番外編3:鈍色の矢(1)
辺りに無造作に散らばる死体に囲まれた中、そう遠くない未来に訪れるであろう死を前にして、男は恐怖に目を見開き、がたがたと震えていた。
「た、助けてくれ……」
その口から裏返った哀願が洩れる。
「死にたくない、助けてくれ!」
それを見下ろす黒の双眸が微かに揺れ、憐れみの色が宿った。しかしそれはすぐに消え、
「……悪いな」
感情を押し殺した宣告が発せられる。
「俺にも、死なせたくない人達がいる。その為には」
そこまで言ったと同時、金色の鋭い輝きが降り下ろされた。
断末魔の叫び。びしゃりと飛び散る鮮血。もう何度、それを耳に、目にしただろう。初めは、両手が抑えようも無く震え、その場にうずくまって吐き戻しもした。しかしいつからかその感覚が麻痺してしまった自分がいる。
頬についた返り血を、十五歳の少年が見せるには不気味すぎるほどの無表情でぬぐい、利久は、たった今己が命を奪った死体に背を向けて歩き出した。
振り返らずともわかる。
これ以上自分が金の槍を振るわずとも、赤い鎧をまとったステアの兵は、この街の者を殺し尽くし、壊滅させるだろう。
何故なら彼らは、この国の女王が滅せよと断じた『反逆者』なのだから。
「はいはい、ご苦労様。今回も戦果は上々ですの」
飄々と、完全に他人を侮った不遜な口調の台詞が、ぱんぱん、と嫌味っぽい拍手と共に謁見の間に響く。
膝をつき深々と頭を下げるステア騎士団の要、ヴォルフラム・バロックと、その後方の柱に身を預ける利久に、労いの言葉をかけたのは、謁見の間の最も高い位置に座する女王ではなく、その傍らに当たり前のように立つ銀髪の少女だった。
「各地の『反逆者』どももこれでそろそろ大人しくなりますのこと」
少女――ヒューリ・リンドブルム――は、色の薄い瞳を細めてにたりと笑みを浮かべる。その言葉の白々しさには利久も気づいていた。
反逆など、今まで滅ぼして来た都市には全くと言って良いほど無かった。彼らの多くは、自分達を守ってくれるはずの祖国兵の突然の襲撃に驚き戸惑い、何が起きたのかを認識する間も無いまま死んでいったに違いない。
首謀者だけを捕らえ処断して、終わらせる方法があると思う。だが、それを出来ないのは、殲滅が女王の命であり、バロックは家族を、利久は世話になったアルテム村の人々を楯に取られているせいで、逆らえない立場にある為だ。
誰にも気づかれない程度に、しかし深く溜息をついた時、女性としては重厚な声が利久の耳に届いた。
「次はガザルハンだ」
女王セルマリアはぴくりとも表情を動かさず、淡々と言葉を紡ぐ。
「かの都市に、夜な夜な人を襲う我が意志に沿わぬ魔の眷族が出るという。急ぎ真相を確かめ、事と次第によっては」
深い蒼の瞳には何ら感情が宿る事も無く、無慈悲な宣告は下された。
「街ごと壊滅せよ」
一面の暗闇のただ中に、利久は一人立っていた。周囲を見回しても闇が延々と続くばかりで、何も見えない。
いや、見えた。聞こえたのだ。
『死にたく……なかったのに……』
『何故、殺した……』
血を吐くかのような怨嗟の声と、びちゃびちゃと何かを引きずる音。闇の向こうからぼうっと浮かび上がるように現れた者を見て、利久は息を呑んだ。
見覚えのある顔ばかりだった。そのいずれも、利久が金色の槍を降り下ろして命を奪った者達で、そのいずれもが、血にまみれ、腐りかけた凄惨な姿をさらしながら、ぎょろりと剥いた目でこちらを捉え、近づいて来る。
『痛い、痛い、苦しいぃ……』
『お前も、同じ目に遭え……』
死人達が迫って来る。崩れ落ち欠けた指さえある手が、利久に向けて伸ばされ……。
「利久殿、利久殿」
呼びかける声に、危うく悲鳴になりそうだった声を抑えながら、利久は覚醒した。のろのろと視線を巡らせれば、バロックが向かいの席から心配そうにこちらを見ている。
ごとん、ごととんと、身体に響く揺れで、利久はここが彼岸との境などではなく、ガザルハンへ向かう馬車の中なのだとようやく思い出した。
「随分うなされておったので、起こした方が良いかと思い、な」
「……大丈夫です。ありがとうございます」
知らず知らずのうちに額から流れ落ちていた汗を拭い、利久は大きく息をつく。
もう、始めてしまった事だ。戻れない道だ。しかし心の底によどむ罪悪感は時にこうして、夢という形を取って利久を追いかけて来る。
今のこんな自分を見たら、両親は何と言うだろう。姉の未来などは、
「利っくん、どうしてこんな酷い事を」
と、泣きそうな顔をしながら責め立てるだろう事が、容易に想像出来る。
そうして思い出す。姉はどうしているだろうか、と。一緒に光に呑み込まれはぐれた姉も、この世界に辿り着いている可能性は大いにある。あまり強気に出られない性格だ、どこかで戦いに巻き込まれ、一人泣いてはいないだろうか。
探しに行かなければ。その為にも、この不条理な戦を少しでも早く終わらせなければならない。
だが。利久は時折思う。
本当にこの戦いに果てなどあるのだろうか。他国を侵略するだけでなく、自国内にも争いを求める女王の下では、世界の全てが滅するまで、終わりなど有り得ないのではないか。
「しかし……ガザルハンか」
耳に届いた呟きに、下を向いていた視線を上げると、バロックが苦々しい表情で外を見やっている。
「こんなに早く、再びここに来る事になろうとは」
窓に顔を近づければ、もう、ガザルハンの穏やかな町並を見渡す事が出来た。
本当にこんな長閑そうな場所に、魔物など出没するのだろうか。利久は疑問を覚える。
そして考えた。もし魔物の存在が事実なら、理由次第では、このような平穏な町さえも崩壊に導かねばならないのだろうか。他でもない、自分の手で。
そんな事を頭の中で巡らせていたので、利久はすっかり失念していた。バロックの言葉の意味に、意識を傾けるのを。