第3章:離苦 ――りく――(5)
ステア王都のエズリル城に不用意に近づく者はいない。不審者と断じられれば、即座にその場で斬り殺される。
かつてセルマリア女王は、広く門戸を開き、訪れるどんな者にも温かい笑みを浮かべて接したというが、今やそんな穏やかな空気は欠片も残っていない。門は固く閉ざされ、窓という窓に漆黒の布が張られて中が隠された様は、さながら伝説の魔王城のようだ。城門を守る兵達も魔族の一兵であるかのように目をぎらぎらさせ、油断無く周囲に気を配って、緊張し続けねばならなかった。
そんな彼らの眼前で、七色の光が生じた。驚いて武器を構える兵達の前に現れたのは、赤い髪に紫の瞳の少年。そんな特徴的な外見をした者は、この大陸にそう多くはない。
「フォルティア王太子、ファルスディーン・ファルト・フォルティアだ」
少年が名乗った事が、目の前の人物が誰であるかという事を、はっきりと兵士達に確実に認識させた。
「我が国の戦巫女を返してもらいに来た。通してもらおう。邪魔だてするなら」
金とも銀ともつかぬ秘剣グランシャリオをかざして、ファルスディーンは瞳をすっと細める。
「斬る事も辞さない」
エズリル城の王の間は、フェーブルやアイゼンハースと違い、暖かみが皆無だった。窓にはカーテンが引かれて光をことごとく遮断し、暗く、冷たい。
引きずるように腕を引いて来たヒューリに、どん、と背を押されて、未来はつんのめるように玉座を真正面に見上げる位置に進み出た。玉座より一段低い所にいた、厳めしい面構えの男性――バロック将軍と言ったか――が、未来に敬意を示して頭を垂れた後、緊張した面持ちで玉座に向き直る。その視線を追って未来は玉座におさまる人物を見、身をすくませた。
ステアの主セルマリア・イーリア・ステアは女性だった。恐らく三十の齢は越えているだろうが、白磁のように滑らかな肌と艶やかな黒髪を持つ整った顔立ちが、実年齢より若く見せる。引き結んだ唇は冷静で冷徹な印象だ。
しかし、確かに美人だが何か異様な雰囲気を感じて、未来は思い至った。女王は、そこにいる、ただそれだけに過ぎない。非常に機械的、あるいは人形的な印象を与えるのだ。深海のように深い蒼の瞳に光は差さず、ただ空虚さだけがそこに在る。
未来は女王にひざまずく事をしなかった。膝をついたら、そのまま心まで屈してしまいそうな気がしたので、ぐっと拳を握り込み、まっすぐに相手を見すえる。
「勇ましいものだな、フォルティアの戦巫女」
やがて、女王から口を開いた。その口ぶりは単調だが、底知れぬ恐れの感情を与え、顔はにこりとも微笑まない。声を聞いて、どこかで聞き覚えがあると考え、思い出す。この世界に呼ばれた時の、あの女の声だ。
「あなたが私達を……利久を、この世界に呼んだの」
「お前まで紛れ込んだのは予定外だったがな」
未来がきっと見すえると、セルマリアは鷹揚に頷き、感情の揺れを示す事無く続ける。
「だが、お前も戦巫女として覚醒した今、少なからぬ価値はある」
人間らしさを微塵も与えぬ冷たさでこちらを見下ろして、セルマリアは未来に告げた。
「選ばせてやろう。我が元で弟と共に力を振るって生きるか。逆らって不様に死するか」
「陛下あ、そんな、選択肢なんて余裕、与えなくたっていいんじゃないですかあ」
ヒューリが、張り詰めた空気など知った事ではないとばかりに、まるで天気の話でもしているような陽気な声をあげて、未来の肩から首筋を撫であげる。
「いっそ一思いに、ってのも慈悲ですの」
「やめろ!」
後方で利久が叫んだ。
「姉ちゃんは関係無い!」
途端、暗いはずの王の間に光が満ち、ばしんと何かが弾ける音がした。ヒューリが放った光弾で、利久が跳ね飛ばされたのだとわかったのは、弟がごろごろ床を転がってからだ。
「キミの意見は聞いてない」
切ったか、口から垂れた血の筋を拭いながら起き上がる利久に、ヒューリが嘲笑を向ける。
「ああ、こっちのが強いんだもの。使えるなら、もうキミは用済み、って話もありますのね」
「――やめて!」
酷薄な笑みを浮かべるヒューリに未来が振り返ると、女王が、やはり少しも表情を動かす事無く宣告する。
「それはお前の言葉一つ次第だ、フォルティアの戦巫女」
どんな言葉を求められているか未来にはもうわかっていた。今この場で利久を救えるのは、自分の一言だけだ。それを言えば利久を救える。今まで助けてもらってばかりだった弟に、少しばかりは恩を返せる事になるだろうか。だがそれは同時に、今まで共に戦い守って来た人々を、裏切る事になる。芙美香、スティーヴ、フォルカ王、様々な人々の顔が未来の脳裏を横切る。
「私は……」
最後に心を占めたのは、ファルスディーンの存在だった。
「私、は」
震えて喉に詰まる声を絞り出して、未来が決定的な言葉を述べようとした、まさにその時だった。
「陛下!」
王の間に、慌てふためいた様子の兵が駆け込んで来たのは。
「なあに、いいとこだったのに。楽しい事じゃなかったら、殺すよ?」
「は、ははっ、申し訳ございません、しかし、急を要する事態ゆえ、お許しを!」
不機嫌に頬を膨らませさらりと残酷な台詞を吐くヒューリに平伏し、兵は続けた。
「フォルティアの王太子を名乗る者が単身乗り込んでまいりました。どうか、対応のご指示を」
