ラプンツェル
ハーフの女の子と図書委員の男の子の話。
いっそ本当に、物語の登場人物になれたらね。
彼女は放課後の図書室で寂しげに微笑み、そう言った。
*
宮原は長い長い金色の髪をしている。見た目からすぐにわかることだが、彼女はハーフだった。確かイギリスと日本の。顔が小さくて色白で綺麗な金色の髪をしていて。
まるでおとぎ話から抜け出してきたお姫様みたいだって。
俺が彼女をそう形容したって、きっと誰も笑わない。
彼女がかのおとぎ話のお姫様のなぞらえてラプンツェルと呼ばれる理由は、ハーフだということだけじゃなかった。
彼女は、去年の文化祭で劇をやったのだ。演目はラプンツェル。当然彼女は主人公のお姫様役だった。
彼女の名演技に観客は賞賛の拍手を贈り、感嘆の溜息をついた。だけどその日、彼女はもともと所属していた演劇部を辞めてしまった。俺が理由を聞くと、彼女は「もうラプンツェルになりたくないから」と、よくわからない回答をした。
この辺りで少し説明しておこう。
何故、ラプンツェルというあだ名を欲しいままにする美女と、しがない一男子生徒の俺が関わりを持っているのか。
二人の接点は図書室だった。
宮原は本好きだ。はば毎日図書室に来て静かに本を読んでいる。イメージ守りすぎだ。
かくいう俺は本なんてまったく読まない。国語の授業以外であの活字の羅列と向き合うなんてまっぴらごめんだ。それなのに図書委員なんかになったのは、単なる成り行き。悲運だ。
そして今に至る。俺の貸出当番は水曜日の昼休みと放課後だから、その日は嫌でも彼女と顔を合わせる。話しかけてみたら意外と普通に喋るから驚いたのを覚えている。
何となく、変な子だろうなと思っていた。
だって宮原の髪は、足元まである超ロングだから。
彼女がラプンツェルと呼ばれる一番の理由はそこにある。
「今年もやるんだってなあ。『ラプンツェル』」
図書室には相変わらず俺と宮原の二人しかいない。
書架の整理をしながら軽い調子で言うと、宮原は目に見えて体を固くした。彼女は読んでいた本を机の上に置いて、俺を見上げた。
「……もう噂になってるんだ」
「そりゃあ去年あんなに大盛況だったし、今年も満員御礼だろ?続・ラプンツェル」
声には我ながら、皮肉がこもっていた。最後の本をかたん、と棚に戻して、俺は彼女の隣に座った。片手で頬杖をついて彼女の顔を覗き込む。
「あんた、またやんの?」
宮原は目を泳がせて、結局ふいと顔を逸らした。後ろめたい思いがあるって言っているようなものだった。
「……友達に頼まれて……断りきれなくて」
「ラプンツェルにはなりたくないって言ってなかったか?」
容赦なく追い討ちをかけると、彼女は翠の瞳を大きく見開いたあと、俯いて黙りこくってしまった。金色のヴェールが彼女の高い鼻を、白い頬を、表情ごと隠してしまう。しばらくすると彼女は力なくうつむいたまま、呟くようにこう言った。
「いっそ本当に、物語の登場人物になれたらね」
俺と彼女以外は誰もいない図書室で、その透き通った声は虚しく響いた。
「与えられた役を演じて、誰かが決めてくれたレールを辿って」
それだけで生きていけるなら、どんなに楽だろう。
彼女は言った。俺に何かを言って欲しかったのかもしれない。だけど俺は何も言わずに、彼女の話を聞いていた。
「私が本物のラプンツェルだったら、幸せになれたのに」
彼女はただ俯いて、きつく拳を握っていた。どんな顔をしているのかは、やっぱりわからなかった。
そのあとまともに口をきくこともなく、文化祭当日を迎えた。演劇部の発表は体育館でやる。俺もクラスの仕事を抜けてそこに向かった。
演目は「続・ラプンツェル」
あの有名なおとぎ話の続きを創作して演るらしい。今年は心なしか例年よりセットに気合が入っている。
観ている限り、話のあらすじはこうだった。
家族と幸せに暮らしていたラプンツェルだったが、ある日子どもが重い病気にかかる。それは魔女がかけた呪いで、魔女に薬を貰う以外に治す方法はない。魔女が薬を売る交換条件として提示したのは、ラプンツェルはもう一度塔に閉じこもり、もう二度と家族と会わないこと。ラプンツェルは滑稽なほど従順に魔女に従い、塔の上に戻った。
で、今、お約束で王子が助けに来た。
暗い体育館の観客席から明るい舞台を見つめて、俺は思いっきり顔を歪める。言いたいことは山ほどあったが、今は堪える。まだ宮原が演じている途中だから。だけど彼女の演技を見れば見るほど、喉の奥に不快感が溜まっていった。
「ああ王子様、どうかお帰りください。あの子を救うためなのです」
悲壮な表情で姫が言ったことに王子が言い返そうとしたその瞬間、堪忍袋の尾が切れた。
がたん、と椅子を蹴り立ち上がって、大きく息を吸い込む。
「姫!そいつの手を取ってはいけない!それは偽物だ!」
久しぶりにやったのと、あたたまっていない喉を使っていきなり声を張り上げたからか、あまり上手くはいかなかった。だけど観客の視線を集めるには充分だった。みんな唖然として俺を見ているが、構わずに続けた。舞台の上にとび上がって”王子”の生徒を押しのけ”ラプンツェル”を見上げる。
「姫、飛び下りてください」
「……え」
