第1章:文歌 ――ふみか――(4)
通された客間には既にメイドが一人待機していて、戦巫女達がテーブルを挟んだソファに向かい合わせで座るのを見計らって、香りの良い茶と焼菓子をてきぱきと出し始めた。
「あたし、瀬戸口芙美香。くさかんむりの芙に美しい香りって、ご大層な字を書くの」
ネーデブルグの戦巫女は朗らかに自己紹介をする。
「あなたは?」
「あ、私は未来、矢田未来です」
「みくちゃん。どんな字? 美しく久しい?」
「いえ、みらいって書いてみくと読むんです」
未来は指で「未来」の漢字を宙に書く。
「へえ~、親御さんのセンス、面白いね。あたしなんか、苗字三文字なのに名前まで三文字だよ。ゴテゴテだよ」
芙美香はからからと笑い、メイドに「ありがと、もういいよ」と告げて下がらせると、出された紅茶に口をつけながら語り始める。未来もカップを手にして傾ければ、甘酸っぱい林檎の香りが鼻を抜けていった。
「あたし、出身は四国なんだけどさ、どうしても都会で一人暮らしをしてみたくって、受験を機に上京して来ちゃった」
「芙美香さんは大学生ですか?」
「そ。ピッカピカの一年生」
でも、早生まれだからまだ十八歳、と芙美香は白い歯を見せる。
「未来ちゃんは? 見たところ、高校生みたいだけど」
「はい、二年です」
「うっわ、じゃあこれから一番キツくなる時だ」
昨年自分が経験した受験戦争の過酷さを回顧してか、芙美香はおおげさにのけぞってみせる。くすりと笑って、それから未来は思い出す所があって、彼女に訊いてみた。
「あの、そういえば芙美香さんも、この世界に来る時、光の奔流に呑まれましたか」
「え、光?」
芙美香は背と顔を思い切り反らした体勢から元に戻ると、不思議そうな表情を見せる。
「いや、あたしは月曜一限に居眠りしてて、気がついたらあのサフィニアが目の前にいたの」
召喚のされ方は国によって違うのか、戦巫女によって異なるのか。未来が考え込むと、芙美香が答えを寄越してくれた。
「あたし達の世界とこっちの世界を越える時の方法は、人によってまちまちみたいだよ。海に潜ったらこっち側に来ちゃったとか、マンホールに落ちて気がついたらとか。未来ちゃんは、その、光に呑まれて?」
未来は頷き、答える。
「弟の利久と一緒に光に巻き込まれたんです」
「……その弟くんは?」
芙美香の問いに、未来は今度は首を横に振った。
「そう、じゃあ心配だね」
手にしたクッキーをぱりん、とかじり、紅茶を一口すすって、芙美香は続ける。
「でも、今のこの世界の状況じゃ気軽に探しに行く事もできないし。なるようになるしかないって部分あるよね」
「芙美香さんは恐くないですか。突然、戦巫女だとか言われて、戦いに駆り出されて」
未来が問いかけると、芙美香は、うーんと首をひねった後、微かに笑んでみせる。
「そりゃ、最初は困ったよ。戦巫女様戦巫女様って祭り上げられるし。国王には早く力に目覚めろってネチネチ嫌味言われ続けるし。でも」
それから、腰の黒い長剣をばしんとひとつ叩く。
「この子が出て来て戦い方がわかってからは、もうそれこそ、なるようにしかならない、やるっきゃない、って開き直ったね」
芙美香は度胸がすわっている。己の身に起きた事象を受け止め、戦巫女の任を果たそうという強い意志を感じる。自分と歳もほとんど違わないのに、この差は何だろう。未来がうつむくと。
「あー、そうやって下向かないの!」
芙美香が身を乗り出して、こちらの顔を覗き込んできた。
「未来ちゃんてば折角可愛いのに、困った顔して下向いたら台無しだよ。それに」
彼女の手が未来の髪に触れた。きちんと高校の校則を守って一本の三つ編みに編み込まれた髪に。
「学校じゃないんだからこんなご丁寧に結んでなくていいじゃん。ほどいてみなよ。その方がきっとずっといいよ」
「え、でも……」
「あー、未来ちゃんて、もしかしなくても優等生でしょ?」
