイア様と会う機会を作り出すべく尽力した。社交シーズンが終わって領地に帰ろうとする父様を泣いて喚いて大騒ぎして引き留め、少しでも長くジェレマイア様の近くに居続ける努力をした。領地に戻ってからも、字の勉強と称してせっせと手紙を送り、マメな彼からも毎回きちんと返信がくるものだから、私は手紙を胸に抱いて有頂天になった。

 バート叔父様との恋愛で学んだ失敗を繰り返すまいと、私は事ある毎にジェレマイア様にお願いをした。将来私をお嫁さんにしてね、と。そうお願いする私に、ジェレマイア様はいつも嬉しそうに笑いながら「クリスが素敵なレディになったらね」と言って私の頭を撫でた。「絶対、絶対、約束よ!」と必死に訴えると、ジェレマイア様は「もちろんだ」と大きく頷いて約束してくれた、それなのに。


 彼に恋して五年、未来のウィンター公爵夫人と呼ばれるべく、大嫌いな、本当に大嫌いな淑女教育を歯を食いしばって耐えていた私の耳に入ってきた信じられない噂。ジェレマイア様と、当時、当代随一の美女と噂に名高かったウェザリー伯爵令嬢との婚約。

 ちょうど社交シーズンが始まる時期だったこともあり、私は父様を急かして例年よりも大分早く王都に到着した。すぐさまパブリックスクールに使いをやり、ジェレマイア様に会いたいと伝言を届けた。そうして私の望み通りに我が家のタウンハウスにやってきた彼は、目を見張る美女をエスコートしていた。噂のウェザリー伯爵令嬢を。


「クリス、紹介するよ。僕の婚約者、ヘレナ・ウェザリー伯爵令嬢だ」


 私は驚きに固まった体を、ギギギと音がしそうなほど無理やりウェリザリー伯爵令嬢の方に向けた。彼女は美の化身と見紛うばかりの笑顔で私を見つめた。

 その感覚は二度目だった。衝撃と悲しみ。そしてどうしようもない敗北感。ウィンター公爵夫人に初めて会った時と同じ感覚だ。

 しかし流石に二度目。私は女のプライドにかけて無様に泣くのを堪えた。あれから五年、耐えに耐えた淑女教育の賜物かも知れない。

 そんな私のいじましい努力など気づきもせずに、彼は私の心を粉々に打ち砕いた。


「ヘレナ。彼女はクリスティーナ・スティラート公爵令嬢。いつも話してる、僕の妹のような存在だ」


 妹、ですって……?

 私は今度こそ屈辱に震えた。私が妹なら、あの約束は何だったのか。あの優しさは。そして私の努力は!


 こうして、私は十歳にしてすっかり男性不信に陥ったのだ。







 ちょうど父様のあまりに早い再婚にショックを受けてる時期でもあったからなぁと、過去の失恋を回想して遠い目をしている私をよそに、マリアは着々と私の髪を結い上げていった。


「ちょっと、いつも言ってるじゃない。髪はなるべく小さく纏めてよ」


 私の赤い髪は目立つ。しかもアルトリス王家を連想させるからか、この髪を見ただけで眉を顰める貴族も多いのだ。なのにマリアったら、後れ毛を大胆に垂らそうとするものだから待ったをかけた。


「今日はこの髪型にします。上半分は結い上げて、残りの半分は巻いて片側から流しましょう。クリス様の髪は艶があって見応えがありますから、本当は全て下ろしてしまいたい位です」


 舞踏会に髪を結わずに参加するなんて真似はさせられないですから、とマリアは若干不満そうに呟いた。


「マリア、私の話聞いてる?」


「聞いてますよ。そうそう、髪飾りにはこちらを」


 私の意見を完全に無視し、マリアは大きめの髪飾りを取り出した。質の良いエメラルドを惜しみなく使って大きくひとつの花形を模し、その周りを何粒もの琥珀が彩っている、一目見てかなりの値打ちものと分かる一品だ。


