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第1章:文歌 ――ふみか――(5)

 秋口を迎えたラプンデルの夜は冷え込む。町の郊外、戦闘の為の陣が敷かれた場所では、あちこちで火が焚かれ、暖と灯りをとっていた。

「ファル、全兵の配置が終わりました」

「ご苦労」

 いつもの黒い騎士服の上に深緑のマントを羽織ったファルスディーンは、見張り台に立って腕を組み、前方のステア方面を見つめたまま、背後からやって来たスティーヴに言葉を返した。

「だが気を抜くなよ。これからが本番だ。俺達は魔物を一匹たりとも町に入れてはならない」

「未来ちゃんもいますしね」

 さらりと応える部下に、ファルスディーンは微妙な表情をして振り返る。

「何だ、お前。いつの間にあの戦巫女を随分となれなれしく呼ぶようになった」

「いつの間にかですよ」

 スティーヴは不敵な笑みを王太子に向け肩をすくめた。

「羨ましいならあなたも呼んでみたらどうです」

「だ、誰が羨ましいなどと言った!」

 ファルスディーンが声を荒げ、しかし心無しか頬を紅潮させて、誤魔化すように再び前を見る。

「まったくお前は、主君に対して敬意を払うという事を知らないのか」

「心外ですね。これでも充分過ぎるくらいあなたには尽くしていると自負していますが」

「口だけは達者だ」

 ファルスディーンは苦笑を洩らし、それから紫の瞳に怜悧な光を宿して、前方の闇を見すえた。スティーヴも笑みを消し、腰に佩いた剣の柄に手をかける。

「来たようですね」

 護衛騎士の言葉に無言で頷き返し、ファルスディーンもすらりと長剣を鞘から抜くと、見張り台を身軽に飛び降り、周囲の兵達に向けて声を張り上げた。

「魔物が来るぞ! 各員応戦態勢に入れ!」

 たちまち辺りにただならぬ緊張が満ちる。

 ステアが宣戦布告を行うまで、フォルティアには長らく戦が無かった。今日が初陣だという兵も大勢いるだろう。全員を死なせない戦いなどできないかもしれない。しかし、できうる限り犠牲を出さない戦いを行うのが、王太子である自分の務めだ。

 もう、狼に似た獣型の魔物の姿がしっかりと見える。ファルスディーンは剣を振りかざし、雄叫びをあげながら走り出して、前線に躍り出た。まっすぐ突っ込んで来る一匹の首をはね、返す刀で右から飛びかかって来た魔物の喉に刃を突き立てて一気に腹まで切り裂き、黒の粒子に還す。正面からの三匹目を振り払った時、右腕がずきりと痛んだ。

「ファル!」

 怯んだ王太子に向け魔物が走り込むところを、スティーヴが次々斬り捨てた。未来が思った通り、ファルスディーンが負った右腕の傷は全快していなかったのだ。彼の為に回復魔法を行使してくれる癒し手はフェーブル城には存在しなかったし、彼自身が負傷を服の下に隠して誰にも告げなかったからだ。

「ファル、無茶はしないでください!」

 たちまち二匹を斬り払い、護衛騎士が怒鳴る。既に戦線は、人と魔物とが入り乱れる混戦と化していた。

「ネーデブルグの戦巫女様だ!」

 誰かが声をあげたのを聞き、ファルスディーンとスティーヴは剣を振るう手を止める事はしなかったものの、兵達が沸き立つ方向を見やる。

 黒い長剣を解放し両手で握り締めた瀬戸口芙美香は、女性とは、いや、人間とは思えない速度で魔物の群へ駆け込んでゆき剣を振るった。三匹が一斉に黒の粒子に還る。魔物が飛びかかると、彼女は当たり前のように地を軽く蹴って、宙へと飛んだ。誰もが驚き思わず見上げてしまう中、芙美香は長剣を右手だけで持ち、左手に意識を集中させて、黒い小型の刃を生み出す。放たれた刃は的確に魔物の急所を貫いた。そのまま手を休めず宙を蹴って加速すると、その勢いで更に四匹をなぎ払った。