利久が、バロックが驚きを浮かべ、ヒューリが愉快そうに口元を歪めた。セルマリアはやはり能面のように無表情だったが。
そして未来の心臓は喜びに跳ねる。来てくれたというのか、彼が。ファルスディーンが。
「一人か」
「はっ。供の者も無しに」
セルマリアの問いに兵が答えると、彼女は全く動じる事も無く命じた。
「通してやれ」
命令を受けた兵が消えてから戻って来るまで、ものの数分と無かっただろう。だが未来には、その時間がとてつもなく長く感じられた。試験の時、問題を解いて見直しをして余る時間は、長く思えるものだったが、それ以上であった。
やがて、兵の後ろから王の間に入って来たファルスディーンの瞳は、真っ先に未来を捉えた。
「未来!」
未来の名を呼んで、王太子は真っ直ぐこちらに駆け寄って来る。
「無事か!?」
紫の瞳に見つめられると、途端に涙が溢れ出そうになったが、口元を手でおさえてこらえ、しっかりと頷く。それを見届けたファルスディーンは一瞬ほっとしたが、すぐに表情を引き締め、今は敵国とはいえ隣国の女王に敬意を払ってひざまづいた。
「ご無沙汰しております、セルマリア女王陛下」
「一人で来たか」
セルマリアは淡々と告げる。
「大した度胸だ」
「恐れ入ります」
ステアの民が畏怖する女王相手に、少しも臆する事無くファルスディーンは応え、強い意志をもって相手を見すえる。しばし、互いの視線がぶつかった後、
「行くが良い」
セルマリアが、ファルスディーンと未来を交互に見やって告げた。
「その胆力に免じて、戦巫女を返してやる。早々に帰るのだな」
そして冷たく言い放つ。
「命を奪うのは、改めて、戦場で構わぬだろう」
未来は息を呑んだが、ファルスディーンは感情を抑えてセルマリアに頭を下げる。そして立ち上がると、未来の手を取り踵を返した。
手を引かれながら未来は周囲を見た。バロックは二人に向けて深々と頭を垂れていた。ヒューリは何故かにたりと笑みを洩らす。
最後に利久と目が合った。
「利っくん」
手を差し伸べたかった。声を張り上げたかった、共に行こうと。だが弟は一言も返さず、視線を逸らしただけだった。
いつでも未来をかばい、守り、理解してくれていた弟に、拒絶された。その事実に未来の心は揺らぎ、身体も揺らぎ、足をもつれさせてファルスディーンに少しばかり寄りかかる形になった。ファルスディーンが怪訝そうに見下ろす。未来は無言で、何ともないと首を横に振り、利久に背を向けた。
王の間を出ると扉が閉ざされる。姉弟を隔てたその重みは、二度と開かれないような気がした。
グランシャリオの力で、未来はファルスディーンと共に、アイゼンハースの城門近くに転移した。
「あれが、お前の弟か」
しばらく互いに無言の後、放たれたファルスディーンの言葉に、未来はゆっくりと頷き、それから、その弟がファルスディーンを傷つけた事実を思い出して、詫びを告げる。
「ごめんなさい、利久が」
「謝るな。俺は大事無いから」
ファルスディーンにそうそっけなく言われ、未来が黙りこくってしまうと、彼は振り返り、ぎょっとした表情を見せた。
「何故、泣いている」
言われて初めて、未来は自分が涙を流している事に気がついた。何でもない。そうごまかそうとしたが、できずに嗚咽が洩れる。
「私、利久と本気で喧嘩した事、無いの。その前に、私がすごく落ち込むか、利久が折れるかして、どちらかから、謝っちゃったから」
しゃくりあげながら、未来は吐き出すようにファルスディーンに告白した。
すると、不意に頭を抱き寄せられた。自然、未来はファルスディーンの胸に顔をうずめる形になる。
「俺にはきょうだいがいない。スティーヴが兄のようなものだが、やはり実の兄弟ではない。だから、お前がどのような思いをしているか、本当に理解する事など到底できないが」
ファルスディーンが、いつに無く優しい声色で告げる。
「離別は苦しいものだろう。辛いなら、泣けばいい」
その言葉が温かい波になって胸に押し寄せ、未来の緊張の糸は完全に切れた。ファルスディーンの服をぐしゃぐしゃになるまでつかんでむせび泣く。ファルスディーンは、未来が一通りの悲しみを出し切るまで、何も言わずに、未来の泣くがままに任せてくれた。
やがて涙も尽き、未来は顔を上げる。紫の瞳がいつになく穏やかに見下ろしている。今更気恥ずかしさを覚え、離れようとして、しかし未来は、急速に目眩に襲われてその場に崩れ落ちた。
「未来!」
地面に倒れ込む前に、ファルスディーンが慌てて支える。この世界に来てから、この構図をもう何度繰り返しただろう。呑気に考える頭の中もぐるぐる回り出す。
「お前、本当に何もされなかったのか!?」
問われて、まとまりが無い頭で思い返し、感覚の薄くなって来た手を首筋に当てる。
「そういえば、噛まれた……。あの、ヒューリって子に……」
「噛まれた!?」
ファルスディーンの顔色が変わった。首の傷が今更じくじくと痛む。
「おい、しっかりしろ、未来、未来!」
何度も名を呼んでくれるファルスディーンの顔が、もう、ぼやけて見えない。
ごめんね。
声にならない声で未来は呟く。
もうこうして気を失うのも、最後にするから。
そこで、未来の意識は途切れた。