「あら、素敵なデザインね。でもこんなの持ってたっけ?」


「この髪飾りは今夜の舞踏会のために用意されたものです」


「ふーん。父様が気合を入れて買ったの?にしては洒落てるわね。まさか求婚者からの下心満載の贈り物じゃないでしょうね。そうだとしたら絶対に付けないわよ」


「これはエヴァン様からの贈り物です」


「エヴァンから?」


 意外な人物に、私は眉を顰めた。


「何でエヴァンが私に贈り物をするの?叔父様に何か言われたのかしら」


「……男性が女性に贈り物をする意味をお考えください」


「やだ、マリア。まさかエヴァンが私に求婚してるとでも言いたいの?そんな訳ないでしょ。エヴァンったら、昔は体が弱くて貧弱で、私に苛められていつもベソかいてたんだから。年上なのに情けないって何度喝を入れてやったことか」


「それは昔のお話。エヴァン様も今や立派な魔導騎士。未来の将軍ともっぱらの噂ではありませんか」


 まあ、ね。エヴァンったら気づいたらあんなに大きくなっちゃって、病弱だったのが嘘みたいよね。知らない間に軍に入隊なんかしちゃってるし。


「人は手に入れたいものがあれば強くなろうとするものです。エヴァン様が病弱な体を克服され、何故血の滲むような努力で今の地位にまで登り詰めたのか、クリス様はお考えになったことがおありですか?」


「さあ、考えたこともないわね。でもエヴァンも公爵家とはいえ次男だから家督は継げないし、将来のことを考えたらいつまでもベッドでのんべんだらりと寝てられないって思ったんじゃない?よくあの体で武官を目指したなとは思うけど」


 本当に昔はヒョロヒョロで、ちょっと無理をするとすぐに熱を出して寝込んでたのよ。よく屈強な人間が集まる軍に入隊しようと考えたわよね。


「公爵家の出とはいえ、実力主義のルノア軍にあって、若くしてあそこまで出世なさるのは素晴らしいですわ。昔クリス様がお好きだった物語に出てくる勇者や騎士様のようではありませんか。大きく、逞しい。そして何より周りを圧倒する強さ」


「あ、そっか。昔はベッドの中のエヴァンに散々私の好きな物語を読み聞かせていたから、もしかしたらその影響もあるのかもね。そうだとしたら、意外とエヴァンも単純ね」


「……エヴァン様が本当に憐れです」


「何訳のわからないこと言ってるの?今や立派に出世して将来安泰じゃない。将軍になったら新たに爵位を叙爵できるし、あいつもなかなかやり手よね」


「……そうですね。そう思われるのでしたら、少しはエヴァン様を褒めて差し上げてはいかがですか。きっと喜ばれますから。ところで、こちらの髪飾りで宜しいですね?否と言われてもお付けしますが」


 褒めたら喜ぶって、エヴァンはもう二十歳よ?どっちが子供扱いしてるんだか。

 それにしても主人に拒否権がないって、最近のマリアはどんどん侍女としての立場から逸脱してるわね……。


「まあいいわ、それを付けてちょうだい。エヴァンからの贈り物なら余計な気を回さなくて済むし」


「……」


 マリアは無言で髪飾りをつけた。結いあげた部分と垂らした部分の分け目を覆うようにセットする。手鏡を持って、目の前の鏡から髪飾りが見えるように調整してくれた。


「いかがでしょう。赤い御髪にエメラルドが映えますね。さすがエヴァン様、素晴らしい見立てです」


「ゴシップ誌に話題提供しちゃう位遊んでるだけあるわね。でも本当になんで髪飾りなんか。こないだの詫びのつもりかしらね。全く、素直に謝ればいいだけなのに」


「屋敷に来られたエヴァン様を今日まで門前払いされたのはどなたですか」


「……ああ、そうだったわね」


 ペロリと舌を出す。こないだ喧嘩別れをしてからエヴァンとは顔も合わせてやっていないのだ。よくよく考えると、エヴァンてばしょっ中我が家に顔を出すけど、魔導騎士って暇なのかしら。


「……エメラルドと琥珀ーー翠とアンバーの配色はクリス様とエヴァン様の瞳の色ですね」


「そういえばそうね。何あいつ。いつもこんな風に女に贈り物してるのかしら。嫌ね〜、私にまで同じようにするとか、もう遊び人の癖が身体に染み付いちゃったんじゃないの?」


「……もう私は何も申しません」


 その後、マリアはため息をつきながらテキパキと私の準備に取り掛かかった。口は悪いけど仕事はできるのよ、マリアは。殺意を感じるほどコルセットを締め上げられたりしながら、あっという間に私は公爵令嬢の名に恥じない程度には飾り立てられた。