 最早伝説と化していた戦巫女の超人的な能力を目の当たりにするのは、兵達の戦意を昂揚させるに充分だった。彼らも武器を握り直し、果敢に魔物に立ち向かってゆく。

 しかし死者こそまだ出ていないものの、傷を負い、後退を余儀無くされる者は続出した。重傷者が町の中へと運び込まれ、残る者でその穴を埋める事になるが、彼らさえも身体のどこかに魔物の爪によるひっかき傷を作っている状態だ。恐らく、最前線にいながら無傷であるのは、戦巫女の能力で身軽に動き回る芙美香ぐらいのものだろう。

 それでも、小一時間ほど戦い続け、魔物の群の大半を黒の粒子に還した頃、ファルスディーンはふと違和感を覚えて、戦場を見渡した。

「これで全部なのか?」

 己の背後を守っていたスティーヴに問いかける。

「確かに、予測していたよりは手ぬるい気もします」

 護衛騎士は応え、そしてはっと上空を見上げた。ファルスディーンもそれにつられる。闇に紛れていたが、確かに見えた。空を舞って迷う事無く町の方へと向かってゆく、翼持つ新手が。

「くそっ、狙いは後方か!?」

「こちらは戦力を町の内部から離す為の陽動。まんまとはまったようですね」

 激昂するファルスディーンと対照的に、スティーヴは淡々と事実を述べたが、その表情は真剣だ。

「戻りなよ、王子様!」

 魔物を斬り捨てながらこちらを向き、芙美香が怒鳴った。

「ここはあたしがいれば何とかなるでしょ。未来ちゃん達を守ってあげて!」

「しかし……」

「芙美香殿のおっしゃる通りです」

 躊躇う王太子の前に駆け出て、残る魔物を振り払い、スティーヴが告げる。

「今、町の中に戦える者はおりません。あなたが自国の戦巫女を守らずに、他の誰が守るのですか」

 護衛騎士の言葉に、ファルスディーンははっと紫の瞳をみはった。自分が召喚した戦巫女だ。しかも、異世界に突然一人呼ばれ、戸惑っている内に戦いに放り込まれて、どれだけ心細いか。ステアとの戦ばかりに気を取られて、思いやる暇も無かった。

 ファルスディーンは強く唇をかみしめた。そしてまだ痛む右腕をなだめつつ、剣を握り直すと、

「すまん、頼む!」

 スティーヴと芙美香に頭を下げ、踵を返し、町の中へと走って行った。

「さっすが護衛騎士筆頭さん。あの王子様の性格、よくわかってるじゃない」

「伊達に十年以上付き合っていませんから」

 芙美香とスティーヴは背を寄せ合い、軽口を交わす。それから二人はすぐさま離れ、数は減ったがまだ残っている魔物達に斬り込んで行った。


 町の中央広場には臨時の救護施設が置かれ、傷を負って前線から後退した者が、次々運び込まれていた。たちまちあたりには、むせ返るような血のにおいと、負傷者の呻き声が満ちる。

 しかし、自分より幼いサフィニアさえ、顔色ひとつ変えず、白い服が汚れるのも厭わずに、怪我人の傍にかがみこみ手をかざして、回復魔法で傷を癒しているのだ。名目上だけでも戦巫女である自分が怯む訳にはいかない。新たに運ばれて来た者の元へ未来は駆け寄る。彼は脇腹を深く切り裂かれていた。ぱっくり割れた傷口からは血がとめどなくあふれ、あっという間に横たえられた布を赤く汚す。見ているだけでめまいを起こしそうだったが、心で己を叱咤し、止血の為に清潔な布を巻こうとする。その時、自分より一回りほど小さい白い手が伸びて来た。

「何故、無駄な事をなさるのですか」

 サフィニアだった。彼女の手から温かい光が洩れると、みるみるうちに傷は塞がり、苦悶に満ちていた怪我人の表情も穏やかなものに変わる。

「わたくしの力を使えば大抵の傷は治ります。あなたのしている事は、怪我をされた方達の苦痛を取り払う事にはなりません」

 ファルスディーンに相対した時の甘ったれるような口調はどこへやら、サフィニアは強い調子で告げる。しかしこれが自分達の世界でのやり方だ。魔法みたいに一瞬で痛みを癒す術など存在しないのだ。そう言い返せず、未来が口をつぐんだ時だった。