芙美香はからかうようにころころ笑うと、未来の手を引いて半ば強引に鏡台の前に連れて行き、座らせる。
「いいのいいの。異世界でくらい向こうの嫌な事忘れて、いつもと違う自分になってみなって」
ヘアゴムが外され櫛でとかされると、緩いウェーブを描く未来の髪が肩に流れた。いつもと同じ黒髪に、「向こうの嫌な事」の大半の原因を担っていたはずの金の瞳が、何だか異なって映る。
そういえば、と未来は今更ながら思い至った。
「芙美香さんは気持ち悪いとか思わないんですか。私の瞳を」
鏡の中の己と向き合いながら問うと、鏡に映った芙美香が首を傾げた。が、しばし未来を見つめた後、ああ、と声を洩らす。
「人のコンプレックスだろう事柄にずけずけ踏み込むほどあたしは無神経じゃないし、子供でもないつもり。でも、綺麗な色だと思うよ、お世辞抜きでね」
「優しいんですね」
「調子いいだけだって家族や友達には言われる」
芙美香は自嘲し、それから気を取り直すと、ばしんと未来の両肩を叩いた。
「はい、ほら、可愛くなった!」
彼女の笑顔につられて、未来も思わず笑みをこぼし、それから振り返って見上げる。
「なんだか、芙美香さんって私のお姉さんみたいです。さっき初めて会ったとは思えない」
「本当?」
未来の言葉に、芙美香が喜々として返した。
「あたしも妹いないから、妹ができたみたいで嬉しいな。姉さんにはいつも、あんたは本当に我儘で頼り無くて妹属性だって、馬鹿にされるしさ」
「そんな事無いです。芙美香さんはとてもしっかりしていて頼もしいです」
「うはあ、嬉しい事言ってくれちゃうなあ、未来ちゃんたら!」
芙美香は心底喜んで、未来の頭をがばりと抱くと、ぐりぐり撫で回す。すっかり打ち解けあった二人はその後、お茶の続きを楽しみながら、好きなアイドルやテレビ番組、学校で流行っているものやお気に入りな服のブランドについて語り合った。
そして会話が一通り盛り上がって、ほど良く喋り疲れてきた頃、部屋の扉を叩く者がいた。芙美香が応えると、顔を出したのは赤い髪に紫の瞳。
「すまない、芙美香殿。うちの戦巫女を知らぬか。部屋にいないから訊ねたら、あなたの所にいると聞いたのだが」
ファルスディーンは何故か未来に気づかず、きょろきょろと室内を見回している。芙美香が未来を手で示すと、彼はしばらく怪訝そうに眉根を寄せて未来を見つめていたのだが、やがて、ぽつりと。
「……戦巫女?」
言われて初めて、未来は、自分が今までとは違って、髪を下ろしている事を思い出した。男性とは髪型ひとつでわからなくなるほど鈍いものなのだろうか。訝しんでいる間に、ファルスディーンは未来の元にやって来て、言った。
「今夜あたりまた魔物の襲撃があるだろうと、予測が出た」
未来が緊張するのを見届けて、ファルスディーンは続ける。
「我々騎士団と町の自警団が町の外で迎え討つ」
「あの、私は?」
「お前は町の中にいろ」
未来の問いに王太子は即答した。
「サフィニアと共に怪我人の手当てにあたれ。それくらいはできるだろう」
怪我人、病人の応急手当は、保健の授業で習った事がある。クラスメイトの誰もが面倒臭がって真面目に授業を受けないものだから、仕方無く未来が手を挙げて、人形に人工呼吸と心臓マッサージを施したのだ。知識はある。後は、いかに血を見て動揺しないかだ。
こわごわながらも未来が頷くと、ファルスディーンも一応は納得したようだった。
「決して前線には出て来るなよ」
やや強い調子で言い含めて、ファルスディーンは部屋を出てゆく。その時、何か違和感を覚えて、未来はしばらく考えた。が、思い当たるより先に、芙美香が疑問を口にする。
「あの王子様、何で左手で扉開けてったんだろうね」
右側に開く扉を、わざわざ利き手でもない左手で開けて出て行ったのだ。そこで未来は気づく。
もしかしたら彼は、最初にフォルティアに来た日に自分をかばって負った右腕の傷が、まだ癒えていないのではないだろうか、と。