「あなたはそのくらい自分で飛び越えられるはずだ。あなたを閉じ込めていたのは魔女ではなくあなた自身です」
実際、ラプンツェルの閉じ込められた塔がどれだけ高かったかなんて知らない。とにかく今”ラプンツェル”がいる塔はよっぽど下手こかなきゃ怪我するはずのない高さだ。
「安心しなさい。私が必ず受け止める」
これだけ言ってもラプンツェルはまだ戸惑っていて動こうとしなかった。そろそろ間がもたない。俺もだいぶ鈍っていたみたいだったし、業を煮やしていた。そんなわけで、舞台上で一番やってはいけないことをやってしまった。
「いいからさっさと飛び下りろ!」
すなわち、素に戻ること。
今のこの台詞は完全に、王子がラプンツェルに向けたものじゃなく、俺個人が宮原に対して叫んだものだった。だが怒鳴られてようやく彼女は覚悟を決めたらしい。唇を引き結んで顎に力を入れた彼女は、 ちゃちな塔に足をかけて身を乗り出す。
豪奢なドレスが、ぶわりと舞った。
*
「脚本があり得ないほどつまらなかった」
空いている教室に宮原を連れ去ってきて入るなり、俺は溜まっていた不満を一気に吐き出した。誰だあれ書いたの、藤沢か木野か。だいたい小野寺は声出てねぇし池谷は台詞ばっか追って表情がなってねぇし、正気かあいつら。
酷い言いように目を見張りながら、宮原は恐る恐る問いかける。
「……えっと、黒沢くん、演劇する人だったの……?」
「あ?あー……」
ちょっと迷ったが、言ってしまうことにした。
「宮原、去年ラプンツェル演ったよな?」
「う……うん?」
「あんときの王子役、俺」
いきなりのカミングアウトに宮原はだいぶ戸惑っているようだった。ただでさえ色白の顔が蒼白になっている。目なんか、捨てられた子犬ばりの頼りなさを醸し出していた。
「う、嘘。だってあのときの王子役の人は金髪で……ちょっと怖い感じの……」
宮原は、自分で言っててはっとしたようだった。
「ほらな、髪色以外俺だろ?」
絶句している彼女に人の悪い笑みを向けて、俺はさらに宮原が驚くだろう発言を投下した。
「俺さ、両親がどっちとも役者で、子どもの頃から半強制的に演劇やらされてんだ」
だがここまで来ると宮原の驚きは疑いに塗り替えられていった。翠の瞳が疑わしそうに揺れる。
「いや、嘘でも冗談でもなく」
「ほんとに……?」
「ホントに。でも俺はあの日あんたの演技見て自信喪失して、ついでに髪色も戻したわけ。やっぱり日本人に金髪は合わねえわ。あんた見て改めて思った」
軽口を叩いたつもりだったのだが、どうも彼女は今そんな気分にはなれないようだった。黙って彼女から話し出すのを待つ。図書室で一人本を読む彼女に声をかけた日から、俺はずっと聞きたかった。
どうして宮原は演劇部を辞めたのか。
「……去年、ラプンツェルを演じたとき、気がついたの」
彼女はぽつりと語り出した。
俯いたままなので、その表情はまたしても隠れてしまう。金色の厚い壁が彼女を覆う。
「私はずっと、役の影に隠れているだけだった。だから演じ終わったあと、夢から覚めたような虚しい気持ちになるんだ、って」
弱くて臆病な自分が大嫌いだったから、幸福で勇敢な架空の人物の皮を被って、嫌いな自分に気づかない振りをしていた。
だけどあの日たくさんの歓声を浴びて、今までにもらったことのない盛大な拍手を聞いて。
途端に自分が情けなくなった。怖くなった。
「自分を隠したままじゃ演技を続けることはできないって気がついたの。だから今日だって本当はラプンツェルになりたくなかった」
ぽた、とドレスに涙が落ちて染みができる。涙は後から後から溢れてきた。宮原はより強く手を握る。そんな彼女を見て、俺は深くため息をついた。
俯く彼女の頭に手をのせて、問いかける。
「あのさ宮原、俺が何で今年は王子役やらなかったかわかるか?」
「わ、わからっ……ない……」
しゃくりあげながらも、彼女は何とか首を横に振る。まあわからないだろう。誰にも話したことなんてないから。
「俺は一年前のあんたの演技を見て、自分が別に演劇が好きなわけじゃないって気付かされた。逆に、あんたが死ぬほど演劇が好きなんだってのがわかったよ」
親に言われたからやっているだけ。周りが求めるから都合のいい人間を演じていただけ。そんな俺とは違って、あのときの宮原は演じることが楽しくて仕方ないって顔をしていた。全身で喜びを表していた。
「宮原は真面目だからな。要はちょっと後ろめたいことがあっただけだろ?大好きなことにちゃんと向き合えていない自分に気づいて悔しくなっただけだ」
本当に好きじゃなきゃ、悔しく思うことだってない。俺と彼女はほぼ同じ時期に演劇から遠ざかったけれど、その理由はまったく正反対だった。
それが知れただけでいい。
「好きなことから逃げる必要なんてないだろ」
いつしか宮原は声を上げて泣いていた。誰もいない教室で、遠くに生徒たちの騒ぐ声が聞こえる中で。
*
文化祭が無事終わった後、宮原は演劇部に戻った。ついでに長かった髪をばっさり切った。そっちのが似合ってると言うと、彼女は照れたように笑っていた。
黒沢「まあ俺のアドリブもたいがい酷かったけどな」
宮原「でも、あれはあれで評判よかったみたいだよ……?」
*作者は演劇に関してはド素人です。なのでおかしいところは目を瞑ってやってください。