「魔物だ! 魔物が空から来たぞ!」

 誰かが叫ぶのを聞いて、未来は頭上を見上げた。暗い夜闇の中を舞う、翼持つ異形の姿が見える。隣でサフィニアがひっと喉の奥で悲鳴をあげてうずくまった。

「嫌、助けて、ファルスディーン様。サフィニアは戦えません……!」

 サフィニアはがたがた震えながら、ファルスディーンの名を呼ぶ。ここに戦える者はいない。どうする。どうすれば良いのか。逡巡した未来の耳に。

「戦巫女、ステアの為にその命頂戴する!」

 突如、背後からそんな叫びが飛びかかって来た。

 慌てて首だけを巡らせた未来の金色の瞳に、刃の鈍い輝きが映る。ラプンデル警備兵の姿をした暗殺者は、鋭く研がれた短剣を迷い無く未来に向けて、突っ込んで来た。かわす余裕は無い。よしんば避けたとしても、真後ろにいるサフィニアが被害を被る可能性がある。

 頭が真っ白になる。その後には、どうする、どうすればいいの考えが脳内を占めて混乱するばかり。意志とは関係無く、未来は大声で叫んでいた。

「――嫌っ!」

 その瞬間。

『力を望むか、戦巫女。ならば存分に振るうが良い』

 耳ではなく頭の中に直接届くような少女の声が響いた直後、未来の体内で何かが弾けた。身体の奥から突き上げるような衝動は銀の光となって具現化し、未来から溢れ出た。

 ばしん! という音と共に、暗殺者が、未来の目の前で何かにぶつかったようにのけぞり、気絶して横様に倒れた。

 何が起きたのかわからず、未来は一瞬ほうけてしまう。しかしよくよく見れば、銀色に輝く薄い壁のようなものが目の前にできている。それが障壁となって未来を守ったのだ。

 銀の壁は音も無くすうっと消える。未来は今度は空を振り仰いだ。どうすれば戦巫女の能力が使えるのか。これまで皆目見当がつかず悩んでいたのがまるで嘘のように、未来の体内に銀色の力が満ちているのがわかる。そしてそれをどう行使すれば良いのかも。

「来ないで!」

 上空から飛びかかって来る魔物の群に向けて、未来は強く叫んだ。その途端、未来の周囲に幾つもの銀の光が生じ、刃の形を成したかと思うと、まっすぐ魔物達へと放たれる。刃は迷う事無く次々と敵の急所を貫き、あっという間に黒の粒子へと還した。

 わずかに残った魔物が、最後の抵抗とばかりに舞い降りて来るが、未来は逃げ出さなかった。恐怖は心を占めている。しかし、この世界に初めて来た日とは違う。もう、戦える。自信が彼女の身を支えた。

「皆を守って」

 その言葉に反応して、銀色の壁が頭上を覆い、魔物の進撃を阻む。

「火。出せる?」

 疑問形であったが、未来の中に生まれた力は彼女の希望に応えた。銀色の炎がごうと音を立てて夜空をなめ、残っていた魔物全てを消滅させた。

 炎が消え、それに照らされていた町は再び暗さと静けさを取り戻す。しかししばらくの間、誰もその静寂を破る事ができなかった。それをもたらした未来自身でさえも。

「……戦巫女?」

 沈黙に堪え難くなってきた頃、唖然とした声がうつむいていた未来の耳に届いた。顔を上げると、ファルスディーンが、信じがたいという面持ちでこちらを見つめている。

「力に、目覚めたのか」

 声には、驚きと、微かにどこか安堵した色が含まれている。未来は無言で頷き、それから、ファルスディーンの元に歩み寄ると、剣を握ったままの彼の腕を取った。

 王太子はわずかに呻いて剣を取り落としかけるが、左手でそれを受け止め、未来の足元に落ちるのは避けられた。未来はそれに構わず、ファルスディーンの服の袖をまくり、右腕に巻かれた血のにじんだ包帯を確認する。やはり思い過ごしではなかった。その傷を負わせたのは自分だ。謝罪の代わりに、別の言葉を舌に乗せる。

「治して」

 かざした手から銀の光が放たれ、相手の腕に吸い込まれる。ファルスディーンはしばし、ぽかんとそれを見つめていたが、やがてするすると包帯を外し、腕を動かして、傷が跡形も無くなった事を確認した。

 紫の瞳が初めて敬意を宿して、未来に向けられる。それを見て、未来の口からその言葉は自然に洩れた。

「迷惑をかけて、ごめんなさい」

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