第1章:文歌 ――ふみか――(3)
王都フェーブルからフォルティア国境ラプンデルへの道程は、五日ほどかかった。途中に休息を挟んだものの、延々と箱馬車に揺られっぱなしである。乗物酔いしやすい体質でなくて良かったと、未来はつくづく思う。
修学旅行で沖縄へ行った時も現地での移動は観光バスだったが、目的地に着けば、地図を片手に自分の足で歩き回る事ができたし、自由時間には国際通りをぶらぶらして好きなように買物をする事もできた。しかし今回は訳が違う。
「戦巫女様に危険が及ばぬように」
と、そして、乗馬などした経験も無い未来が一人で馬を操れない事実もあって、馬車に押し込められ、四六時中警護の兵が張りついていたので、任務である彼らには申し訳無いが、心休まる暇が無い。だから、ラプンデルに着いて馬車から降りられた時には、周りに護衛兵がいる事に変わりは無いが、多少の解放感に包まれ、未来は遠慮無く大きな伸びをした。さすがにあくびはかみ殺したが。
ラプンデルは、平時には三国からの旅人で賑わう、大きな町だという。断定ではなく伝聞なのは、ファルスディーンや未来らの主要人物は、着いてすぐさま町長の屋敷の応接間に通され、実際に町を見て回る余裕が無かったからだ。
力の無い戦巫女が同席する事に、未来自身は疑念と遠慮を抱いたのだが、ファルスディーンは、
「戦巫女がいる事に意義がある」
と、にこりともせずに答えた。
フェーブル城内では異端の王太子として敬遠されているファルスディーンも、王都から遠ざかれば、王族としてきちんと敬意を払われるらしい。町長はファルスディーンに恭しく頭を垂れ、騎士団の遠征に深い感謝の意を述べた。
町長の話によれば、魔物達は町の東、ステア方面から攻めて来るという。既に二度襲撃があり、その日見張りについていた四人と、応戦した内の五人が命を落とした。
「その九名の勇敢なる者達の御霊が、女神アリスタリアの元で安らぎを得る事を祈ろう。我々は彼らの分まで、禍々しき力の眷属を打ち破り、ラプンデルの民に安寧をもたらすと約束する」
隣に立つファルスディーンからすらすらとそんな口上が出て来た事に、未来は思わず驚きを隠さずに彼を見やり、そういえば王太子だったと思い出す。礼儀作法に関しては、幼い頃から未来より遙かに厳しく叩き込まれてきただろう。
「殿下のお心遣い、ありがたく存じます。死んでいった者達も、殿下の祈りに心より感謝するでしょう」
視線に気づいたファルスディーンが怪訝そうな顔をしたので、また前を向けなどと無言の圧力を放たれぬように、未来は慌てて町長の方に向き直る。幸い町長は深々と頭を下げていたので、未来の挙動を見られる事は無かったが。
その後ファルスディーンと町長が、騎士団と町の自警団、各々の配備について語り合うのを、未来一人がぽかんとした顔のまま横で聞いた後、応接間を出たところで、廊下に待機していたスティーヴが、
「ネーデブルグのサフィニア姫と戦巫女様がご到着されました」
と頭を下げた。その直後。
「ファルスディーン様!」
廊下の向こうから甲高い歓喜の声が聞こえ、たたたっと誰かが走って来る気配がする。反射的に未来が身を引くと、駆け寄って来た小柄な少女は最前まで未来がいた場所で床を蹴って、ファルスディーンにがばりと飛びついた。
「す、すまない、どなたか……?」
よろけつつも少女を受け止めたファルスディーンが、珍しく狼狽えた様子を見せながら相手と距離を置こうとする。が、少女はファルスディーンの背にしっかと手を回したまま、茶色の巻髪を揺らし、灰色の瞳で熱っぽく彼を見上げた。
「ネーデブルグのサフィニアでございます。お会いしとうございました」
「サフィニア姫?」
ファルスディーンの紫の瞳が不自然に泳ぐ。
「いや、しかしサフィニアは、もっと幼い……」
「それは二年前の舞踏会の折、共に踊った姿にございましょう。サフィニアは十四になりました。ネーデブルグでは十五の女は成人。もう、大人を目前にしております」
十四歳にしてはとても小柄な体格と幼さを残す顔立ちが、年齢より下に見せる。そして何より、一国の姫ならば、いや、大人の女性たれば、廊下を走って来た挙句異性に遠慮無く抱き着いたりはしないだろう。
サフィニアのそんな態度と、突き放さずおろおろするばかりなファルスディーンの反応に、何故か苛立ちを覚えて、二人から視線を外した未来は、サフィニアの後からやって来た人物に気づく。黒い長剣を腰に帯びた茶髪黒瞳の、明らかに日本人とわかる、未来より少しばかり年上だろう女性だった。
きっと彼女がネーデブルグの戦巫女だと、未来は直感する。彼女はサフィニアをどこか呆れた様子で見やり、それから未来と目が合うと、にっこり笑って軽く手を振った。
「サフィニア様、ネーデブルグからの長旅でお疲れでしょう。すぐにお部屋をご用意しますので、おくつろぎください」
恐らくファルスディーンから引き離す意図でスティーヴがサフィニアに恭しく告げたのだが、どうやら彼女には通じなかったらしい。ぽんと手を打って笑顔になる。
「そうですわね、このような場所で立ちっぱなしも何ですし。お部屋でゆっくりお話ししましょう、ファルスディーン様」
「い、いや俺は騎士団の指揮を……」
ファルスディーンはずるずるとサフィニアに引きずられてゆく。自分に対する時のように、そっけなくずばりと切り捨てれば良いものを、その態度の違いは何なのか。未来が憮然としていると、スティーヴと顔を見合わせてしまう。彼は困ったような微笑を浮かべて肩をすくめ、それから騎士の顔つきに戻ると、未来とネーデブルグの戦巫女に一礼して、ファルスディーン達の後を追った。
「戦巫女様がたも。お部屋にご案内いたします」
未来達にもフォルティア兵がそれぞれやって来る。が。
「ああ、じゃあ彼女もあたしの部屋に案内してあげて。話したい事があるからさ」
ネーデブルグの戦巫女はさばさばした口調で兵に告げる。話とは何だろうか。やはり彼女にも、力無い戦巫女がしゃしゃり出るなとでも絡まれるのだろうか。
「そんなにビクビクしないでよ。別に取って食おうってんじゃないんだからさ」
未来が及び腰になっていると、それに気づいた女性は、安心させるようにくすりと笑んで言うのだ。
「自分一人異邦人な世界で、同郷の子に会えたんだもの。お喋りにくらい付き合ってよ」
そういう事か。警戒心の塊になっていた未来は、気恥ずかしくて耳まで赤くなった。