 用意されたドレスも今日初めて袖を通すものだ。私は動きにくいドレスが苦手で自分からはあまりドレスを新調したりはしない。それでもちゃんと流行に沿ったドレスが毎回用意されているのは、マリアが父様に言って手配しているからだろう。私もマリアのセンスを信用しているから黙って任せている。本当に有能な侍女である。

 マリアが用意したドレスは、こちらも私の瞳に合わせたのか緑が基調で、濃緑から黄緑と裾に向かってグラデーションになっている。柄は入っていないが生地に鈍い光沢があって、裾にあしらわれた金糸のレースが品良く見える。それに胸元のカットが特徴的で私のささやかな胸を大きく見せてくれる。素晴らしい。

 私も女。思った以上の出来に満足していると、ちょうど支度が整ったのを見計らったようにエヴァンが私を迎えにやってきた。

 ざっとエヴァンの全身に目を走らす。黒を基調に金で蓋取りされた衣装。さりげなくカフスなどの装身具にエメラルドを使っているのは私と合わせるためだろう。軍で鍛え上げた堂々たる体躯と精悍な顔立ち。ブルネットの髪は柔らかく後ろに撫でつけており、高く通った鼻筋と印象的なアンバーの瞳をさらけ出している。職業柄か、健康的に日に焼けた肌が元の貴族然とした端正さと相まって、品を保ちつつも野生的な美貌を作り上げている。不本意だが、ゴシップ誌が騒ぐのも頷ける男っぷりだ。

 私は憮然とした。たった今上昇した気分があっという間に下降する。悔しいが、エヴァンと並ぶと明らかに私の方が見劣りするのだ。くっそー。

 エヴァンはそんな私の不機嫌さなど意に返さず飄々と口を開いたら、


「お、本当に化けたな」


「……あんたは素直に人を褒められないの?」


 私も人のことは言えないが。

 開口一番の皮肉に、私は睨みながら応戦した。いつものやり取りだ。

 しかしエヴァンはニヤリと人の悪い笑みを浮かべると、それ以上の軽口は封印して貴族らしく優雅に腰を折った。


「麗しきレディ・クリスティーナ。今宵貴女の隣に立つ栄誉をどうぞ私にお与えください」


「宜しい」


 ふん、素直で結構。

 エヴァンが差し出した手の平に、私はそっと自分の手を置いた。手袋越しにお互いの体温を感じる。

エヴァンはそのまま私を自分の左側に導き、流れるような仕草でエスコートの形を取った。

 この左側に立つというのが一種のステイタスなのよね、と私はやや自尊心をくすぐられた。

 通常のエスコートでは女性は男性の右側に立つ。騎士などは左腰に剣を差している為だが、エヴァンは魔導騎士。それも無詠唱の使い手だ。咄嗟の時には剣を抜くより魔法を放った方が早く、そのために利き手の右側を空けておくのだ。この国には魔法を使える人はそこそこいるし、貴族の間ではさほど珍しくないのだが、戦闘で使えるほどの魔力量と実力を持つ人間は少ない。まして咄嗟に剣よりも魔法を放てるほどの使い手となるとかなり数が限られる。

 つまり魔導騎士は武官としてはエリート、その中でも女性を左側に置ける騎士は出世を約束された限られた人物なのだ。なので、男性の左側を歩くのは女性の憧れのひとつと言える。

 私はこれでも五大公爵家スティラート家の息女。スティラート家初代当主は建国の王の双子の弟という家柄。もちろん建国後の長い歴史の中で王妃を輩出したり王女の降下先になったりと、ルノア王家との繋がりは深い。私のお祖母様は隣国の王女だし(それが気に入らない貴族も多いみたいだけど)、こう言ってはなんだけど、私はそんじょそこらの貴族なんか足元にも及ばない高貴な血筋なのだ。

 何が言いたいのかというと、私はか・な・り!プライドが高いのよ!!

 別に庶民を馬鹿にする気は毛頭ない。彼らあっての貴族、彼らあっての国だもの。むしろ私がその敵意をむき出しにしてしまうのは、この赤い髪を馬鹿にするような低俗な貴族達に対してだ。

 そんなわけで、私をエスコートするにはまあエヴァンは合格点ということだ。


「さ、行くわよ」


 嫌だ嫌だと言っても、ここまで来たら逃げられない。マリアの言うとおり、私は覚悟を決めてウィンター公爵家に向けて足を一歩踏み出した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