第1章:文歌 ――ふみか――(1)
隣ではファルスディーンがひざまずき、後方にスティーヴが控えている。王太子が頭を垂れる相手は、謁見の間の最も高い場所、玉座に座していた。もっとも、未来もファルスディーンの真似をして深く頭を下げていたので、相手をまじまじと見る事はかなわなかったのだが。
現実味の全く無い体験をした後、実物を見た事も無かった豪奢な天蓋つきのふわふわなベッドで休んだ翌朝。未来がしなければならなかったのは、この世界では異質すぎて目立つ制服の代わりにフォルティア製の布地で作られた服を着込み、ファルスディーンに連れられて国王に挨拶をする事だった。
きっとこれは夢で、一晩眠れば元通り、元の世界の自室で朝を迎えているのだろう。ダイニングへ降りたらいつものように、父が新聞を広げ、母が朝食の準備をしていて、寝癖をつけたままの利久が慌ただしくやって来るに違い無い。そんな未来の抱いた淡い期待は、粉々に打ち砕かれた訳だ。
「昨夜のうちにスティーヴから報告は受けているよ。顔を上げてくれたまえ、戦巫女殿。ファルスディーンも」
穏やかな声に従って良いものか迷ったが、横目でうかがうと、ファルスディーンは伏せていた顔を毅然と前に向けていた。なのでそれに倣う。
玉座にいた王は中年の男性だった。顔立ちはファルスディーンに似ているが、まとう雰囲気が異なる。その原因を探し求めて未来はすぐに思い当たった。赤髪紫瞳のファルスディーンに対して、この王は、青い髪に金の瞳――元の世界では、未来一人しかいなかった金の瞳――を持っているのだ。
「現在フォルティアの王座を任されている、フォルカ・フィオレン・フォルティアだ。未来殿、フォルティアは戦巫女の降臨を心より歓迎する」
王は名乗り、柔和な笑顔を未来に向けた。
「戦巫女がこの国を訪れたのは、実に四百年ぶりだ。当時の伝統を知る者がいない現状、何かとご不便をおかけするかもしれないが、遠慮無く我々を頼って欲しい。戦巫女に助力を惜しまない。それは先祖代々伝わっている王家の務めだからな」
「私も王族として、できうる限りの力を尽くします」
ファルスディーンが言葉を発し、すっと紫の瞳を細める。
「戦巫女について行きフォルティアを棄てた、いつぞやの王族のようにはなりません」
その言葉に、未来は何故か胸がちくりと刺されるような痛みを感じた。ファルスディーンの口調に棘を感じたからだけではない。何かひっかかりを覚えたからだ。未来のそんな心情に気づかず、フォルカ王は苦笑をファルスディーンに向ける。
「そう力むな、ファルスディーン」
「しかしこれは直系王族である私の役目です、陛下」
フォルカの眉間にますます困ったような皺が寄る。
「叔父と呼んでくれないか、我が甥よ。私は王の器ではない」
「私も王太子の器ではありません故」
王と王太子だからてっきり父子だと信じきっていた未来は、交わされた言葉に驚き、思わずフォルカとファルスディーンの顔を交互に見比べてしまった。だからファルスディーンは『王子』ではなく『王位継承者』と呼ばれる事にこだわっていたのか。あっけにとられていると、こちらの視線に気づいたファルスディーンが、前を向け、とばかりにきつい表情を向けてきたので、慌てて目を逸らし、そして、何の気無しにそのまま目線を周囲に巡らせて、ある違和感を感じ取った。
両脇にはフォルティアの重鎮だという家臣達が居並んでいる。しかし彼らの誰一人として、ファルスディーンを見ていないのだ。ここが謁見の間である以上、最も高い地位に属する王たるフォルカに注視せねばならないのは当然だが、それとはまた事情が異なる気がする。まるで彼らが、無視するように、ファルスディーンの存在を己の視界から無理矢理締め出しているかのように思えるのだ。
「ともかく、未来殿」
フォルカの声が自分に向けられた事で未来は我に返り、前へ向き直る。
「全ての戦巫女が初めからその力を存分に発揮できた訳ではない。力に目覚めるまで焦らずに過ごしてくれたまえ」
「ありがとうございます」
未来は深々と頭を下げた。学校では優等生で通ってきた未来だ、目上の者に対する態度の取り方はわざわざ教えられるまでも無く身に染みついている。
しかし。国王の言葉には、気遣いとは裏腹に、早く戦巫女としての力に目覚めて欲しい、目覚めてフォルティアの為にその力を振るってくれ、という過剰とも言える期待が込められている気がして、未来の心は重く沈んでゆくのであった。
「素晴らしいですね」
謁見の間を辞して廊下を歩いていると、スティーヴが感心しきった様子で未来に声をかけてきた。
「陛下の前でも、少しも怖じ気づかずに振る舞われるとは」
「きょろきょろ余所見はしていたがな」
ファルスディーンがむっつりとした顔で口を挟むので、未来がスティーヴの賛辞に照れたりする余裕は無かった。
「まあ、それくらいにしてあげてください、ファル。戦巫女様は既に、基本的な力は発揮されているのですから」
スティーヴの台詞に未来が首を傾げると、騎士は穏やかな笑みを向けた。
「翻訳機能ですよ。戦巫女様の語る言葉はきちんと我々の言語、ヴィルム語に聞こえます」
「え、そうなんですか。私には皆さんの言葉が、日本語……私の母国語に聞こえるんですが」
「互いに言葉が通じるならそれに越した事は無いだろう。お前のヴィルム語はアスケイス地方の訛りが入っているがな」
ファルスディーンの言葉は相変わらずそっけない。どうしてもっと他人を気遣う言い方ができないのだろう。未来は少しむっとしたのだが、わざわざ、訛りひとつについて彼と口論を交わしても仕方が無い。
「それより」
話題を振り替える事で、未来は苛立ちを昇華するように決めた。
「この服……その、私には、似合わないんじゃないでしょうか」
薄緑のシャツの上に、クリーム色の中にやはり薄緑のアクセントが入ったジャケットを羽織り、下は同系色のスカートに、白いハイソックスと革のショートブーツ。元の世界ではした事もない格好だ。何より、校則を忠実に守って制服を着てきた未来には、膝上のスカートなぞはいた経験が無い。脚がすうすうする上に恥ずかしさが募る。
「何をおっしゃいますか。良く似合っておりますよ」
スティーヴはそう言ってくれたが、やはり面映ゆい。できるだけ膝に近づけようと、スカートを引っ張っていると。
「何が気に入らない」
ファルスディーンが、不機嫌を隠しもしない態度で未来を睨んだ。
「お前の髪や瞳の色に合わせて選ばせたんだぞ。感謝されてもいいくらいだ」
瞳の色。その単語が、未来から急速に冷静さを奪い取った。元の世界での、瞳を原因に疎外された日々が、鮮やかに脳裏に蘇る。
「……外見で」
「何?」
ファルスディーンは怪訝そうな表情を見せる。昨日出会ったばかりの彼が事情を知らなくて当然だ。だが未来は声を荒げずにはいられなかった。
「外見で損をした事も無い人が、知ったような口をきかないで!」
スティーヴが深緑の瞳に驚きを浮かべ、ファルスディーンは憮然としている。そんな彼らに背を向けて、未来は廊下を駆け去った。